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アルメニア人虐殺問題 - Wikipedia

アルメニア人虐殺問題

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アルメニア人虐殺問題は、19世紀末から20世紀初頭のオスマン帝国において、帝国の少数派・辺境住民であるアルメニア人に対して、多数派のムスリム(イスラム教徒)住民たちが行ったとされる迫害事件を巡る問題である。

もっとも大規模な迫害は第一次世界大戦中に起きたアルメニア人の強制移住と、それに伴って数多くのアルメニア人が命を落とした事件である。それを組織的虐殺として認めるか否かを巡り、21世紀に至るまで多くの人々によって国際的な論争が続けられているが、未だ決着はついていない。

目次

[編集] 問題の概要

19世紀末と20世紀初頭の二度にわたり、オスマン帝国領内でアルメニア人に対する大規模な迫害が起こったことは確実な歴史的事実として知られている。これを「トルコ国家」によるアルメニア人の組織的虐殺であるとみなす人々は、この一連の事件をアルメニア人虐殺と呼んで非難している。

二度の迫害のうち、一度目はアブデュルハミト2世専制期の1894年から1896年にかけて行われた迫害・襲撃であり、イスタンブルなど西部の大都市を含む帝国全土でアルメニア人が迫害された。

二度目のそれは第一次世界大戦中の1915年から1916年にかけて統一と進歩委員会(通称は統一派、いわゆる青年トルコ党)政権によって行われた古代からのアルメニア人居住地(いわゆる大アルメニア)の南西部にあたるオスマン帝国領のアナトリア東部からのアルメニア人強制移住であり、これにともなって数多くのアルメニア人が犠牲になった。二度目の迫害では多くのアルメニア人が組織的に虐殺された結果、数百万人単位の犠牲者が出たとも言われており、「アルメニア人虐殺」といえば狭義には二度目のそれを言うことも多い。

また、第一次世界大戦の終結後にはアルメニア人たちによってオスマン帝国領のアルメニア人居住地域を含むアルメニア国家の建設が試みられるが、ロシア赤軍トルコ革命軍の攻撃の前に粉砕された。この戦乱のために多くのアルメニア人が命を落としたことは間違いなく、アルメニア人虐殺に対する非難にはこの経過における問題も含むことがある。

二度目のアルメニア人虐殺を巡っては、トルコ革命の結果1923年にオスマン帝国にかわって成立したトルコ共和国は、あくまで戦時下の強制移住によって結果的に大量のアルメニア人が死亡してしまったのだという見解を示しており、大戦中にオスマン帝国全体で犠牲になった人々のうちの一部であるとみなしている。

一方、アルメニア人社会では虐殺ナチス・ドイツによるユダヤ人に対するホロコーストのように組織的に行われたと考えられており、またオスマン帝国からトルコ共和国に至る「トルコ国家」が一貫した責任を有するとする。特に4月24日は、1915年に虐殺が開始された記念日とされており、毎年トルコを非難する国際的なキャンペーンが行われている。

[編集] 迫害の背景と経過

[編集] オスマン帝国におけるアルメニア人問題の発生

オスマン帝国におけるアルメニア人の社会は、アナトリアの東部に居住する農民たちの農村社会と、イスタンブルなどの都市部に居住する交易離散共同体との大きくふたつからなりたっていた。特に後者は貿易金融業で成功して富裕な商人層を形成しており、また建築家や造幣官などの職務によって宮廷、中央官庁に仕えて重用される者も多い、オスマン帝国の中央政府と共存共栄する共同体であった。

19世紀に入るとアルメニア人の中からカトリックへの改宗などを通じて西欧諸国の庇護を受け、特権を享受する者が現れてムスリム(イスラム教徒)との間に軋轢が生じ始め、また富裕層の間から西欧との交流を通じて民族主義に目覚める者が現れ始めたが、依然として大きな問題にはならなかった。しかし、ロシア帝国が南カフカスを南進し、1877年露土戦争でアルメニア人居住地帯の北東部を占領すると状況に決定的な変化が訪れる。アルメニア人人口を抱え込んだロシアは、オスマン帝国領内のアルメニア人を支援するようになり、1878年サン・ステファノ条約でアナトリア東部のエルズルム、ディヤルバクルスィヴァスなど一帯のアルメニア人居住地域におけるアルメニア人の権利向上を目指す改革の実施を約束させようとした。これをきっかけにオスマン帝国領内でアルメニア人の民族運動が盛り上がり、帝国外ではアルメニア人民族主義者がフンチャク、ダシナクツトゥーン(ダシナク派)など、アルメニアの独立を目標とする政党が結成された。やがて、彼らの中から帝国内に秘密支部を設け、オスマン官吏を狙った爆弾攻撃を行う抵抗運動すら現れ始めた。一方、先の露土戦争のとき、ロシアの占領地からオスマン帝国に逃れてきたムスリムの難民たちから、キリスト教徒であるアルメニア人がロシア軍に協力してムスリムを追い立てたのだとする風評がムスリムの間で広まり、オスマン帝国下のムスリム、すなわち都市部でアルメニア人と接するトルコ人や東部でアルメニア人と混住するクルド人の間で、アルメニア人を国内にありながら外国と通謀し「テロ」を行う危険分子と見なす敵愾心が高まっていった。

