新垣渚
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新垣渚(あらかき なぎさ、 1980年5月9日 - )はプロ野球・福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)である。
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[編集] 概要
- 身長・体重:189cm 80kg
- 投打:右投右打
- 出身地:沖縄県那覇市
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:沖縄水産高 - 九共大 - 福岡ダイエー・福岡ソフトバンク(2003年 - )
- FA取得:なし
- プロ入り年度・ドラフト順位:2002年(自由枠)
- 英語表記:ARAKAKI
- 背番号:18
- 推定年俸:10000万(2006年)
- 守備位置:投手
武器は直球と縦に鋭く落ちるスライダー。九州共立大学在籍中に記録した直球の最高速度は156km/hで、現巨人の辻内崇伸と並んで今も日本アマチュア野球界最速タイ記録である。
松坂世代の一人で、松坂大輔(西武)、和田毅、杉内俊哉(ともにソフトバンク)とはライバル。
斉藤和巳、和田毅、杉内俊哉とともにホークス先発陣の四本柱と言われる。
[編集] 来歴
- 1998年 - 沖縄水産高の投手として春、夏連続で甲子園出場を果たし、横浜高の松坂大輔と並ぶ好投手としてマスコミの注目を集めた。甲子園では150kmを超すストレートを投げるなど評判にたがわぬ投球を見せたが、春夏ともに初戦で敗れた。高校の同期にのちにホークスでも同僚となる稲嶺誉がいる。同年のドラフト会議ではオリックス・ブルーウェーブが交渉権を獲得したが、新垣はダイエー(当時・以下同)入団を希望していたため交渉は難航。オリックスの三輪田勝利編成部長(スカウト)が新垣の実家を訪れるなど努力をしたが拒否を貫いた。その後、三輪田スカウトが飛び降り自殺し大騒動となるが、新垣はオリックスへの入団を断り九州共立大学へ進学した。大学時代の二期先輩が山村路直、一期先輩が田上秀則、一期後輩が馬原孝浩、二期後輩が高橋秀聡である。
- 2002年 - ドラフト会議で自由獲得枠指名にて相思相愛の福岡ダイエーに入団。
- 2003年 - ルーキーながら先発に定着し早々と8勝をあげるものの、8月にくるぶしを痛め長期離脱。確実と思われた二桁勝利を逃す。14勝を挙げ満票での新人王に輝いた同期の和田毅に大きく水をあけられたが、日本シリーズには復帰してチームのリーグ制覇、日本一に貢献した。同年の契約更改では新人としては異例の保留をしたことも話題となる。
- 2004年 - エース斉藤和巳、和田が本調子からは程遠く、杉内俊哉も骨折で長期離脱する中、先発の軸としてチーム最多の11勝をマークし、チームのレギュラーシーズン1位通過に貢献した。また、177奪三振で初のタイトルとなるパ・リーグ最多奪三振受賞。
- 2005年 - 不調に苦しみながらも何とか10勝をあげ、2年連続の二桁勝利を達成。
- 2006年 - 3年連続の二桁勝利を達成。
- その後退院し、プレーオフ第2ステージではベンチ入りしていたものの登板機会はなかった。
[編集] 通算成績(2006年シーズン終了時)
年度 | チーム | 登板 | 勝利 | 敗北 | セーブ | 完投勝 | 完封勝 | 投球回 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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2003年 | 福岡ダイエー | 18 | 8 | 7 | 0 | 8 | 1 | 121 1/3 | 132 | 52 | 45 | 3.34 |
2004年 | 25 | 11 | 8 | 0 | 9 | 2 | 192 1/3 | 177 | 75 | 70 | 3.28 | |
2005年 | 福岡ソフトバンク | 22 | 10 | 6 | 0 | 3 | 2 | 136 2/3 | 130 | 73 | 70 | 4.61 |
2006年 | 23 | 13 | 5 | 0 | 5 | 2 | 155 1/3 | 151 | 60 | 52 | 3.01 | |
通算成績 | 88 | 42 | 26 | 0 | 25 | 7 | 605 2/3 | 590 | 260 | 237 | 3.52 |
