信濃川
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信濃川(千曲川) | |
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新潟市街を流れる信濃川 (2005年6月14日撮影) |
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延長 | 367 km |
水源の標高 | 2,475 m |
平均流量 | 518 m³/s (小千谷観測所1942年~2002年) |
流域面積 | 11,900 km² |
水源 | 甲武信ヶ岳 |
河口 | 日本海 |
流域 | 新潟県、群馬県、長野県 |
信濃川(しなのがわ)水系は新潟県、群馬県、長野県を流れる一級水系。このうち信濃川と呼ばれている川は新潟県を流れる一級河川で、長野県に遡ると千曲川(ちくまがわ)と呼ばれる。全長367kmで、日本で一番長い川として知られるが、信濃川と呼ばれている部分が153kmなのに対し、千曲川と呼ばれている部分が214kmある。流域面積11,900km²は日本第3位。
千曲川(信濃川)は古くは万葉の頃から多くの詩歌に歌われ、近代になっても流域の佐久市・小諸市周辺を島崎藤村(千曲川旅情のうた、小諸なる古城のほとり)が、長野市周辺から新潟県境付近の豊田村(現:中野市)周辺を高野辰之(朧月夜、故郷)が歌にし、日本人の郷愁を誘う原風景を伴う川としても知られている。 また、長野市(旧川中島村から旧篠ノ井市にかけて)に川中島古戦場などを有し、歴史的な名所も多い。
流域は新潟、長野両県内でほとんどを占めるが、一次支川中津川の源流部が群馬県の野反湖付近にあり、水系流域としては群馬を含む3県に及ぶ。
本川は下水内郡栄村を過ぎ新潟県に入ると名称が信濃川と変わる。
目次 |
[編集] 地理
千曲川は埼玉県・山梨県・長野県の県境に位置する甲武信ヶ岳の長野県側(南佐久郡川上村)を源流とし、八ヶ岳、関東山地などを源流とする諸河川と合流しつつ佐久盆地(佐久平)、上田盆地(上田平)を北流する。長野盆地(善光寺平)の川中島で、飛騨山脈を源流とし松本盆地(松本平)から北流してきた犀川と合流した後北東に流れ、新潟県に入って信濃川に名前を変える。信濃川は、十日町盆地を通って越後平野(新潟平野)に出て群馬・新潟県境の谷川岳から流れてきた魚野川に合流、新潟市で日本海に注ぐ。河口は阿賀野川の河口に近く、時代によっては新潟の地で合流して河口を共有していたこともあった。
[編集] 信濃川開発史
[編集] 為政者達の治水
縄文時代、新潟市を中心とした越後平野は日本海であった。その後、徐々に信濃川や阿賀野川が運搬してきた土砂と、対馬海流が運んできた土砂が越後砂丘を形成し堆積、現在の越後平野を形成したが低湿地で方々に潟が存在し、水捌けの悪い地域であった。又、洪水によって幾度も流路を変えた。1597年(慶長2年)、越後春日山城主上杉景勝の執政で名将と謳われた直江兼続は燕・三条付近の洪水調節を図る為中ノ口川を開削。これが近世信濃川治水史の端緒となる。上杉氏転封後の江戸時代、新発田藩主となった溝口氏は中ノ口付近も領していた為に代々の藩主は河川改修を実施していた。長岡藩第9代藩主の牧野忠精は信濃川の河川改修に特に力を入れた。新川開削の大事業を行い蒲原平野に存在していた3つの潟の悪水を日本海に排水し、蒲原平野の新田開発を成功させた。信濃国・千曲川でも福島正則や松代藩主・真田氏が築堤や掘割を度々行った。
[編集] 大河津分水計画
だが、度重なる治水事業を行っているにも拘らず、信濃川は度々氾濫を繰り返し為政者の頭を悩ませた。こうした中で浮上して来たのが大河津分水路計画である。そもそもの発端は享保年間に寺泊の豪商・本間屋数右衛門らが幕府に上奏したのが始まりである。1842年(天保13年)に江戸幕府は大河津分水計画を本格的に検討しだしたが、その後は北越戦争等で越後は混乱を来たし分水計画は宙に浮いた。
