新庄市
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新庄市(しんじょうし)は、山形県の北東に位置する市である。 江戸時代は新庄藩が置かれ、戸沢氏6万石の城下町である。羽州街道の宿場町でもあり、市南部の本合海集落は最上川水運の主要積出港だった。磐根街道が開削される明治時代初頭までは、庄内町清川まで道がなかったため、本合海河港からの舟運が唯一の交通手段であった。
1999年12月に山形新幹線が山形駅から新庄駅まで延伸され、最上地方の中心都市として、自然と人間の共生をテーマに最上エコポリス構想が進んでいる。岩手県遠野市と並ぶ東北地方随一の民話の宝庫としても知られ、多くの民話の語り部による民話の伝承、記録が盛んに行われており、毎年「みちのく民話まつり」が開催される。
新庄市は雪深い場所であり、雪害救済運動発祥の地である。そのため、国の機関である「防災科学技術研究所長岡雪氷防災研究所新庄支所」が置かれ、雪氷防災実験棟で雪崩の発生メカニズムの解明などが行われており、「雪の里情報館」という雪についての学習施設がある。
最近では、早稲田大学や玉川大学のバイオマス研究施設、山形大学の、自然に関する教育研究活動や講座を行う「エリアキャンパスもがみ」が開設されるなど、研究施設の進出も行われている。
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[編集] 地理
山形県の北東、山形市の北に位置し、最上川中流域の新庄盆地に位置する都市である。市域の東側は神室山地があり、隣接する最上町と直接の連絡道路はない。市街地付近に升形川(戸前川)が流れ、市域の南西部で最上川に合流する。
市の東側に横たわる、陣ヶ峰、大森山、杢蔵山、八森山と続く神室連峰の美しい山塊は、比較的低標高に高山性植物が植生し、神室山へと続く縦貫登山路として整備されており、比較的軽装備で気軽に登れる登山ルートとなっている。この山塊の麓にあることから、葛麓(かつろく)とも呼ばれている。新庄市からは、この他、鳥海山、月山、葉山を眺めることが出来る。
位置的に南北の交通と東西の交通が交わる要衝で、道路網では、国道13号と国道47号が交差し、鉄道では、奥羽本線が南北に縦断し、陸羽西線と陸羽東線が東西に横断する。また山形新幹線の終点である。地理的な特性から、最上郡全体からの交通路も新庄市内に集中する構造になっており、最上地方は新庄市への一極集中型である。新庄市は最上郡の消費活動全体を支えていると言え、4万人強の都市規模の割には、国道13号新庄バイパス沿いに、大型スーパーマーケットや大手量販店が進出している。
- 山: 神室山、陣ヶ峰、亀割山
- 河川: 最上川、泉田川、升形川
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
新庄の歴史は、15世紀に新庄盆地の真ん中に土豪により沼田城が築かれた事に始まる。しかし、湿地帯の中にあったため中世には城として不適であり、最上地方は大蔵村にあった「清水城」、真室川町にあった「鮭延城」、最上川の要衝であった本合海集落にあった「八向楯」等山城により経営されていた。戦国時代には最上義光によりその領地に編入された。
新庄市が最上地方の中心として発達を始めるのは、新庄藩が作られ羽州街道沿いにあった沼田城周辺が城下町として開発されてからである。元和八年(1622年)戸沢氏が常州松岡(現在の茨城県高萩市)から転封。同九年に鮭延城に入るが狭小のため、翌寛永元年(1625年)三月に新庄に城を築く。この時より、250余年に渡る戸沢氏の藩政が始まる。江戸時代を通じて、戸沢氏は領国経営に熱心であり、多くの飢饉を乗り越えて石高4万石を実石6万石にまで増やすことに成功した(民謡『新庄囃子』には「昔ゃ戸沢の8万石よ」の文句がある)。宝暦六年(1756年)、前年の大凶作に喘いだ新庄藩は、五代藩主正諶(まさのぶ)が領民に活気と希望を持たせると共に、豊作祈願をするため氏神である天満宮の祭典を行った。これが今日まで続く新庄祭の始まりである。
