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阪和電気鉄道の車両 - Wikipedia

阪和電気鉄道の車両

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

阪和電気鉄道の車両(はんわでんきてつどうのしゃりょう)

本項では、阪和電気鉄道(JR阪和線の前身)が製造した、あるいは他社より譲受した車両の概要とその経緯について記述する。同社は全線ノンストップの「超特急」や、国鉄直通列車「黒潮号」などの高速列車を運行した私鉄で、車両も高速運転に備えた特徴的なものが多かった。なお、1940年南海鉄道が阪和電鉄を合併してから1944年に山手線(旧阪和電鉄線)を国家買収により失うまでの間に製造した車両についても、関連性の深い本項で解説する。

目次

[編集] 電車

阪和形電車は、大まかなグループとしては4系統に分けられる。

  1. 1929年の開業時から1937年まで製造されたモタ300形・モヨ100形の系統に属する主力グループ
  2. 阪和電鉄時代に設計されたものの、1940年の南海鉄道合併後、太平洋戦争直前から戦時中にかけて竣工した、モタ3000形・クタ7000形を基幹形式とする戦時増備車グループ
  3. 南海鉄道合併後の1942年に建造された、同時期の南海鉄道本線用車に準じた設計のクタ600形5両
  4. 筑波鉄道譲受車であるクタ800形木造制御車4両

クタ800形を除いた各車は、1920年代末期~1930年代に輩出された、関西私鉄の大型大出力電車の代表的な実例と言える。

[編集] ブレーキシステム

阪和形電車の大きな特徴として、自動空気ブレーキに当初からアメリカ・ウエスティングハウス・エアブレーキ(WH)社[1]の設計になるU-5自在弁(Universal Valve)を用いるAMUブレーキ[2]を採用し、長大編成対応としたことが注目される。

1912年に開発されたこのブレーキ機構は、P弁以降のWH社製在来型自動空気ブレーキ各種に対する上位互換性を備え、当時のニューヨーク市地下鉄で当時世界最長の電車による10両編成を実現した実績があった。日本ではこの阪和の各車と新京阪鉄道P-6形電車の他、参宮急行電鉄デ2200・2227系大阪電気軌道デボ1400系、大阪市営地下鉄100~600形など、長大編成あるいは高速運移転を前提とした関西私鉄各社に幾つかの採用例がある。阪和の初期グループは輸入品の米国製部品を、後期グループはWH社の提携先である三菱製の国産品をそれぞれ装備して新造された。このブレーキシステムは電磁同期弁を追加してAMUEブレーキ化する事により、長大編成による高速運転時のブレーキ応答特性の改善も期待できたが、阪和形電車では電磁同期機能は最後まで付加されずに終わっている。

当時の日本では、電車用自動ブレーキとしては廉価さと使い勝手の良さから同じWH社の前世代品に当たるM-2-A三動弁(Triple Valve)によるAMMブレーキやゼネラル・エレクトリック社(General Electric Co.)のJ三動弁によるAVRブレーキ[3]が普及していたが、これらの場合、弁の応答性能の問題から、4~5両編成程度が限度であった。これに対しU弁は精緻な機械機構によって6両編成以上の長大編成化と高速運転時の確実かつ迅速なブレーキ応答性能を実現したが、その複雑さと高価さ、そして何より保守の困難さのため、広く普及はしなかった。

このため、ある程度の長大編成化への要求とコストダウンへの要求が強まった1930年代初頭に、M弁の軽易さとU弁の高性能を適度にバランスしたA動作弁が日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)社の手によって開発・実用化され、日本ではこれ以降、この弁を使用するAMAブレーキと、国鉄80系電車のAERブレーキ[4]を筆頭とするその派生形各種が、HSC/SMEE系電磁直通ブレーキの普及が始まった1950年代まで、日本における電車のブレーキ方式の主流となった。

