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スティーブ・ジョブズ - Wikipedia

スティーブ・ジョブズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

スティーブ・ジョブズ (Macworld Conference & Expo/San Francisco 2005)
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スティーブ・ジョブズ (Macworld Conference & Expo/San Francisco 2005)

スティーブ・ジョブズSteven Paul Jobs, 1955年2月24日 - ) はアメリカの企業家。スティーブ・ウォズニアックマイク・マークラらと共に、商用パーソナルコンピュータで世界で初めて成功を収めたApple Computer Inc.の共同設立者の一人。また、そのカリスマ性の高さから、発言や行動が常に注目を集め続ける人物である。

ファーストネームをスティーブン、ファミリーネームをジョブスとして表記されることもあるが、アップル日本法人公式サイトではスティーブ・ジョブズと表記している[1]

目次

[編集] 略歴

スティーブ・ウォズニアックと共に「Apple I」を開発・販売し、Apple社設立後には「Apple II」を発表。株式公開後には2億ドルもの巨額を手中にし、20代でフォーブスの長者番付に載った数少ない人物だった事から世間から注目が集まる。その後、ゼロックスAltoで使われるグラフィカルなユーザインターフェースやマウス等のデバイスにインスピレーションを受け、それまで反対していたジェフ・ラスキンらのプロジェクトに加わり、新たなコンピューター像を創造する。発表された「Macintosh」は当時のIBM製パソコンを凌駕する洗練された物で、再び時の人となる。しかし、本人の立ち居振舞いの為に役員達から職を解任される。後にNeXTコンピューターを設立し、1996年業績不振に陥っていたApple社にNeXTを売却する事で復帰、1997年には暫定CEOとなる。その後ライバルとされていたMicrosoftとの資本連携、iMaciPodの発売などによりApple社の業績を回復させた。2000年正式にCEOに就任、プレゼンテーションの素晴らしさ、ライバル企業の経営者をも惹き付ける人間的魅力で知られる。暫定CEOに就任して以来、成功報酬を除いて基本給与を年1ドルしか受け取っていないことで有名であり、このため「世界で最も給与の安いCEO」とも呼ばれている。(但し、賞与として、現金換算すれば莫大な額となる自社株ストックオプション、自家用飛行機などを受け取っている)また、2006年ピクサーディズニーが買収したことにより、ディズニーの筆頭株主となり、また同社の役員に就任している。

[編集] 経歴

[編集] 幼少期

1955年、シリア人の父親で政治学者のアブダルファン・ジャンダリとアメリカ人の大学院生ジョアン・シンプソンの間に生まれる。誕生以前から養子に出すことに決められていたため、ポール・ジョブズ、クラリス・ジョブズ夫婦に引き取られることになった。ところが、ジョアン・シンプソンはジョブズ夫婦が大学卒でないことを知り、養子縁組を躊躇したが、ジョブズ夫婦が彼を大学に進学させることを約束して縁組が成立した。ジョブズが実の母と再会するのは、彼が30歳を過ぎた頃である。作家のモナ・シンプソンは彼にとって異父の妹になる。

[編集] 青年期

 ジョブズは10才の頃BASICをマスターし、コンピュータに興味を持つようになったと言われている。 しかし、この話の出典は不明であり、BASICは1964年つまりジョブズが9~10歳の時にダートマス大学で汎用コンピュータ用に開発された言語で、当時パソコンはなかったことから、この話は間違いであると判断できる。 たぶん、事実とすれば次のようなものだろう。

  1. 雑誌か何かで読んだ事実が誇大に伝わった。
  2. マスター(触っただけかもしれない)した時期が間違って伝わった。※汎用コンピュータの端末に触れる環境か、ビル・ゲイツポール・アレンが8ビットパソコン用BASICを開発した1975年を待つ必要がある。 