[編集] タイトル・表彰など
最多奪三振(2004年)
[編集] 家族・エピソード
- 家族は両親と兄二人(6歳上と5歳上)。兄達は既婚で渚の甥・姪にあたる子供たちがいる。
- 父方の祖父がアメリカ人というクォーター。父はアメリカ人そのものの容貌で長身(身長181センチ)、那覇市消防局で永年救助隊員として活躍、現在課長級待遇。三人の息子の内、一番父親似なのが渚だという。
- 小学校時代交通事故(右足に人工骨を埋める手術を受けた程の大怪我)にあって以来、右足を3回、左足も1回骨折した経歴をもつ。特に那覇市立真和志中学校時代はほぼ三年間金属製のプレートを外せないほど足の状態は深刻で走ることすらままならなかった。その為中学限りで野球をやめ、実兄も在籍した興南高等学校・ボクシング部への進学・入部をする段取りを進めていた。
- しかし書類上の不備で興南高受験ができなくなり、沖縄水産高へ進学し野球を続けて今にいたる。だが今も新垣自身のボクシングの実力は相当なもので、たびたびボクシングの試合観戦もしていることを本人が認めている。
- ボクシングの他に映画鑑賞も趣味。一日に三作品はしごしたことがあるほど、相当入れ込みが深いことが伺える。
- 母は渚が自身の成人式出席の為実家に帰省中、重い脳病に倒れ、長時間にわたる開頭手術の末一命を取り留めた。現在は健康な生活を回復している。
- 武器とされている縦のスライダーの名称を球団が募集し『バニッシュボール(Vanish Ball)』が採用されたがあまり定着していない。
- 課題は制球力。2004年のシーズンでは四球、暴投数がリーグトップだった。
- 兄貴肌な性格の持ち主で、寺原隼人らの練習中の面倒を見たりもしていた。寺原は2006年横浜ベイスターズへトレードされたが、移籍通告の報を寺原から受けた時新垣は相当のショックをうけたことを自ら語っている。
- 映画評論家のおすぎは熱烈な新垣ファンであることを露出のたびといってよいほど公言。新垣が勝ち投手になると、おすぎは新垣に”祝福の”電話をかけてくるとのこと。
- 2006年,一部ネット掲示板およびマスコミの報道でモデルの押切もえとの交際が囁かれた。しかし同年9月イベントの席上押切が交際を真っ向から否定する旨の発言をした。
- なお新垣は生まれ育った地理柄沖縄アクターズスクール出身の複数の女性芸能人と年来の友人づきあいがあることは認めている。特に元SPEEDのメンバーhiro(島袋寛子)とは幼馴染で新垣・hiroの母親同士も仲が良いといわれる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部データ
福岡ソフトバンクホークス - 2007 |
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0 仲澤忠厚 | 1 柴原洋 | 3 松中信彦 | 5 松田宣浩 | 6 多村仁 | 7 大村直之 | 8 江川智晃 | 9 小久保裕紀 | 10 本間満 | 11 小椋真介 | 12 高谷裕亮 | 13 高橋秀聡 | 14 馬原孝浩 | 16 篠原貴行 | 17 山田秋親 | 18 新垣渚 | 19 森福允彦 | 21 和田毅 | 22 荒川雄太 | 23 城所龍磨 | 24 高橋徹 | 25 大野隆治 | 26 的場直樹 | 27 中西健太 | 28 大隣憲司 | 29 領健 | 30 長谷川勇也 | 31 佐藤誠 | 32 森本学 | 33 星野順治 | 36 明石健志 | 37 福田秀平 | 38 神内靖 | 40 藤岡好明 | 41 倉野信次 | 44 水田章雄 | 45 李杜軒 | 46 本多雄一 | 47 杉内俊哉 | 48 甲藤啓介 | 50 吉本亮 | 51 荒金久雄 | 52 川崎宗則 | 53 金子圭輔 | 54 川頭秀人 | 55 伊奈龍哉 | 56 柳瀬明宏 | 57 三瀬幸司 | 58 辻武史 | 59 大西正樹 | 60 稲嶺誉 | 61 山村路直 | 62 山崎勝己 | 63 大田原隆太 | 64 田之上慶三郎 | 65 川口容資 | 66 斉藤和巳 | 67 斉藤秀光 | 68 竹岡和宏 | 69 井手正太郎 | 70 田上秀則 | 91 陽耀勲 | 93 小斉祐輔 | 94 西山道隆 | 未定 アダム | 未定 ニトコースキー | 未定 ガトームソン | 未定 ブキャナン | 121(育成選手) 山田大樹 | |