[編集] 戦前形主力グループ

このグループには、通勤・近郊形の3扉ロングシート車(縦型座席車=タ)モタ300形クテ700形クタ750形、長距離形の2扉転換クロスシート車(横型座席車=ヨ)モヨ100形クヨ500形が該当する。外観は扉数以外は同一様式の19m全鋼製車、性能も同一で混用は当然に可能であり、運用上も特に区別されていなかった。クテ700はロングシート車だが手荷物室(テ)を備えている。

これらは1929年から1937年までに合計48両が製作された。製造は基本的にモヨ・クヨが神戸の川崎車輌、モタ・クテ・クタが名古屋の日本車輌製造本店であったが、モタ300形の最終増備車(328~330)のみ汽車製造会社で製作されている。

乗り心地は同時代の国鉄電車よりも優れており、シートが深くかけ心地が良いなど乗客からの評判も良かったと言うが、一方で運転台スペースが窮屈で、乗務員にとってはやや苦しい車両であったとの証言もある。

[編集] 車体

初期グループ車は窓が比較的小さく、全鋼製車ならではの深くリベットがびっしり打たれた鋼板屋根の重々しさと相まって、さながら装甲車両を思わせる物々しい外観を備えていた。

もっとも、これらの窓のスチールサッシは全ての角にRが付けられており、やや深めでRの大きい屋根とその上に載せられた、スライダー部分が緩やかな円弧を描くヨーロッパ風のパンタグラフもあって、直線主体のエッジが立った造形で軽快かつ豪放磊落な印象の姉妹車である新京阪P-6とは対照的に、重厚かつ落ち着いたヨーロッパ風の佇まいとなっていた。

また、新京阪P-6形にはなかった装備として、連結時に展開する安全畳垣が新造時より装備されていたが、最後までこれを常用した大阪市100~600と異なり、こちらは1934年に撤去されている。

剛性重視で強固だが重い魚腹型台枠車であり、電動車では47t~48.56tの超重量級に達したが、平坦線主体の良好な線形と大出力で補われた。後発で型鋼通し台枠採用など、青山峠越えの関係で軽量化を重視した設計とされた参宮急行電鉄2200系電車が軽量化技術のノウハウ不足から、新造直後より強度不足や車体中央部の垂下に悩まされ続け、再三に渡って車体の補強工事を施工されたのに対し、阪和車は転変を重ねて平成初期まで残存したモヨ2両を含め、台枠の垂下を殆ど経験しないままに経歴を終えている。

初期の電動車は、幅が広く横型碍子を備えたヨーロッパ風の三菱電機P-900-Aパンタグラフを2基載せており、これもまた目立った特徴であった。このP-900-Aは、阪和以外ではこれらと同時期に川崎車両で建造された吉野鉄道テハ201、それに東京横浜電鉄・目黒蒲田電鉄デハ510形の一部に集中的に採用されたのみで後続の同系モデルは一切存在しないという、極めて特殊な製品[5]であった。

モタ300形325以降は東洋電機TDK-C-2(鉄道省制式PS11形同等品)となり、更に328~330は当初より1基搭載で竣工している。325が竣工した頃には既に補修部品確保を目的に在来車の1パンタグラフ化が進められていたが、325~327についてはパンタグラフの離線によって回生制動が失効するのを避けるため、あえて2パンタグラフ仕様で建造されている。

前照灯および標識灯は小糸製作所製の当時の標準品であるが、中でも初期車の前照灯はウランガラスを使用した特殊なレンズを装着していた。また、標識灯は前面向かって左側の車掌台窓上中央に1灯取り付けが正位置であり、右側の運転台窓上右寄りに取り付けられた灯具は超特急などの優等列車を識別するためのいわゆる急行灯であった。この配置は屋根上に取り付けられたラッパ形の真鍮製タイフォンと共にオリジナルの阪和形電車の特徴である。