戊辰戦争においては奥羽越列藩同盟を離れ新政府軍についた。明治四年廃藩置県により新庄県が設置、同九月に山形県に合併。明治時代に奥羽本線が開通し、大正時代に陸羽西線、陸羽東線が開通すると、「鉄道の町」として隆盛を極め、物資の集積地、養蚕の町、大日本帝国陸軍軍馬も生産する馬産地、豊富な森林資源を活用した木材加工業・家具工業の町としても知られるようになった。昭和時代初頭には、近代農業の実験場として、新庄市北部の広大な原野を開墾し、当時の最先端の農業技術で農耕を行う国家事業、「昭和開拓」が行われた。
太平洋戦争中には、神町海軍飛行場の補助飛行場として、新庄市西郊に升形飛行場(600m×30m)、竹形飛行場(800m×60m)と2つの大日本帝国海軍飛行場が存在した。市内の木材加工場では、弾薬箱の製造が行われた。アメリカ軍の空襲が1回あり、6名の犠牲者を出している。
戦後は、昭和30年代に周辺の町村を合併し、昭和40年代初頭には、人口49,000人に達した。しかし、戦後の産業構造の激変により、馬産、養蚕・製糸、木材加工といった産業が軒並み崩壊し、農業生産も厳しい状況が続いている。鉄道も、施設の合理化や自動化が進み、人員削減が進んだ。そうした中で、新庄市の人口は漸減を続けているのが現状である。その一方、工場の誘致も行われており、市内には、山形航空電子(日本航空電子工業の子会社)、富士通ゼネラル(富士通のプラズマディスプレイ・液晶プロジェクター・温水ヒーター部門の主力工場。かつては富士通ゼネラルブランドでテレビ受像機製造も行っていた)等が進出している。
行政区域変遷(戦後)
[編集] 行政
平成18年度施政方針
- 「財政再建計画」に基づく財政の健全化
- 「行財政改革大綱」に基づく新たな行政運営システムの構築
- 「協働推進のための指針」に基づく市民との協働による市政の推進
- 「戦略計画」に基づく中期展望のまちづくり
[編集] 歴代市長
- 初代 松田久蔵
- 二代 戸沢正おと
- 三代 木田 清
- 四代 高橋喜一郎
- 五代 押切朝吉
- 六代 高橋喜一郎
- 現職 高橋榮一郎
[編集] 行政機構
- 市長
- 助役
- 総務課
- 政策経営課
- 税務課
- 市民課
- 福祉事務所
- 神室荘
- 環境課
- 健康課
- 農林課
- 商工観光課
- 都市整備課
- 下水道課
- 収入役(現在は選任されておらず)
- 会計課
- 水道課(特別会計のため独立)
- 助役
[編集] 市議会
新庄市議会の定数は24名。次の選挙より20名になる予定。
- 会派
- 新政倶楽部(6名) 代表 柴田忠志
- 緑 政 会(7名) 会長 石田千與三
- 政 友 会(6名) 代表者 中川正和
- 新 風 21(3名) 会長 今田雄三
- 組織
- 常任委員会
- 総務常任委員会
- 文教厚生常任委員会
- 産業建設常任委員会
- 特別委員会
- 最上広域市町村圏事務組合
- 議会報編集委員会
- 議会図書室運営委員会
- 新庄市監査委員
- 常任委員会
[編集] 行政機関
- 新庄合同庁舎(厚生労働省、農林水産省、気象庁新庄特別地域気象観測所など)
- 国土交通省東北地方整備局新庄河川事務所
- 法務省
- 国税庁新庄税務署
- 社会保険庁新庄社会保険事務所
- 山形県最上総合支庁
- 山形県警察新庄警察署
- 最上広域市町村圏事務組合消防本部
[編集] 国の施設
- 防災科学技術研究所 長岡雪氷防災研究所 新庄支所(雪氷防災実験棟)
[編集] 友好都市
[編集] 地域
[編集] 健康
[編集] 食べ物
[編集] くじ(ぢ)らもち
- 三月の節句の時期などによく作られる新庄・最上地方の名菓。その名称から鯨肉が入っていると誤解を招くことが多い。もち米とうるち米の粉を水で練り、ムキ胡桃・砂糖水を加えてせいろで蒸したもので、みそ・しょうゆ・餡など多彩な種類がある。由来は久しく持ちの良い食べ物ということで「久持良餅」であるとか、形が鯨肉に似ていることから「鯨餅」であるといわれているが真相は定かではない。最上地方の商店やお土産屋で入手できる。一般家庭でも自家製のものを作る家が多くあり、家庭の味として受け継がれている。
