カネボウ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
カネボウ(旧社名・鐘淵紡績、鐘紡)は、東京都墨田区に本店、港区に本社を置く日用品、医薬品(漢方薬)、食品などの事業を行う化学会社。
東証第1部に上場していた。英文社名は、Kanebo, Ltd.。特定の企業グループには属していないが、旧三井銀行(現・三井住友銀行)を主力取引銀行としていたことから、旧三井財閥系に含まれる事がある。また祖業である繊維事業からは撤退しているが、その前は天然繊維・化学繊維の両方を手がけていた。
目次 |
[編集] 概要
[編集] 日本最大の企業
- 1887年東京府下鐘ヶ淵に東京綿商社として創立し、紡績会社として創業を開始した。戦前、繊維産業はかつての鉄鋼・現在の自動車に匹敵する基幹産業であり、太平洋戦争直前には国内企業売上高一位を誇り隆盛を極めた。また、鐘淵デイゼル工業(現・日産ディーゼル工業)や茨木自動車(後の茨木バスを経て現在の近鉄バスの一部)などの異業種を傘下におさめていた。
[編集] 戦後の凋落
- 戦後、非繊維事業を鐘淵化学工業(現・カネカ)として分離独立させた(現在はカネボウと前述各企業の間に資本関係・人的関係はない)。その後、産業構造の転換とともに、繊維産業の衰退し経営環境は悪化、労使紛争が頻発した。こうした中、労働組合をバックにしたクーデターが発生し、1968年、中興の祖と言われた武藤山治の息子・武藤絲治より、当時45歳の伊藤淳二が社長に就任する(この経緯は、城山三郎の小説『役員室午後三時』に詳しい。)。
[編集] 労使協調とペンタゴン経営
- 社長に就任した伊藤は、労使運命共同体論=労使協調、ペンタゴン経営=多角化路線を推し進めた。これにより、「赤い丹頂鶴」とまで言われた、先鋭的労組との対立は沈静化し、ペンタゴン経営は、化粧品部門という高収益部門を育成した。特に、ペンタゴン経営で生まれた化粧品事業は、猛烈な営業攻勢で売上を伸ばし業界首位の資生堂を追い上げていた。
- しかしこれは、結果的に見れば、カネボウにとって不幸であった。労使協調路線はリストラの足かせとなり、ペンタゴン経営では化粧品以外の不採算事業、特に祖業である繊維が毎期損失を計上し続けた。他部門が赤字でも、高収益部門である化粧品部門がそれを補完する構造が出来上がり、リストラを行う危機感と意欲を失わせた。また、こうした構造転換の遅れは、長く会長・名誉会長職に留まった伊藤の影響のため、リストラが進まなかったとの指摘もある。
- 1977年頃には、事業目標を達成できなかったときに、売上を水増しするといった粉飾が始まったといわれており、悪しき企業風土となっていた。
- ちなみに、伊藤はこうした“実績”が評価され、1985年に日航ジャンボ機墜落事故で経営再建が急務であった、日本航空(現・日本航空インターナショナル)副会長(後に会長)に登用される。しかし、労使対立が魑魅魍魎とした状態の中、得意の労使協調路線は受入れられず、結果を出せぬまま、1年余りで政府により更迭された(山崎豊子の小説『沈まぬ太陽』に詳しいが、本作は伊藤について脚色が多いと言われる。)。
[編集] 傍流の登場
- 1998年に社長就任した帆足隆は、カネボウでは全くの傍流であった。1961年、松山商科大学卒業後、大阪の子会社・カネボウ化粧品販売に入社、猛烈な営業で頭角を現し、30代で支配人に抜擢をされていた。
- その活躍ぶりは、伊藤淳二会長の目に留まり、本社に登用。その後も、ノルマ強化で化粧品部門の売上拡大を推進、成果を引き下げての社長就任であった。歴代社長は学閥主流派の「慶大卒・本社管理部門出身者」(前述の武藤親子、伊藤はこの条件に当てはまる)が占める中で、「松山商大卒・子会社営業部門出身者」である帆足の経歴は、まさに異例中の異例だった。
[編集] 繰返される粉飾
- 売上目標必達を厳命したものの、化粧品の黒字を繊維をはじめとする他の事業の赤字が食いつぶす収益構造が続き、過酷なノルマ達成も不可能となった。帆足は、「モーニングコーヒーから夜の盛り場まで一緒だった」と評される宮原卓副社長と話し合い、2001年度の債務超過を隠すため、粉飾決算を繰り返すことになる。