[編集] 主要機器

主要電装品は東洋電機製造による国産品である。制御器としては、東洋がライセンス契約を結んでいたイギリスのイングリッシュ・エレクトリック社(English Electric Co.:EE社)の「デッカー・システム(DICK KERR SYSTEM)」の系譜に連なる、精緻な電動カム軸式自動加速制御器が採用されている。

モヨ全車とモタの前期形は主制御器としてES-504-Aを搭載していたが、これは既存品で、姉妹車である新京阪鉄道P-6形と共通である。後期形のモタ300形325~330には主制御器として改良型のES-513-Aが搭載されたが、これは先行して1933年に製造された大阪市電気局(大阪市営地下鉄)100形用ES-512-Aをベースに力行時の弱め界磁機能を付加[6]したもので、当然ながら制御線はES-504-Aと共通仕様で混用が可能であった。

また、特に1935年に増備された325~327の3両には、東洋電機が国産化[7]に成功した、直卷電動機の他励界磁制御による回生ブレーキ機能が付加されていた。

これは高速運転の代償として、ブレーキシューや車輪の摩耗交換の頻度が極端に高かったことへの対策として実施されたものであり、戦後の電空同期ブレーキシステムとは異なり回生ブレーキはマスコン側で、空気ブレーキはブレーキ弁側で、それぞれ個別に操作する必要があって操作には熟練を要した。しかしながら、摩耗部品の延命に大きな効果があり、これらの回生制動搭載車は超特急および「黒潮」に重点投入された。以後、阪和は輸送需要増大に伴う変電所増強に際し、当時最新の水銀式整流器ではなく、旧式ではあるものの構造上余剰電力吸収が可能な特性を備える回転式変流器をあえて選択するなど、回生制動の本格採用へ向けての準備を実施していることから、この回生制動は当初期待された以上の効果があったものと推測される。

この回生制動段の指令は自車以外ではこれらと同時製作のクタ750形751、それに以後の増備車であるクタ3000形3001・3002およびクタ7000形7001・7002でのみ可能で、それ以外の車両との併結時は回生制動機能は停止されていた。

モーターのTDK-529-Aは東洋電機の自社開発品で、狭軌線向け電車用としては当時日本最強クラスの200馬力級[8]モーターの1つであった。これは姉妹車と言うべき新京阪P-6に搭載された標準軌用200馬力級モーターであるTDK-527-A[9]を基本として、ケースの軸方向寸法を狭軌用に縮小し、フラッシュオーバー対策として定格回転数を落とし、これに合わせて増加した磁気容量を確保するために、ヨークやケース、あるいは電機子などの直径を大きく再設計したものである。このためか阪和の車両の床下地上高は他社車両よりかなり高く初代新幹線電車(0系)並で、国鉄買収後にクモハ43などの国鉄制式車と混結して運用された際にはその背の高さが目立った。

台車は汽車製造会社製のKS-20形、あるいは日本車輌製造製のD-20形で、これらは共に帯鋼リベット組立の一般的なビルドアップ・イコライザー台車であり、事実上同一設計と考えて差し支えない。汽車KS-20の設計者は同社の米田技師と伝えられており、新京阪P-6向け台車の経験を元に狭軌用として改設計を施したものであった。

これらの台車は大出力大直径の電動機を装架し、しかも1基あたり20tと大きな最大荷重に耐える必要があったことから、軸距が長く大柄で、この頃の電車用台車としては高速向けの設計であった。

[編集] 戦時投入グループ

[編集] クタ3000・7000

南海山手線となった1941年~1942年に順次竣工したクタ3000・クタ7000形電車20両は、合併前の阪和が1939年から投入を計画し、一部を発注していたものである。

