北方四島交流事業
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北方四島交流事業(ほっぽうよんとうこうりゅうじぎょう)は、内閣府北方対策本部の補助のもと、北方四島交流北海道推進委員会並びに独立行政法人北方領土問題対策協会が実施している、日本人と色丹島、国後島及び択捉島(以下、北方領土)に居住するロシア人との交流事業。一般的にはビザなし交流と呼ばれている。
北方四島交流事業は、日本人が北方領土を訪れる訪問事業と、北方領土在住のロシア人を日本の各都市に招く受入事業の二つに分けられる。 なお歯舞群島に対する訪問事業は、国境警備隊員を除いてロシア人が居住していないので実施されていない。
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[編集] 経緯
- 1989年(平成元年)、日本人がソビエト連邦(当時)の査証の発給を受けて北方領土へ入域している事が判明。これを受けて日本政府は同年9月、「我が国国民がソ連の出入国手続きに従うことを始めとしてソ連の不当占拠の下で北方領土に入域することは、我が国固有の領土たる北方領土に関する国民の総意及びそれに基づく政府の政策と相いれないものとする」旨の閣議了解を行い、日本人の北方領土への入域を事実上規制した。
- 1991年(平成3年)4月、ソ連・ゴルバチョフ大統領が来日。同大統領の提案により日本国民と北方四島在住ソ連人との間の交流の拡大と、そのために日本国民による北方領土訪問の簡素化された無査証の枠組みの設定が日ソ共同声明に盛り込まれた。それを受けて同年10月、日ソ外相の往復書簡により、日本国民と北方領土在住ソ連人との間で、査証を要さず政府が発行する身分証明書によって相互渡航を行うことなどの枠組みが作られた。これが「ビザなし交流」と呼ばれる所以である。
- 1992年(平成4年)2月、歯舞群島を含む北方領土の元島民からなる千島歯舞諸島居住者連盟、北海道内で返還運動を行っている青年、婦人、労働ほか各団体からなる北方領土復帰期成同盟その他によって「北方四島交流北海道推進委員会」が発足。同年4月12日に北方領土在住ソ連人による代表19名が北海道を訪問したのを皮切りに交流事業が始まった。
- 1993年(平成5年)、全国規模での交流を推進するために、北方領土返還要求運動都道府県民会議(以下、都道府県民会議)、青年、婦人、労働ほかの全国組織らからなる北方領土返還要求運動連絡協議会その他によって「北方四島交流推進全国会議」が組織され、相互訪問が開始される。
- 1995年(平成7年)、訪問対象者に国会議員が加えられる。
- 1998年(平成10年)、訪問対象者として学術、文化、社会等の各専門家が加えられ、これにより日本語講師の派遣や生態系、地震学などの専門家による調査、戦前に立てられた日本家屋の保存に関する調査などが行われるようになる。
- 2003年(平成15年)、北方四島交流推進全国会議が廃止され、業務が北方領土問題対策協会に引き継がれる。
[編集] 事業の目的
日本人と北方領土在住ロシア人が相互に理解を深め、四島返還による北方領土問題解決のための環境作りを行う事が事業の目的として定義されている。
具体的には、日本人が北方領土を訪問する事によりその風土や在住ロシア人の考え方に直接触れ、その体験を地域や職域などでの返還運動の啓発に活用する事が参加者に求められている。同時に、在住ロシア人との対話を通じて日本における北方領土問題の捉え方を伝え、日本や日本人に対する誤解や偏見を解消する事も目的として挙げられる。
また、在住ロシア人が日本を訪問する事により、日本の文化や社会の仕組み、日本人社会の利便性を実際に体験し、返還に伴う不安や障害の除去・軽減に資するとされている。
[編集] 訪問事業の概要
[編集] 参加条件
訪問事業に参加できるのは、総務省・外務省告示に基づき以下の条件を有する者とされている。また、訪問は原則として団体で行われる。
