海音寺潮五郎
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海音寺 潮五郎(かいおんじ ちょうごろう、1901年11月5日 - 1977年12月1日、戸籍上は3月13日生れ)は日本の小説家。本名は末富 東作(すえとみ とうさく)。鹿児島県伊佐郡大口村(現・大口市)生まれ。
国学院大学高等師範部国漢科を卒業後、中学教師を務めながら、創作を行う。1934年作家デビュー。歴史小説を多数発表した。『西郷隆盛』が絶筆。
当時教師が小説を書くのは許されなかったので、筆名を考えなければいけなかった。筆名をあれこれと考えているうちに眠ってしまい、紀州の浜辺で寝ている夢を見た。すると、どこかで「海音寺潮五郎、海音寺潮五郎」と呼ぶ声がした。起きて、これなら誰かわかるまいと投稿した作品が『うたかた草紙』で、見事デビュー作となった。
目次 |
[編集] 史伝文学の復興
海音寺潮五郎を語るときに取り上げられる話題のひとつとして、史伝文学の復興に対する功績である。これは後年、海音寺が菊池寛賞を受賞したときにも選出理由として挙がっている。 史伝文学とは、歴史上の人物や事件を対象として作品を物語風に記述する中にあっても、フィクションの要素を完全に排除し、広範かつ詳細な文献調査などをもとにして、歴史の真実はどのようであったかを明らかにしようとする形態の書物を指す。
日本おいては、明治期の山路愛山、福岡日南、徳富蘇峰など、大正期の森鴎外や幸田露伴などが史伝を執筆しているが、当時の人々の人気を得れられず、衰退した文学形式として昭和期に至っていた。このような中、海音寺は日本人から日本歴史の常識が失われつつあるとして当時の状況を憂慮し、本人の表現を借りると「文学としての史伝復興の露ばらいの気持ち」を込めて、歴史の真実を伝える史伝文学の執筆に精力的に取り組むことになった。
その代表作が昭和34年から「オール讀物」(文藝春秋)に連載された『武将列伝』と『悪人列伝』である。この両作品に収録されている人物伝は各編が独立した読み物の形式になっているが、これらを時代順に並べ替えて読めば日本歴史の全体が分かる内容となるように、それによって日本人に日本歴史の常識を持ってもらいたいとの希望を持って執筆された。海音寺は「できれば200人、少なくとも100人の人物伝」を書き上げたいと考えていたが、結局、武将列伝33人、悪人列伝24人の計57人の段階でまとまった作品として出版することになった。想定通りの人数に達しなかったことについて海音寺は「恥をしのんで出す」とその心境を述べている。
上記の作品の他にも『列藩騒動録』や『幕末動乱の男たち』など多くの史伝を執筆しているが、これらの作品に触発され、その後、いろいろな作家が史伝を発表するようになった。これについて海音寺は「露ばらいをつとめたつもりのぼくとしては、この上ないよろこびである」との感想を残している。
[編集] 海音寺潮五郎と直木賞
海音寺潮五郎は第1回直木賞から候補者として名を連ね、第3回で受賞しているが、この当時、既に多くの作品執筆依頼があり、作家としての生活が軌道にのっていた海音寺は、創設直後の直木賞にあまり魅力を感じなかったこともあり、同じく第1回から候補者となっていた浜口浩が受賞すべきだとして受賞辞退を申し出た。しかし、「既に決まったことだから」という関係者の説得に折れて、受賞を承諾している。
受賞作は一般に『天正女合戦』と『武道伝来記』の2作品とされているが、これが明記されている文献はなく、当時の選考委員だった吉川英治らがこの両作品を批評していることを根拠にこのような扱いになっている言われている。
授賞式を終えた海音寺は、郷里に帰る予定にしていたため列車に乗り込んだが、その列車に授与されたばかりの賞金と懐中時計を置き忘れてしまった。列車を下車した後でそのことに気づき、あわててて次の停車駅に電話ししてもらったところ、無事に戻ってきたとのことである。海音寺は後年、「まだまだ、よい世なみだったのである」と、このときの事を回想している。ちなみに、直木賞創設当初の賞金は500円、副賞の懐中時計はロンジン社製であった。
その後、一流作家として確固たる地位を確立した海音寺は、第39回の直木賞から選考委員をつとめ、第63回を最後に委員を辞任するまで、全ての選考委員会に出席し、選評の執筆を行った。この間、特に第42回の受賞者となった司馬遼太郎を海音寺が非常に高く評価し、受賞に導いた話は有名である。
一方で、文学観の異なる作家には非常に厳しい評価を下しており、例えば、第40回から候補者となっていた池波正太郎に対しては酷評といっていいほどの低評価を繰り返し下しており、池波が受賞者となった第43回では、「こんな作品が候補作品となったのすら、僕には意外だ」とまで極言し、結局、直木賞選考を辞退するまでにいたっている。
[編集] 年譜
- 1901年 鹿児島県伊佐郡大口村に生まれる。
- 1907年 大口尋常高等小学校に入学。当時、教科書以外の本を読むのを禁じられていたため講談本などは屋根に上って読んだため近所で評判になった。