明治時代に入ると本格的な分水計画に着手。1870年(明治3年)には第1期大河津分水路工事が開始された。然し反対運動も多く、結局外国人技術者の意見を容れ1875年(明治8年)に第1期工事は中止の止む無きに至った。翌1876年(明治9年)、内務省による「信濃川河身改修事業」が着手された。この事業が近代信濃川治水史の原点とも言われている。これは堤防の築堤と河川敷整備を中心としたものであった。だが、河川敷整備は川原に棲息するツツガムシによる古典型恙虫病の蔓延によって多くの工事従事者が病に倒れた。更に1896年(明治29年)7月、信濃川を有史以来の記録的な洪水「横田切れ」が流域に甚大な被害を与え、堤防整備の有効性に疑念が噴出した。こうした中で原田貞介が大河津分水工事改良案を提出。これを元に1909年(明治42年)、原田案をベースに第2期大河津分水路工事が着手された。難工事による100名以上の殉職者を出しながらも1922年(大正11年)、大河津分水路は通水に成功し2年後の1924年(大正13年)に悲願の完成を果たした。実に、発案から完成まで200年近くを費やしている。1918年(大正7年)~1941年(昭和16年)には、千曲川第1期補修事業が内務省の手によって進められたが、洪水は容赦なく発生し根本的な解決には至らなかった。
[編集] 戦後の治水~ダムと放水路~
1948年(昭和23年)からは千曲川第2期補修事業が建設省(現・国土交通省北陸地方整備局)の手によって着手され現在も進行中である。然し、数年に1度は洪水による被害を流域は受けており、根本的な治水対策としてダムによる洪水調節が図られた。信濃川水系においては建設省直轄事業よりも先に新潟県・長野県による県営ダム事業が推進され、裾花ダム(裾花川)、笠堀ダム(笠堀川)等が建設された。建設省は1960年(昭和35年)に関屋分水路の建設を計画したが、1964年(昭和39年)の新潟地震によって新潟市内が広範囲に亘り浸水した事から鳥屋野潟の排水計画に着手した。この後、黒川放水路が1969年(昭和44年)に完成。関屋分水路は1972年(昭和47年)に通水し、蒲原大堰・中の口川水門も建設が開始された。
だが1969年(昭和44年)8月の集中豪雨は流域に大きな被害を齎し、対策として建設省は1974年(昭和49年)、「信濃川水系工事実施基本計画」を改定。この中で多目的ダムの建設を計画し、大町ダム(高瀬川)が1986年(昭和61年)に、三国川ダム(三国川)が1993年(平成5年)に完成した。県営でも大谷ダム(五十嵐川)や破間川ダム(破間川)が新潟県に、奈良井ダム(奈良井川)や奥裾花ダム(裾花川)が長野県に完成した。又、人口が急増している長岡市に上水道を供給する為妙見堰(信濃川)が1990年(平成2年)に完成している。
治水整備は進められている一方、その後も水害は繰り返し起こり2004年(平成16年)には平成16年7月新潟・福島豪雨(7・13水害)が三条市・見附市等に被害を齎した。この様に古来より洪水と治水は「いたちごっこ」の状況で、信濃川の治水の難しさを物語っているが現在でも広神ダム(和田川)・晒川ダム(晒川)等の多目的ダムが建設中である。
[編集] 日本屈指の水力発電地帯
一方、信濃川は水量が豊富で且つ上流部は関東山地・飛騨山脈・木曽山脈である事から急流であり、水力発電には絶好の適地であった。大正時代には高瀬川の高瀬川発電所が建設されていたが、昭和初期に入ると各地で水路式発電所が建設された。特に、旧・国鉄(現・JR東日本)は信濃川に大規模水力発電所を建設。信濃川本川に宮中ダムを1938年(昭和13年)に建設、新山本・浅河原調整池や千手・小千谷・新小千谷発電所を建設し首都圏の鉄道運転の為の電力を供給した。
戦後に入ると大規模なダム式発電所が犀川・梓川・高瀬川等に建設された。特に梓川の奈川渡ダム・水殿ダム・稲核ダム(安曇発電所)や高瀬川の高瀬ダム・七倉ダム(新高瀬川発電所)、南相木川の南相木ダム(神流川発電所)は日本でも有数の大規模揚水発電所として、首都圏を始めとする関東地方に電力を供給している。これは1973年(昭和48年)のオイルショックによって、火力発電に対する不安が背景にある。
