チョコレート
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チョコレート(chocolate、猪口冷糖、楂古聿(最初の一文字は木偏に‘査’という字))とは、脱脂して粉末状にしたカカオを原料にして溶かして型に入れ、かためたものである。元々は飲み物であった。日本語ではかつて液体のものをホットチョコレートと呼び区別したが、最近はココアと呼ぶことが多い(近年またホットチョコレートの呼び名が増えているようではある)。他の言語では、ココアとチョコレートを区別しないものもある(フランス語のショコラ、スペイン語のチョコラーテなど)。
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[編集] 概説
固形チョコレートは一般的に、熱に弱く溶けやすい。溶けたり、長期間保存したものには白い色がつく。この部分をブルーム(bloom)という。ブルームが生じたものを食べても問題はないが、風味や味は落ちる。これは、カカオに含まれる油脂成分が浮いて表面に出てきたものである。
質量あたりの熱量が大きいため、固形チョコレートはしばしば軍隊や登山隊の非常食として携帯される。
原料となるカカオ自体は苦く、日本では砂糖で甘くしたものが普通であったが、2000年代に入ってカカオ分の高いビターチョコレートが各種発売されている。特にカカオ99%を使ったチョコがある。因みにその苦さは注意書きが付くほどである。
また、バレンタインデーに、女性から男性にチョコレートをあげるという習慣は日本独自のものであるといわれるが、英語版wikipediaのchocolateの項に、バレンタインデーへのリンクがあることからも分かるように、特に日本だけの風習ではない。
バレンタインデーにチョコレートを贈る風習は、19世紀のイギリスのチョコレート会社キャドバリー社によって始められた。
またチョコレートを食べるとニキビができるという噂があるが、科学的根拠は全くない。
犬や猫など人間以外のほとんどの動物はチョコレートを食べると中毒を起こす。 これは、チョコレートやココアなどに含まれるテオブロミンを代謝できないことが原因で、死に至ることもある。
[編集] 歴史
紀元前2000年ごろから、中央アメリカ及びメキシコ南部ではカカオが栽培されていた。15世紀までには、カカオはその土地では貨幣として流通したほど重要視された。当時の中央アメリカでは、カカオは粉にしてトウモロコシの粉や唐辛子などを入れ、水や湯でとかして飲まれていた。主に嗜好品として、また、薬用として飲まれた。
クリストファー・コロンブスが中央アメリカ島部に到達すると、それを通じ、スペインにカカオがもたらされた。コロンブスの息子によれば、最初にチョコレート(カカオの実)を見たヨーロッパ人はコロンブスで、1502年のコロンブス最後の航海のときであった。ただし、飲んだという記述はない。
ヨーロッパ人との接触当初、中央アメリカ人たちはココアのことをカカワトルと呼んだ。1579年までに、彼らは同じものをショコラテと呼ぶようになり、これがチョコレートの語源とされるが、何故カカワトルがショコラテになったのかは不明であり、従って語源も不明である。
苦い飲料だったチョコレートに砂糖を加える発明は、16世紀にメキシコに渡った宣教師によって考案された。
16世紀中期に中央アメリカがスペインに征服されると、カカオが手に入りやすくなり、スペイン一般庶民もチョコレートドリンクを飲むようになった。
チョコレートは当初、ヨーロッパではスペインのみで普及した。しかし、フランスのルイ13世がスペインのアンヌ・ド・オートリッシュ王女(スペイン読みはアンナ)と結婚したとき、チョコレートを好むアンナが嫁入りのときも持参したので、フランスにチョコレートがもたらされることになった。次のルイ14世も1661年、チョコレート好きのスペイン王女マリア・テレサと結婚し、フランスでは上流階級からチョコレートが広まった。マリアはまた、チョコレート道具一式と、チョコレート専門コックを連れて嫁入りした。イギリスでは1657年に、チョコレートショップと呼ばれるチョコレートを飲ませる店が開店した。
1828年、バンホーテンがチョコレートを粉末にする特許を取得。これは同時に、カカオからカカオバターを効率的に取る方法でもあった。それまでのチョコレートは濃密で、水なしでは飲めないものだったが、これにより口当たりがよくなり普及が進んだ。
1847年、イギリスのフライ社が食べるチョコレートを発売。これが最初の固形チョコレートとされる。しかしこれはまだ苦いもので、万人に普及するにはもう少し工夫が必要であった。
1876年、スイスのロウソク職人ダニエル・ピーターがミルクチョコレートを発明した。
この後、ざらざらした食感をなめらかにする工夫がされ、現在の固形チョコレートの原型が作られた。
日本のチョコレートに関する記述は、18世紀の長崎の遊女がオランダ人から貰った物を記したリストの中に「しよくらあと」として登場するのが最初である。
日本のチョコレート製造は、1878年に「米津凮月堂」が製造したのが最初である。ただしこれは、輸入した原料チョコレートを加工したものであった。カカオ豆からの一貫生産は、1918年、森永製菓によって開始された。
戦争の影響により、日本では1940年までにカカオの輸入は止まり、代用チョコレートが考案された。
1945年、日本が敗戦すると、アメリカの進駐軍を通じて大量のチョコレートが日本にもたらされた。"Give Me Chocolate!" は戦後の日本人がすぐに覚えた数少ない英語表現の1つである。
戦後の日本では、安価なものから高価なものまでさまざまなチョコレート菓子が販売されるようになった。1980年代から1990年代にかけてはトリュフなどの小粒な形状をした高級チョコレートが一般的に出回るようになった。2000年代に入るとさらに高級かつ洗練されたチョコレート菓子が流行した。
2004年頃には東京都内にヨーロッパ各国の高級チョコレート店が多数出店し、中には1粒400円から500円という超高級チョコレートを取り扱う店も現れた。
また近年、カカオに含まれるポリフェノールが注目されており、カカオの比率の高いのチョコレート商品が売られている。(海外製ではリンツ・チョコレートの「エクセレンス」、国産では明治製菓の「チョコレート効果」が代表的)
[編集] チョコレートの日
日本チョコレート・ココア協会が、日本でバレンタインデーにチョコレートを贈るようになったことをきっかけに制定した記念日。1970年代に定着した。
[編集] 外部リンク
[編集] 主な製造企業
[編集] 大衆品
[編集] 高級品
- ゴディバ
- ピエールマルコリーニ
- モロゾフ
- モンバナ
- ロイズコンフェクト
[編集] 関連項目
- カカオマス
- チョコレートアレルギー
- ホワイト・チョコレート
- お菓子
- チョコバナナ
- 大石真 『チョコレート戦争』
- ロバート・コーミア 『チョコレート・ウォー』
- ロアルド・ダール 『チョコレート工場の秘密』
- ティム・バートン『チャーリーとチョコレート工場』
- バレンタインデー
- ホワイトデー