基本的にモタ300形・クタ750形と同一仕様のロングシート車ながら、ノーシル・ノーヘッダーで全溶接構造、しかも各窓の上部に優雅な曲線を取り入れ、さながらベークライト製のラジオケースを思わせる、極めて個性的な平滑スタイルのボディを有していた。ただし、全溶接組み立てが実現したこの時点に至ってもなお、時代遅れな魚腹台枠を墨守しており、新造当時より各方面から疑問を投げかけられていたが、これは重要部品である台枠の設計変更を実施した場合、認可が遅れる可能性が高く、戦時体制下の酷使に伴う故障続出で逼迫していた、当時の阪和の車両事情に鑑み、増備スケジュールに悪影響が出るのを防ぐ目的で在来車の設計をそのまま流用したもの [10]であったと推測されている。

このグループはラッシュ対策で客用扉の拡幅(1,200mmに変更)が実施され、更に運転台が全室式から片隅運転台となっており、クタ3000形は両運転台(暫定的にクタ7000同様和歌山向き運転台のみ、マスコン(ES-93-A)などの機器を搭載)、クタ7000形は片運転台で設計されている。

このうちクタ3000形は、本来電動車のモタ3000形として計画・設計されたもので、戦時体制下では所要の電装部品(専用設計であった150kW級主電動機をはじめ、阪和形電車はあらゆる面で高級な仕様であった)の調達が困難であったために、やむなく全車が暫定的に制御車として竣工したものである。

この内クタ3001・3002は電装品調達完了を待って1941年12月18日付で車両設計変更認可申請を提出し、翌年5月5日付で認可を得、電装工事は同年7月21日付で竣工、モタ3000形3001・3002となった。

更にクタ3003~3007についても同様に電装品を揃えて1943年5月3日付で車両設計変更認可申請を提出し、同年6月21日付で認可を得たが、国家買収をはさんで1944年5月16日付で電装工事が完了したのは、モタ3003・3004の2両に留まり、残る3005~3007は非電装のままとされ、最終的にクハ25形113~115として旧クタ7000形と同一グループに編入されている。

クタ3000・クタ7000は3001~3007と7001・7002が従来通り日本車輌製造で製造されたが、7003~7007は地元堺の帝国車輌、7008~7013は日立製作所笠戸工場で製造された。第1陣である3001・3002・7001・7002の4両以外は、鋼製の張り上げ屋根を止めて帆布張りで雨樋付きの一般的な屋根に変更され、一部内外装が簡略化されるなど戦時色の濃い仕上がりであった。

なお、台車形式は帝国車輌製がT-20、日立製作所製がH-20として竣工図には記載されているが、当然ながら汽車製造製KS-20の原図に従う両社製の同等品である。

[編集] クタ600

クタ3000・クタ7000と別に、1942年にはクタ600形制御車5両が増備されている。

当初の形式は「モハ601形」なる南海式の形式称号で認可申請されており、電動車として計画されたが実際には制御車として出場した。従来の阪和形が魚腹台枠であったのに対し、こちらはよりシンプルかつ軽量な半鋼製車体・形鋼通し台枠仕様で、前面窓上にベンチレーターを装備した外見もやや大人しく、当時の南海本線用最新鋭車であるモハ2001形2017・2018に準ずる設計であった。

これは車両所要数確保が優先し、本来は南海本線用として製造割り当てを受けた車両を山手線に振り向けたことが原因である。既に確保済みの部材流用等の便を図って、南海本線向け車両と共通仕様で設計されているが、車体寸法については山手線規格で、南海本線車両そのままの設計ではない。

本形式は資材難で電裝に必要な機器が揃わず、また先に製造が開始されていたクタ7000形のうち、日立製作所が担当した7008~7013の就役が水害で遅れたため、急遽これに代わる制御車として、阪和式の「クタ」の称号を冠した形式名で竣工している。制御車ながら電動車そのままの両運転台車体であったが、クタ3000形同様運転に必要な機器は和歌山向き運転台にのみ搭載され、実質は片運転台車であった。

なお、本形式の台車はこれまでのD-20と同一設計の日本車輌製造製であるが、竣工図上ではN-20と形式が記載されている。これは同系台車を製造メーカーのアルファベット頭文字を用いて判別可能とする南海の社内呼称であり、ここでも南海の流儀が顔を覗かせている。