高校生だった1971年、ヒューレット・パッカードの夏季インターンシップで働いていた時に、スティーブ・ウォズニアックと出合う。容姿も性格も正反対の二人であったが、すぐに意気投合した。ある時、ウォズの母親から貰った「エスクティア」という雑誌の1971年10月号に掲載されていた ブルー・ボックス と呼ばれる装置を使って無料で長距離電話をかけるというフリーキング(不正行為)の記事を読んだ二人はスタンフォード大学の図書館に入り込み、AT&Tベル社)の技術資料を見つけ出して、自分たちでオリジナルのブルー・ボックスを作り上げた。二人は、この装置で長距離電話をかけまくったという。ウォズはこの装置を作ったことで満足したが、ジョブズは当時ウォズの通っていたカリフォルニア大学バークレー校の寮で、1台100ドルから150ドルで売りさばいていた。装置自体は一台40ドル程度で、大いに儲かったようだが、そのうち銃で脅されるような状態になり、身の危険すら感じたジョブズは一切の販売を辞めてしまう。その後1972年オレゴン州のリード大学へ進学した。ジョブズは大学に半年間通ったが中退してしまう。1年間コーラの瓶を売って食費を稼ぎ、リード大学のキャンパスを放浪して哲学やカリグラフィ(西洋書道)の教室に通っていた。

[編集] アタリとの関わり

ジョブズは1974年初め、アタリ 40人目の社員でテクニシャン(下級エンジニア)として採用され、技術部長であるアル・アルコーンの下で働いた。長髪で風呂に入らずビルケンシュトックサンダル(または裸足)でうろつく不潔な姿のため社内で嫌われたが、アタリのトップであるノーラン・ブッシュネルは気に入って採用したという。ジョブズはドイツまでゲームの修理に行く傍ら、友人ダン・コトケと共にインドに数ヶ月間も放浪の旅をし、坊主姿でカリフォルニアに帰ってきた。

その後ブッシュネルから直々にブロック崩しゲーム、「ブレイクアウト」の回路の部品減らしを命じられ「減らせば報酬が出る」と言われたが、ジョブズは自身では出来ないことをすぐ認識した。そこで助けを求めたのがスティーブ・ウォズニアックであった。ジョブズは部外者のウォズニアックを毎晩こっそり社内に招き入れ、ゲームや勝手に基板を改造して遊んでいた傍ら作業を頼んだのだった。 ウォズニアックは4日間の徹夜の末、ブレイクアウトの部品を20~30個も減らしたが、余りに窮屈で難解な設計はウォズニアック自身にしか理解出来なかったため、ジョブズは会社からやり直しを命じられる。その場で取りつくろおうとしたが当然できず、結局はまたしてもウォズニアックに泣きつくことになった。そしてウォズニアックは、多少部品は増えたものの誰もがわかる程度に設計の変更を行った。

ジョブズは報酬の山分けをウォズニアックに提案、アタリから受け取った「700ドル」のうち350ドルを小切手でウォズに渡したが、実際には5000ドルを受け取っており、差額はオレゴン州の共同農場につぎ込んでいた。1984年頃ウォズニアックはアルコーンに偶然出合った際、ジョブズによる報酬搾取の事実を知り、ジョブズとウォズニアックとの間にはしばらく確執があった。ともあれウォズニアックは、後述のAppleIやIIを設計する際「ブレイクアウト」の部品減らしが、大変役に立つ勉強だったと語っている。なおアルコーンはアタリを退職後、アップルコンピュータにも勤めていた時期がある。

[編集] Apple I

詳細はアップルコンピュータを参照

1975年、Altair8080というコンピュータ・キットが発売され人気を博していた。ウォズは、MOSテクノロジー社の6502ならより安く、しかも簡易な回路のコンピュータを作る事ができると考え、10月から半年間かけて設計。ホームブリュー・コンピュータ・クラブでデモを行い賞賛された。ウォズはヒューレット・パッカードで働いていた事から、「自身の開発した物は上司に見せなければいけない」として、ジョブズの反対を押し切りヒューレットに商品化を持ちかける。しかし当時のヒューレットは、個人でコンピューターを持つ意味が理解出来なかった為にウォズを軽くあしらってしまう。アタリのアルコーンもほぼ同様の反応で、二人は資金を集め、自分たちでこのコンピューターを売り出すことを決意する。ジョブズはワーゲンバスを、ウォズはヒューレット・パッカードのプログラミング電卓を250ドルで売り払い、資金を集めた。そして、製造したコンピュータをアップルと名付け、1976年6月Apple Iは666.66ドルの価格で販売が始められた。アップルのネーミングは「コンピューターらしくなく誰もが覚え易い」「リンゴ農場で働いた事もあるから」そして「辞書で引く時、APPLEの方がATARIより前に来るから」だと言う。

