国鉄C58形蒸気機関車
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C58形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が製造した蒸気機関車である。
ローカル線用の客貨兼用過熱式テンダー機関車で、8620形と9600形の共通の後継機として設計され、1938年(昭和13年)から1947年(昭和22年)にかけて、427両が製造された。
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[編集] 構造
国鉄のテンダー式蒸気機関車では唯一の2-6-2(1C1。プレーリー)型軸配置を採用している。形態的には、煙室上部の煙突の前に装備された給水暖め装置など、D51形量産型に似ており、同形と主任設計技師は同じである。
国鉄の蒸気機関車としては、初めて密閉型の運転室が採用され、床部後方に延長して炭水車に接する部分に扉を設けている。一番動揺の激しい炭水車との接続部が床になったことで、機関助士の労働環境は大きく改善されたが、温暖な九州では扉を外して使用したものもあった。
太平洋戦争の戦況悪化により、戦前・戦中の製造は1943年(昭和18年)発注分で中止され、D51形などのような木製デフレクター(除煙板)やカマボコ型のドームを装備したいわゆる戦時型は製造されず、戦後は1946年(昭和21年)から製造が再開された。
戦後製造分(383号機以降)は、ボイラーの缶水容量や炭水車を無台枠の船底型とするなどの設計変更が行われている。
[編集] 製造
本形式は、汽車製造と川崎車輛の2社で製造された。9600形が大量(250両)に供出されたこともあって、増備は急ピッチで進められた。鉄道省向けのほかに樺太庁鉄道向けや民鉄向けにも製造されている。
製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。
- 1938年 - C58 1~50,78~103,105(77両)
- 1939年 - C58 51~77,104,106~198(121両)
- 1940年 - C58 199~259(61両)
- 1941年 - C58 260~309(50両)
- 1942年 - C58 310~329(20両)
- 1943年 - C58 330~351(22両)
- 1944年 - C58 352~368(17両)
- 1946年 - C58 383~407(25両)
- 1947年 - C58 408~427(17両)
製造所別の番号と両数は次のとおりである。
- 汽車製造(219両)
- 1~10,78~196,275~289,310~329,340~349,383~427
- 川崎車輛(194両)
- 11~77,197~274,290~309,330~339,350~368
[編集] 樺太庁鉄道C51形
本形式は、樺太庁鉄道向けに製造された鉄道省C58形の同形機で、1941年から1943年にかけて14両が製造された。当初はC51形と称したが、後に鉄道省に準じたC58形に改称され、さらに1943年の南樺太の内地化にともなう樺太庁鉄道の鉄道省への編入により、C58 369~382となった。1943年製の4両は、樺太庁鉄道が発注したものだが、落成時はすでに鉄道省への移管後となっており、直接鉄道省籍に編入された。形態的には、新製費節減のため給水暖め装置を省略しているのが特徴である。
これらは、1945年(昭和20年)、日本の敗戦とともにソ連に接収された。その後は、使用中の姿が写真で伝えられるなどしたが、詳細はよくわかっていない。
製造年次ごとの番号と両数は次のとおりである。
- 1941年 - 樺太庁鉄道C51 1~5→C58 1~5→鉄道省C58 369~373(5両)
- 1942年 - 樺太庁鉄道C51 6~10→C58 6~10→鉄道省C58 374~378(5両)
- 1943年 - (樺太庁鉄道C5811~14)→鉄道省C58 379~382(4両)
製造所別の番号と両数は次のとおりである。
- 汽車製造(3両)
- C51 3~5
- 川崎車輛(11両)
- C51 1,2,6~10,C58 379~382
[編集] 天塩炭礦鉄道
天塩鉄道(1959年に天塩炭礦鉄道に改称)開業用として、1941年に1,2の2両が汽車製造で新製されたものである。樺太庁鉄道向けのものと同様、給水暖め装置は装備していない。それ以外は鉄道省向けのものと同じである。客貨両用として、1967年の廃止まで使用された。
[編集] 三井芦別鉄道