[編集] 筑波鉄道譲受木造車

1938年に茨城県の筑波鉄道(のち常総筑波鉄道を経て関東鉄道筑波線となり、再び筑波鉄道に分社化されて1987年廃止)から譲受した木造客車4両で、1939年3月から就役し、当初は元空気溜め管の追加や制御線引き通しを実施しただけのサタ800形として竣工後、同年7月に和歌山向き運転台設置及び機器整備の上で改めて制御車のクタ800形801~804として竣工した。

元々非電化であった筑波鉄道は、路線延長と電化を計画して1925年から1927年にかけ9両の木造客車を増備した。この客車2形式(ナハフ100形101~105、ナロハ200形201~204)は、当初から電車風のスタイルを持っており、必要があれば電装品を搭載して電車に改造できる仕様になっていた。製造は日本車輌である。しかし不況で路線延長は計画倒れとなり、また路線近傍の柿岡にある地磁気観測所での観測に直流電化が悪影響を与えるという理由で、電化計画も頓挫した。このため、新造された電車形客車は終始蒸気機関車に牽引されて運転された。

その後、1937年に至って筑波鉄道は中型ガソリンカー3両を導入[11]し、運行の合理化を図った。この結果余剰となって整理された電車形客車のナハフ102、ナロハ201・202・204が阪和に譲渡され、電車に改造されることになった。他に相前後してナハフ101、ナロハ203は三河鉄道(のち名古屋鉄道三河線)に転じ、やはり電車化されている。

車両不足になりつつあった時期とはいえ、当時の東海道本線に匹敵する高規格路線を擁しており、しかも破格の高水準な車両を運行していた阪和が、わざわざ前時代的な木造車を導入した背景には、日中戦争の長期化により都市部で軍需関連工場等への通勤客が急増していたことがあげられる。

阪和は全通直後の1931年度には39両の旅客車でのべ9,848,195名の輸送実績があったが、これが1937年度には47両で21,345,182名、つまり車両数の20%増に対して乗客数が117%増と文字通りの激増を示しており、車両増備は急務であった。しかも、元来高頻度高速運転を実施し運用効率が高く設定されていたことや、保守陣も兼務で合理化や効率化が図られていたことが祟って、この時期には特に電動車の故障が続出しており、定期列車運行数ぎりぎり、つまり予備車無しの綱渡り状態での車両のやりくりを強いられていた。そこで同社は1938年以降30両の車両増備を計画し、鉄道省をはじめとする監督官庁に申請を実施したが、折り悪くこの時期阪和には国家買収や南海との合併問題が浮上しており、その状況の推移を確認してから認可手続きが実施された結果、認可に平時の4倍~7倍強、時間にして9ヶ月から約1年半という、急を要する車両増備には致命的なロスタイムが発生してしまった。しかも、全車が全鋼製の大型大出力車である阪和の場合、上述の通り特注扱いのTDK-529Aをはじめ代替品調達手段の存在しない部品が電装品を中心に多く含まれ、戦時体制への移行で資材難が深刻化する中で、部品を揃えて電動車として竣工するまでには更に長い時間[12]を要することとなった。

この危機的な状況の打開策として国が行ったのが、地方の中小私鉄などで余剰になっていた車両を都市部の私鉄に斡旋する、という政策であり、当初阪和には筑波鉄道の4両以外にも、鉄道省から雑型客車1両の払い下げが実施された。もっとも、こちらは高速運転に耐えられなかったらしく、一旦サタ850形851として認可申請を行い認可は得たものの、結局使用せずに富士山麓電気鉄道へ売却している。

本形式はモヨ・モタと編成を組んで運転されたが、日本の木造電車でこれほど極端な高速走行路線に充当された例は、営業運転では希有であろう。

なお、これら4両についても制御車化後に自動空気ブレーキとしてU-5弁使用のACUブレーキが搭載されているが、これは日本における木造車に対するU弁搭載の唯一の例であり、この事実から本形式は木造車でありながら他の制御車と区別無く、同一の運用に就いていた事が判る。ただし客用の自動扉の操作は手動扉の本形式からはできなかったため、本形式が列車の最後部になった場合は車掌は1両前の車両に乗務していた。

