長嶋一茂
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長嶋 一茂(ながしま かずしげ、1966年1月26日 - )は元・プロ野球選手(三塁手)で、現在はタレント、俳優、スポーツキャスター、野球評論家である。ナガシマ企画所属。旧表記:「長島」。東京都大田区田園調布出身。
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[編集] 来歴・人物
[編集] 家族
事務所のマネージャーを務める妻と双子の娘がいる。ただし娘の名前は公表していない。
父は読売ジャイアンツ(通称・巨人)の終身名誉監督でアテネオリンピック・野球日本代表チーム監督の長嶋茂雄。弟はレーシングドライバーの長嶋正興、妹はキャスターの長嶋三奈。
[編集] 性格
正義感が強く、短気な所も。また、口調と言い方がケンカ腰に見える為、誤解されやすい。
[編集] 堀内恒夫との確執
堀内恒夫前監督とは、犬猿の仲である(理由は現役時代に成績が振るわなかったにも関わらず、他の選手と合コンによく行っていた為に当時投手コーチだった堀内が激怒した為の説もある。)。
[編集] 父と同じ立教大学出身
立教大学のOBであることから、小学校からの立教ボーイであると思われがちだが、実際は立教に入ったのは高校から。田園調布中学校、群馬県吾妻郡六合村にある白根開善学校中等部で中学時代をすごした。高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校(現・立教新座高等学校)に進学した。
[編集] ヤクルトに入団・ミスター2世の重圧
1988年、立教大学からヤクルトスワローズにドラフト1位で入団し、プロ初安打をホームラン(神宮球場での巨人戦、相手投手はビル・ガリクソン)で飾り『ミスター2世』として注目を集めた。しかし、「ミスター2世」の重圧もあったからか、守備でエラー等が目立つ等長期的には成績が振るわず、野村克也監督が就任した1990年以降出場機会が減少し(野村監督が毎日行うミーティングで一人だけメモを取らない等、ID野球に全くついてこれなかった事や選手としてやる気がなかった為、首脳陣からもほとんど相手にされなかった。)、1992年にはアメリカ1Aベロビーチ・ドジャースに野球留学した為、出場機会がなかった。
[編集] 父のいる巨人へ移籍・親子鷹・怪我との戦い
1992年秋には、球団から戦力外の烙印を押され、父・茂雄が監督に復帰した巨人へ金銭トレードで移籍(野村監督は父に面倒を見てもらえばいいと思い放出したと思われる。)。1993年巨人に移籍すると、1994年には持ち前のムードメーカーぶりでチームのリーグ優勝、日本一に貢献した。“親子鷹”と騒がれるも、このころには右肘・左手首・右足の怪我が極度に悪化し1993年秋に渡米・手術。ある程度の回復を見るも、右肘の状況は相変わらず悪いままで成績も振るわなかった。
[編集] 父から戦力外通告・そして引退
1996年、球団から引退勧告をされており選手として崖っぷちに立っていた。当時打撃コーチだった河村健一郎からも「やる気がなかったらシーズン途中でもやめろ!」と戦力外の烙印を押されていた。そして、選手としての人生を奪う決定的な事件を起こしてしまう。当時の土井正三コーチに「バントをしろ」と言われた時に激怒「いらねぇよ!何様なんだよ!あんな奴!!」と暴言を吐き球団から罰金を科せられ、無期限出場停止処分も受ける(一茂は冗談半分で発言したと語っているが、それを他の選手や首脳陣が聞いた為である。)。同年、日本シリーズ終了直後に、父・茂雄から「お前は来年の戦力構想に入っていない。」と戦力外通告され、自由契約となる(最大の理由は、暴言事件で当時球団オーナーだった渡邊恒雄をはじめ首脳陣が激怒した為と思われる。なお戦力外の通告は家のリビングで言われた)。茂雄も現役を続行させたい気持ちがあって自由契約にした。また、広島・近鉄・オリックス、日本ハムから獲得の意向があったが、やはり、右肘の状況は悪く、「これ以上、怪我で迷惑掛けたくない。」と言い、現役を引退した。
