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ジャンヌ・ダルク - Wikipedia

ジャンヌ・ダルク

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

Disambiguationこの項目では15世紀のフランスの国民的英雄について説明しています。リュック・ベッソン監督による映画についてはジャンヌ・ダルク (映画)を、日本のロックバンドについてはJanne Da Arcを、日本のシミュレーションRPGについてはJeanne d'Arc (ゲーム)をご覧ください。
旗印を持つジャンヌ・ダルク 1450年から1500年の間に描かれた細密画 元々は詩集の写本の飾り絵であったと考えられている パリ国立古文書館蔵
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旗印を持つジャンヌ・ダルク 1450年から1500年の間に描かれた細密画 元々は詩集の写本の飾り絵であったと考えられている パリ国立古文書館蔵

ジャンヌ・ダルク(仏:Jehanne DarcJeanne d'Arc , 英:Joan of Arc, ユリウス暦 1412年1月6日 - 1431年5月30日)は、「オルレアンの乙女」とも呼ばれ、フランスの国民的英雄であり、カトリック教会聖女百年戦争の際にオルレアン解放に貢献し、シャルル7世ランスで戴冠させ、フランスの勝利に寄与したとされる。コンピエーニュの戦いで捕虜となり、宗教裁判異端者と断罪され、ルーアン火刑になった。

目次

[編集] 時代背景

ジャンヌ・ダルク自筆の署名。彼女は不識字だったという。この署名は「n」が「m」に誤って書かれている。1430年3月28日付ランス住民宛書簡 マレーシー家蔵
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ジャンヌ・ダルク自筆の署名。彼女は不識字だったという。この署名は「n」が「m」に誤って書かれている。1430年3月28日付ランス住民宛書簡 マレーシー家蔵

ジャンヌ・ダルク(Jehanne Darc, Jeanne d'Arc という綴りは後世に変化したもの)は、後の復権裁判でのある証言によると、1412年1月6日にフランスのロレーヌ地方にあるドンレミ(ドムレミー)村の農家である父ジャック・ダルクと母イザベル・ロメとの間に生まれた。ジャンヌにはジャックマン、ピエール、ジャンという3人の兄とカトリーヌという妹がいた。村の教会はランスの守護聖人である聖レミギウスに献じられていた。聖カトリーヌの彫像もあった。

その頃フランス北部(ノルマンディー)は、ブルゴーニュ派と連合したイングランドに占領されていた。フランスには1422年シャルル6世が亡くなって以来、国王が不在だった。

シャルル6世は跡継ぎとして王太子シャルル(後のシャルル7世)を残したが、フランスの王位はイングランドのまだ幼いヘンリー6世に相続された。これは、百年戦争、およびアジャンクールの戦いで生じた血で血を洗う攻防戦を終了しようと、1420年にシャルル6世およびイングランドのヘンリー5世によって署名されたトロア条約の結果だった。

条約の文言には「ヘンリーは、シャルル6世の娘キャサリンと結婚し、シャルル6世の死に際して、王位は彼らの子に継承され、2つの王国を統合する」とあり、これは実質的に、王位継承のラインからフランス王太子を外す事を意味し、多くのフランス貴族によって反対された。

とはいえ、ヘンリー6世は幼いため、フランスのランスでフランス王としての正式な戴冠式を行えなかった。実はここに、追い詰められたシャルル7世側の形勢逆転の可能性も存在していたのである。

ちなみに、この百年戦争末期の時代を、今の時代の感覚で「イギリスVSフランスの国家間の戦争が行われていた」等とみなしてはいけない。まだ、明確な国民国家は形成されていない。そもそも「国民国家」「民族」などの概念は近代の産物である。この当時、イングランドの王統は元はフランス貴族の系統であり、女系ではあるがカペー朝の血を引いていた。そのためイングランド宮廷内では専らフランス語が話されていた。また、当時の法学者の間では王位継承については、国王の男系子孫しか認めない説と女系子孫にも認められるという2つの説があり、国々によっても解釈が割れていた。このため、後者の説を採った場合にはイングランドの王ヘンリー6世には、血筋としてもフランス王位継承権があると言う事になっていた(勿論、シャルル7世側は前者の説を採ってヘンリー6世には王位継承権はないと主張していた、詳しくはサリカ法典を参照のこと)。

