尾崎豊
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尾崎豊(おざき ゆたか、1965年11月29日 - 1992年4月25日)は、日本のシンガーソングライター。本名、同じ。
東京都世田谷区出身。ISOTOPE(アイソトープ)所属。1983年、シングル「15の夜」、アルバム『十七歳の地図』でデビュー。ヒット曲「卒業」、「I LOVE YOU」、「OH MY LITTLE GIRL」などで知られる。血液型はB型。
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プロフィール
- 田柄第二保育園から田柄第二小学校に入学するが、尾崎一家が朝霞市に新居を構えたため朝霞市立の小学校へ転校する。父親が防衛庁職員であったため、いずれも自衛隊の駐屯地が近くにある街に住む。母親は保険の外交員で暮らしは決して裕福ではなかったが、教育熱心な家庭で、また創価学会ファミリーであった。
- 小学校卒業後は本人の強い希望により練馬東中学校へ越境入学する。練馬東中学校時代は、生徒会副会長を務めた。同期には中田久美がいた。校舎の裏でタバコをふかした場所は今でも残っている。
- 第一志望であった埼玉県内の私学の最難関である慶應義塾志木高等学校に不合格となり、青山学院高等部に進学。さらに、1月15日に受けた陸上自衛隊少年工科学校の1次試験は20倍の競争率を突破して合格。しかし、髪を短くしなくてはいけないと言う理由で、既に合格していた青学に進学することになった。
- 学校から無期限停学処分を受け、ファーストアルバムを制作する契機となる。出席日数が足りず留年となり、自主退学。高校の一期先輩には高橋克典、二期後輩には蓮舫がおり、在学中から他界までそれなりの交流があったともいう説があるがはっきりしない。
- ファーストアルバムでの尾崎豊の歌詞は、何度も何度も書き直されたもので、ソニーでのレコーディングはリテイクの嵐だった。尾崎の持つ情熱をいかに文字として表現させるという事が、当初のテーマであった。
- 尾崎豊は完全な口コミでファン層を広げていった。このため、ファーストアルバムである『十七歳の地図』は、3000枚を売るのも大変であり、セールス的には当初は成功しなかった。が、その後徐々に人気が出て、『回帰線』収録曲の『卒業』の大ヒットにより、その地位を確立した。
- 10代の頃は大人への反抗や反体制をテーマにした歌を多く歌い、新聞などで「10代の教祖」とも呼ばれたが、本人及びコアなファンはこうした呼称を嫌っていたとも言われている。だが、校内暴力が横行していた時代と相まって一種の社会現象ともなる(当時から深夜に中学校の窓ガラスを割って回るなどの狼藉を働く者が尾崎デビュー前からいたが、デビュー後の一部ではシングル「卒業」の歌詞に触発されたものもあったと見られる)。
- プライベートの尾崎は普通の明るい好青年であった。吉川晃司、岡村靖幸との交流は有名であり、大友康平、泉谷しげる、キラー・カーンなども素の尾崎を懐かしむコメントを出している。世間が尾崎に抱くイメージとのギャップが彼を苦しめたのだという意見も根強い。
- 尾崎に覚醒剤での逮捕歴があることからしばしば誤解を受けるが、尾崎の死因は、経時的な悪化による薬物中毒死ではなく、司法解剖時に検死をした支倉逸人によれば、致死量の2.64倍以上の覚醒剤服用―オーバードーズによる急性メタンフェタミン中毒が引き起こした肺水腫と結論付けられている。尾崎の遺体には暴行を受けたような傷や痣もあり、また亡くなった日の状況がきわめて不自然であることから、他殺とする説もあるが、真相は不明のままである。(警察は「事件性なし」として調査を終結。-尾崎豊が亡くなってから約2年後に、10万人近くの尾崎ファンの署名を集めた再捜査嘆願書が警察に提出されたが受理されなかった。-1999年には「フライデー」に蘇生措置を施している様子の写真が掲載され、当時の捜査員の証言などもあって、その死因の不可解さはいっそう深まった。)そのため、今までに尾崎の生涯を描いた多数の漫画作品やテレビ番組においても、尾崎が死んだ様子は全く触れられていない。
- 現在、尾崎が倒れていた千住河原町の民家の部屋は所有者の好意によってファンに開放されており、「尾崎ハウス」と呼ばれ、ファンの交流の場になっている。
- 友人の1人として、デビュー時期が同じの吉川晃司が挙げられる。2人でステージを競演しようとしたが、本番前に足を骨折する。
- また弟分として、俳優の吉岡秀隆がいる。尾崎の影響を受け、曲作りを始めたという。彼が出演した「北の国から」では、尾崎の曲をBGMとして使ったこともある。生前、尾崎豊は自作の小説を今後映画化するならばと「幻の少年」の主人公にしたがっていた。
- 尾崎の代表曲である「I LOVE YOU」はアジア各国の歌手にカバーされ、カバー曲を含めた総売上は全世界で1000万枚に達する。