[編集] 最初の「アルメニア人虐殺」

1894年、アナトリア東部のビトリス州でついにムスリムとアルメニア人の大規模な衝突が起こった。オスマン政府は軍隊を動員して衝突を鎮圧し、2万人とも言われる多くの犠牲者を出した。アルメニア人政党はこれを機に国際世論に訴えたので、ヨーロッパ諸国はオスマン帝国の対応を批判し、翌年1月、イギリスフランスロシアは共同でアナトリア東部の行政改革案を提示して、その履行をオスマン帝国に要求した。この出来事は同年、オスマン帝国政府が履行を受諾しながら改革を一向に実施しないことに抗議するアルメニア人の大規模なデモをイスタンブルで巻き起こすが、これをデモというよりはむしろ外圧を笠に着た横暴と感じ激昂したムスリム民衆が首都のアルメニア人を襲撃する事件が起こった。さらに翌1896年にはアルメニア人の革命組織がイスタンブルのオスマン銀行を襲撃・占拠した事件が起こり、ムスリムとアルメニア人の衝突が再燃した。

1894年に起こったこの衝突・迫害は1896年の衝突を最後に一応の沈静化をみるが、一連の衝突で犠牲になったアルメニア人は数万人にのぼった。この事件をきっかけに富裕層を中心にオスマン帝国を見限ったアルメニア人の欧米への移住が相次ぎ、都市部のアルメニア人人口は急速に減少に向かった。

一連の衝突・迫害に関して諸外国はオスマン帝国を非難したが、オスマン帝国の分割あるいは保全に対する列強それぞれの思惑の相違から改革要求以上の介入は行われず、ムスリムとアルメニア人の対立構造は虐殺行為の沈静化後もそのまま手付かずに残されることとなった。

[編集] 第二の「アルメニア人虐殺」

1908年の青年トルコ革命でアブデュルハミト2世の専制を打破して憲政を復活させることに成功し、1913年には自ら政権の座についたた統一派は、政権奪取に至る帝国内外の政治的な経緯から次第にトルコ民族主義へと傾斜しており、アルメニア人問題は再燃に向かっていた。1914年、東部アナトリアの諸州にアルメニア人問題に関する国際監視団が派遣されることが決定したが、同年に第一次世界大戦が起こると凍結された。

この状況下でオスマン帝国が第一次世界大戦で同盟国側につくことを決すると、連合国側のロシア軍は東部国境を越えた。このとき、オスマン帝国側のアルメニア人の中から、ロシア軍へと参加したり、オスマン帝国に対するゲリラ活動に入る者が数千人単位で現れるが、アルメニア人ゲリラによってムスリムの村落が襲撃され、ムスリムが殺害される事件も起こったといわれる。これらの行動は、露土戦争以来オスマン帝国の政府内外に浸透していたアルメニア人への敵意を確実なものとする結果を呼んだ。

西部戦線がイギリスの激しい攻勢にさらされる中で東部戦線までもが劣勢に陥るという予想外の苦境に悩まされたオスマン帝国首脳は、劇的な政策を取らねば東部戦線が崩壊するとの過剰な危機感に襲われていた。1915年春頃に、統一派の領袖のひとりで、このころ汎トルコ主義への傾斜を強めていた陸軍大臣エンヴェル・パシャが、アルメニア人の「反乱」を根絶するためにアルメニア人を放逐する必要を主張していたことが明らかにされている。

そして1915年4月から5月頃、戦闘地域での反国家・利敵行為を予防するとの目的で、ロシアとの戦闘地域であるアナトリア東部のアルメニア人をシリアの砂漠地帯へと強制移住させる政策が開始された。その指令がいついかなるようになされたか、あるいは本当になされたのかどうかについては議論があるが、指令が事実としてあったと見なす人々は、1915年の4月8日にアルメニア人虐殺が指令されたとしている。そして同年4月24日は、イスタンブルでアルメニア人の活動家たちが集団で殺害された。これが最初の虐殺とされる事件であり、この日が虐殺の記念日とされている由縁である。

アルメニア人たちは徒歩で乾燥した山地を越えてシリアの砂漠へと向かう強制移住に駆り立てられた。厳しい移動の中で少なからぬアルメニア人が命を落としたことはおそらく間違いない事実であり、トルコ共和国もそれは否定していない。また無防備なところを現地のトルコ人クルド人部族の民兵による「報復」にさらされたりしたこともあったと見られる。