[編集] 神の啓示と使命

「声」を聞くジャンヌ・ダルク ジュール・バスティアン=ルパージュ画(1879年) ニューヨークメトロポリタン美術館蔵 背後の森の中に大天使ミカエル、聖女カトリーヌ、マルグリットが見える
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「声」を聞くジャンヌ・ダルク ジュール・バスティアン=ルパージュ画(1879年ニューヨークメトロポリタン美術館蔵 背後の森の中に大天使ミカエル、聖女カトリーヌ、マルグリットが見える
1429年5月10日にパリ高等法院書記クレマン・ド・フォーカンベルグが描いた素描 実は公的文書の隅に描かれたいたずら書きであったが、ジャンヌの特徴をよく捉えている。フランス国民議会図書館蔵
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1429年5月10日にパリ高等法院書記クレマン・ド・フォーカンベルグが描いた素描 実は公的文書の隅に描かれたいたずら書きであったが、ジャンヌの特徴をよく捉えている。フランス国民議会図書館蔵
シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク ドミニク・アングル画(1854年) ルーヴル美術館蔵
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シャルル7世の戴冠式のジャンヌ・ダルク ドミニク・アングル画(1854年ルーヴル美術館

ジャンヌは1425年の夏に初めて「声」を聞いた。後の処刑裁判での答弁によると、聖女カトリーヌとマルグリット、そして大天使ミカエルの声であったという。「声」はジャンヌにヴォークルールの守備隊長ロベール・ド・ボードリクールに会い、オルレアンの包囲を解いてフランスを救うよう告げた。ジャンヌは「声」に従い1428年5月にボードリクールの元を訪れたが追い返された。だが1429年2月、ボードリクールはついにジャンヌの願いを聞き届け、6名の護衛の従者と男物の服と馬を与え、シャルル7世のいるシノンへ向かわせた。

およそ600キロメートルの旅だった。ジャンヌの生まれたロレーヌは当時、シャルル7世派の飛び地である。王太子のいるシノンまでは敵地を横断せねばならない。対立するブルゴーニュ派の勢力圏を突破する危険な旅だった。ジャンヌ一行は、わずか11日でシノンまでたどり着く。これほどの旅行を一気に成し遂げたられたのは、6名の護衛の従者の中に、シャルル7世の伝令使がひとりいたからである。彼の道案内なくして600キロメートルの旅などできるはずがない。

到着直前に伝令使は一足先にジャンヌの手紙を持ってシノンに入る。その知らせを聞いたシャルル7世は、いざジャンヌと会う際にちょっとした小芝居をしたと言われている。側近たちの中に紛れて王太子らしくない服装でジャンヌと会見したが、ジャンヌはすぐに本物のシャルル7世を見抜いた。ジャンヌとシャルル7世は幕僚たちから離れ、二人きりで話をすることになった。そしてジャンヌは、シャルル7世に「声」から授かったシャルル7世の正統性を証明する秘密の話をしたと言われている。これは王太子の兆候(シーニュ)に関する話であったと伝えられている。ジャンヌは処刑裁判でこの時の秘密の話についての内容を証言することをかたくなに拒み続けたため、現在ではどのような内容だったのかは不明である。いずれにせよ、シャルル7世はこの話を聞き、ジャンヌを信じることになった。ジャンヌを疑っていた聖職者たちも、ポワティエでの3週間に渡る審理の結果、ジャンヌを認めた。