- その思想や活動、若者間でのカルト的人気から、中学・高校などの公教育の現場では長らくタブー視されて来たが、死後、十年以上経った現在では、評価も変わって来ており、高等学校検定教科書に顔写真や「15の夜」の歌詞が掲載されるに及んでいる(『高等学校 新倫理 -- 人間とは何か 思索の糧に --』 清水書院、2002年)。『新課程用 倫理用語集』(山川出版社、2005年)には、「尾崎豊」は用語頻度③で掲載されており(現行教科書11種類のうち3種類の本に記述があるという意味)、「1980年代に活躍し、夭折したシンガーソングライター」「みずから作詞・作曲した歌の世界に没頭しながら全身全霊をこめて歌い」というように記述されている(ISBN 4634053500)。
- 実兄は早稲田大学を卒業後、現在弁護士登録。
- 葬儀は東京都豊島区の護国寺にてファン葬が行われ、また密葬は日蓮正宗流にていとなまれ、墓所は埼玉県所沢市にある。
略歴
- 1965年
- 1981年
- 12月26日、「NOA」というバンド名で新宿ルイードにて初のライブを行う。
- 1982年
- 1983年
- 12月1日、アルバム『十七歳の地図』、シングル『15の夜』によりデビュー。
- 1984年
- 1月25日、青山学院高等学校を自主退学する。
- 8月4日、日比谷野外音楽堂でのライブイベント『アトミックカフェ』出演中に、7メートルの高さの照明台から飛び降り、左足を骨折、以降のスケジュールが全てキャンセルとなる。
- 1985年
- 1月21日、シングル『卒業』がオリコンチャート初登場で20位を獲得、楽曲の一部の過激な表現が話題となる。
- 3月21日、アルバム『回帰線』が初登場1位を獲得する。
- 8月25日、大阪球場でライブを行い、2万6000人を動員する。
- 11月14日・15日、代々木オリンピックプールにてライブを行い、2日間で3万人を動員する。
- 11月28日、20歳の誕生日前日に、アルバム『壊れた扉から』をリリースする。
- 1986年
- 1月1日、福岡国際センターにてライブを行う。以降、無期限活動停止宣言をし、渡米する。
- 1987年
- 2月10日、CBSソニー(当時)から新レーベル「Mother & Children」に移籍。同レーベルにはHOUND DOGも所属していた。同社はのちにアルファ・ムーンと合併し、エム・エム・ジーとなり、後にイーストウエスト・ジャパンとなる。
- 10月21日、ライブアルバム『LAST TEENAGE APPEARANCE』リリース。
- 12月22日、覚せい剤取締法違反で逮捕される。
- 1988年
- 1989年
- 7月24日、長男である裕哉君が生まれる。
- トリビュートアルバムA TRIBUTE TO YUTAKA OZAKIにHIROという名前で須藤晃の息子Tomi YoとCrouching Boysとして参加。十五の夜を歌っている。
- 7月24日、長男である裕哉君が生まれる。
- 1990年
- 3月~4月、再びレコード会社をCBSソニーに移籍。音楽事務所も浜田省吾の在籍する「ROAD & SKY」に移籍する。
- 11月15日、アルバム『誕生』をリリースする。
- 12月19日、個人事務所「ISOTOPE(アイソトープ)」設立。
- 1991年
- 3月21日、シングル『I LOVE YOU』リリース。JR東海のCMに使用され、話題になる。
- 10月30日、代々木オリンピックプールにてライブを行う。事実上、これが生涯最後のライブとなった。
- 1992年
- 4月25日早朝、東京都足立区千住河原町の民家の庭にて半裸の泥酔状態で発見され、不審者と思われて警察に通報され、近くの交番より警官が出動し病院にて診察を受けた。夫人が自宅マンションへ車で連れて帰った。その後、彼の兄、当時のマネージャーが見守る中、自宅マンションで暴れたり眠ったりを繰りかえしながら、突如危篤状態となり救急車で日本医科大学の緊急病棟に収容された。蘇生措置の甲斐もなく午後0時6分他界した。26歳の若さでのあまりにも早すぎる死であった。
- 4月30日、東京都文京区の護国寺で行われた葬儀には40000人を越す大勢のファンが詰め掛け騒然となり、涙を流しながら、追悼をする若者達の映像がTVで放送された。
- 5月10日、アルバム『放熱への証』リリース。初回出荷分が即日完売し、結果的に100万枚を超えるセールスを上げる。
- 1993年
- 5月10日、ライブアルバム『約束の日』リリース。
- 1994年
- 2002年
- 4月、「週刊少年マガジン」誌上で『尾崎豊物語』が掲載される。
- 2004年
- 3月24日、13回忌として企画され、数多くのアーティストが参加したトリビュート・アルバムA TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI『BLUE』『GREEN』が発売され話題になる。
- 2006年
作品
代表曲
- 1991年JR東海のCMで使用され話題に。現在でも度々CMに使われている。また、多数のアーティストによりカバーされている。