[編集] 公共事業見直しと「脱ダム宣言」
この様に信濃川は治水・利水の為の施設が多く存在する。だが、1990年代以降公共事業見直しの機運が全国的に高まり、利根川・淀川等全国の主要河川においてダムを始めとする河川施設の建設中止が相次いだ。信濃川水系も例外ではなく2002年(平成12年)に信濃川水系では最大規模の総貯水容量を擁する予定であった清津川ダム(清津川。国土交通省北陸地方整備局)が、2003年(平成13年)には戦前から連綿と続き戦後「只見特定地域総合開発計画」でも取り上げられた『只見川水力発電新潟分水案』に基づく「湯之谷揚水発電計画」、その根幹である佐梨川ダム(佐梨川。新潟県)が上池と共に中止となり長年に亘る新潟分水案はここに潰えた。県営ダムでも三用川ダム(三用川。新潟県)が建設中止となっている。
又、国土交通省北陸地方整備局(当時は建設省北陸地方建設局)は1981年(昭和56年)の信濃川洪水を機に、1954年(昭和29年)より構想のあった「千曲川上流ダム計画」を南佐久郡南牧村に計画した。これは洪水調節・上水道等を目的とした多目的ダムとして、信濃川本川上流に堤高約80.0m、総貯水容量が約70,000,000tという本格的なダムを建設しようとしたものである。「千曲川上流ダム」が完成すると南牧村を中心に250戸が水没する他、JR小海線が水没する。1984年(昭和59年)に実施計画調査の為の予算が付いたが住民の強硬な反対に遭い、その後地元南牧村を始め南佐久郡5町村が建設推進を撤回して反対に回り、計画が凍結した。その後公共事業見直しの機運の中で計画は再検討され、2002年に「千曲川上流ダム計画」は国土交通省によって白紙撤回となった。こうして日本最長の河川に建設される予定であった唯一の多目的ダムは中止されたが、ダムに代わる治水代替案は確定されていない。
2004年(平成14年)に入ると、長野県知事・田中康夫の『脱ダム宣言』によって長野県内に計画中の信濃川水系のダム計画が纏めて中止となった。浅川ダム(浅川)・角間ダム(角間川)・黒沢ダム(黒沢川)・清川ダム(清川)が対象となり、有無を言わさぬ形での中止であった。この宣言には「先進的な思想」・「環境保護を重視した良策」・「公共事業と利権の癒着を抉り出す第一歩」と賞賛する声が多い。その一方で「治水対案が根拠薄弱」・「住民の安全を無視した愚策」との批判もある。代替案である「河道内遊水地」が結局名前を変えたダムであるとの指摘もあり、浅川ダムの様に下流住民の合意を得ずに中止した面もある為、洪水の多発する信濃川で今後洪水が起こったときに知事がどのような対応を取るのか、注目されていたが、2006年(平成18年)7月の平成18年7月豪雨で天竜川流域が豪雨による被災を受けた。『脱ダム宣言』が直接災害に関係していたわけではないにしろ、治水対策の不備を含め田中県政に対する様々な不満が表面化。県知事選挙に敗北し田中は野に下った。
田中に代わり村井仁が知事に就任したが、『脱ダム宣言』については当初は批判的発言を繰り返していたものの就任後は性急なダム建設回帰には慎重な姿勢を示し、「浅川ダム」に対するやや前向きな検討を表明した以外は特別な対応は現在していない。今後の信濃川における治水は、今まで以上に混沌とした様相を見せている。
[編集] 信濃川水系の主要河川
(1)長野県(千曲川)
(2)新潟県(信濃川)
(3)群馬県(信濃川水系)
- 中津川
[編集] 信濃川水系の河川施設
信濃川の利水に関しては、本流と支流で違った特徴を持つ。信濃川本川には高さ50mを超えるダム・多目的ダムは存在しないがその分放水路が多い。一つの河川に放水路が2箇所も建設されているのは信濃川だけである。それだけ治水に苦労している事を窺い知る事が出来る。又、利根川や木曽川、淀川程水資源確保の為の系統的利水施設が多くないのも特徴で、主眼は飽く迄も治水と灌漑に置かれている。逆に支流には大小数多くの治水・利水ダムが建設されている。
