福知山市
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福知山市(ふくちやまし)は、 近畿地方の北部、京都府の北西に位置する市。昭和12年4月、京都府で2番目の市として誕生した市でもある。旧天田郡。
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[編集] 概要
戦国時代に明智光秀により福知山城が築かれ、以来形成された城下町から発達した都市で、丹波地方の中核である。現在の市域は、旧丹波国天田郡の全域、何鹿郡(佐賀村)および丹後国与謝郡(雲原村)、加佐郡(大江町)に広がっている。
かつては但馬(丹波)牛の集散地、また養蚕業と併せ繊維関係での中核地として栄えた。高度成長期後、内陸型工業団地としては比較的大規模な長田野工業団地を整備し、さらに商工業の街としての発展を遂げている。
鉄道は比較的早くから整備され交通の要衝といわれてきたが、京阪神から日本海側へつながる高速道路もようやく整備された。北近畿各市や舞鶴港と京阪神双方へのアクセスが良く、経営の三要素の「人、物、金」のうち「人」と「物」の移動が容易である。このため、この福知山を拠点と捉えて支店や営業所を置く企業も多い。
周辺自治体では人口の減少が進む中、少なくとも平成の合併までは人口増加を続けてきた。
[編集] 城下町と紺屋
明智光秀が地子銭を免除したことなどもあって、早くから商工業が栄えた地域である。後の有馬豊氏によって城下町としての町割りが整備されたが、現在でも呉服町、鋳物師町、鍛冶町、紺屋町などは、そのままの地名として残されており、旧市街地は江戸時代の町割りが殆どそのまま残っている。
15世紀ごろから、藍の栽培と藍染めが由良川沿いを中心に盛んに行われており、1496年、藍染めの布を荘園に納めたとされる記録が残っている。また江戸時代には、藍染めをする一般家庭の件数は1500近くもあったともいわれ、町屋360軒のうち25軒が紺屋であった。これらのことから、藍染め品は当時の福知山の特産品であったことがうかがえる。また、度々氾濫する由良川河畔では桑の栽培が行なわれ、養蚕業発展のもととなった。 しかしやがて、輸入品や化学染料に押され全国の藍の産地が消え行く中、京都の最後の藍の産地となっていた福知山も大正の時代とともに姿を消した。現在再び、藍染めのよさが見直され、藍の栽培と藍染めを復活させる活動がなされている。市内の一部の小学校などでは総合的な学習の一環として、藍染め体験をさせる学校も存在する。
[編集] 地理
綾部市から続く福知山盆地を中心とした平地、それをとり囲む市域面積の大部分を占める山地で構成される。市街地は旧城下町を中心とし、由良川沿いに長田野工業団地周辺の住宅地まで伸びる。
市域面積の76%は林野が占め、耕地面積は7%程度である。
[編集] 気候
盆地地形により秋、冬には霧が発生するが、通年比較的穏やかである。基本的に日本海側気候であり、冬には降雪が見られるが、旧丹後地域(雲原・大江)を除く盆地においては“やまかげ”となり、丹後地方に比較して量は少なめである(平地でも年間4~5日は30cm程度の積雪はある)。しかしながら、晴天時の午前中の霧、冬季の雪雲によって日照時間が少なくなることから、文字通り「山陰」の暗いイメージを拭い切れない。
平地(福知山地域気象観測所)の平均気温は15度程度、降水量は1500ミリ程度から1800ミリ程度。降水量の季節分布としては旧丹後地域では降雪を中心に冬季雨量が多いが、以南では梅雨・台風により夏季雨量のほうが多くなる傾向がある。
[編集] 地形の形成