[編集] 引退後にスポーツキャスターへ
その後はスポーツキャスターとなり、1997年~1998年にフジテレビの『プロ野球ニュース』(週末)、1999年~2002年に日本テレビの『独占!!スポーツ情報』(のちの『THE独占サンデー』)の司会を担当した。
[編集] パニック障害との闘い
2002年から2年間に渡ってNHKのインタビュー番組『わたしはあきらめない!』の聞き手役も務めた。パニック障害を経験したとして同番組にゲスト出演した田中美里に対し、自身も1996年以来同病の経験があり、プロ野球選手として活動中にはバッターボックスにたてなくなったこと、また現在(放送当時)も同病に悩まされることがあることを告白。同病についてのエピソードは、以降に出演した『たけしの本当は怖い家庭の医学』や『オーラの泉』などでも紹介されている。
[編集] 俳優としても開花・K-1に造詣
俳優業も行い、2000年は『NHK朝の連続テレビ小説・オードリー』に出演して(時代劇の剣士役)、好評を博し、俳優としての地歩を固める。2002年は映画『ミスター・ルーキー』・2005年には『男たちの大和/YAMATO』・2004年は、TBSの『サラリーマン金太郎4』、テレビ朝日の『逮捕しちゃうぞ』、2005年の『NHK大河ドラマ・義経』等に出演。役者として演技力を評価させている。
また、極真空手の経験者でもあり、その経験から、フジテレビのK-1中継の司会をつとめている。
[編集] タレントとしての活動
『さんまのSUPERからくりTV』(TBS)ではレギュラー解答者のほか、『知識の泉』のコーナーに出演。西村知美、松嶋尚美、浅田美代子らと爆笑トークを展開する。2004年、『さんまのSUPERからくりTV』の中で打倒・松岡修造を目的に明石家さんまらによって結成された『からくりテニス同好会』のメンバーになる。
2004年4月、田中律子、磯野貴理子とともにTBSのお昼の生放送番組『はぴひる!』の司会を務める。だが、視聴率が低く、残念ながら半年で打ち切りとなってしまった。
[編集] アテネ五輪での大役他
2004年6月6日、アテネ五輪の聖火ランナーを務める。 2004年6月16日に双子の女児が誕生した。父の茂雄にとっては待望の初孫である。このことは本人が司会を務めるお昼のテレビ番組の中で本人の口により発表された。 2004年、日本テレビのアテネ五輪中継のキャスターに選ばれた。
[編集] 巨人にアドバイザーとして復帰
2005年1月1日より渡邉恒雄球団会長の推薦で読売新聞グループ本社社長室付けスポーツアドバイザー、並びに巨人球団代表特別補佐(アドバイザー)として招聘されることになった。なお、これまで通りスポーツキャスター・解説や俳優業は継続する。なお、東京六大学野球(早大出身)及び巨人の大先輩である広岡達朗が週刊誌で自身を批判した事を弁護士相談し内容証明郵便で警告書送付した。
[編集] 父との共演
2006年、三菱UFJ信託銀行のCMに父・茂雄との親子共演を果たす。
[編集] やしきたかじんとの根深いバトル
2006年、毎日放送の番組たかじんONEMANで、司会のやしきたかじんが、一茂のことを「長嶋一茂ってあいつほんまのアホやで」と番組で発言したのに対して現在、毎日放送及び、やしきたかじんに対して名誉毀損で告訴を検討中である。(ちなみにたかじんは昔から長嶋親子をテレビ・ラジオでアホ呼ばわりしている。)
[編集] エピソード
[編集] 父の伝説
一茂は小学生の頃、神宮球場でのヤクルトVS巨人戦を父・茂雄と一緒に見に行ったのだが、その手に汗握る試合展開に興奮した茂雄は、なんと連れてきた一茂を球場に置き去りにして帰ってしまう。信じられない話であるが、家に帰って妻の亜希子に言われて気が付いたのだという。茂雄は慌てて神宮球場に電話をしたところ、一茂は審判室に保護されていた。しかも球場に忘れられたのは1度ではないらしい。
父・茂雄の引退試合を、歯医者に行っていたため行くことができなかった。
長嶋家はおそらく日本で最も有名な天然ボケ一家である。唯一、母・亜希子だけはしっかりしているらしい。