- 北方領土に居住していた者、その子及び孫並びにそれらの者の配偶者。
- 北方領土返還要求運動関係者。具体的には以下の通り。
- 北方領土問題対策協会の都道府県推進委員。
- 都道府県民会議(北方領土復帰期成同盟を含む)の構成団体に所属する者で、当該都道府県民会議から推薦された者。
- 北方領土返還要求運動連絡協議会の構成団体に所属する者で、同協議会から推薦された者。
- 国会議員及び地方公共団体の議会議員。
- 報道関係者。
- 訪問の目的に資する活動を行う、学術、文化、社会等の各分野の専門家。
- 実施団体の役職員。
以上のほか、ロシア側との連絡折衝のために外務省及び内閣府の政府職員が同行する。また、通訳、医師など内閣総理大臣及び外務大臣が適当と認める者も同行できる。
[編集] 手続
訪問する者は以下の窓口団体を通じて、計画の概要を内閣府を経由して外務省に提出する。
- 千島歯舞諸島居住者連盟
- 北方領土復帰期成同盟
- 都道府県民会議
- 北方領土返還要求運動連絡協議会及びその幹事団体
- 北方領土問題対策協会
- 衆議院及び参議院並びに各地方公共団体の議会
- 各省庁及び各地方公共団体
- 日本新聞協会、日本雑誌協会等の加盟社
ただし、実際は年度ごとに計画や訪問者数の枠組みを北方四島交流北海道推進委員会と北方領土問題対策協会、北方領土返還要求運動連絡協議会で協議し、決まった枠組みの中で各構成団体ごとに調整している。また、稀に北方領土返還要求運動連絡協議会の加盟団体が単独で計画、実施する場合もある(最近では2005年に日本労働組合総連合会が実施)
計画に基づき外務省はロシア政府当局と協議し、ロシア政府が了承した場合に訪問は実施される。この時、外務省において訪問団の各個人に身分証明書が交付される。そのために訪問する者は顔写真と戸籍抄本を窓口団体を通じて外務省に提出しなければならない。
[編集] 一般的な内容
- 期間は訪問の目的によって変わるが、移動も含めておおむね四日から五日程度である。また、訪問前に事前研修が組み込まれることもある。
- 費用は主催団体が負担するため、個人負担は原則として不要である。
- 当初は一度に色丹、国後、択捉の三島を一度に訪れる日程が組まれた事もあったが、現在は二島ないし一島のみの訪問がほとんどである。
- 移動には主催団体が民間からチャーターする、おおむね350トンから480トンの旅客船が使われる。
- 滞在中のプログラムとしては、在住ロシア人との対話集会や夕食交流会、施設見学、戦前建てられた日本人墓地への墓参、在住ロシア人の家を訪問し食事をしながら歓談するホームビジットなどが中心となる。
- 宿泊は、国後島の訪問については「日本人とロシア人の友好の家」(友好の家)が使われるが、色丹島並びに択捉島の訪問については、両島には宿泊施設がないので移動に使っている船を湾内(港内)に停泊させて寝泊りをする。
- 現地での買い物は可能だが、島の経済への影響を考慮して数千円程度しか出来ない。なお、買った物品に関しては関税法が適用されるため、酒類やタバコを土産にする際は数量に制限がある。
[編集] 受入事業の概要
[編集] 参加条件
当然の事ながら、現在北方領土に居住しているロシア人が対象となる。サハリンなど、それ以外に居住するロシア人は参加できない。なお、回数には制限がないため複数回参加している在住ロシア人も少なくない。
[編集] 事業分担
北海道における受入事業は北方四島交流北海道推進委員会が、青森県以南の各地の受入事業は北方領土問題対策協会がそれぞれ実施している。青森県以南の受入事業の開催場所は、年一回開催される都道府県推進委員全国会議に諮り決定され、その決定を受けて都道府県民会議が主管して行われる。
[編集] 一般的な内容
- 期間は移動も含めておおむね一週間程度である。
- 訪問事業では個人負担が不要なのに対して、受入事業では参加者に一定の個人負担が求められている。