福知山盆地内を中心に、少量で限られた地域ではあるが、市内からは淡水に住む貝の貝殻の化石が出土している。このことから、かつて福知山市は水の底にあったと考察できる。貝殻の種類に加えその分布などから、かつては福知山盆地内全てが湖だったといわれているが、巨大な川幅を持つ流れが非常に緩やかな川の底だったのではないかとこれに異を唱える人もおり、詳しいことについては定かではない。
かつての由良川は土師川(竹田川)を介して加古川につながり、南下していたとされる。その後、地震や噴火などのなんらかの要素によって地形が沈降し、盆地一帯は湖沼を形成。さらなる変化により、現在の日本海側への流路となった、というもの。それとともに徐々に水が引いて行き現在の市内を流れる由良川、土師川、牧川などに変化していったと考えられている。溢水時に停滞し度々洪水を引き起こすのはこういう形成履歴を持つためであろう。
これらの名残としては、由良川上流域に当たる船井郡京丹波町 安栖里(あせり)周辺の4段にもなる大規模な河岸段丘の存在、市内の長田野(おさだの)の高位段丘面を持つ洪積台地の存在などがある。
[編集] 福知山と由良川
市内を流れる由良川は、明智光秀の城に連なる居住地(後に城下町となる)造営のため、明智藪などの築堤によってそれまでの川筋が大幅に変更されている。それは同時に治水を図っての一大事業であり、その後の為政者も治水に尽力を惜しまなかった。由良川は大雨が降るたびに氾濫し、周辺の人々や建物に加え農作物などに深刻な被害をもたらす暴れ川だったのである。
例えば、1953年(昭和28年)9月25日の台風13号を要因とする由良川の氾濫では、最高水位が7.8mにもなる大量の水が福知山市街地全域を水浸しにし、市内で死者は約40名、負傷者は約900名、家屋全壊、半壊ともに1100戸以上、床上浸水においては5300戸以上もの被害をもたらした。
その恐ろしさ、先人の築いた堤防のありがたさを後世に伝えるため、御霊神社境内には全国唯一の堤防そのものを御神体とする堤防神社が建立されており、昭和6年以降の毎年8月15日には、神輿が市内を巡回する「堤防祭り」が行われている。現在の「ドッコイセ花火大会」は、もともとはその祭りの行事の一つとして始まったものである。また、神社のある御霊公園にはその時の水位を示す看板も設置されている。
旧市街地の町屋には、浸水時に家財を2階や小屋裏に引き上げる滑車を備えた吹抜け(タカと呼ばれる)が残っており、洪水と共に生きてきた市民の歴史を物語っている。
しかし、市内に供給される浄水場の原水や農業用水としては勿論のこと、今では市民の手による鮎や鮭の稚魚の放流といったイベントが開かれるなど、市民の生活には欠くことのできない川である。
[編集] 市内に存在する山川
[編集] 隣接している自治体
[編集] 歴史
- 明治から第二次大戦まで
- 1871年 廃藩置県により福知山県となる
- 同年11月 豊岡県に統合される
- 1876年 豊岡県は兵庫県と京都府に分割統合、京都府天田郡となる
- 1889年 町村制により福知山町となる。
- 1898年 旧陸軍歩兵第20連隊駐屯開始。
- 1918年 福知山町に曽我井村を編入。
- 1936年 市制施行を念頭に庵我村・雀部村・下豊富村を編入。
- 1937年 市制施行により福知山市となる。
- 第二次大戦後
- 1949年 上豊富村・下川口村・西中筋村を編入。
- 1950年 旧国鉄福知山鉄道管理局(現西日本旅客鉄道福知山支社)開設。
- 1955年 上、中、下六人部(むとべ)村・上川口村・金谷村・金山村・雲原村・三岳村を編入
- 1956年 何鹿郡佐賀村が分村し編入
- 2006年 1月1日に大江町・三和町・夜久野町の3町を編入合併して、新しい福知山市が誕生。
[編集] 行政