[編集] 大学時代と選手時代
1993年4月23日に、セ・リーグ通算3万号となる記念本塁打を放つ。
1994年5月、巨人在籍中、当時のチームメイトである槙原寛己が完全試合を達成した際は三塁を守っており、キャッチャーよりも先に真っ先に彼に抱きつく。
大学に入るまでカップラーメンを作ったことが無く、大学一年のとき先輩に作ってこいといわれたものの作り方がわからず、容器を壊してなべに入れて作った。
大学ではそのキャラクターゆえか、人望も厚く、キャプテンに選ばれた。また、同級生の池山隆寛をはじめ、チームメートや同級生からはいわゆる「いじられ役」で人気者でもあった。
[編集] 父への親孝行な行動
2004年3月、父・茂雄が脳梗塞で倒れる。当時、茂雄は野球日本代表監督として、プロ野球12球団の春季キャンプ視察、講演、テレビ出演など休み無く活動を続けていた。その疲れが原因だと言われている。茂雄の病状は重症で、彼の容態を知りたいマスコミが、長嶋邸を幾重にも取り囲んだ。そのマスコミと茂雄の担当医師の橋渡しをしたのが、長男の一茂であった。一茂は、茂雄の容態について、定期的に報告をし、茂雄が監督として指揮を執れる状態ではないことを詳しく説明した。そのかわり、茂雄の魂だけはアテネに連れていきたいと、大きな日の丸に3の文字を父に書かせ(背番号3は茂雄の巨人での背番号。永久欠番)、その旗を野球日本代表に託した。
[編集] 背番号
- 3 1988年~1992年
- 36 1993年~1996年
[編集] 通算成績
- 384試合 打率.210(765打数161安打) 18本塁打 8盗塁
[編集] 書籍
- 三流 (幻冬舎文庫 2002/4/25 構成・文 石川拓治) ISBN 4-344-40226-X
[編集] 出演
[編集] バラエティー
- 料理の鉄人(1993年10月~1999年9月、フジテレビ)
- さんまのSUPERからくりTV(1998年4月~現在、TBS)
- スポーツMAX(1998年9月~2005年9月、日本テレビ)
- 独占!!スポーツ情報(2000年4月~9月、日本テレビ)
- THE独占サンデー(2000年10月~2002年9月、日本テレビ)
- わたしはあきらめない(2002年4月~2004年3月、NHK)
- もしも体感バラエティ if(2002年10月~2004年3月、フジテレビ)
- はぴひる!(2004年4月~9月、TBS) 水曜日担当
- スポんちゅ(2005年10月~2006年9月、日本テレビ)
- 報道STATION(2006年4月~、テレビ朝日)
- NEWS ZERO(2006年10月~、日本テレビ) 水曜日担当
- K-1 GRANDPRIX(不定期、フジテレビ)
[編集] ドラマ
- なにさまっ!(1998年10月~12月、TBS) 東良介役
- ザ・ドクター(1999年7月~9月、TBS) 神崎俊太郎役
- オードリー(2000年10月~3月、NHK) 錠島直也役
- 新・お水の花道(2001年4月~6月、フジ) 五郎役
- 逮捕しちゃうぞ(2002年10月~12月、テレビ朝日) 中嶋剣役
- 水戸黄門 (テレビドラマ)(2003年、TBS) 三剣一風役
- サラリーマン金太郎4(2004年1月~3月、TBS) 山田龍平役
- 義経(2005年1月~12月、NHK) 藤原国衡役
- アストロ球団(2005年8月~10月、テレビ朝日) 沢村栄治役
[編集] 映画
- ミスター・ルーキー(2002年、東宝) 大原幸嗣役
- 男たちの大和/YAMATO(2005年、東映) 臼淵磐役
[編集] CM
[編集] 関連項目
- 関根潤三
- 八重樫幸雄
- 若松勉
- 杉浦享
- 水谷新太郎
- 角富士夫
- 尾花高夫
- 荒木大輔
- 栗山英樹
- 桜井伸一
- 広澤克実
- 秦真司
- 柳田浩一
- 伊東昭光
- 荒井幸雄
- 内藤尚行
- 飯田哲也
- 土橋勝征
- 中西親志
- 鈴木平
- 加藤博人
- 川崎憲次郎
[編集] 外部リンク
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