新造の方
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新造の方(しんぞうのかた、? - 慶長17年(1612年)?)は、伊達政宗の側室で、伊達秀宗・伊達宗清(飯坂宗清)の母。新庄旧城主・六郷伊賀守の娘。別名:吉岡の局、猫御前。おそらく、最も早く政宗の側室になったと思われる女性である。
天正19年(1591年)の9月25日に伊達秀宗を産む。慶長5年(1600年)に伊達宗清を産んだ。 新造の方は、慶長17年(1612年)、あるいは慶長8年(1603年)に死去した。
秀宗は側室の産んだ子供であったため、伊達氏当主にはなれなかったが、慶長19年(1614年)12月28日に伊予国の宇和島藩初代藩主となった。次男の宗清は、政宗の他の側室・飯坂の局の養子となり、義母の実家の飯坂氏を継いだ。 秀宗への教育態度も田村御前こと愛姫とは違い非常に熱心だったと言われる。
しかし、秀宗・宗清の生母は飯坂の局とされていたり、飯坂の局の別名が「猫御前」とされたりするなど、史料によってばらつきが見られ、本当の所ははっきりしない。