[編集] 電気機関車・荷物電車

阪和が製造した電気機関車2形式、荷物電車1形式は、いずれも個性の強い車両群であった。共に日本車輌製造製で東洋電機の電装品を搭載した。なお、南海合併後に電気機関車1形式が新たに製造されている。

[編集] ロコ1000形

モヨ・モタなどの大型電車群と並んで阪和電気鉄道を代表する本線貨物列車牽引機で、1930年に2両、翌1931年に1両が増備された。50t級・B-B軸配置で13m級箱型車体の、昭和初期の私鉄機関車としては大型な車両である。一般には戦後、国鉄が付番した形式称号である「ED38形」の名で広く知られている。

なお南海合併後の戦時中にも1両の増備が行われたが、車体は1942年に完成したものの戦時で電装品手配が遅れ、竣工は国家買収後の1944年6月30日になった(買収後ながら車号は当座ロコ1004で出場した)。

詳しくは、国鉄ED38形電気機関車の項目を参照のこと。

[編集] ロコ1100形

入れ替え用30t・B-B軸配置の小型凸型機関車で、1930年に1101号の1両のみ製造された。天王寺駅構内での国鉄との貨車授受作業に充当される車両で、駅構内の省線との連絡線にある33/1000勾配に備えて発電・回生ブレーキを装備している。

全長約10m、コンパクトかつ機能的にまとまった好ましいデザインの小型機関車であり、妻面に乗降扉を設けたため、ボンネットが前後互い違いにオフセットしている。

風変わりな点は、1500Vの高圧直流車でありながら、600V仕様の路面電車などと同様、直接制御方式を用いていた点である。通常ならばこのクラスの高圧では間接制御方式を用いるのが普通だけに特異であるが、これは使途が貨車授受と構内入替であり、タイトな構内配線と急勾配の連絡線という厳しい使用線区の条件から、間接制御器では不可避のノッチ操作に伴うレスポンス遅延を嫌ってあえて採用したものと推測される。

この機関車の入替機としての性能は非常に優秀であり、戦後天王寺駅での貨車の授受が不要となって近江鉄道に譲渡されて以来、現在に至るまで同社で入替用として愛用され続けているという事実がそれを証明している。

諸元

  • 全長:10,306mm
  • 全幅:2,520mm
  • 全高:4,150mm
  • 機関車運転整備重量:30,0t
  • 電気方式:直流1500V(架空電車線方式
  • 軸配置:B-B
  • 台車方式:板台枠
  • 主電動機 TDK550-D形(41kW≒55HP)×4基
  • 歯車比:18:84=1:4.66
  • 1時間定格出力:164kW
  • 1時間定格引張力:4,950kg
  • 1時間定格速度:12km/h
  • 動力伝達方式:1段歯車減速吊り掛け式
  • 制御方式:2段組合せ制御、抵抗制御
  • 制御装置:直接制御器
  • ブレーキ装置:AMM空気ブレーキ、発電ブレーキ、手動ブレーキ

[編集] モカ2000形

1929年の開業時に日本車輌で2001・2002の2両が作られた荷物電車で、13m級両運転台ボギーの有蓋電動貨車とでも言うべき存在である。側面に片寄せられた2枚の引き戸を備えた重々しい形態の車両で、小単位の貨物列車牽引にも用いられた。

[編集] ED1150形

1943年に1151の1両のみ製造された、いわゆる東芝40t標準型と呼ばれるタイプの凸型車体の電気機関車である。翌1944年の国家買収時に南海が引き揚げた。詳細は南海ED5151形電気機関車を参照されたい。