[編集] アップルコンピュータ設立

ジョブズは約8000ドルの利益を手に、多忙で商談出来なかったブッシュネルの紹介で出会ったマイク・マークラに起業の話を持ちかける。マークラはインテルの中級社員だったが、目先の現金が欲しい同僚や友人からストックオプションの株をコツコツと買い集め、インテルの株式公開時には巨額の富を手に入れていた。そして紹介されたジョブズらの話に興味を持った彼は1976年11月にアップルに加わり、自身の個人資産の92,000ドルを投資し1977年1月3日、3人はアップルコンピュータを法人化した。株式はジョブズ、ウォズ、マークラで3割ずつ持ち合う事となった。

1977年5月、ナショナル・セミコンダクターから引き抜いたマイク・スコットが4番目の社員となる。ウォズは、アップルに注力するためにヒューレット・パッカードを退社し、Apple Iの再設計を開始した。処理能力向上とディスプレー表示のカラー化、拡張スロット、内蔵キーボード、データ記録用カセットレコーダをもつApple IIをほとんど独力で開発。1977年6月5日、1,298ドルで発売されたApple II は爆発的人気を呼び、1980年には10万台、1984年には200万台を超える売り上げで莫大な利益をアップルにもたらした。1980年アップルはIPO(株式公開)を果たし、750万株を持っていたジョブズは2億ドルを超える資産を手にした。

[編集] リサとマッキントッシュ

1981年、IBMIBM-PCを発売し、パーソナルコンピュータ市場へ参入した。次第にApple IIはシェアを奪われてゆき、新しい製品が待望されるようになった。1978年、Apple IIを打ち破る次世代パーソナルコンピュータとして、Lisa(リサ)・プロジェクトが立ち上げられた。リサという名前はジョブズが当時付き合っていた女性との間にできた子供の名前(後に実子として認知)から付けたと噂された。

1979年、XEROX社のパロアルト研究所を見学し、ビットマップディスプレイとマウスを前提とする「Alto」でGUIを実現した「暫定Dynabook環境」(開発者のアラン・ケイらは、SmalltalkをOSとして動作するAltoをこう呼称した)のデモに大きな衝撃を受けたジョブズは、開発中のLisaにこれと同じ機能を持たせる事を考え、自らプロジェクトを率いて行く事となった。1979年アップルに入社したジェフ・ラスキンは、Apple IIが一般の人々には複雑すぎると考えていた一人だった。彼はサンディエゴ校での教え子であったビル・アトキンソンを雇い、Apple IIのメンテナンス担当だったビュレル・スミスなど数人で1979年、マッキントッシュプロジェクトを開始する。このマッキントッシュは誰にでも簡単に扱える、ノート代わりのコンピューターを目指していた。

一方ジョブズは、会社内での独断専行の立ち居振舞いから、社長のスコットによってリサ・プロジェクトのメンバーから外されてしまう。行き場が無くなったジョブズは1981年、突如としてマッキントッシュプロジェクトに参画を宣言する。殴り込みを掛けるかのような突然の展開ではあったが、数人で動いていたマッキントッシュプロジェクトはジョブズを迎え入れた。そしてハード担当がジョブズ、ソフト担当がラスキンとなり、取締役だったジョブズの働きで予算も開発メンバーも増え、同時にリサプロジェクトからも次々とスタッフの引き抜きを行った。しかしリサを上回るものにしようとするジョブズが、ソフト(OS)に関しても口を出し始めたためにラスキンと対立してしまう。ことごとく対立を繰り返した挙げ句、ラスキンは役員に対して「ジョブズの首を取るか、自分を新たな場に移すか」と直談判するが、最終的に役員サイドは、マッキントッシュプロジェクトにジョブズを押し込めておく方が会社にとって悪影響が少ないと考え、ジョブズの考えを優先してしまう。そして1982年3月、ラスキンはアップルを去っていった。

ジョブズはマッキントッシュにはシンプルな美しさが必要だと考え、基板パターンが美しくないという理由で設計案を幾度となく却下した。また、同じく美しくないという理由で拡張スロットの採用を拒否したり、みすぼらしいフロッピードライブのイジェクトボタンをなくさせる(ソフト的に排出させる)事も行わせた。筐体は机上の電話の横に置かれる電話帳程の大きさが理想だとし、30cm四方のサイズに収まる様に提案。ドイツのフロッグデザインにデザインを行わせる等、手間を惜しまなかったがゆえに開発は難航し、マッキントッシュがデビューしたのは1984年1月の事だった。