- 15の夜
- 中学時代に実際に家出をしたエピソードを元に作られた曲。良くも悪くも、尾崎豊のイメージを決定づけた曲である。
- 十七歳の地図
- 2ndシングル曲。タイトルの由来は中上健次の小説『十九歳の地図』である。
- OH MY LITTLE GIRL
- 1994年にTVドラマ『この世の果て』で使用され、100万枚を超える大ヒットを記録した曲。実はファースト・アルバム(1983年)に収録されているかなり初期の曲である。
- 僕が僕であるために
- SMAP主演のTVドラマ『僕が僕であるために』に主題歌として使用された。
- Scrambling Rock'n'Roll
- 卒業
- 「15の夜」と共に、尾崎豊の過激なイメージを決定づけた曲。歌詞の一部の過激な表現に、当時学校によっては放送禁止にされていた。
- ミュージシャンとしての自分の不安と希望を歌った曲。最も尾崎豊の個性を具現化した楽曲とも言える。青山学院高等部に退学届を出した日に作った曲といわれている。
- Forget-me-not
- 切ない恋を歌い上げたバラード曲。生前ライブなどで演奏される事は少なかったが、ファン人気の高い曲でベストアルバムにも収録されている。
- 太陽の破片
- 覚醒剤取締法違反による活動休止からの復帰第1弾。生涯唯一のTV出演で歌った曲でもある。また、存命中に発表された作品で2曲あるアルバム未収録楽曲のうちの一つ。もう一つのアルバム未収録楽曲は同じくMother&Children時代に発表したシングル「核」のB面曲の「街角の風の中」である。
- 誕生
- 長男裕哉君の誕生に因んで作られた楽曲。10分近い大作。
- ダンスホール
- 新宿のディスコで起きた女子中学生の殺人事件に感化されて作られた曲。1982年10月、CBSソニーオーディションの1曲目に歌われた曲で、生涯最後のライブ(1991年10月)の最後に歌われた曲でもある。まさに尾崎豊の最初と最後を飾る楽曲となった。大人びた詞が印象的。
シングル
- 15の夜 1983年12月1日
- 十七歳の地図 1984年3月21日
- はじまりさえ歌えない 1984年8月25日
- 卒業 1985年1月21日
- DRIVING ALL NIGHT 1985年10月21日(1989年3月21日)
- 核 1987年10月1日(1990年11月28日)
- 太陽の破片 1988年6月21日(1990年11月28日)
- 卒業/15の夜 1989年3月21日
- LOVE WAY 1990年10月21日
- 黄昏ゆく街で 1990年12月1日
- 永遠の胸 1991年1月21日
- I LOVE YOU 1991年3月21日
- 汚れた絆 1992年5月10日
- 15の夜(ライブ) 1993年4月25日
- OH MY LITTLE GIRL 1994年1月21日
- もうおまえしか見えない 1996年4月24日
- 卒業 1999年11月25日
- FORGET-ME-NOT 2001年4月25日
- I LOVE YOU 2001年9月12日
アルバム
- オリジナルアルバム
- ライブアルバム
- LAST TEENAGE APPEARANCE 1987年10月21日
- 約束の日 Vol.1 1993年5月10日
- 約束の日 Vol.2 1993年5月10日
- MISSING BOY 1997年11月15日
- OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.1 1998年11月21日
- OSAKA STADIUM on August 25th in 1985 Vol.2 1998年11月21日
- ベストアルバム
- 未発表音源集
- 4.25 REQUIEM 1995年4月5日
- 無題 (WHITE ALBUM) 1996年3月27日
- Before the Seventeen's Map 1997年1月22日
- 7th Memorial 虹 1998年11月11日
- 風にうたえば 1999年3月17日
- Jewel -Vocal Version- 2001年10月5日
- SEPIA 2002年1月26日
- 限定BOX
- TEENBEAT BOX 1995年4月25日
- TEENBEAT BOX 13th MEMORIAL VERSION 2004年10月27日
- トリビュートアルバム
- "BLUE" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004年3月24日
- "GREEN" A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI 2004年3月24日
- ※なお、これらのうちで「未発表音源集」はファンクラブでは全て非公式のものとされている。