- その一つが、「押し込み」と呼ばれる方法であった。決算前に在庫を他社に大量売却し、決算後に買い戻す仮装取引を繰返していた。後に、同社の経営浄化委員会は、2000年からの2年間で約100~300億円の利益などの水増しが行われ、有価証券報告書への虚偽記載があったと指摘している。
- また、「宇宙遊泳」と呼ばれる手法も用いられた。1998年に巨額の不良在庫が経営問題化していた子会社・興洋染織との取引は、担当者間で同社の赤字を埋める目的で、売れ残った毛布をカネボウが買取り、別の取引会社数社との間で毛布の売買が成立したように仮装していた。この仮装取引は、1998年以降さらに拡大し、大量の不良在庫を移動させ続けた上、資金を回収できない状態が続き、最後には、カネボウ本体が不良在庫を引受けることになった。結局、この損失は522億円に膨らんだ。
- こうした粉飾は事業部毎に行われており、2003年年度には、化粧品部門で約16億円、ファッション部門で約47億円、ホームプロダクツ部門で約9億円、新素材部門で約10億円売り上げを水増ししていた。
- 粉飾決算が繰り返されたのは、それを黙認する企業風土に加え、2000年3月期から導入された、連結決算を重視する新会計基準(実質支配力基準)も大きく影響していた。連結決算により、最終利益が赤字であり債務超過に陥っていることが判明すると、銀行融資が不可能になり、また上場廃止確実であったためである。
- 2002年度決算で、業績不振の子会社15社を含めた連結決算書作成を義務づけられ、約260億円の赤字を7000万円の黒字に、約1900億円の債務超過を、9億2600万円の資産超過と粉飾した有価証券報告書を提出し、翌年も同様の手口で粉飾を繰返した。しかし、こうした架空売上は悪戯に損失を累積させ、抜本的な改革は先送りされた。結局、2004年3月末で、3553億円にも及ぶ債務超過につながることになる。
[編集] 迷走と再生
- 2004年、最後の自主再建策として化粧品部門の花王への売却が発表されるが、労働組合の反対で頓挫した。以後、経営は迷走を続け同年産業再生機構の支援を受けることになった。
- 産業再生機構は、当初カネボウおよびカネボウ化粧品の一体再生を目的とし、減資を強行するが、後に一体再生を撤回し、分離再生する方針に変更する。
- カネボウ化粧品の花王への売却に伴い、「カネボウ」の商標権がカネボウ化粧品に譲渡されており、本体を買収した投資ファンド傘下で化粧品部門以外は新たなブランド名に切り替えられる予定。
- 2005年5月からは、カネボウから営業を譲り受け、カネボウ・トリニティー・ホールディングスを統括会社とする新カネボウグループとして再スタートを切った。
[編集] 再生ファンドと少数株主の対立
- 2005年5月12日、東証は一連の粉飾決算が上場廃止基準に該当するとし、上場廃止を決定する。産業再生機構および経済産業省を中心に、東証に上場継続を求める声もあったが、市場の信頼性を維持するため、廃止を決定したとされる。
- 廃止直前、産業再生機構の片山執行役員は、受け皿企業に対してTOBの実施を条件にすると発言し、大幅下落していたカネボウ株は、復調の兆しを見せる。最終取引価格は360円であった。
- 再生機構は増減資などの資本整理、事業整理の後、入札を実施し、花王および国内三ファンド(アドバンテッジパートナーズ有限責任事業組合、株式会社MKSパートナーズ、ユニゾン・キャピタル株式会社)連合を支援企業に決定、カネボウおよびカネボウ化粧品株を同ファンドに売却するが、売却価格を「守秘義務に当たる」として公表しなかった(のちの、同機構によるダイエー再生では、丸紅への売却価格は公表されている)。
- 2006年2月16日、臨時株主総会にて、中嶋会長を除く経営陣がファンド側出身者に交代を決定。その際、一般株主からTOBについて質問されるが、直前までトリニティ・インベストメントの代表取締役であった、ファンド出身の小森新社長は「トリニティ社のTOB価格は知らない」と回答する。