- 1913年 加治木中学(現在の加治木高校)に入学
- 1921年 伊勢神宮皇学館に入学
- 1922年 恋愛問題から退学し、一時帰郷。11月に山川かづと結婚。
- 1923年 上京し、国学院大学高等師範部に入学。
- 1925年 長女誕生。
- 1926年 国学院大学卒業、鹿児島県立指宿中学校に国漢教師として赴任。
- 1928年 京都府立第二中学校に転任。
- 1929年 次女誕生。「サンデー毎日」の懸賞小説に『うたかた草子』を応募し、当選。
- 1931年 長男誕生。「サンデー毎日」創刊十周年記念長編小説募集に向けて『風雲』を執筆し、応募。
- 1932年 『風雲』が当選。『サンデー毎日』に連載される。
- 1934年 「サンデー毎日」大衆文芸賞受賞。教師の職を離れ、専業作家となる。鎌倉に住まいする。
- 1935年 作家の貴司山治が中心となってはじめた実録文学研究会に同人として参加し、同人雑誌「実録文学」を創刊する。代々木上原に転居。
- 1936年 『天正女合戦』と『武道伝来記』で第3回直木賞受賞。受賞の知らせを受けた海音寺潮五郎は、氏と同じく第1回から候補に挙がっていた浜口浩が受賞すべきだとして受賞辞退を申し出たが、「既に決まったことだから」という関係者の説得に折れ、受賞を承諾した。
- 1938年 「サンデー毎日」連載中の『柳沢騒動』が内務省警保局の内示で掲載打ち切りを命じられる。
- 1939年 次男誕生。氏を中心とする同人誌「文学建設」創刊。
- 1941年 陸軍報道班員として徴用され、約1年間マライへ行く。軍の方針に不満を感じ、戦意高揚を後押しする作業には従事せず、無為に徹することを決めて、それを実行する。
- 1942年 健康を害したために帰国。入院生活を送る。
- 1944年 郷里の鹿児島に疎開する。戦争を進める日本の行く末を案じ、憂国の念おさえがたく、参謀本部に直言する決意を固めるも、友人らの説得で直言をやめ、憂国の念をいだいたまま疎開したと言われる。
- 1945年 疎開先の故郷鹿児島で終戦を迎える。この頃、全く執筆作業をせず、漢籍を読みふける。
- 1946年 三男誕生。
- 1947年 長編小説『風霜』を書き下ろすが、占領軍の検閲のために発表できず。この経験から王朝ものを多く執筆するようになる。
- 1950年 同人雑誌『GoRo(豪朗)』を創刊。
- 1953年 『蒙古来る』を「読売新聞」に連載。この作品が、日本の再軍備を正当化するものだとの批判を受ける。
- 1959年 『武将列伝』を「オール読物」に連載開始
- 1968年 第16回菊池寛賞受賞
- 1969年 新聞、雑誌からの依頼に応じないという引退声明を毎日新聞に発表。
- 1970年 直木賞選考委員を辞任。
- 1973年 文化功労者に選出される。歴史文学の発展と普及につくすとともに、史伝の復活に貢献したことが評価される。
- 1974年 妻かづ死去。
- 1976年 国沢富貴子と結婚。
- 1977年 鹿児島県大口市名誉市民。芸術院賞を受賞。11月、脳出血で倒れ、約2週間後に心筋梗塞を併発して逝去。享年76。
[編集] 受賞歴
- 1929年 『うたかた草紙』がサンデー毎日の懸賞小説に当選大衆文芸入選。
- 1933年 『風雲』がサンデー毎日の創刊十周年記念長編小説募集に当選。
- 1934年 サンデー毎日の大衆文芸賞受賞。
- 1936年 『天正女合戦』『武道伝来記』他で第3回直木賞受賞。
- 1968年 第16回菊池寛賞受賞。紫綬褒章受章。
- 1973年 第24回NHK放送文化賞を受賞。文化功労者に選出。
- 1977年 第33回日本芸術院賞文芸部門受賞。大口市名誉市民。
[編集] 作品リスト
- 天正女合戦
- 新太閤記
- 西郷隆盛
- 史伝 西郷隆盛
- 勝海舟
- 真田幸村
- 武道伝来記
- 蒙古来る
- 海と風と虹と
- 平将門
- 火の山
- 戦国風流武士 前田慶次郎
- 天と地と
- 西郷と大久保
- 赤穂浪士伝
- 二本の銀杏
- 加藤清正
- 中国英傑伝
- 武将列伝
- 悪人列伝
- 孫子
- 詩経(国訳)
- 乱世の英雄
- 歴史随談
- 田原坂 小説集・西南戦争
- 中国妖艶伝
- 寺田屋騒動
- さむらいの本懐
- 覇者の條件
- 実説武侠伝
- 吉宗と宗春
- 赤穂義士
- 茶道太閤記
- 史談切り捨て御免
[編集] 映像化作品
[編集] 参考文献
- 『鷲の歌』(講談社 大衆文学館)収録の磯貝勝太郎著「人と作品」
- 『真田幸村』(角川文庫)収録の清原康正著「解説」
- 『柳沢騒動』(旺文社文庫)収録の磯貝勝太郎著「解説」
- 『幕末動乱の男たち』(新潮文庫)収録の尾崎秀樹著「解説」
- 『列藩騒動録(下)』(講談社文庫)収録の「年譜」
- 『吉宗と宗春』(文春文庫)収録の磯貝勝太郎著「解説」
- 『海音寺潮五郎集』(筑摩書房)収録の尾崎秀樹編の「年譜」
- 海音寺潮五郎記念館誌 第22号~第26号
- 『消えた受賞作 直木賞編』(メディアファクトリー)
- 『史伝 西郷隆盛』(文春文庫)収録の磯貝勝太郎氏の「解説」
- 『悪人列伝』(文春文庫)収録の「あとがき」