一方水力発電施設においては全国屈指の発電量・発電施設を誇る。揚水発電所だけでも梓川・相木川・高瀬川・黒又川・清津川の5箇所に建設されており、これも全国屈指の数である。又、新潟県内ではJR東日本が首都圏の鉄道網を支える電力供給を信濃川から得ている。
[編集] 河川施設一覧
一次 支川名 (本川) |
二次 支川名 |
三次 支川名 |
ダム名 | 堤高 (m) |
総貯水 容量 (千m³) |
型式 | 事業者 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
信濃川 | - | - | 西浦ダム | - | - | 重力式 | 東京電力 | 小堰堤 |
信濃川 | - | - | 西大滝ダム | 14.2 | 770 | 重力式 | 東京電力 | 小堰堤 |
信濃川 | - | - | 宮中ダム | 16.4 | 970 | 重力式 | JR東日本 | |
信濃川 | - | - | 妙見堰 | - | - | 可動堰 | 国土交通省 JR東日本 |
災害復旧中 |
信濃川 | - | - | 大河津分水 | - | - | 放水路 | 国土交通省 | |
信濃川 | - | - | 蒲原大堰 | - | - | 可動堰 | 国土交通省 | |
信濃川 | - | - | 関屋分水 | - | - | 放水路 | 国土交通省 | |
信濃川 | - | - | 信濃川水門 | - | - | 水門 | 国土交通省 | |
(河道外) | - | - | 浅河原調整池 | 37.0 | 1,065 | アース | JR東日本 | 土木遺産 |
(河道外) | - | - | 新山本調整池 | 42.4 | 3,640 | ロックフィル | JR東日本 | |
相木川 | 南相木川 | - | 南相木ダム | 136.0 | 19,170 | ロックフィル | 東京電力 | |
抜井川 | - | - | 古谷ダム | 48.5 | 2,200 | 重力式 | 長野県 | |
抜井川 | 余地川 | - | 余地ダム | 42.0 | 523 | 重力式 | 長野県 | |
湯川 | - | - | 湯川ダム | 50.0 | 3,400 | 重力式 | 長野県 | |
金原川 | - | - | 金原ダム | 36.5 | 388 | ロックフィル | 長野県 | |
依田川 | 内村川 | - | 内村ダム | 51.3 | 2,000 | 重力式 | 長野県 | |
神川 | - | - | 菅平ダム | 41.8 | 3,451 | 重力式 | 長野県 | |
犀川 | - | - | 奈川渡ダム | 155.0 | 123,000 | アーチ式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 水殿ダム | 95.5 | 15,100 | アーチ式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 稲核ダム | 60.0 | 10,700 | アーチ式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 生坂ダム | 19.5 | 3,100 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 平ダム | 20.0 | 3,033 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 水内ダム | 25.3 | 4,248 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 笹平ダム | 19.3 | 2,755 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | - | - | 小田切ダム | 21.3 | 2,546 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | セバ川 | - | セバ谷ダム | 22.7 | 46 | 重力式 | 東京電力 | |