[編集] アップルコンピュータ解任とNeXT社設立

ジョブズとの対立が悪化していたスコットが1981年、マークラによって解雇されてしまう。ジョブズはスコットの後任としてマーケティングに優れた人物を連れてくる必要に迫られ、ペプシコーラの事業担当社長をしていたジョン・スカリーに白羽の矢を立て引き抜き工作を行った。この時、スカリーを口説くために「このまま一生、砂糖水を売りつづけるのか、それとも世界を変えたいとは思わないのか。」(Do you want to sell sugar water for the rest of your life, or do you want to change the world?)と言ったのだった。そして熱烈なジョブズのラブコールもあり、1983年ジョン・スカリーがアップルの社長の座に就いた。当時はジョブズとスカリーは強力なパートナーシップの為にDynamic Duoを呼ばれアップルの経営を押し進めた。

1984年後半、ジョブズはマッキントッシュの需要予測を大幅に誤り、アップルはマッキントッシュの過剰在庫に悩まされた挙げ句に初めての赤字を計上してしまう。そしてアップルは、従業員の1/5にあたる人数のレイオフ(人員削減)を余儀なくされた。アップルの経営を混乱させているのはジョブズだと考えるようになったスカリーは、マッキントッシュ部門からジョブズを解任する事を取締役会に要求する。それを察知したジョブズは、スカリーの中国出張中にアップルからの追放を画策するが、アップル・フランスで功績を上げていたジャン=ルイ・ガセーの密告により、スカリーはジョブズが自分をアップルから追い出そうとしている事を知る事となる。その後、スカリーは1985年5月24日の取締役会でジョブズの画策を問いただし、結果的に彼はアップルでの(会長職以外の)すべての仕事を剥奪される。

アップルでの仕事が無くなったジョブズは、会長職のみに留まり、新たなプロジェクトすら立ち上げれない状況に留まる事に絶望してしまう。そしてジョブズは、理想のコンピュータ像を求めて大学を歩いて回った際に、スタンフォード大学ノーベル賞受賞者の生物学者ポール・バーグと昼食を取る事となったが、その時にDNA組替え実験の難しさの話題が上った。ジョブズはバーグへコンピュータでのシミュレーションを提案し、同時に、高等教育のためのコンピュータという構想を膨らませた。同年9月12日、その構想を実現すべく、ジョブズは新しい会社NeXTを立ち上げるために正式にスカリー宛てに辞表を送付した。また、決算報告を受け取るための1株だけを除いて、当時所有していたアップルの株、約650万株をすべて売却した。

当初ジョブズは700万ドルをNeXTに投資し、1987年までには新しい製品が投入できるともくろんでいたが、実際にNeXTの製品(NeXTcube)を発表できたのは1988年秋で、最終版の出荷は1989年になってのことだった。ジョブズはそれでも「5年は先取りしている」と語った(実質的にMac OS Xの15年以上の先取り)が、NeXTのロゴデザイン(w:Paul Randに依頼)に10万ドルを投じたり、OS(NEXTSTEP)の凝った仕様を開発するべく時間が膨大にかかり、NeXT cubeの筐体デザインをフロッグデザインに依頼する等,NeXTはこの間あっという間に資金を食いつぶしていく。1987年にはフォードで成功していたロス・ペローから2000万ドルの出資を、キヤノンから1989年に1億ドルの出資を引き出した。 発表当初からNeXTの評価は高かったが、ジョブズが強硬に主張した、フロッピードライブの代りにキヤノン製で独自の光磁気ドライブ(5インチMOドライブ)を採用したことや、加工の難しいマグネシウム合金の筐体を使う事等によって生産コストが高く付き、またモトローラからのCPU(MC68030)供給が遅れるなどにより思うように販売が伸びなかった。1992年にはサン・マイクロシステムズ等のワークステーション並に高価な価格だった事と、(当時は)その他のハードウェアと直接的に接続する事が出来ない等の理由でハードウェアの販売が伸び悩んでいた居た事も有り、IBM互換機で動作するNEXTSTEPのPCバージョンを発表する。1993年2月10日には全社員530人のうち280人をレイオフし、ハードウェア部門をキヤノンに売却(FirePowerSystems設立)してソフトウェア会社(社名もNeXTソフトウェアへと変更される)と転じることとなる。 NeXT cubeは開発と運用のしやすさから世界初のウェブサーバーとして用いられたという大きな功績も残している。またWebObjectsは世界初のウェブアプリケーションサーバ開発運用環境となった。NEXTSTEPとその開発機能は、ウェブサーバー等を比較的簡単に開発構築・運用出来る利便さを兼ね備えてものであり、今日のMac OS Xにも脈々と受け継がれている。