- 2006年2月21日、カネボウ化粧品の所有するカネボウ株を三ファンド出資の受け皿会社トリニティ・インベスティメント株式会社に譲渡され、同社がカネボウの筆頭株主となる。同日、同社が他株主に対してTOBを実施する。TOB価格は上場廃止時の360円から大きく乖離し、また多くの一般株主にとって“想定外”の162円であった。被TOB側のカネボウは、その5日前の株主総会で「知らない」と言ったにもかかわらず、即日「妥当な株価である」と評価する。
- また、このTOBで一般株主に郵送された文書では、「この公開買付に応募しない場合、産業再生特別措置法に基づく金銭交換(スクイーズアウト)によっての買取となり、162円である保証はない」等と、脅迫に近い文言が並び、何も情報を持たない多くの株主は、TOBに応じざるを得ないと解釈した人も多かった。
- TOB価格について、ファンド側は「DCF法、市場株価基準法等を勘案した結果」162円であると結論を出したとTOB公告に記したが、市場株価基準法は、実際には使用しておらず(市場ではそのような価格を付けたことは過去に一度もなかった為、明白)、虚偽記載に当たるのではないかと指摘があったのか、公告を訂正した。しかし、訂正公告を一般株主に郵送せず、「意図的に隠したのではないか」という批判が多く出た。
- TOB価格決定については、トリニティ社は、第三者機関である国内証券会社Mに、現資産および将来業績予測などの算定を依頼したとするが、このM社はカネボウ株を所有していることが判明し、「第三者」とは言えないのではないかとの指摘がなされた。また、TOB発表の数日前には「(TOB価格は)知らない」と言ったカネボウ側は、このTOB価格について「独自に第三者へ依頼した算定結果を考慮すると妥当」と、取締役会にて即時に賛同を示しているなど、疑惑をもたれかねない不審な動きを見せる。
- 2006年3月18日、個人株主の一部有志が、ファンド側が示したTOBに応じず、株主としてカネボウの再上場を求めていく方針を討議。「カネボウ個人株主の権利を守る会」を発足させる。
- TOBは成立するが、三ファンド側の目論見を大幅に下回り、ファンド側は議決権の85%程度しか占めらなかった。
- 2006年4月に、主要三事業のファンド側企業への営業譲渡について発表される。反対する株主には、株の買取を通知するが、買取請求受付期間が二週間ほどであり、公告がカネボウのWebと、日本経済新聞への公告掲載(未確認)だけだったため、多くの株主がそれを知らずに、買取請求期間が終了してしまった。
- 2006年4月21日、「個人株主の権利を守る会」有志が、東京地裁に営業譲渡の差し止めの仮処分を申立てを申請。4月28日、同申請は却下される。5月1日、東京高裁に即時抗告。7月28日、仮処分の申立を却下される。
- 2006年6月29日、定時株主総会にて、先の三事業の営業譲渡が、事業受け皿会社ではなく、ファンド側の受け皿企業トリニティ・インベスティメント株式会社の免責的債務引き受けにより、債権化されていることが明らかになる。個人株主の追及により、この債権の担保はトリニティが保有するカネボウ自社株であると経営陣が認めると、個人株主からは「犯罪だ!」「背任行為だ!」という怒号が飛び交う。同日午後、「個人株主の権利を守る会」が中心になって、個人株主の権利保護を訴え、経産省の周囲にデモ行進する。
- 2006年6月~8月、主要三事業の譲渡に反対する、複数の株主が、東京地裁に対して、「営業譲渡無かりせば」のカネボウ株の買取価格について、適正価格の決定を申し立てる。
- 東京地裁へ申し立てられたカネボウ株の買取価格の決定について、東京地裁は同様の複数の申請を併合し「買取価格決定申請事件」として扱うこととし、2006年9月6日、第一回審尋開かれる。
- 2006年12月4日、「カネボウ個人株主の権利を守る会」を中心とする個人株主は、先の営業譲渡にかかわる、免責債務の承認及び自社株式の担保化について、「カネボウの全株主の利益を確保するという取締役の忠実義務に違反し、カネボウに損害を与えた」として、中島会長、小森社長以下全取締役を会社法の特別背任罪として、東京地検に刑事告発した。東京地検特捜部は、2006年12月11日、この刑事告発を受理した。