1429年4月、ジャンヌはロレーヌ川沿いの都市オルレアンに向けて出発した。当時オルレアンはイングランド軍に包囲されていた。ジャンヌはオルレアンの総司令官であった「オルレアンの私生児」ジャン(後のデュノア伯)、オルレアンの隊長「ラ・イール」、ジル・ド・レイペローの『青髭』のモデル)たちとともに、イングランド軍と戦った。ジャンヌは勇猛果敢に突撃したが、左肩に矢を受けた。命に別状はない外傷だったが、不安のあまり泣き出す始末だった。甲冑を身にまとった女騎士とはいえ、戦場で泣きべそをかくあたりは、やはり10代後半の「少女」であった。ジャンヌの話がいまなお感動的なのは、その当時としてはごく普通の農民生活をっていた少女が、使命のために勇気を出して戦場で戦ったところにあるといえる。ジャンヌは人を殺したくないという理由から、旗持ちを好んでいたが、仲間の兵隊たちを鼓舞する役目を堂々と果たし、戦闘においては進んで危険な突撃を敢行した。むろん、乙女ジャンヌの鼓舞により、オルレアンの兵隊たちの士気はいやがうえにもあがる。翌月、イングランド軍は撤退しオルレアンは7ヶ月以上に渡る包囲網から解放された。

その後、ジャンヌはランスにてシャルル7世の戴冠式を挙げることを主張した。ランスはフランク王国メロヴィング朝の王クローヴィス洗礼を受けた町で、歴代のフランス王がこの地で戴冠式を挙げていた。そのため、シャルル7世の正統性を世に知らしめるためには何としてでもランスで戴冠式を挙げる必要があった。だが、ランスまで行くにはイングランド軍を打ち破らねばならなかった。そのため反対する者もいたが、最終的にはジャンヌの提案が受け入れられ、シャルル7世はランスへと向かった。途中にあった都市を次々と傘下に入れ、1429年7月17日にシャルル7世はランスの大聖堂で戴冠式を挙げ、正式なフランス国王となった。

この戴冠式には、本質的には敵対勢力であるはずの、北部フランスのブルゴーニュ派の人々も招かれていた。シャルル7世の顧問官たちは、この時すでに、新たなる外交政策の布石を打ち始めていたのである。あくまでも戦闘と武力によるフランスの解放を主張するアランソン侯ら、ジャンヌの属するタカ派勢力は徐々に邪魔者になりはじめていたといえる。

[編集] 捕縛と裁判

牢の中でウィンチェスター枢機卿に尋問されるジャンヌ・ダルク ポール・ドラローシュ画 ルーアン美術館蔵
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牢の中でウィンチェスター枢機卿に尋問されるジャンヌ・ダルク ポール・ドラローシュ画 ルーアン美術館蔵
ルーアンのブーヴルイユ城にある通称「ジャンヌ・ダルクの塔」
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ルーアンのブーヴルイユ城にある通称「ジャンヌ・ダルクの塔」

その後、ジャンヌは次第に宮廷内で孤立してしまう。首都であるパリを奪還することなくしてシャルル7世の地位は磐石にはならないと考えるジャンヌ、およびアランソン侯などのタカ派に対して、国王側近は現状の成果に甘んじて、この方針に反対したのである。ジャンヌは孤独な戦いを強いられるようになった。

1430年5月23日、ジャンヌはコンピエーニュでフィリップ善良公のブルゴーニュ軍に捕えられる。その後、ブルゴーニュ軍からイングランド軍に身元が引き渡され、同年12月24日にルーアンのブーヴルイユ城に監禁される。

1431年2月21日、ルーアンで異端審問裁判が始まる。名義上の裁判長はジャン・ル・メイトスだが、彼は裁判の正当性に疑問を感じ、予審のほとんどを欠席し、正式の裁判でも沈黙を続けた。代理裁判長ジャン・ピエール・コーション司教をはじめ60名を超える聖職者たちが裁判にたずさわった。同年5月30日朝、異端者として教会から破門とイングランド軍による即時死刑を宣告、火刑され、その生涯を閉じた(後世の概念魔女とよく混同されるがまだこの時代には魔女という概念は確立しておらず異端者とされた)。ちなみにジャンヌを護衛した騎士ジル・ド・レイは後に残虐行為を行なったとされ、吸血鬼、男の魔女(黒魔術師)とされ火刑となった。(一説に青ひげのモデルとされる。)