犀川 | 奈良井川 | - | 奈良井ダム | 60.0 | 8,000 | ロックフィル | 長野県 | |
犀川 | 高瀬川 | - | 高瀬ダム | 176.0 | 76,200 | ロックフィル | 東京電力 | |
犀川 | 高瀬川 | - | 七倉ダム | 125.0 | 32,500 | ロックフィル | 東京電力 | |
犀川 | 高瀬川 | - | 大町ダム | 107.0 | 33,900 | 重力式 | 国土交通省 | |
犀川 | 会田川 | 水上沢川 | 水上ダム | 38.0 | 276 | 重力式 | 長野県 | |
犀川 | 麻績川 | 宮川 | 北山ダム | 43.0 | 213 | 重力式 | 長野県 | |
犀川 | 麻績川 | 別所川 | 小仁熊ダム | 36.5 | 1,930 | 重力式 | 長野県 | |
犀川 | 裾花川 | - | 奥裾花ダム | 59.0 | 5,400 | 重力式 | 長野県 | |
犀川 | 裾花川 | - | 裾花ダム | 83.0 | 15,000 | アーチ式 | 長野県 | |
犀川 | 裾花川 | - | 湯の瀬ダム | 18.0 | 330 | 重力式 | 長野県 | |
百々川 | 灰野川 | - | 豊丘ダム | 81.0 | 2,580 | 重力式 | 長野県 | |
中津川 | - | - | 野反ダム | 44.0 | 28,700 | ロックフィル | 東京電力 | |
中津川 | - | - | 穴藤ダム | 55.3 | 630 | 重力式 | 東京電力 | |
魚野川 | 清津川 | - | 二居ダム | 87.0 | 18,300 | ロックフィル | 電源開発 | |
魚野川 | 清津川 | カッサ川 | カッサダム | 90.0 | 13,500 | ロックフィル | 電源開発 | |
魚野川 | 三国川 | - | 三国川ダム | 119.5 | 27,500 | ロックフィル | 国土交通省 | |
魚野川 | 破間川 | - | 破間川ダム | 93.5 | 15,800 | 重力式 | 新潟県 | |
魚野川 | 破間川 | - | 薮神ダム | 23.0 | 1,857 | 重力式 | 東北電力 | 土木遺産 |
魚野川 | 破間川 | 黒又川 | 黒又川第二ダム | 82.5 | 60,000 | アーチ式 | 電源開発 | |
魚野川 | 破間川 | 黒又川 | 黒又川第一ダム | 91.0 | 42,850 | 重力式 | 電源開発 | |
魚野川 | 破間川 | 黒又川 | 黒又ダム | 24.5 | 1,454 | 重力式 | 東北電力 | 土木遺産 |
魚野川 | 破間川 | 和田川 | 広神ダム | 83.0 | 12,400 | 重力式 | 新潟県 | 建設中 |
大河津分水 | - | - | 大河津可動堰 | - | - | 可動堰 | 国土交通省 | |
中ノ口川 | - | - | 中ノ口川水門 | - | - | 水門 | 国土交通省 | |
刈谷田川 | - | - | 刈谷田川ダム | 83.5 | 4,450 | 重力式 | 新潟県 | |
五十嵐川 | - | - | 大谷ダム | 75.5 | 20,000 | ロックフィル | 新潟県 | |
五十嵐川 | 笠堀川 | - | 笠堀ダム | 74.5 | 15,400 | 重力式 | 新潟県 | |
下条川 | - | - | 下条川ダム | 31.0 | 1,530 | 重力式 | 新潟県 | |
関屋分水 | - | - | 新潟大堰 | - | - | 可動堰 | 国土交通省 |
(注):黄欄は建設中もしくは計画中のダム(2006年現在)。
[編集] 水運