[編集] ピクサー

NeXT社の仕事の一方で、ジョブズは1986年2月7日にルーカスフィルムのコンピュータ関連部門を1000万ドルで買収しCEOの座についた。ピクサーの主要商品は、レンダーマンというSGIIRIX上で動くレンダリングソフトであり、約10万本のセールスを記録し『ジュラシックパーク』のCG製作でも使われた。ジョブズは、ピクサーに対してあまり口出ししなかったが、手っ取り早く利益があげられるコンテンツ作成をピクサー社のメンバーに提案した。

1991年、ピクサーはディズニーにCGアニメーション映画作成の売込みを行い、同年3月3日に3本の劇場用作品の契約を結んだ。この結果、4年の歳月と、70台のSGIワークステーション、117台のSUNワークステーションを使った全編コンピュータ・グラフィックスのアニメ映画『トイ・ストーリー』が1995年11月22日に封切られた。公開までの4年間、ジョブズはピクサーに5000万ドルを投資しており、こんなに金がかかるとは思っていなかったことを告白している。しかし、トイ・ストーリー公開直後にピクサーは株式を上場、またもジョブズは多額の資産を手に入れることになった。

2006年5月5日、ディズニーはピクサーを買収し、同社はディズニーの完全子会社となった。またジョブズ自身もディズニーの筆頭株主になると同時にディズニーの役員に就任した。

[編集] 結婚

ジョブズは1991年、スタンフォード大学MBAで学んでいた9歳下のローレン・パウエルと結婚した。3月8日に、ヨセミテ国立公園のホテルで挙式を行った。同年の9月に息子のリードが生まれた。リードはジョブズの学んだ大学名から名付けられた物である。後に、かつては会う事も拒否していたリサを認知し、ジョブズ家の子供として迎え入れたのだった。

[編集] アップルコンピュータ復帰

NeXTはソフト事業に特化した後、世界初のウェブアプリケーション開発・運用環境であるWebObjectsを出荷、NEXTSTEPも自社内開発を行う金融機関などに受け入れられ、まずまず安定した経営をしていた。しかし、ゴールドマン・サックスを頼って株式公開を目指すなどをしていたが失敗に終わっている。

1995年末、経営の傾いたアップル、ジョブズの友人でオラクル創業者のラリー・エリソンとジョブズが共同でアップル買収を画策する。エリソンは、Windowsを打倒すべく、シン・クライアント環境のNC(ネットワークコンピューティング)を提唱しており、ジョブズと共にこれをアップルによって実現しようと考えていた。しかしこの考えはジョブズと合わず、最終的には買収提案がなされる前に話自体が流れてしまった。

ジョブズは1996年の11月ごろ、アップルが自社内でのOS開発が暗礁に乗り上げ、結果的に次期OSの基本技術を外部に求めている話を聞き、NEXTSTEPを売り込むべく、当時アップルのCEOだったギル・アメリオに電話をかけた。12月上旬に入ってから、1985年退社して以来、久しぶりにアップルを訪れ、アメリオやマークラ達と話し合いを持ち、簡単なプレゼンテーションを行った。アメリオは後に、このジョブズの対応や愛想を非常に良い、好感の持てるものだったと言い表している。アメリオは社外のOSを買い受ける際に、Be社BeOSサン・マイクロシステムズ社のSolaris(ソラリス)、マイクロソフト社のWindows NT、そしてNEXTSTEPの4つを挙げていた。元々アメリオは、ワークステーションやサーバーで用いられ、堅実に動作するUNIXの中でも特にカーネギーメロン大学で開発されたMachに目を奪われていた。そしてそのMachについて調べて行くうちに行き着いたのがNEXTSTEPであった。実際の動作もさる事ながら、特にWebObjectsの出来に感動し、ジョブズからの売り込みが無くても交渉は行うつもりで居たのだった。