三井芦別鉄道が、1947年に汽車製造で新製したもので、C58-1,C58-2の2両が導入された。購入は、同鉄道の地方鉄道移行後の1949年(昭和24年)で、汽車製造が見込み生産したものといわれている。形態は、国鉄C58形の戦後製のものと同様であるが、やはり給水暖め装置は装備していない。
[編集] 運用
戦前から各地のローカル線で活躍しており、都市部の入換用機としても活躍した。特に千葉、四国全域はC58形の天下であった。
太平洋戦争中の1944年には、50両(C58 37~46,49~58,64~73,89~96,130~141)が軍に供出されることになり、6月から11月にかけて省の工場で1m軌間に改軌され、実際に25両(C58 37,38,40,42~45,53~55,67,68,73,91,93~96,130,131,133,134,136,138)が南方に送られた。使用地はマライといわれるが、定かではない。この時期には、日本軍は既に制海権を失っており、そのほとんどが輸送中に海の藻屑となったようである。戦後、タイ国鉄において、4両(52,54,130,136)が761~764として使用されているのが確認されている。当地では、軸重が大きすぎ、構内入換用以外の使い道がなかったようである。未発送となった25両は復元され国鉄に復帰した。
戦後の新造が落ち着いた1948年7月1日現在、本形式は388両が在籍した。鉄道局別の配置は、札幌36両、仙台75両、東京60両、名古屋43両、大阪72両、広島51両、四国32両、門司19両であった。主な使用線区は、札幌局管内では石北線、釧網本線、根室本線と札幌近郊の函館本線、仙台局管内では大船渡線、山田線、釜石線、横黒線、陸羽東線、陸羽西線、仙山線、磐越東線、磐越西線、東京局管内では水戸線、総武本線、山手線、横浜線、名古屋局管内では七尾線、小浜線、高山本線、大阪局管内では関西本線(奈良~湊町間)、紀勢西線、城東貨物線、伯備線、広島局管内では、芸備線、宇品線、山口線、美祢線、山陰本線西部、四国局管内では予讃本線、土讃本線、門司局管内では久大本線、豊肥本線である。このうち比較的輸送量の多い釜石線、横黒線、磐越西線では比較的早くにD50形やD60形により置き換えられた。
1949年に2両(238,343)が廃車となったが、1963年までは1両の廃車も発生しなかった。
1956年4月1日時点での配置区と両数は、釧路12両、北見14両、苗穂13両、盛岡4両、宮古8両、釜石4両、一ノ関18両、黒沢尻4両、小牛田12両、仙台7両、郡山6両、小山4両、高崎第一4両、新小岩5両、千葉11両、佐倉6両、品川4両、高島9両、八王子8両、稲沢第一5両、美濃太田10両、高山9両、敦賀13両、七尾10両、竜華9両、王寺17両、奈良6両、和歌山14両、紀伊田辺18両、新宮8両、新見23両、浜田11両、備後十日市14両、津和野6両、正明市5両、高松10両、多度津16両、高知10両、大分19両(計386両)である。
1955年頃には、本形式を近代化しC51形に匹敵する性能を持たせたC63形が計画されたが、動力近代化の推進により、結局1両も製造されることなく終わった。
その後、動力近代化の推進により計画的な廃車がされるようになり、1970年4月1日時点では234両となっていたが、新たな配置区として、鷲別区に苗穂区から2両、五稜郭区に九州・山陰地区から8両、八戸線用に尻内区へ10両、二俣線用に遠江二俣区に9両、長野区へ入換用として2両、亀山区へ草津線・関西本線用として4両、山陰本線東部用として福知山区に3両、豊岡区に5両、西舞鶴区に2両、津山線用として津山区へ14両などがある。九州では志布志線用として同線管理所へ3両が移っている。
本形式は定期特急の先頭に立つことはなかったが、北海道急行「大雪」の編成そのままの北見-網走間の普通列車を牽引し、ファンの間では、これを「大雪くずれ」と呼んでいた。
臨時列車としては陸羽東線の迂回特急「あけぼの」、急行「おが」などの牽引に当たった事がある。20系寝台列車を前部補機付きの重連で牽引した。優等列車牽引はこの程度で数少ない。
お召し列車牽引にも何度も抜擢された事があり、安定した扱いやすい機関車であった事はここからも読み取れる。
[編集] 主要諸元
- 全長 18,275mm
- 全高 3,900mm
- 軸配置 1C1(プレーリー)
- 動輪直径 152omm
- シリンダー(直径×行程) 480mm×610mm
- ボイラー圧力 16.0kg/cm²
- 火格子面積 2.15m²
- 全伝熱面積 137.6m²
- 過熱伝熱面積 40.7m²
- 全蒸発伝熱面積 96.9m²
- 煙管蒸発伝熱面積 86.0m²