[編集] 旧・阪和形車両の推移

[編集] 阪和形電車群

1944年の山手線国家買収時、南海鉄道は買収リストに掲載の無い山手線用予備機材を悉く引き上げた。本来南海本線に投入すべきものも含め、資材を最優先で山手線に投入していたことが原因であるが、ストックされていた予備の三菱P-900-Aパンタグラフなど、明らかに南海では不要な機材までもが撤収され、住之江検車区などに保管された。

[編集] 国家買収後

国鉄に買収された私鉄路線の在来電車は、多くが小型車・低出力車で、使用機器も標準的なものではないため国鉄では使いにくく、早期に廃車されるのが普通であった。しかしながら、阪和形電車に関しては標準的な国鉄形電車を凌駕する大型・大出力車であり、かつ、車両数も70両以上が揃っていたために唯一例外扱いとなった。

これらは阪和線からの転出を免れて国鉄籍を保ち、戦後しばらくも旧阪和時代からの形式称号を暫定的に名乗っていたが、1953年の称号改正で一旦、モハ2200ほか(制御車はクハ6200ほか)の私鉄買収車4ケタ称号を与えられた。その後、1959年には新性能電車の増加に伴う国鉄電車全体の全面的な形式称号の整理・改番で空いた20番台が割り当てられて「クモハ20クハ25」とされ、国鉄制式車と完全に同格の扱いとされた。なお、この形式称号は、この年に阪和超特急の速度記録を破った「こだま号」用国鉄特急形電車151系の旧形式称号と同じ番号帯が割り当てられたものであった。

この間、制御装置やブレーキ、パンタグラフなどは開業以来の酷使で南海時代から引き続き故障が頻発したが、これに加えて国家買収時の南海による部品引き揚げ措置などの悪条件もあり、補修部品は不足した。また運用面から、新たに阪和線に転入してきた国鉄標準車との混結の必要性も生じており、当時阪和線を所轄した天王寺鉄道管理局(天鉄局)は再三に渡りその窮状を、膨大な量の故障記録を付して国鉄本社に訴えていたほどであった。

これらの問題を解消するため、1950年代以降、各機器の国鉄制式品への換装工事が順次実施され、以下のような交換措置によって、故障頻度の大幅な低下と国鉄標準車との混用による運用効率の向上が実現した。上述の国鉄制式車と同格の形式称号への「格上げ」も、この標準化工事の完了に伴って実施されたものであった。

  • 自動ブレーキ(U自在弁→A動作弁化)
  • 制御器(東洋電機電動カム軸式ES-504-A/513-A→鉄道省制式電空カム軸式CS5・電動カム軸式CS10/10A形)
  • マスターコントローラ(→鉄道省制式MC1形)
  • パンタグラフ(→国鉄標準の簡易式PS13形)
  • 連結器(柴田式自動連結器→柴田式密着連結器)

このうち、主制御器は一旦CS5へ換装された車両もその後CS10系へ変更しており、最終的にCS10/10Aで揃えられた。これは保守を担当する鳳電車区が阪和電鉄開業時のES-504-A以来、長年にわたって電動カム軸式制御器の保守を続けていてこの複雑な構造の制御器を熟知しており、特に初期には故障が多く他区では敬遠されがちであった新型のCS10系を抵抗無く受け入れたことと、CS5/10の混在はCS5搭載車の反応の遅れから加速時にCS10搭載車に負担をかけ、乗り心地のみならず保守面でも好ましくなかったことによるものである。これは以後、阪和線に70・72系といったCS10系制御器搭載車の投入が積極的に実施され、阪和形電車の淘汰に先駆けてCS5を搭載する43系電車の転出が早期に実施される一因となった。

なお、主電動機については特に換装の必要が無く、また換装に適当な制式電動機も存在しないため、オリジナルのTDK-529-A(端子電圧750V時定格出力150kW)がそのまま使用され続け、これにはMT900という国鉄形式が与えられた。また台車もオリジナルのKS-20・D-20・T-20・H-20・N-20がひとまとめにしてDT28と付番の上で引き続き用いられた。もっとも、阪和電鉄時代からのスタッフが多く残っていた鳳区などの現場では、国有化後も阪和時代と変わらずD-20と呼んでいたという。