そしてジョブズ同様に話を聞きつけていたBeのジャン=ルイ・ガセーも、アメリオに対してコンタクトを取った。そして、ジョブズ同様にアップルで簡単なデモを行う。アメリオはBeOSの良さ(軽く動作し、扱い易い)を認識していたが、Be設立から数年経ったにもかかわらず一向に製品版OSが発表されない事と、その開発の遅さによって様々な問題(買い取った上で、製品として発表するまでに膨大な時間と労力が使われる)を引き起こす事も悩ませていた。そして何よりもの引き金は、ガセーが法外とも言える金額を吹っかけて来た事であった。

その時点でアメリオの腹は決まっていたのだが、ガセー率いるBeOSと、ジョブズのNEXTSTEPを比較するプレゼンテーションが行われた。ジョブズはNEXTSTEPの良い面も悪い面も全てさらけ出し、自分の不得意な分野は同行させたエンジニアと二人で進行させ、完璧なプレゼンテーションを終えた。時間をずらして行われたBe(ガセー)のプレゼンテーションは午後から行われたが、なんとガセーは一人でアップルにやって来たのだった。既に「Beに決まった」と確信していたガセーは、「(プレゼンテーションは既に行っているので)BeOSは以前にご覧頂いた通りです」と発言してしまう。

この発言と以前の金額交渉の結果から、同年12月20日、アップルがNeXT社を4億ドルで買収する事に合意する。そして、次期OSの基盤技術としてNEXTSTEPを採用する事になったとも発表した。当のジョブズはアップルに非常勤顧問という形で復帰した。この際、アメリオからプレゼントされたアップル20周年記念マッキントッシュ(Spartacus)を窓から投げ捨てたという噂があったが真偽は定かではない。

1997年2月、正式にNeXT買収が完了した。アップルに復帰する際、買収代金の一部として6ヶ月先まで売却できないとの条件で150万株の株式を譲渡されていたが、アップルの復活を半ば諦めていた事も有り、期日が来るなり、またしても1株を残して即座に売却してしまう。

そしてそんな最中、ジョブズは自身がCEOに返り咲くべく社内で隠密に行動を開始し、アメリオを追い出す為の画策を講じる。「アメリオは未だにアップルの業績を向上させられない」として全ての役員を味方につけ、彼をCEOから引きずり下ろす事に成功する。7月にアメリオが退社すると経営陣はジョブズにCEO就任を要請したが、彼は多忙を理由にこれを断った。ジョブズはアップルの士気をあげるため従業員のストックオプションの引き下げを役員に株主提案をしたが、役員のほぼ全員がこれを否定すると、ジョブズは(当時は)筆頭株主であった立場を利用し、役員たちに辞任を迫る。結局、マイク・マークラを含む経営陣はほとんどが辞任し、その後任としてエリソンや、ジョブズの縁のある人物が就任したのだった。

8月にボストンで開催されたマックワールドエキスポでは、議決権の無い株式譲渡と技術提携(特許裁判をしない為の条件)という名目を条件にマイクロソフトから1億5000万ドルの資金提供と、マック版のマイクロソフトオフィス(オフィス)とインターネットエクスプローラの提供を受けることを柱とした業務提携を発表する。最大のライバルとされたビル・ゲイツがエキスポのゲストとしてスクリーンに登場すると、何も知らなかった観客はブーイングする者も多く複雑な心境でその様子を見つめていた。しかしこの提携が一定の役割を果たしたのは事実で、その後もPDAニュートン事業の清算(売却)や、iMacの投入、NeXTとAppleの技術を上手く融合させたMac OS Xの開発、そしてアップル社内のレイオフを進め、アップルの再建を成功させた。

2000年には、それまで拒否していたCEO就任を正式に受諾。Mac OS Xの改良を進める一方、iTunesiPodによって音楽事業に参入、音楽事業をパソコンと並ぶアップルの事業の柱にした。

2004年、膵臓ガンと診断されたが、幸いにも治療可能なガンの種類であった。ごく親しい人以外には秘密にして同年の8月に摘出手術を受けた。療養後、仕事に復帰した。

スタンフォード大学の卒業式でスピーチするジョブズ
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スタンフォード大学の卒業式でスピーチするジョブズ