- また、2005年4月27日に公式のアルバムとしてはトリビュートシリーズ以来の「真空の中でも嵐は起こる」という生前の彼自身のラジオ番組でのポエムリーディングを元にしたオリジナルアルバムをリリースする予定があったが無期限の延期となっている。
ビデオ
- 6 PIECES OF STORY (1986年7月21日) 6曲のPVを収録
- LIVE CORE (1989年2月21日) 1988年9月12日、東京ドームで行われた同名ライブを収録
- TOUR 1991 BIRTH (1992年3月30日) 同名ライブツアーを抜粋して収録
- THE DAY ~約束の日~ (1993年11月29日) 1991年10月30日、国立代々木競技場第一体育館(代々木オリンピックプール)で行われた最後のライブを収録
- 告白(Confession) (1995年10月21日) 1984~1987年に行われたLIVEのMCの抜粋とモノローグを収録
- I LOVE YOU(1996年10月21日)
- OZAKI・18 (1996年11月29日) 1984年3月15日、新宿ルイードで行われたデビューライブを収録
- OZAKI・19 (1997年3月31日) 1985年1月12日、日本青年館で行われたライブを収録
- LAST TEENAGE APPEARANCE (1997年11月15日) 1985年11月15日、国立代々木競技場第一体育館で行われたライブを収録
- AFTER THE BIRTH(2001年10月24日)
- THE NIGHT A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI(2004年8月4日)
- 尾崎豊・もうひとつのリアリティ LIVE+DOCUMENTARY(2004年9月8日)1991年8月27日、郡山市民文化センターで行われたライブを収録
- AFTER THE NIGHT A TRIBUTE TO YUTAKA OZAKI(2004年12月15日)
書籍
著書
- 誰かのクラクション(1985年、角川書店)ISBN 4048831925
- 普通の愛(1991年、角川書店)ISBN 4048726307
- 白紙の散乱(1992年、角川書店)ISBN 4048713515
- 黄昏ゆく街で(1992年、角川書店)ISBN 404872715X
- 堕天使達のレクイエム(1996年、角川書店)ISBN 4048727419
- 幻の少年(1999年、角川書店)ISBN 4087803031
写真集
- WORKS(1988年、CBSソニー出版)ISBN 4789704203
- FREEZE MOON(1992年、角川書店)ISBN 4048511009
- MEMORIAL(1992年、ソニー・マガジンズ)ISBN 478970775X
- 尾崎豊 午前0時の十字架(1994年、幻冬舎)ISBN 5000003238764
- 尾崎豊 MEMORIAL PHOTO BOOK(1995年、飛鳥新社)ISBN 487031231X
- Naked(1998年、マイストロ)
関連書籍
- 尾崎豊ストーリー 未成年のまんまで(1985年、落合昇平著、ソニー・マガジンズ)ISBN 4789701964
- 失くした1/2 尾崎豊にアンサー・コール(1986年、ソニー・マガジンズ)ISBN 4789702464
- 弟尾崎豊の愛と死と(1994年、尾崎康著、講談社)ISBN 4062070049
- 時間がなければ自由もない 尾崎豊覚書(1994年、須藤晃著、ソニーマガジンズ)ISBN 4789707490
- 尾崎豊が伝えたかったこと(1995年、須藤晃著、主婦と生活社)ISBN 439111741
- 尾崎豊物語(ヤング・ジャンプ・コミックス愛蔵版)(1998年、堀口純男著、集英社)ISBN 4087825582
- KAWADE夢ムック 尾崎豊(2001年、河出書房新社)ISBN 4309976069
- 尾崎豊物語(KCデラックス)(2002年、長緒隆也著、講談社)ISBN 4063346048
関連項目
- 井上陽水・稲葉喜美子(尾崎の音楽、とくに幼少時に影響を与えたとされるアーティストたち)
- 吉川晃司(親友)
- 岡村靖幸(親友)
- 浜田省吾
- 吉岡秀隆(尾崎を兄貴分の様に思慕)
- 石井竜也
- 斉藤由貴 - 雑誌上で対談。後に不倫騒動で騒がれる。
- 村上龍 - 雑誌上で対談。
- 坂本龍一 - 雑誌上で対談。
- ハウンド・ドッグ - ボーカルの大友康平がアルバム『十七歳の地図』に参加。
- RED WARRIORS - ギタリストの木暮武彦がアルバム『街路樹』に参加。
- 橘いずみ - 初期に、「女尾崎豊」の異名を取った
- 井上マー - 尾崎豊のものまねでネタをするピン芸人。
- 見城徹
- 本田美奈子. - 「I LOVE YOU」をカバー。奇しくも尾崎と同じ朝霞市在住だった。
- ROCKIN'ON JAPAN
- 渋谷クロスタワー(旧東邦生命ビル)