- 2006年12月13日、「カネボウ個人株主の権利を守る会」を中心とする個人株主は、中嶋会長、小森社長以下、カネボウ取締役5名に対して、営業譲渡債権の未回収分425億円あまりを、連帯してカネボウに返済を迫る株主代表訴訟を東京地裁に起こした。
[編集] 沿革
- 1887年5月6日 - 東京綿商社として東京府南葛飾郡隅田村の通称・鐘ヶ淵(現在の東京都墨田区隅田)に創立
- 1893年 - 鐘淵紡績株式会社に社名変更
- 1896年 - 神戸市湊西区(現在の兵庫区)に兵庫工場を設置。主力工場となり、事実上の本部となる。
- 1936年 - 鐘紡絹石鹸発売(後のホームプロダクツ事業・化粧品事業の源泉)
- 1939年 - 日本初の合成繊維「カネビヤン」(ビニロン)製法発明
- 1945年 - 本部を大阪市都島区に移す
- 1949年9月1日 - 企業再建整備計画の認可により非繊維事業が鐘淵化学工業(現:カネカ)として独立
- 1961年 - 鐘淵化学工業から化粧品事業を買い戻す。(旧)カネボウ化粧品を設立し、化粧品事業を再開
- 1964年 - ガムメーカーのハリス食品を買収。カネボウハリスを設立し、食品事業に進出
- 1966年 - 山城製薬を買収しカネボウ薬品を設立。大衆薬・漢方薬などの薬品事業に進出
- 1971年 - 鐘紡株式会社に社名変更。鐘淵化学工業から石鹸事業を買い戻す。カネボウ石鹸製造(ミヨシ油脂との合弁会社)・カネボウ石鹸販売(現・カネボウホームプロダクツ)を設立し、石鹸・シャンプー・入浴剤などの日用品事業を再開
- 1972年 - カネボウハリスが粉末ジュース「渡辺のジュースの素」で知られる渡辺製菓を買収
- 1982年 - カネボウハリスの食品事業を分社化し、ベルフーズを設立。同社から「ねるねるねるね」などのサイバー菓子を複数発売したことで知られる
- 1985年 - 集積回路事業の開始 会長の伊藤淳二が日本航空の副会長(のち会長)を兼任
- 1986年 - カネボウハリスが鐘紡本体に吸収合併され、「カネボウ食品本部」となる
- 1990年代 - この頃から不採算事業が収益力のある事業を上回る、といったカネボウのペンタゴン経営<繊維・化粧品・医薬品・食品・住宅環境の五事業>の不振より業績が悪化し始める
- 1993年 - カネボウ食品本部が鐘紡本体から分離され、一旦分社化したベルフーズと合併。現在のカネボウフーズとして発足
- 1995年 - 本部を大阪市都島区から東京都港区の海岸ビルへ移す
- 1999年 - 漢方薬を除いた新薬事業すべてを日本オルガノンへ売却
- 2001年 - カネボウ株式会社に社名変更
- 2003年10月23日 - 花王と合弁会社を設立して事業統合することを合意
- 2003年12月22日 - 事業統合の正式契約を延期
- 2004年1月31日 - 花王へ化粧品事業を完全売却することに変更と発表
- 2004年2月16日 - 化粧品事業の花王への売却については条件が折り合わず取り止め、産業再生機構へ再建を委ねることとなる。同時にサウンドロゴ付き30秒CMを廃止
- ※当初は化粧品事業だけの予定だったが、会社全体に拡大、化粧品事業については分社化して機構が86%を出資する
- 2004年3月10日 - 産業再生機構が支援を正式決定
- 2004年5月7日 - 化粧品事業がカネボウ化粧品として独立
- 2004年 - 引責辞任した会長兼社長・帆足隆(後に証券取引法違反で起訴)の手記が日経ビジネス誌面に掲載。その内容が罵詈雑言に満ちたもので話題に。「あの野郎(新社長の中嶋氏)には裏切られた、あんなバカだとは思わなかった」「こんなボロ会社(カネボウ)の社長になるんじゃなかった」。
- ※カネボウ本体も、機構入り前の経営陣による粉飾決算疑惑や不採算事業の譲渡・清算が加速し始める
