川崎憲次郎
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川崎 憲次郎(かわさき けんじろう、1971年1月8日 - )は、平成期(1990年代-2000年代前半)にかけて活躍した元プロ野球選手でポジションは投手であった。現野球解説者。大分県佐伯市出身。ヤクルト時代はシュートを武器に「巨人キラー」の名を恣まにしたが、中日時代は右肩の故障に苦しみ1軍登板機会は少なかった。
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[編集] 来歴・人物
1988年津久見高校3年の時に甲子園に春夏連続出場を果たし、いずれもベスト8に進出。同年ドラフトでヤクルトから1位指名され入団し1年目から4勝を挙げる。2年目の1990年シーズン12勝(13敗)を挙げてローテーションに定着する。その後、故障により一時戦列を離れたが復活し、石井一久・伊藤智仁らとヤクルト黄金時代を支えた。1990年9月8日の巨人戦で吉村禎章に優勝を決めるサヨナラ本塁打を浴びたことはあまりにも有名。
2000年オフにFA宣言。当時の星野仙一監督の呼びかけに応えて破格の4年契約で中日に移籍する。移籍当初は巨人キラーとして期待されたがその頃から度重なる右肩痛に悩まされるようになり、3年間一軍登板無しに終わった。2004年シーズン開幕戦、落合博満監督により唐突ともいえる開幕投手に指名され話題を呼んだものの結局中日で1勝もできず、同シーズン本拠地最終戦(対ヤクルト戦)を最後に現役引退。
2005年よりテレビ東京の週末のスポーツニュース番組『スポーツ魂』レギュラーコメンテーター、ニッポン放送・テレビ東京の野球解説者。
[編集] 略歴
- 投打 右/右
- 球歴・入団経緯 津久見高 - ヤクルト(1989年-2000年) - 中日(2001年-2004年)
- プロ入り年度・ドラフト順位 1988年(1位)
[編集] 引退登板
引退を決意した彼を待ち受けていたのは古巣ヤクルトとの試合での引退登板であった。この引退登板では1回表に劇的な三者三振(古田、宮本、岩村)を取る。とくに怪我を圧して出場した1番古田(現ヤクルト監督)との対決は見る者を熱くさせ、三振のあと二人は抱擁を交わした。さらに中日、ヤクルト両ナインからの胴上げ、セレモニーといった盛り沢山の試合であった。一度も戦力になれなかった中日、FAで出て行ってしまったヤクルト両球団の粋な計らいに川崎は感動のあまり人目もはばからず号泣、記者会見でも言葉にならないほどであった。引退後、各インタビュー、雑誌の取材でも「現役生活で一番の思い出に残る試合は?」の問いに迷わず彼はこの試合を挙げている。
[編集] 年度別・通算成績
年度 | チーム | 試合数 | 勝数 | 敗数 | セーブ | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | ヤクルト | 23 | 4 | 4 | 1 | 86 | 3.94 |
1990 | ヤクルト | 29 | 12 | 13 | 0 | 154 | 4.05 |
1991 | ヤクルト | 38 | 14 | 9 | 1 | 148 | 2.91 |
1993 | ヤクルト | 27 | 10 | 9 | 0 | 108 | 3.48 |
1994 | ヤクルト | 20 | 6 | 9 | 0 | 67 | 4.79 |
1995 | ヤクルト | 7 | 3 | 0 | 0 | 19 | 1.82 |
1996 | ヤクルト | 5 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3.86 |
1997 | ヤクルト | 22 | 7 | 5 | 0 | 48 | 4.19 |
1998 | ヤクルト | 29 | 17 | 10 | 0 | 94 | 3.04 |
1999 | ヤクルト | 24 | 7 | 11 | 0 | 79 | 3.85 |
2000 | ヤクルト | 20 | 8 | 10 | 0 | 66 | 3.55 |
2004 | 中日 | 3 | 0 | 0 | 0 | 3 | 34.71 |
通算 | 237 | 88 | 81 | 2 | 874 | 3.69 |
[編集] 対巨人戦成績
- 対巨人戦の通算対戦成績は29勝(24敗)。現在の現役選手での1位は中日ドラゴンズの山本昌広。
[編集] 主なタイトル
[編集] いわゆる「川崎祭」
2ちゃんねるで行われた2003年のオールスターゲームにおけるファン投票騒動。中日移籍3年目となる2003年にインターネット掲示板2ちゃんねるでの働きかけをきっかけとして、オールスターゲームのファン投票に川崎への票が集中した現象。最終的には2位の阪神井川慶を5万票近く上回る911,328票を獲得したが、本人は事前に出場を辞退した。この時期、川崎の故障がようやく癒え始めてきたという報道もあり、川崎本人は当初「同情票」と捉えていたようである。この現象は多くのメディアに取り上げられ、様々な意見が寄せられたが、現実的に当時一軍出場がない投手に応援目的の票だけで集められる票数とは考えにくいこと、またインターネットでのスクリプト言語を利用した自動投票と思われる投票が多かったことから、愉快犯的な嫌がらせだったと見做される事が多い。また、結果としてこの事件により2ちゃんねるが注目されたが、この件でマイナスイメージを持った人も多いのも事実である。
FAによって多額の年俸を複数年契約によって得ながら、ほとんど登板がなく、2億という活躍に全く見合わない高年俸の川崎(中日移籍後の登板は、2002年にウエスタン・リーグで2度登板し、0勝2敗・防御率9.00)に対する反感および揶揄が原因だが、川崎の成績は故障による不可抗力によるものであるため感情論としてはともかく抗議として建設的なものではない。問題をFA制度批判に結びつける議論もある。この「祭り」を肯定する主張には、「組織投票」がオールスター投票において常態化していたことを指摘するものもある。しかし、当年の阪神のようにチームの好調さゆえに選手が大量票を集めるケースを「組織票」と言っていいかどうかという問題がある。なお、阪神ファンが集う掲示板の中には、川崎の得票数が井川を上回った頃に「報復」を呼びかける書き込みもあったが、別のファンによって押しとどめられている。
オールスターファン投票は当初から「成績不振の選手が締め切り直前の大量得票で選出される」などさまざまな組織票の存在が指摘され問題になってきたが(1978年の日本ハム選手の大量選出騒動など)、今回の騒動は一軍未登録選手に対するネットによる呼びかけで発生した、ある意味「組織のない組織票」という点が特徴的である(2ちゃんねるの板等といった場の不特定多数の参加者の集団を、非常に緩やかな「組織」と見做せば組織があると言えないこともない。コミッショナー事務局では「サイバーテロ」と認識している)。
いずれにしても非登録制かつ「1人1日5票まで」という、個人による大量投票を可能にしていたシステムの不備が、心無い者達につけ込まれる(若しくは、そのように見做される行為を誘発する)原因になったことは、翌年のインターネット投票が前年比170万票の大幅減少を見せている点からも明らかである。この騒動をうけて、翌年のオールスターゲームのインターネットファン投票では登録制などの対応策がとられた。同様の騒動として田代祭がある。
なお、アメリカメジャーリーグのオールスターゲームでは明らかな不正があったと判断された票に関しては自動的に排除し集計しないようになっている。1999年のオールスターファン投票ではノマー・ガルシアパーラに約3万票の大量投票を行ったファンがいたことが発覚し、該当する票を無効票にしたことがある。
[編集] 関連項目
- 大分県出身の有名人一覧
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