リバイバルトレイン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
リバイバルトレインとは、ある鉄道事業者が過去に運行していた列車を、現実に再現する形で運転する物を指す。復活運転ともいう。但し、往時の車両が現存しないことやダイヤグラム・費用などの問題から、必ずしも忠実には再現されないことが多い。また現存する列車であっても、かつて使用していた車両を使用するということで、リバイバルトレインとした例もある。
[編集] 歴史
リバイバルトレインの元祖は、日本国有鉄道(国鉄)が慢性的な赤字に苦しみ、様々な増収策を打ち出していた1970年代に遡れる。どれが元祖であるかという特定は困難であるが、その一つの例としては1972年(昭和47年)に小海線で実施された、C56形蒸気機関車による旅客列車の復活運転が挙げられる。これは熱心なファンの活動が国鉄当局を動かし、稼働状態で残っていたC56形による旅客列車を再現したものであった。小海線のC56形は1971年まで稼働したが、旅客列車は早い時期に気動車に置き換えられたため、消滅して10年以上が経過していた。特定の列車のリバイバルというよりは、「C56形が牽引する旅客列車」というイメージの再現であったが、後述するようなオリジナルの車両と異なるケースをも「リバイバルトレイン」と称する状況を考慮すれば、立派なリバイバルトレインであったということができる。
明確に特定の列車のリバイバルとして運行された最も早い例は1981年(昭和56年)7月に戦前・戦後の国鉄代表列車「つばめ」を、東海道本線東京駅~大阪駅間で「栄光の列車つばめ」と称して復活運転したもので、客車は往時のものが残存していなかったので14系を用いたが、食堂車まで営業し、更には機関車に実際使用していたEF58形(61号機)を用いた。翌年には「つばめ」の姉妹列車である「はと」も運転した。
その後、東海道・山陽本線を中心に「へいわ」(初代、東京駅~大阪駅間のもの)、「うずしお」(初代、大阪駅~宇野駅間。485系電車を使用)などが1984年(昭和59年)頃までに運転されたが、次第に目新しさがなくなったことや、国鉄の分割民営化が具体的な日程に乗り、そうした列車を設定する余裕がなくなったことから、いったん姿を消した。
2000年(平成12年)8月になって、西日本旅客鉄道(JR西日本)が山陽新幹線開業25周年を記念して新大阪駅~博多駅間で「はと」を復活運行した辺りから再びブームが起こり、主に東日本旅客鉄道(JR東日本)やJR西日本などがこれを熱心に行うようになった。「みちのく」・「ひばり」や「やくも」・「鷲羽」などが該当する。その後は、165系など形式の全廃が迫った車両の「お別れ運行」を兼ねたものや、信越本線「あさま」のように運行されていた路線の一部区間が廃止(この場合は碓氷峠の区間)・第三セクター鉄道転換(この場合はしなの鉄道線)されたものであっても、直通運転・バス連絡を行うなどして運転を実現させた列車も生まれた。
なおダイヤグラムを組む際に、定期列車が多く設定されている区間ではそれらの運行が優先されるため、待避・長時間停車が多く発生し、往時よりは所要時間がかなり順延する事も多い。また撮影する鉄道ファンの人数が多いため、運転保安上などの観点から沿線の主要場所に警備員や鉄道運転業務関連の係員などを臨時に配置する場合がある。
また、リバイバルトレインといっても実際には所縁がない線区・車両で運行した例もある。たとえば2004年(平成16年)にJR東日本が東京駅~名古屋駅間で「つばめ」を復活運行したが、それに用いられたのは東海道本線の名古屋以東で定期運転の実績がない583系電車だった。これらは、当時のイメージのみを再現したというべきものである。
なお、団体専用列車扱いで運転され市販の時刻表に掲載されないものと、臨時列車として運転して指定席券などを一般販売し、時刻の掲載を行うものとがある。
この他にある車両の塗装を、かつてまとっていたものへ意図的に戻して運転している場合があり、これも広義の意味では「リバイバルトレイン」と言える(国鉄色も参照の事)。もちろん、「かつての塗装に戻した車両」=「全てがリバイバル」とは限らず、特定運用を解かれた車両がある塗装から戻されたに過ぎない場合もある。
また、「うずしお」のように旧型車両で運転された経験が一切ない場合でも、わざと経路に組み込ませることにより、「もしかしたら当時実現していたかもしれない」といった趣旨での運転がなされることもある。
これまで運転されたリバイバルトレインの中で、最も長い距離を走行したのは、2004年(平成16年)2月に、翌月の九州新幹線開業に伴い西鹿児島駅が鹿児島中央駅に改称するのを記念して運転された、西鹿児島駅~(鹿児島本線経由)~東京(品川)駅間の団体専用列車『思い出のはやぶさ号』(約1500km)と、東京(品川)駅~(日豊本線経由)~西鹿児島駅間の団体専用列車『懐かしの富士号』(約1600km)で、どちらも一時期は日本最長距離列車だったものを復活運転し、しかも東日本・東海・西日本・九州と4つの旅客鉄道会社を跨いで走るという、壮大なスケールのリバイバル列車であった。