- また、同社は2003年までここ十数年間、Kanebo SPORTS SPECIAL防府読売マラソンの冠スポンサーとなっていたが、同社が産業再生機構送りとなったため、冠スポンサーをこれまでメインスポンサーだったマツダにバトンタッチ(スポンサー交代)し、テレビ中継番組のタイトルも MAZDA SPORTS SPECIAL 防府読売マラソン へ改めることとした
- カップ麺部門は、業界で初めて油で揚げない「ノンフライ製法」を導入し、「広東麺シリーズ」や「ホームラン軒シリーズ」などの商品名で広く親しまれたが、2004年、冷凍食品大手の加ト吉にカップ麺部門を売却。カネボウが販売していたカップ麺は2005年から加ト吉が販売を引き継いだ。また、同時にチルド飲料メーカーのエルビーの全株式もアサヒビールに売却し、食品事業を大幅縮小した
- 2005年4月13日 - 内部調査の結果2000年から2004年までの5年間で、約2000億円にも上る連結最終利益の粉飾が行なわれていたと発表した。このため、実際は3年以上債務超過が続いており、東京証券取引所の上場基準に抵触する可能性が高くなった
- 2005年5月12日 - 東京証券取引所が、カネボウの上場廃止を正式決定。期日は6月13日
- 2005年9月 - 再生機構傘下入り前の監査担当だった中央青山監査法人の公認会計士が、粉飾会計を指南していたことが発覚。同法人の事務所と理事長宅に家宅捜索が行われる
- 2005年12月16日 - 投資会社のアドバンテッジパートナーズ有限責任事業組合、株式会社MKSパートナーズ、ユニゾン・キャピタル株式会社の3社がスポンサー企業に決定
- 2006年1月31日 - 第2位の株主である産業再生機構保有の株式(32.11%、議決権で33.53%)全部が、スポンサー3社が運営するファンドが出資する受皿会社・トリニティー・インベストメント株式会社に譲渡される
- 2006年2月16日 - 臨時株主総会にて、ファンド連合3社選任の取締役の就任を決議(2006年9月現在、会長の中嶋以外はすべてファンド連合出身者で占められる)
- 2006年2月17日 - 保有するカネボウの商標を株式会社カネボウ化粧品に譲渡。カネボウは最長2年間のみ使用できる
- 2006年2月21日 - カネボウ株式会社が保有する株式会社カネボウ化粧品の株式全部を花王に譲渡、株式会社カネボウ化粧品が保有するカネボウ株式会社の株式全部(議決権の39.82%)をトリニティー・インベストメント株式会社に譲渡(議決権の73.35%に)。株式の相互持合いが解消され、互いに独立する。同日、トリニティー・インベストメントが、既存株主に対してTOBを開始。上場廃止前の360円を大幅に下回る1株162円というTOB価格に、多くの株主から反発が寄せられる
- 2006年3月 - TOBによりトリニティー・インベストメント株式会社がカネボウ株式を取得(議決権の約85%に)
- 2006年4月12日 - トリニティー・パートナーズ株式会社がカネボウ・トリニティー・ホールディングス株式会社に商号変更
- 2006年5月1日 - ホームプロダクツ事業および製薬事業をファンドが設立した2社・カネボウホームプロダクツ株式会社とカネボウ製薬株式会社に事業譲渡。カネボウフーズ株式会社の株式をファンドとカネボウ・トリニティー・ホールディングスに譲渡。コーポレートスタッフ部門をカネボウ・トリニティー・ホールディングスに事業譲渡
- 2006年6月29日 - 定時株主総会にて、2006年5月1日に行われた主要三事業の事業譲渡の代価支払いについて、譲渡先のファンド側企業(カネボウ・トリニティー・ホールディングス)ではなく、トリニティー・インベストメントに対して、免責的債務引受により債権化されていることが明らかになる。また、このトリニティー・インベストメントの債務に対する担保は、同社が持つ、事実上抜け殻会社となったカネボウの株式のみとなっており、これを認めたカネボウ取締役会の判断は利益相反行為ではないかと、多くの株主から経営陣に責任を問う声が上がるが、カネボウ側は採決を強行し、強引に総会を閉会する
[編集] 会社概要
[編集] カネボウ・トリニティー・ホールディングス
