留守政景
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
留守 政景(るす まさかげ、天文18年(1549年) - 慶長12年2月3日(1607年2月28日))は伊達晴宗の三男。妻は黒川晴氏の娘。居城は初め岩切城(高森城)、後に利府城。
1567年、父・晴宗の政略によって奥州の名族・留守氏を継ぐこととなった。その後、政景の継承に反対する一族・重臣の反抗を鎮圧して、1574年に兄・輝宗に臣従を誓う。兄の死後も甥・政宗に従って各地を転戦する。一門であったため、当主に代わって伊達軍の総大将を務めたこともあったが、大崎合戦では岳父の晴氏の裏切りに遭い手痛い敗戦もしている。
1591年、豊臣秀吉の小田原征伐に従わなかったために所領を没収される。以後は伊達家に戻って仕え、文禄の役に渡海して出陣、1600年の関ケ原の戦いでも最上氏の救援に赴き、上杉氏と戦った。