大村直之
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大村 直之(おおむら なおゆき、1976年2月13日 - )は、プロ野球福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(外野手)である。
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[編集] 概要
- 身長・体重:173㎝、78㎏
- 投打:左投左打
- 出身地:兵庫県西宮市
- 血液型:O型
- 球歴・入団経緯:育英高 - 近鉄 - ソフトバンク
- 背番号:60(1994年~1998年)→7(1999年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位:1993年3位
- 英語表記:OHMURA
- 守備位置:外野(主に中堅)
盗塁王の経験こそないが、俊足を生かし1番打者として長く活躍している。守備範囲は広く打球に対する反応も的確で、中堅手としては球界屈指の実力を持つ。
[編集] 来歴
- 野球を始めたのは小2から。「水泳を習いたかった」直之と、子供時代貧乏ゆえ用具が買えず野球を断念した父とモメた末、父の言葉にしたがい競技生活を始める。
- 1993年 夏の甲子園優勝校育英高校(兵庫)からドラフト3位で近鉄バファローズに入団。
- 1995年 110試合に出場し、1番バッターに定着したが、翌96年は不本意な成績に終わる。
- 1997年 中盤から1軍に定着。
- 1998年 シーズン通して安定した活躍を見せ、初の3割、23盗塁でベストナイン・ゴールデングラブ賞を獲得。
- 1999年、2000年 活躍が認められ背番号を60から7に変更したが、2年間は盗塁も打率も伸び悩んだ。
- 2001年 前年3本塁打であったが一転して本塁打を量産し、打率.271・16本塁打・53打点という1番打者らしくない成績を残す。その核弾頭的な活躍は、1985年の阪神タイガース優勝時の1番打者として打率.322・34本塁打・84打点の成績を残した近鉄の打撃コーチ(当時)の真弓明信の現役時代を髣髴とさせた。チームはタフィ・ローズ、中村紀洋らの活躍で12年ぶりのリーグ優勝を果たした。
- 2003年 前年わずか1盗塁と信じられない成績に終わったが、この年大石大二郎コーチらの方針で再び盗塁を積極的に試みるようになる。5年ぶりの打率3割、27盗塁と結果を残した。
- 2004年 2年連続の3割と22盗塁を記録。そのオフ、近鉄球団消滅に伴いフリーエージェントで福岡ソフトバンクホークスに移籍。
- 2006年 8月20日、対西武16回戦で、9回にヒットを放ち、史上89人目の通算1500本安打を達成。この年パ・リーグでただ一人136試合フル出場を果たし、165安打を放ち自身初のタイトルとなる最多安打のタイトルを獲得。さらに4年連続で20盗塁以上を記録した。
早くにレギュラーに定着し、一番バッターとして安定した成績を残していて、30歳で1500安打を達成するなどハイペースでヒットを量産している。まだ若く、今後の積み重ねに期待がかかる。
[編集] 通算成績(06年まで)
- 1476試合出場 5445打数1524安打 打率.280 75本塁打 485打点 180盗塁
[編集] タイトル
- ベストナイン1回(1998)
- ゴールデングラブ賞4回(1998、2003、2005)
- 最多安打1回(2006)
[編集] エピソード
- 妻は中学時代の同期で看護師をしていた。一男一女があり、夫婦仲は良く大村の移籍に伴い一家で福岡に転居・同居。
- 1995年阪神・淡路大震災で実家が全壊。大村は実家再建のために契約金や給料の多くを惜しまず実家に差し出した。
- 入団後数年間は本人談「当てるバッティング」で成績を残し、1998年に.310を記録した。その後2年間伸び悩んだ彼は2001年に「当てて足で稼ぐバッティング」のままではダメだから「振り切って鋭い打球を打つバッティング」に変えることにしたと言っている。結果として前年よりも成績は上がり、その後3年間、毎年彼の本塁打数が二桁台を記録しているのはバッティングスタイルを変えた影響が大きい。
- 1998年、1999年は二年連続で、イチローを抑えてリーグ最多の内野安打を記録した。
- 2004年には大阪近鉄バファローズ選手会副会長としてチームをまとめ、合併問題では精力的に署名活動を行った。
- 大村はバッテリーの意表をつき、一塁方向のセーフティバントで内野安打を稼ぐことがあり、毎年コンスタントに犠打を記録するなど一見2番も打てるように見える。しかし近鉄時代に本人は「考えて細かいことをする2番は苦手」と発言しており、実際2番打者での成績は芳しくない。
- ポジションのライバルとなった柴原洋とは近鉄時代から変わらず仲が良い。
- 近鉄時代、当時の首脳陣が育成のため、森谷昭仁を重用し、大村がスタメン起用から外されるなどといったこと、大村の気さくな人柄に対し、森谷は、いわゆる"肩で風切る"気質だったことなどから、大村-森谷間には今でも感情的しこりが存在すると心配する声はある。
- ポップフライ(打ち損ねた内野フライ、外野フライ)の多いことが彼の打撃の特徴の一つである。
- 通算初回先頭打者本塁打数が16本であり、パリーグ現役最多である。
- チョコレートが大の苦手でバレンタインデーで(事情を知らない)ファンにチョコをもらい困惑したことがあったことを自身が明かしている。
- 毀誉褒貶が激しいネット社会であるが、大村の評判は良い。野球選手としての実力・技量、ユーモア溢れ気さくなキャラクターによると考えられる。大村のファンサイトおよび大村関連のネット掲示板スレッドでは、大村関連のアスキーアートの開発が盛んである。
- 週刊ベースボールの八木智哉と平野佳寿の対談企画の中で、平野が印象に残っているバッターとして松中信彦、イ・スンヨプの名を挙げ、それに八木が「その二人のバッターもすごいけど、僕は大村さんが凄く印象に残っている」と応じた。その意見に平野が同意し、「あの人(大村)は投げにくさということで言えば一番かもしれない」とコメント。更に八木が「もちろん四番打者に投げるのは嫌だけど、大村さんは他の一番打者とは全然違う雰囲気を持ってる。僕も一番嫌なタイプ」と返している。他球団のエース級の投手から見た大村の印象がうかがえる。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 大村直之の唄(前奏と1番:近鉄時代からのもの 2番:ソフトバンク入団後加わえられたもの)
福岡ソフトバンクホークス - 2007 |
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