火刑は中世ヨーロッパのキリスト教的世界において、処刑される者にとっても最も苛烈な刑罰だった。その残虐な刑罰方法もさることながら、重要なのは死体が灰になってしまうという点にある。当時の埋葬方法は土葬が基本だった。キリスト教カトリックであれば誰もが死後には土葬を望んだのである。その理由というのは遺体が燃やされて灰になってしまっては最後の審判の際に復活すべき体がなくなってしまうからという宗教的なものだった。火刑は肉体的・身体的な恐怖感のみならず、精神的・宗教的な絶望感をも与えたのである。近現代に入り、欧米でも火葬は公衆衛生学的な視点から国家によって積極的にすすめられるようになったが(伝染病対策など)、熱心な信者たちは火葬に対して強い抵抗を感じていた。燃やされたジャンヌの亡骸の灰はセーヌ川に流される。このように灰さえも残さない(決して土に返さない)という遺体の取り扱いにおいても、ジャンヌが受けた取り扱いは当時としては最も苛烈なものだった。

1449年11月10日、シャルル7世がイングランド軍を打ち破りルーアンに入城した。1450年2月15日、シャルル7世の命令でジャンヌの裁判の調査が行われた。調査の結果、ローマ教皇カリストゥス3世は裁判のやり直しを命じ、1455年11月7日、ジャンヌの母イザベル・ロメの訴えによりジャンヌの復権裁判が行われた。かつてジャンヌと共に戦ったデュノワ伯ジャンや、オルレアンの市民たちを含めた115名の証人が呼ばれた。1456年7月7日、ジャンヌが火刑にされた地であるルーアンにて処刑裁判の破棄が宣告された。

[編集] 偽ジャンヌ・ダルクと私生児説

ジャンヌが処刑されてから5年後の1436年5月30日、ジャンヌを名乗る女性がロレーヌ地方の町メッスに現れた。ジャンヌの兄ピエールとジャンはこの女性をジャンヌと認めたため、近隣の領主たちの歓迎を受けることになった。同年秋、彼女は当時ルクセンブルク公領だったアルロンという町でロレーヌ地方の領主ロベール・デ・ザルモアーズと結婚した。そのため、彼女はジャンヌ・デ・ザルモアーズの名で後世に知られることになった。1439年8月、オルレアンにて町を救った功績として金銭を贈られた。1440年、パリの国王裁判所に出頭させられて説諭を受けたが、制裁を受けることもなく姿を消した。1457年、ジャンヌの名を騙ったことについての赦免状を求めるためにアンジューに現れたという記録が残されている。

ジャンヌは実は王家の私生児であったという説もある。この説によると、ジャンヌはシャルル6世の妃であったイザボーと、義弟ルイ・ドルレアンとの間に生まれたとされる。イザボー王妃の息子フィリップは1407年11月10日に死去し、ルイ・ドルレアンは同年11月23日に暗殺されているが、このフィリップこそがジャンヌのことであり、男の子が生まれたが死産した、ということにして密かにジャック・ダルクの元に預けられた、というのである。ジャンヌ私生児説を主張する者たちの中には、この女性こそ王家の私生児であった本物のジャンヌであり、処刑されたのはジャンヌの身代わりであるという、ジャンヌ生存説を唱える者もいる。だが、研究家たちにはこれらの説は否定的に見られている。

なお、シャルル7世の「王太子の兆候(シーニュ)」とは、シャルル7世が王妃イザボーの不義の子であるという噂を否定するものであり、ジャンヌこそがイザボーの不義の子だということを示したものであるという説もあるが、この説も研究家たちには否定的に見られている。