- 滞在中のプログラムとしては、地域住民との対話集会や夕食交流会、施設見学や学校訪問、ホームビジットやホームステイなどが中心となる。また、伝統工芸の体験など、受け入れをした地域の特色を生かした文化交流も行われている。
[編集] 実績
訪問事業に関しては、2006年現在で178回実施され、延べ7,796人の日本人が北方領土に渡っている。また受入事業に関しては2006年現在で122回実施され、延べ6,070人の在住ロシア人を受け入れた。
在住ロシア人の訪問先(2006年現在)としては北海道のほか、青森県、宮城県、秋田県、群馬県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、長野県、富山県、石川県、福井県、静岡県、滋賀県、兵庫県、奈良県、和歌山県、広島県、鳥取県、徳島県、愛媛県、佐賀県、熊本県、宮崎県、沖縄県がある。
[編集] ビザなし交流以外の北方領土への訪問
現状において日本人が北方領土に渡る手段は、事実上ビザなし交流しかないと言っていいが、北方領土の元島民及びその家族については以下の訪問手段がある。これらについては人道的見地から実施されている側面もあるため、ビザなし交流では訪れる事の出来ない歯舞群島も訪問地の対象となっている。
[編集] 北方墓参
元島民及びその親族による、北方領土にある先祖の墓所へのお参り。北海道が年三回実施しており、ビザなし交流同様、外務省発行の身分証明書によって行われる。
最初の北方墓参はビザなし交流に先立つ1964年(昭和39年)に北海道が主体となり実施された。しかし、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)までの間はソ連側の了承が得られず、また、1976年(昭和51年)から1985年(昭和60年)までの間はソ連側が旅券の携行と査証の取得を要求してきたため日本側の判断でそれぞれ中断された。 2005年現在で延べ3,265人が墓参を果たしている。
[編集] 自由訪問
元島民並びにその配偶者及び子を対象に、北方領土問題対策協会が委託する形で千島歯舞諸島居住者連盟が主体となって実施している訪問事業。こちらも外務省発行の身分証明書によって行われる。
1998年(平成10年)のモスクワ宣言(日本国とロシア連邦の間の創造的パートナーシップ構築に関するモスクワ宣言)に基づき、元島民の「ふるさと訪問」として1999年(平成11年)から実施されている。「自由訪問」と呼ばれてはいるが、数次訪問用の身分証明書の発行など、ビザなし交流より手続きが簡易化されただけで、「いつでも自由に訪問できる」という意味ではない。 2005年現在で延べ1,099人が参加している。
[編集] 現状と課題
- 北方四島交流事業によって在住ロシア人にも北方領土問題における日本の主張が知られるようになった。特にソ連崩壊に伴うロシアの混乱期や、1994年(平成6年)に発生した北海道東方沖地震によって北方四島が壊滅的打撃を受けた際には、一部の在住ロシア人から四島返還を容認する発言が出た事もあった。しかし現在はロシアの経済成長が著しい事を背景にロシアへの帰属意識が強まり、再び四島返還には否定的になっている。
- 一向に領土問題の進展が見えない中で従来のようなビザなし交流を開催する事を疑問視し、事業のあり方や方法を見直すべきとの声もある。そのような中で、2006年9月に国後島を訪れた訪問団は、はじめて「KJ法」を対話集会に取り入れ、日本人と在住ロシア人の共存に絞ったテーマで在住ロシア人と意見交換を行っている。
- 2006年8月に歯舞群島・貝殻島沖で発生したロシアによる日本の蟹かご漁船への銃撃・拿捕事件の際には、地元・根室市が内閣府と外務省に対して北方四島交流事業の中止を求める文書を送付した。また、銃撃事件の2日後に行われた訪問事業では、予定していた64名中10名が参加を取りやめた。なお余談ながら、この時の訪問事業には前原誠司・前民主党代表が参加している。