篠原貴行
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篠原 貴行(しのはら たかゆき、1976年9月7日 - )は、福岡ソフトバンクホークスに所属するプロ野球選手(投手)である。
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[編集] 概要
- 身長・体重:178cm、73kg
- 投打:左投左打
- 出身地:福岡県福岡市
- 血液型:B
- 球歴・入団経緯:沖学園高校 - 三菱重工長崎 - ダイエー・ソフトバンク(1998年~)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1997年(2位・逆指名)
- 背番号:16
- 英語表記:SHINOHARA
- 推定年俸:5500万
- 守備位置:投手
[編集] 来歴・人物
広島県広島市生まれ、福岡県福岡市育ち。幼少期よりぜんそくに悩まされ、小学4年生次より体力をつけるためにと両親が勧めた野球を始める。地元のダイエー(現ソフトバンク)を逆指名し1997年ドラフト2位で入団。細身の身体ながら、キレのある速球一本で打者を抑え込む投球で1年目から頭角を現し51試合に登板した。
2年目の1999年にはセットアッパーとして大活躍。速球のキレが冴えまくり「わかっていても打てない」と言われた。リードの無い場面などでも果敢に投げ、時に先発投手の勝ち星を奪うかのような姿に同僚の工藤公康投手(現読売ジャイアンツ)からは『死神』とあだ名された。9月25日、リーグ優勝を決めた対日本ハム戦で何と14勝目。中継ぎ登板のみでの14連勝という驚異的な活躍を見せた。ルーキーであった松坂大輔と最多勝を争っていたが、消化試合の近鉄戦でかつてホークスに所属した山本和範の現役最終打席に決勝ホームランを打たれて敗戦投手に。最多勝、勝率10割の夢は破れたが、結局60試合に登板し防御率1.25、14勝1敗で最高勝率のタイトルを獲得。ダイエー初のリーグ優勝、日本一に大きく貢献した。
2000年にもセットアッパーとして大車輪の活躍を見せた。前年の疲れを見せたものの9勝を挙げ、チームのリーグ連覇に貢献した。
このオフ、先発転向に挑戦。王貞治監督や尾花高夫コーチからは「中継ぎの方が向いている」と反対されるが、念願であった転向の意志は強く、先発転向の為にチェンジアップの習得に励む。しかしチェンジアップの習得から投球フォームを崩し、怪我で離脱。公式戦で先発のマウンドは踏んでいない。
長く故障で苦しんだが、2003年シーズン後半、抑え投手を固定できないチーム事情もあり再びリリーフで1軍定着。岡本克道(現在の登録名は岡本劼能)とのダブルストッパーでチームのリーグ優勝、日本シリーズ制覇に貢献した。かつての速球で押しまくる投球はできなくなったが、防御率2.32、10Sと安定した投球を見せた。
2004年、2005年は再び故障などでほとんど登板できなかったが、現在は三瀬幸司・馬原孝浩の台頭もあり、再び中継ぎ投手として活躍している。
[編集] 2006年までの通算成績
301試合 29勝13敗15S 291奪三振 防御率3.09
[編集] 関連項目
福岡ソフトバンクホークス - 2007 |
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