[編集] 方言
- 新庄市を中心とした最上地方では新庄弁が話されているが、最上郡内であってもその方言には多かれ少なかれ違いが存在する。
[編集] 教育
[編集] 高等学校
[編集] 中学校
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- 新庄市立 新庄中学校
- 新庄市立 明倫中学校
- 新庄市立 日新中学校
- 新庄市立 萩野中学校
- 新庄市立 八向中学校
[編集] 小学校
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- ※2006年3月をもって、角沢小学校は日新小学校と合併を行い閉校となった。
[編集] その他教育機関
[編集] ラジオ放送局
- 新庄市中心部のスタジオより半径約10mを聴取エリアとする、有志による非営利ミニFM放送局。周波数は85.0MHz。基本的に、毎日12:00~19:00に、オリジナル番組による定期放送を行っているほか、イベント開催時にはイベントMCとして参加。運営に市は関わっていないが、市役所職員による市政広報がインターネットラジオとして放送されており、ミニFM局ではあるが、地域の放送局として認知されている。
- 微弱電波で放送エリアがごく狭く、新庄市民であってもラジオ受信は難しいため、インターネットでのコンテンツ配信が行われており、放送局の実態としては、新庄市から発信されるインターネットラジオ放送局である。
[編集] 交通
[編集] 鉄道路線
- 中心となる駅:新庄駅
[編集] 道路
- 一般国道13号尾花沢新庄道路(東北中央自動車道):新庄インターチェンジ(無料供用中)
- 一般国道13号新庄北道路(東北中央自動車道、予定):(新庄IC、新庄北IC、予定)
- 一般国道13号泉田道路(東北中央自動車道、予定):(新庄北IC、泉田IC、予定)
- 地域高規格道路
[編集] 空港
[編集] 名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
- 24日:宵祭り、25日:本祭り、26日:後祭り
- 「東北三大山車祭」の一つであり、東北の夏祭りのフィナーレを飾る祭りでもある。毎年10万人を越える人手があり、近年は、山形新幹線の開通で遠方からの観光客が増えている。24日の宵祭りは電飾によってライトアップされた山車が練り歩き、25日の本祭りは、大名行列を再現した「神輿徒御行列」を先頭に山車が行列を組んで街中を練り歩く。26日は戸沢神社で、仁田山、萩野集落に伝わる獅子舞が奉納される。山車を町衆が作り、囃子を近隣の在郷衆(ざいごしゅう。農村部の住民)が行い、それぞれのグループを「若連」「囃子若連」と称する。山車は、歌舞伎や御伽話を再現したものであり、囃子は、基本的に「宿渡り(すくわたり)」と「郭公(かっこう)」の2種類。囃子若連によっては3種類である。東北の夏祭りを回る出店業者が、新庄祭を最後に夏の営業を終了することが多く、東北や関東一円から多くの出店業者が集まり、最後の営業を行うことでも知られる。祭り期間中は、街全体が様々な出店で埋め尽くされる。
- 若連・囃子の構成
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- 山車連盟(若連の連絡組織)・囃子連盟という統括的組織も存在するが、連盟間・連盟内、また行政との関係ではいろいろとくすぶっているのが現状である。
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- 新庄城は1625年より243年ものあいだ新庄藩の象徴であり中心としてあったが、戊辰戦争時に庄内藩の猛攻によって市街地と共に焼失した。現在は本丸の部分が「最上公園」として整備されており、公園内には三つの神社が祀られている。戸沢神社(最上郡総鎮守)、天満宮(三神社の中では最古の建造物)、護国神社が並んでいる。護国神社は戊辰戦争からの戦死者が祀られており、戊辰戦争戦死者56名、日清戦争戦死者56名、日露戦争戦死者120名、日中戦争・太平洋戦争戦死者734名が犠牲となっている。