歴代市長
氏名 | 就任年 |
---|---|
高木半兵衛 | 1937年 |
岸本熊太郎 | 1940年 |
田中庄太郎 | 1942年 |
竹内正夫 | 1946年 |
牧野源太郎 | 1951年 |
天野博 | 1954年 |
塩見精太郎 | 1962年 |
中村稔 | 1990年 |
高日音彦 | 2004年 |
[編集] 経済
[編集] 産業
- 主な産業
- 卸売業、小売業、製造業、建設業
- 産業人口
- 第一次産業:約 2,000
- 第二次産業:約12,000
- 第三次産業:約21,000
[編集] 工業団地
- 長田野工業団地
- エコートピア京都三和
[編集] 福知山市に本社を置く企業
[編集] 姉妹都市・提携都市
- 国内
[編集] 地域
[編集] 健康
- ピーク年齢 50歳代
- 出生率 1.82
[編集] 学校
[編集] 大学
[編集] 高等学校
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[編集] 養護学校
[編集] 小学校
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[編集] 中学校
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[編集] メディア
[編集] 交通
百人一首の中の小式部内侍が歌った「おほえ山 いくの(生野)の道の遠ければ まだふみも見ず 天橋立」の歌枕として登場する生野は、福知山市内の地名である。この点から、福知山は昔から交通の要所であった事が窺える。
現在でも、福知山市には鉄道などの交通の重要な始点・終点が存在し、北近畿の交通の中心となっている。
なお、JR福知山線脱線事故は、この市で発生した事故ではない(兵庫県尼崎市で発生した)。
- JR西日本の福知山支社が置かれている。山陰本線、福知山線、北近畿タンゴ鉄道宮福線の合流点であり(北近畿ビッグXネットワーク)、舞鶴線は綾部駅が終点であるが、普通列車の多数が乗り入れるため、福知山駅が事実上の終点でもある。
- 道路では、舞鶴若狭自動車道と国道9号・国道176号が交わる。
- 京都、大阪、宮津、天橋立、和田山、豊岡、城崎温泉へは特急電車で乗り換えなしに行くことができる。
- 城崎温泉~京都「特急きのさき」
- 城崎温泉~大阪「特急北近畿」
- 宮津・天橋立~北近畿タンゴ鉄道経由~京都「特急はしだて」
- 久美浜~北近畿タンゴ鉄道経由~新大阪・大阪「特急タンゴエクスプローラー」
[編集] 鉄道路線
- 中心駅:福知山駅(西日本旅客鉄道山陰本線・福知山線、北近畿タンゴ鉄道宮福線)
- 西日本旅客鉄道(JR西日本)
※ 隣接市町村への連絡:西日本旅客鉄道山陰本線、西日本旅客鉄道福知山線、北近畿タンゴ鉄道宮福線
[編集] 道路
- 高速自動車道
- 一般国道
- 主な京都府道
[編集] 観光
福知山市は子午線が通る市である。また酒呑童子の鬼伝説で知られる大江山や、光秀の福知山城などの観光スポット、「鉄道のまち」としてSL資料展示館や関連イベントがある。しかし、他の隠れた観光資源も含めて、それらの整備・PRはこれからの課題といえる。
[編集] イベント
- お城まつり(4月上旬)
- 福知山市こども大会(5月上旬)
- ボンチフェスタ(8月上旬)
- 福知山ドッコイセまつり(福知山音頭)(8月中旬)
- 堤防祭り(8月15日)
- 姫髪山の送り火(丹波大文字)(8月16日)
- 丹波光秀ききょう祭り(10月上旬)
- ミニSLフェスタ(10月下旬)
- 福知山マラソン(11月23日)
[編集] 旧跡