スポンサーである投資会社3社が運営するファンドが出資する会社。受け皿会社として、事業3社を統括・管理する会社となっている。
- 商号 カネボウ・トリニティー・ホールディングス株式会社
- 2006年4月12日にトリニティ・パートナーズ株式会社から商号変更
- 本社所在地 東京都千代田区紀尾井町4番5号
- 設立 1979年5月22日
- 事業内容 グループの経営戦略の策定・推進、経営管理・監督
- 代表者 代表取締役会長執行役員 中島章義、代表取締役社長執行役員 小森哲郎
- 資本金 99億0500万円
- 株主
[編集] 傘下の事業子会社
グループ社名は、商標権譲渡に伴い、新ブランド制定まで暫定的に使用される予定。
- カネボウホームプロダクツ(トイレタリーほか日用品部門)
- 2006年4月12日にユニゾン・マーズ株式会社から商号変更
[編集] カネボウ
従来のカネボウ。すでに営業を譲渡している。
- 商号 カネボウ株式会社
- 本社所在地 東京都港区海岸3-20-20
- 創立 1887年(明治20年)5月6日
- 事業内容 トイレタリー製品、薬品、食品などの製造・販売
- 代表者 代表執行役社長 小森哲郎
- 資本金 350億9998万5000円(2006年9月下旬に1億円に減資予定)
- 株主 トリニティー・インベストメント株式会社
[編集] トリニティー・インベストメント
従来のカネボウに出資するファンド系の会社。
- 商号 トリニティー・インベストメント株式会社
- 本社所在地 東京都千代田区紀尾井町4番5号
- 設立 1979年5月22日
- 事業内容
- 代表者 代表取締役 五木田律子
- 資本金 4億6000万円
- 株主 3投資会社が運営するファンドの出資する会社(100%)
[編集] カネボウ化粧品
産業再生機構傘下であったが、2006年1月31日からは花王傘下の化粧品会社。2月には完全子会社に。
- 商号 株式会社カネボウ化粧品
- 本社所在地 東京都港区虎ノ門5-11-2 オランダヒルズ森タワー
- 化粧品会社としての設立 2004年(平成16年)5月7日
- 事業内容 化粧品全般の開発、製造、販売
- 代表者 取締役兼代表執行役会長 高山外志夫、取締役兼代表執行役社長 知識賢治
- 資本金 1254億5000万円(2005年12月31日現在)
- 株主 花王株式会社(100%)
[編集] 関連会社・団体
- カネボウ化粧品(旧商号:カネボウブティック)
- カネボウレインボーハット
- 株式会社エキップ
[編集] 再建のスポンサー企業
- アドバンテッジパートナーズ有限責任事業組合
- 株式会社MKSパートナーズ
- ユニゾン・キャピタル株式会社
[編集] 提供番組
※原則として一社提供番組のみ掲載
- FUN(日本テレビ)それ以前は火曜サスペンス劇場の番組スポンサーを長らく提供していた(番組開始~1988年3月末まで)。
- カネボウヒューマンドキュメンタリー→カネボウスペシャル→カネボウヒューマンスペシャル/Woman`s Beat カネボウスペシャル21(日本テレビ)
- カネボウ木曜劇場(TBS) - パーティシペーション扱いで一時期コマーシャルを2003年9月まで提供していた期間のみ、通常の30秒バージョンのサウンドロゴを廃止していた。
この期間のみ、通常の30秒CMのサウンドロゴを一旦廃止した。
[編集] 主な歴代キャンペーンガール
1968年から2003年まで水着キャンペーンガールを起用。終了直前の正式名称は、カネボウスイムウエアイメージモデル。
- 1985年 麻生祐未
- 1989年 鈴木京香
- 1990年 飯島直子
- 1994年 甲賀瑞穂
- 1998年 高以亜希子
- 1999年 植松真実
- 2000年 アリーネ
- 2001年 悠美
- 2002年 益子梨恵
- 2003年 桜井裕美
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
カテゴリ: 日本の化学工業メーカー | 化粧品 | 東京都の企業 | 三井グループ