千曲川・信濃川は共に江戸時代から明治時代にかけて川舟による通船が全盛を迎え、流域の物流を担った。河口は古代から蒲原津(かんばらのつ)、沼垂津(ぬったりのつ)、新潟津などの港が栄え、特に新潟は江戸時代に大きく発展して日米修好通商条約による開港場のひとつとされた。新潟港には現在もロシア、北朝鮮などとの国際便が就航する。
[編集] 川に架かる橋梁など(河口から順に)
- 信濃川
- (日本海) - 新潟みなとトンネル - 柳都大橋 - 萬代橋(重要文化財) - 八千代橋 - 昭和大橋 - (越後線鉄道橋) - 千歳大橋 - 本川大橋 - 平成大橋 - 新潟大橋 - (上越新幹線鉄道橋) - ときめき橋(北陸自動車道) - 信濃川大橋 - 大郷橋 - 臼井橋 - 小須戸橋 - 庄瀬橋 - 五反田橋 - 景雲橋 - 石上大橋 - (弥彦線鉄道橋) - 瑞雲橋 - 三条大橋 - (上越新幹線鉄道橋) - 信濃川橋(北陸自動車道) - 蒲原大橋 - 万盛橋 - 新本川橋 - 与板橋 - 信濃川橋 (北陸自動車道) - 蔵王橋 - 長岡大橋 - 大手大橋 - 長生橋 - (信越本線鉄道橋) - 越路橋 - 越の大橋 - 小千谷大橋 - 旭橋 - 山本山大橋 - 西倉橋 - 川口橋(関越自動車道) - 川井大橋 - 魚沼橋 - 栄橋 - 妻有大橋 - 十日町橋 - (北越急行ほくほく線鉄道橋) - 姿大橋 - 宮中橋 - (飯山線鉄道橋) - 豊船橋 - 信濃川橋 - 田中橋 - 上郷橋 - 宮野原橋
- 千曲川
- 百合居橋 - 東大大橋 - 市川橋 - 湯滝橋 - 柏尾橋 - 常盤大橋 - 大関橋 - 中央橋 - 綱切橋 - 古牧橋(国道292号) - 上今井橋 - 北千曲川橋(上信越自動車道) - 立ヶ花橋 - 小布施橋 - (長野電鉄長野線鉄道橋) - 村山橋(国道406号) - 新村山橋(国道406号) - 屋島橋 - 落合橋 - 関崎橋 - 更埴橋 - 松代大橋 - 赤坂橋 - 岩野橋 - 篠ノ井橋(国道18号) - (しなの鉄道鉄道橋) - (長野新幹線鉄道橋) - 千曲川橋(長野自動車道) - 粟佐橋 - 千曲橋(国道403号) - 平和橋 - 冠着橋 - 大正橋 - 万葉橋 - 笄(こうがい)橋(長野県道339号新田坂城停車場線) - 昭和橋 - 坂城大橋 - 鼠橋 - 上田大橋(国道18号) - 古舟橋 - 上田橋 - (上田電鉄鉄道橋) - 常田新橋 - 小牧橋 - (長野新幹線鉄道橋) - 大石橋 - 大屋橋(国道152号) - 田中橋 - 羽毛山橋 - 鏡橋 - 布引大橋 - 大久保橋 - 戻り橋 - 小諸大橋 - 大杭橋 - 宮沢橋 - 浅科大橋 - (長野新幹線鉄道橋) - 中津橋 - 琵琶島橋 - 佐久橋 - 御影橋 - 浅蓼大橋(国道141号) - 佐久大橋 - 野沢橋 - 住吉橋 - 臼田橋 - 三条大橋 - 八十巖橋 - 栄橋 - 栄海橋 - 南佐久大橋(国道299号) - 下畑橋 - 宮前橋 - 天神橋 - ちくま橋 - 高岩橋 - 東馬流橋 - 馬流橋 - 清流ふれあい橋 - 小海大橋 - (小海線鉄道橋) - 箕輪橋 - (小海線鉄道橋) - 海尻橋 - (小海線鉄道橋) - - 海ノ口大橋 - (小海線鉄道橋) - 古屋敷橋 - (小海線鉄道橋) - 向橋 - (小海線鉄道橋) - 広瀬橋 - (小海線鉄道橋) - (小海線鉄道橋) - 樋沢新田橋 - 男橋 - 本郷橋 - 赤顔橋 - 大深山橋 - 横沢橋 - 金山橋 - 小坂橋 - 下木戸橋 - 居倉橋 - 秋山3号橋 - 秋山2号橋 - 秋山1号橋 - 室屋橋 - 黒巌橋 - 日本基橋 - 蓬1号橋 - 蓬2号橋 - (甲武信ヶ岳)
[編集] 関連項目
- 信濃川朝鮮人虐殺事件(大正期の怪事件)
[編集] 外部リンク
- 信濃川工事事務所
- 千曲川情報館(国土交通省北陸地方整備局千曲川河川事務所)
- しなのがわコンパス(国土交通省北陸地方整備局信濃川河川事務所)
- 国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所
- 国土地理院 2万5千分1地形図名:金峰山:千曲川源流