[編集] 後世の評価

ナポレオン・ボナパルトは、フランス人として初めてジャンヌ・ダルクを評価し、フランスの救世主として大々的に紹介した。ただし、これはナポレオン自身の皇帝という身分への自己正当化のためであった。その後フランスのナショナリズムの高まりと共に、ジャンヌについての史料の編纂・研究が行われ、多くの文学・芸術作品のモチーフとなった。

一方、イギリス側ではジャンヌに対して長く「魔女」としてのレッテルを貼り続けていた。シェークスピアの史劇『ヘンリー六世』(Henry VI、1590年 - 1592年)でのジャンヌの描き方はその典型例である。

だが、近代以後には「もしイギリスが百年戦争に勝利してフランスを併合していたら、イギリス=フランスに絶対王政が成立して今日の自由主義はイギリスに存在しなかったかも知れない(シャルル7世との抗争にイングランド勢が勝利した暁には、ヘンリー6世らイングランド王族が、豊かなフランス側を本拠とする為に結果的にはイングランドがフランス側に事実上併合される可能性があった)。結果的にはジャンヌはイギリスをも救った」という見方も現われるようになった(一方、フランスには、「あの時、シャルル7世が敗れていたなら、フランスの国威ももっと増大したのに」と悔しがる人もいまだにいると言う)。

ジャンヌ・ダルクは1909年4月18日ローマ教皇ピウス10世によって列福された。
次いで1920年5月16日ベネディクトゥス15世によって列聖され、聖人となった。


[編集] ジャンヌ・ダルクが登場する作品

[編集] 日本以外

[編集] 文学・芸術

[編集] 映画

[編集] 日本

[編集] 文学・芸術

2003年、宝塚歌劇団宙組による舞台化も行われた。
  • 佐藤賢一 『ジャンヌ・ダルク、またはロメ』
  • 王領寺静 『黄金拍車―異次元騎士カズマ』
  • 藤本ひとみ 『ジャンヌ・ダルクの生涯』
  • 藤本ひとみ 『ジャンヌ・ダルク暗殺』

[編集] 漫画

[編集] ゲーム

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  • Janne Da Arc 『―救世主 メシア―』 で彼女のことを歌っている。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • アンドレ・ボシュア 『ジャンヌ・ダルク』 新倉俊一訳、白水社<文庫クセジュ>、1969年、ISBN 4560054584
  • 高山一彦 『ジャンヌ・ダルクの神話』 講談社<現代新書>、1982年、ISBN 4061456423
  • ジュール・ミシュレ 『ジャンヌ・ダルク』 森井真・田代葆訳、中央公論社、1983年、ISBN 4120012069、<中公文庫>、1987年、ISBN 4122014085
  • 堀越孝一 『ジャンヌ=ダルク』 朝日新聞社、1991年、ISBN 402260655X
  • レジーヌ・ペルヌー、マリ=ヴェロニック・クラン 『ジャンヌ・ダルク』 福本直之訳、東京書籍、1992年、ISBN 4487761530
  • レジーヌ・ペルヌー 『ジャンヌ・ダルクの実像』 高山一彦訳、白水社<文庫クセジュ>、1995年、ISBN 4560057664
  • レジーヌ・ペルヌー 『奇跡の少女ジャンヌ・ダルク』 塚本哲也監修、遠藤ゆかり訳、創元社<「知の再発見」双書>、2002年、ISBN 4422211625
  • 高山一彦編訳 『ジャンヌ・ダルク処刑裁判』 白水社、2002年、ISBN 4560028370
  • レジーヌ・ペルヌー 『ジャンヌ・ダルク復権裁判』 高山一彦訳、白水社、2002年、ISBN 4560028389
  • 高山一彦 『ジャンヌ・ダルク―歴史を生き続ける「聖女」』 岩波書店<岩波新書>、2005年、ISBN 4004309689

[編集] 外部リンク

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