- 最上公園は、最上地方随一の桜の名所として知られ、毎年、4月20日前後に見頃を迎える。最上地方では、雪解けとともに庄内地方から運ばれてくるニシンを焼いて食べる習慣があり、ニシンを『カド(春告魚)』と呼んで重宝する。最上公園では、満開の桜の下で大勢の市民がカドを食べる光景が見られる。
- 新庄城の堀は現在は一つだが三つ存在したとされる。現在でも最上公園を守っているお堀は「一の堀」であり、他二つは埋め立てられている。「二の堀」は新庄市民文化会館付近から新庄市老人センターを通って新庄南高付近まであり、新庄市老人センター横には空掘の遺構がある。現在の大町~本町にあたる旧羽州街道に沿ってあったのが「三の堀」、ここまでが新庄城であった。二の堀と三の堀の間は旧武家町、羽州街道を隔てた反対側が旧下級武士・町人町である。当時の都市防衛方法の一つであろう。
- 新庄城の項も参照のこと。
- 鳥越八幡神社(国指定重要文化財(建造物 昭和61年12月20日指定))
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- 七所明神の一つ。大山守命の左手が祀られている。応神天皇の第二皇子大山守命は、庄内田川郡で捕らえられ、斬られたという。その際、皇子は遺言を遺す。「我思うところあり。我を七つに切りて、最上鮭延庄に持ち行き七ヶ所に奉祀すべし」。しかし、誤って八つに分けられてしまう。遺体は舟に乗せられ最上川を遡り、舟形に着岸した際八つのうち一つが投げ捨られてしまう。この地は「投げ沢」と呼ばれた。現在の尾花沢市名木沢(なぎさわ)である。新庄を中心にして七ヶ所に、それぞれ大山守命を祀る神社があり、これを七所明神と言う。新庄市宮内に首、新庄市升形に胴、新庄市鳥越(鳥越八幡神社)に左手、新庄市角沢に右手、大蔵村合海に男根、鮭川村京塚に左足、戸沢村松坂に右足が奉祀される。
- 捕らえられ討たれた地、庄内田川郡では皇子の血が赤く広がったことから「血ヶ原」とよぶようになり、現在の庄内町千河原のもととなったと言われている。この千河原地区では大山守命を安産の神とし、毎年一月に「やや祭り」を行っている。皇子を討った連臣は悔やみ、都へは帰らず最上において一生を終えたという。死後、連臣は祠に祀られており、新庄の関屋地区にある濫番連臣堂がこれである。
- 旧矢作家住宅(重要文化財)
- 泉田の杉並木(国道13号沿いにある参勤交代をする東北諸藩の手で植えられた杉並木)
- 泉田の桜並木(最上公園と並ぶ新庄市の桜の名所)
- 石動神社の杉(大野東人の東征の際に植えられたといわれている樹齢1000年を越える巨木の杉並木)
- ふるさと歴史センター
- ゆめりあ
- 雪の里情報館(旧積雪地方農村経済調査所)
- 産直まゆの郷
- 最上中央公園(かむてん公園)
- 新庄亀綾織
- 東山焼(天保十二年、1841年より続く)
- 新庄温泉(石油試掘中に湧出。通称「あぶら山」)
- 松尾芭蕉銅像、黛まどか句碑(本合海集落)
- 鳥越集落、休場集落、亀割峠(源義経の東下り縁の地。休場集落には「判官神社」がある。)
- 新庄100円商店街
[編集] 出身有名人
- 冨樫義博(漫画家、『幽☆遊☆白書』作者。新庄市のマスコット「かむてん」のデザインも行う)
- 小林武史(シンガーソングライター・音楽プロデューサー)
- 庄司永建(俳優)
- 小磯國昭(第41代内閣総理大臣・宇都宮市に生まれ新庄で育つ)
- 安彦麻理絵(漫画家、『おんなの子の条件』『め~どイン山形』作者)
[編集] 外部リンク
- 新庄市ホームページ
- 最上エコポリスオフィシャルサイト
- 玉川大学学術研究所新庄バイオマスセンター
- 新首都圏ネットワーク「エリアキャンパスもがみ」ニュース
- Shinjo(英語版Wikipedia)
- 雪の里情報館
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