- 火室蒸発伝熱面積 10.0m²
- ボイラー水容量 4.6m³
- 大煙管(直径×長サ×数) 133mm×4580mm×22
- 小煙管(直径×長サ×数) 51mm×4580mm×71
- 機関車重量(運転整備) 58.70t
- 最大軸重(第3動軸で) 13.50t
- 炭水車重量(運転整備) 41.50t
- 機関車性能:
- シリンダ引張力 12570kg
- 粘着引張力 10130kg
- 動輪周馬力 1097PS
[編集] 保存機
蒸気機関車が国鉄線上から消えた4年後の1979年、梅小路蒸気機関車館にて保存されていた1号機がC57 1と共に山口線にて復活し、時には重連も行った。しかし運転中にボイラーを傷め、現在は梅小路蒸気機関車館に戻り静態保存されている。
2006年(平成18年)現在、動態保存されているC58形は363号機のみである。同機は、1988年(昭和63年)から秩父鉄道秩父本線で「パレオエクスプレス」として運行されている。当初は埼玉県北部観光振興財団の所有であったが同財団が解散したため、一時的に秩父市が所有した後、現在は秩父鉄道の所有となっている。以前はJR東日本の線区でも走行することもあり、D51 498と重連運転をすることもあったが、最近はJR線内での走行実績はあまりない。なお、検査は復活以来JR東日本高崎運転所に委託されている。
また、蒸気機関車復活の意向が四国四県にはあり、C58形の復活が期待されているが、資金調達の目処が立たず進んでいない。なお、JR四国多度津工場に保存されている333号機は、1971年(昭和46年)に準鉄道記念物に指定されている。
- 北海道地方
- 東北地方
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- C58 239 - 岩手県盛岡市「岩手県営交通公園」(県営運動公園南)
- C58 103 - 岩手県一関市「文化センター」
- C58 342 - 岩手県北上市「展勝地公園」レストハウス脇(北上市立博物館)
- C58 365 - 宮城県宮城郡利府町・東日本旅客鉄道新幹線総合車両センター
- C58 354 - 宮城県宮城郡利府町「森郷児童遊園」(鉄道公園)
- C58 228 - 宮城県石巻市「北上公園」
- C58 16 - 宮城県本吉郡南三陸町「松原公園」
- C58 122 - 宮城県栗原市「薬師公園」
- C58 114 - 宮城県大崎市「城山公園」
- C58 356 - 宮城県大崎市・東日本旅客鉄道中山平温泉駅前
- C58 19 - 宮城県大崎市・東日本旅客鉄道西古川駅前
- C58 304 - 山形県新庄市「金沢公園」
- C58 231 - 山形県上山市「上山市民公園」
- C58 328 - 福島県田村郡三春町「緑地公園」
- C58 244 - 福島県南会津郡只見町「開発センター」
- C58 215 - 福島県河沼郡会津坂下町「坂下小学校」
- 関東地方
- 中部地方
- 近畿地方
- C58 359 - 三重県亀山市「亀山公園ますみ児童園」
- C58 51 - 三重県松阪市「中部台運動公園」
- C58 418 - 三重県熊野市「下平公園」
- C58 414 - 三重県度会郡玉城町「お城広場」(旧 田丸小学校)
- C58 1 - 京都府京都市「梅小路蒸気機関車館」
- C58 48 - 京都府京都市右京区・トロッコ嵯峨駅前
- C58 56 - 京都府福知山市「福知山鉄道館ポッポランド2号館」
- C58 113 - 京都府舞鶴市「市営グランド」
- C58 390 - 京都府与謝郡与謝野町「加悦SL広場」
- C58 66 - 大阪府大阪市「大阪城公園」レストランcafe「GORYO」横休憩場
- C58 170 - 兵庫県豊岡市「日高小学校」
- C58 353 - 和歌山県東牟婁郡那智勝浦町・那智勝浦町役場
- 四国地方
日本国有鉄道(鉄道院・鉄道省)の制式蒸気機関車 |
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タンク機関車 |
960・1000II・1070・1150・B10・B20/2700II・2900・3500・C10・C11・C12/4100・4110・E10 |
テンダー機関車 |
6700・6750・6760・B50 8620・8700・8800・8850・8900・C50・C51・C52・C53・C54・C55・C56・C57・C58・C59・C60・C61・C62・C63(計画のみ) 9020・9550・9580・9600・9750・9800・9850・D50・D51・D52・D60・D61・D62 |