2005年、スタンフォード大学の卒業式に招かれ、そのスピーチは多くの共感を持って迎えられた。

[編集] ジョブズに対する評価

  • ジェイ・エリオット

    「ジョブズには1000マイル先の水平線が見えていた。しかし彼にはそこに到達するまでに通らなければならない道の詳細は見えていなかった。それが彼の天才性であり落ち度でもあった。」

  • ジェフ・ラスキン

    「他人の脳みそを盗むのはジョブズにとって普通のやり方さ。まず人のアイデアを鼻であしらっておいて、その1週間後には、素晴らしいアイデアを思いついたなんていいながら戻ってくる。そのアイデアというのは、もちろん1週間前に誰かがジョブズに話したアイデアなんだ。我々はジョブズのことを現実歪曲空間と呼んでいたのさ。」

  • ジョン・スカリー

    「スティーブはまさに刺激的な存在だ。放漫で、暴虐で、激しく、無い物ねだりの完全主義者だ。彼はまた、未成熟で、かよわく、感じやすく、傷つきやすくもある。そして精力的で、構想力があり、カリスマ的で、さらにおおむねは強情で、譲らず、まったく我慢のならない男だ。」

[編集] 人物像

アップル復帰当時は、上記のような解任前後のジョブズに対する人物評から、完璧主義による強引な経営を懸念する者もいた。しかし、復帰後は対立しているとされていた競合他社とも提携するなどし、ライバル企業の経営者をさえも惹き付ける人間性で知られている。(オラクルのラリー・エリソン等は彼の友人である) 物事を切り離して捉える合理的な考え方を持っており「ソニーHDVカメラは優秀で、高価だが一家に一台必要だ」と言う一方で、「iPodに劣る」としてウォークマンを批判するといった姿勢を示すこともある。

また、アップルコンピュータ社の暫定CEOに就任して以来、当時赤字続きだったアップルのために自分はピクサー社の収入があるとし、一貫して給与は毎年1ドルしか受け取っていないことは有名である(しかし、慢性的赤字から経営を回復させた功績により、高額の成功報酬及びストックオプションがアップル社から与えられている。この1ドルという額は居住地の州法により、社会保障を受けるために給与証明が必要なことによる)。実際、2004年にはストックオプションのほかの成功報酬はなく、本当に1ドルしか受け取っていない。

日本嫌いだともいわれている。壮年期に日米貿易摩擦を目の当たりにした彼の世代では、それほど珍しいことではない。NeXTが苦戦している時期に似たようなコンセプトを持って登場したFM TOWNSがそれなりの成功を収めた(そしてマイクロソフトがそれを当初支持していた)ことも遠因と言われている。日本にも彼の熱狂的ファンが多い反面、日本では支持されたPowerBook2400を講演で失敗と片付け(世界的な売り上げからみれば実際に明らかな失敗であったが)、顰蹙を買ったこともある。日本人の事を「海岸を埋めつくす死んだ魚」と表現した事もある。

腹心の部下であるバッド・トリブルが使い始めたという現実歪曲空間(w: Reality Distortion Field)は、たとえ彼をよく知る人間がそれに備えていたとしても抵抗できないといわれている。Macintoshの開発時、ジョブズの引き留めに逆らって会社を辞める方法として「ジョブズのオフィスで立ち小便をする」という無力化案が考案されたほどである。

食生活ではヴェジタリアンの立場をとり、食事には強いこだわりを持つという。アップルに復帰後、社員食堂を自社運営に切り替えて、ジョブズ自身がスカウトしたシェフが腕を振るっている。日本食を好み、特に蕎麦が好物。アップル本社の食堂Mac Cafeにはジョブズが考案したという「刺身ソバ」なるメニューがある。

[編集] 参考文献

  • 『Apple Design』- Paul Kunkel,1997
  • 『Apple Confidential 2.0』- Owen W. Linzmayer,2004
  • 『Apple Confidential』- Owen W. Linzmayer,1999(邦訳あり)
  • 『アップル<薄氷の500日>』- ギル・アメリオ
  • 『スティーブ・ジョブズ<パーソナルコンピューターを創った男>』- ジェフリー・S・ヤング
  • 『スティーブ・ジョブズの道<SteveJobs & TheNeXT BigThings>』- ランドール・ストルス
  • 『 バ トル・オブ・シリコンバレー』ワーナーホームビデオ
Apple CEO
第6代: 1997 -
先代:
ギル・アメリオ
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