- 福知山城(郷土資料館) - 市民の寄贈により明智光秀築の天守閣を再建。内部は歴史資料館
- 長安寺
- 天寧寺 - 南北朝時代創建。将軍足利義持の祈願所
- 養泉寺
- 観音寺 - 「あじさい寺」ともよばれる紫陽花の名所
- 御霊神社 - 福知山城主朽木氏が宇賀御霊大神に明智光秀の合祀を許した神社。現在は当時の位置より西に移設されたもの
- 元伊勢神宮 - 元伊勢伝承の神社(外宮豊受大神社・内宮皇大神社・天岩戸神社)
- 大原神社 - 京都府指定文化財 「大原の産屋」(京都府有形民俗文化財)
[編集] 施設
- 日本の鬼の交流博物館
- 福知山鉄道館ポッポランド 「鉄道のまち」に関する資料館
- 佐藤太清記念美術館(福知山市立美術館)
- 芦田均記念館
- 丹波生活衣館 昭和から現代にかけての生活衣類を展示。織物体験も出来る。
- 北陵総合センター ロッジ・運動場・体育館などがある
(以上詳細は、福知山市公式ページ参照のこと)
- 三段池公園 市民の総合公園
- 道の駅農匠の郷やくの
- 治水記念館
- やくの玄武岩公園
[編集] 史跡
丹波国が形成される以前より多くの人々が住んでいた当地では、様々な古墳、石室、土器等が多数発見されている。
- 景初四年銘盤龍鏡
- 牧正一古墳
- 府内唯一、1墳丘3石室を持つ古墳。全国的にも珍しい。
- 豊富の古墳群
- そのうち一つの古墳群は、その地名に「額塚(すくもづか)」を残す。また下山古墳群においては府内唯一の上円下方墳が発見されている。
[編集] 名物
- 報恩寺(ほおじ)のタケノコ
- 市東部の報恩寺地区で取れるたけのこ。毎年春の到来を知らせるニュースとして、タケノコの試し掘りがテレビなどのメディアで取り上げられる。グルメ食材としてネット通販に登場する。
- 踊りせんべい
- 福知山音頭の歌詞や、踊り子の姿などの焼印の入った玉子せんべい。代表的な土産物。
- 鬼饅頭
- 底の大きさが、大人の手のひらの大きさほどもある大きな饅頭。そのままで食べるのは大きすぎるので、普通は包丁などで小さく切って食べる。
- 鬼もなか
- 鬼の顔をかたどった形をしたもなかである。
[編集] その他
- 福知山温泉
当時の福知山藩主朽木綱貞が、その湧き出る水を養老水と名づけた温泉。その名の通り、疲労回復や冷え性、火傷などの効用があるとされる。しかし、飲用は不可能である。
- 福知山運転所電車センター(福知山車両基地)
[編集] 福知山市イメージ キャラクター
- ドッコちゃん
- 酒呑童子
[編集] 出身有名人
- 青木雄二(漫画家、ナニワ金融道作者。旧大江町出身)
- 芦田均(元内閣総理大臣)
- 岡村久道(弁護士、IT法務の第一人者)
- 佐藤太清(日本画家、元日展顧問)
- 山段芳春(元京都自治経済協議会理事長、京都の黒幕)
- 谷垣禎一(衆議院議員、元財務大臣。少なくとも中学以降は東京都)
- 谷垣専一(元文部大臣、谷垣禎一の父)
- 出口なお(大本教開祖)
- 藤木九三(登山家)
- 芸能人・スポーツ選手
- 桂三扇(落語家)
- 久保田磨希(女優)
- 小橋建太(プロレスラー)
- 千原兄弟(お笑い芸人)
- 中澤裕子(タレント、元モーニング娘。)
- 村尾亞起(歌手)
- 松田ケイジ(俳優)
- 山崎静代(お笑い芸人、南海キャンディーズ)
- 和田光司(アニソン歌手、デジモンシリーズ等)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 福知山観光協会オフィシャルサイト
- 福知山市統計データ(農林水産省)
- 藍染めと福知山市
- 水害と福知山市(PDF形式)
- 両丹日日新聞社
このページはウィキプロジェクト 日本の市町村のテンプレートを使用しています。