そしてアルメニア人の組織的虐殺を事実として肯定する立場によれば、さらに強制移住のため家々から駆り立てられたアルメニア人の青年男子は村内の一箇所に集められ、まとめて殺害されたという。

一方虐殺を否定するトルコ共和国側の主張は、アルメニア人が多く犠牲になったのはあくまで戦時下の最前線の混乱における不幸な結果だとみなしている。否定する立場では、殺害されたのは戦闘員やロシアと通じたスパイのみであるとされており、4月24日の最初の犠牲者もそれに含まれるという。

混乱を生き延びたアルメニア人たちの多くは、ヨーロッパ諸国やアメリカ合衆国に移住して行った。このため、旧オスマン帝国領東部アナトリアでは、アルメニア人共同体はわずかに存続しているのみである。

「第二のアルメニア人虐殺」に対する見解は、この問題が現在もなお深刻な政治的問題をも含むために、肯定派と否定派の間に大きな隔たりがある。このため、虐殺を巡る歴史的な事実の究明はほとんど進んでいないと言ってよい。

この一連の迫害において死亡したアルメニア人の人数は、もっとも少なく見積もるトルコ人の推計で20万人から、もっとも多く見積もるアルメニア人の算出で200万人とされる。ただし、19世紀末にオスマン帝国領のアナトリア東部に住むアルメニア人人口はおよそ150万人という統計があり、その20年後に第一次世界大戦が始まったときの人口も、自然増と流出による減少によりほぼ同数であろうと考えられる。それらのうち、既にロシア領へと逃亡していた者や、カトリック、プロテスタントイスラム教へと改宗して強制移住の対象から外された者を除く何割かが強制移住に駆り立てられたことになる。その人数はおよそ80万人から100万人ほどとする推定もあり、欧米や日本の研究者の幾人かは、60万人から80万人という犠牲者数の推定が妥当ではないかという見解を述べている。

エンヴェルに近い統一派の秘密軍事組織「特別部隊」が一連のアルメニア人強制移住に関与していたことは確実とされており、強制移住にともなう諸々の迫害がオスマン帝国の統一派政権によって組織的に行われていた可能性はきわめて高い。しかしながら、同種の問題であるホロコースト否認南京大虐殺論争における否定論と同様に、「政府当局者がアルメニア人虐殺を命令したとする確かで信頼できる証拠は存在しない」ということを根拠に、虐殺指令の事実を否定する主張も一方では見られる。また、証拠とされる文書の中には、戦時中の反敵国プロパガンダや偽造文書の類が含まれている、という説も主張されている。

[編集] アルメニア人虐殺問題の現代への影響

1991年に旧ロシア帝国領におけるアルメニア人共同体がソビエト連邦から独立して誕生したアルメニア共和国は、トルコ共和国領となっているかつてのアルメニア人居住地域に対する領土的な主張を行い始めた。このためこの問題は領土問題を内包する政治問題の様相も呈するようになった。

トルコ側にとっては、この問題は1970年代においてアルメニア過激派がトルコ人に対して行ったテロリズムに端を発する反アルメニア感情とも関係し、現代的な民族問題である。また虐殺の対象となったアルメニア人の居住地域はクルド人が多く居住するクルディスタンの一角でもあり、クルド人問題も無関係ではない。

海外では、日本でこそ関心は薄いものの、欧米ではアルメニア人に対して同情する人々も多く、また各国内にアルメニア・ロビーが存在するため、議会で非難決議を行った国もあって、アルメニア人虐殺はおおむね歴史的事実として認定されている。これに対してトルコ共和国は共和国に対する責任の所在を否認し、真っ向から反論する姿勢を示している。この頑なな否認姿勢のためにトルコ共和国はしばしば国際的非難を浴びており、非難を外圧と感じるトルコ側が態度をより硬化させることにもなっている。

2005年には国際的な評価を受けるトルコの作家オルハン・パムク(翌2006年にノーベル文学賞を受賞)が外国メディアとのインタビューで100万人のアルメニア人が殺害されたことをトルコは認めるべきと発言したためにトルコ国内に猛烈な反発を招き、一時は国家侮辱罪で起訴される騒動も起き、トルコの欧州連合(EU)加盟問題に関わるトルコの人権問題にも波及した。 2006年10月にはフランス国民議会が「アルメニア人虐殺否定禁止法」を可決した。これによりフランスとトルコの関係は悪化するといわれている。

このように、アルメニア人虐殺を巡る問題は、トルコ人とアルメニア人の間の民族問題に留まらず、政治的・国際的な問題として現在にも波紋を投げかけつづけている。

[編集] 外部リンク

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