バレンタインデー
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バレンタインデー (St. Valentine's Day) は、2月14日に祝われ、世界各地で男女の愛の誓いの日とされる。もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ヴァレンティヌス(テルミのバレンタイン)に由来する記念日である。
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[編集] 各国でのバレンタインの形
恋人たちの愛の誓いの日とされ、世界各地で様々な祝い方がある。
[編集] 欧米
ヨーロッパなどでは花やケーキ、カードなどを恋人に贈る習慣がある。これは日本とは違い、女性から男性のみとは限らない。
チョコレートを恋人に贈る習慣は、19世紀中期から20世紀初頭のイギリスではじまった。キャドバリー社が、2代目社長の時代に、美しい絵のついた贈答用のチョコレートボックスを発売した。キャドバリーは特にバレンタイン専用にこの商品を開発したわけではなかったが、このチョコレートボックスがバレンタインデーの恋人への贈り物に多く使われるようになり、後に他の地域にこの風習が伝わっていった。なお、英語では固形チョコレートはキャンディーの一種として扱われることもあるので、この製品のことを「キャンディボックス」と表記している文献もある。
[編集] 日本
女性が男性にチョコレートを贈る習慣は日本で始まったもので、欧米ではみられないといわれるが、英語版wikipediaに「バラ、チョコレート、宝石などの贈り物」という表記があり、外国でもチョコレートを贈るのはごく普通である。ただ日本のようにチョコレート一色という状況はない。最も「甘く、スウィート」ということで、この菓子が選ばれたとされる。
日本でのバレンタインデーとチョコレートとの歴史は、神戸モロゾフ洋菓子店が1936年2月12日に、国内英字雑誌に「バレンタインチョコレート」の広告を出し、1958年2月に伊勢丹新宿本店で㈱メリーチョコレートカムパニーが「バレンタインセール」というキャンペーンを行った。ただどちらにしても、あまり売れなかったようである。伊勢丹でのセールでは、1年目は3日間で板チョコが3枚、カードを含め170円しか売れなかったとの記録がある。
現在ではチョコレートの年間消費量の4分の1がこの日に消費されると言われるほどの国民的行事となっている。当初は女性が男性にチョコレートを贈ると同時に愛の告白をする日とされていたが、現在では既に交際中の恋人や、結婚している夫妻の間でも行われるようになり、さらには女性社員が上司などにチョコレートを贈る「義理チョコ」という習慣も生まれている。最近では女性が職場の上司・同僚・先輩・同級生など、日ごろから頻繁に顔を合わせる男性にチョコレートを贈る習慣も一般化してきており、特別な恋愛感情を伴うことなくチョコレートを贈る場合が多くなった。女性が女性へチョコレートを贈る「友チョコ」という習慣も生まれている。
[編集] 大韓民国・台湾
大韓民国や台湾などのバレンタインデーでは、日本のようにチョコレート一色ということはないが、日本の影響で、よく贈られるものの一つにチョコレートは挙げられる。しかし、台湾では男性が送り手である場合が多い。 台湾には、8月の旧暦7月7日にあたる日にも七夕という「中国のバレンタインデー」と似た行事が行われる。
[編集] バレンタインデーから派生した文化
[編集] 日本
日本では、1か月後の3月14日をホワイトデーと呼び、この日に主に男性から女性へ返礼のプレゼントをする習慣が生まれている。代表的な贈り物はクッキー・マシュマロ・飴であるが、バレンタインデーでのチョコレートほど画一的ではない。また近年では、4月14日をオレンジデーと呼び、恋人同士(男性女性とも)でオレンジを贈りあい、愛情の確認をする習慣も生み出されているが、まだあまり一般的ではない。
[編集] 大韓民国・台湾
台湾では、ホワイトデーでもやはり男性からプレゼントがある。韓国ではホワイトデーは日本と同様であるが、近年若者の間では4月14日にはここまで何ももらえなかった人が寂しくチャジャン麺を食べるブラックデーがある。そのため、中華料理店はこの時期になると、大々的に宣伝をする。といった具合に毎月14日に何かの日を設定したものが流行している。
[編集] バレンタインデーの歴史
バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼる。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だった。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神でもある。翌2月15日は、豊年を祈願する(清めの祭りでもある)ルペルカリア祭の始まる日であった。当時若い男たちと娘たちは生活が別だった。祭りの前日、娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れることになっていた。翌日、男たちは桶から札を1枚ひいた。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていた。そして多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚した。
ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した。キリスト教司祭だった聖バレンタインは秘密に兵士を結婚させたが、捕らえられ、処刑された。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれた。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたのである。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった。
この逸話には若干つけたしが必要である。初期のローマ教会は、当時の祭事から異教の要素を排除しようと努力した跡がみられる。ルペルカリア祭は排除すべきだが、ただ禁止しても反発を招くだけである。教会がとった方法は、この祭りに何かキリスト教に由来する理由をつけることだった。そこで兵士の結婚のために殉教したバレンタイン司教の助けを借りることにしたと考えられる。こうしてキリスト教以前からあったルペルカリア祭は、バレンタイン由来の祭りであると解釈を変更され、祭りはその後も続いた。
聖バレンタインに関する伝説は複数あり、没年が異なっていたり、細部が異なっていたりするものが複数伝えられている。
[編集] バレンタインデーの起源に関する都市伝説
日本に進駐していた米陸軍のバレンタイン少佐が1946年2月14日、子供たちにチョコレートを配ったことから2月14日をバレンタインデーと呼ぶようになったという説があるが、実際にはそのような事実はなく、一種の都市伝説といえる。なおこの説はマンガ「究極超人あ~る」(ゆうきまさみ)にて (ジョークとして表現されているが) まことしやかに語られたのが元ネタと思われる。
[編集] 「チョコレート受け渡しの習慣」の意識調査
2006年2月にインターネットで情報提供を手掛けるアイブリッジ社が実施したバレンタインデーに関する独身男女(20代~30代)に対するアンケートによれば、回答した300人のうち「チョコレート受け渡しの習慣なんかなくなればいい」という回答がOLで70%、同じく男性社員は50%であった。
一方、同じく2006年2月に東証一部上場の調査会社である株式会社マクロミル社によって行なわれ、全国の10代~30代の1,030名の女性から回答を得た「バレンタインデーに関する調査」では、「日頃の感謝の気持ちを表す機会」が69%、次いで「コミュニケーションの円滑化」(49%)、「楽しい年中行事」(32%)という回答結果であった。反対に「義務的なイベント」と回答した人は23%に留まっており、義理チョコに対してポジティブなイメージを持っている人が多い、という結果となった[1]。
[編集] 関連項目
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