その後、ラッシュ対策としての2扉車の3扉化、両運転台車の片運転台化、スチールサッシの木枠化、客用扉のプレスドア化、狭かった運転台の奥行き拡大工事、運転台窓のHゴム固定化など同世代の国鉄制式電車に実施されたのとほぼ同等の内容で、改造工事が車体の内外に施された。更に塗色は最終的に朱色1号一色となり、往年の洗練されたスタイリッシュなフォルムは次第に崩されてゆき、最終的には見るも無惨な状態になったが、買収国電でここまで徹底した改修工事を施された車両は他になく、国鉄当局の阪和形電車に対する評価の高さと、買収後の重用ぶりが窺えよう。

一時制御車の一部について片町線での運用例もあったものの、国鉄制式車より大きな車体幅や自重などの要因もあって、阪和線以外の他線区への転用は難しく、全車がほぼ一貫して古巣の阪和線で運用され、1967年まで国鉄に在籍した。

この内、1966年に除籍された元モヨ100形のクモハ20形2両(クモハ20052・20054。旧モヨ104・106)は、1968年に客貨分離をもくろんで強力な電動車を求めていた松尾鉱業鉄道に払い下げられ、モハ201・202として国鉄花輪線から乗り入れるキハ52形気動車を牽引して急勾配を登坂するようになった。もっとも、回収硫黄の普及で経営難に陥った松尾鉱山の倒産→閉山に伴う旅客営業休止(1969)によってわずか1年で休車となり、しばらく車庫に置かれていたが、1971年には弘前電鉄合併に伴う車両体質改善のために適当な中古車両を探していた弘南鉄道に譲渡され、同社弘南線に移籍した。

この時、弘南線の橋梁荷重制限と変電所容量の制約から出力ダウンと軽量化が求められ、同線在籍のモハ2250形(元富士身延鉄道)との間で台車交換[13]を実施し、片運転台化の上でモハ2025・2026として就役した。これに伴いDT28(KS-20)を装着したモハ2250形2両は過剰出力のMT900を下ろしてクハへ改造され、下ろされたMT900は8台とも平賀車庫で解体処分されている。

その後、これら最後の阪和形電車2両は弘南線で収容力の大きさを買われて主力車として活躍を続け、1978年の弘南線への東急3600系の大量導入時に電装解除が実施されて制御車[14]へ改造されたものの、1980年代末の東急7000系導入時まで現役として使用され、ここで60年に渡る波乱に満ちた車歴に終止符を打った。廃車後の処分は2両共解体で、これにより阪和電鉄・南海鉄道山手線由来の旅客車は全車消滅となっている。

[編集] 旧筑波鉄道木造車

木造車のクタ801~804は、阪和の南海合併後に南海本線に転属しており、国家買収の対象から外れた。戦後の短期間に電車不足による蒸気機関車牽引の列車運行が南海高野線で行われた際には、これらは再び客車代用の付随車サハ3801形として蒸気機関車に牽引された。南海合併後の詳細は南海サハ3801形(初代)を参照されたい。

[編集] ロコ1000

国鉄阪和線を中心に戦後も使用され、1960年に国鉄での使用を終えた。しかし大井川鉄道秩父鉄道へ譲渡され、秩父鉄道では1981年まで使用されて休車の後廃車となった。

現在、1両が三峰口駅付近に静態保存されている。詳しくはED38形の項目を参照のこと。

[編集] その他

ロコ1101は形式変更のないまま1950年廃車、1951年7月に近江鉄道に譲渡された。同社でも低速小型のため本線運用はほとんどなく、主として近江セメント彦根工場内入れ替え車として1986年まで用いられた。以後は近江鉄道彦根工場構内での入れ替え作業を行う程度であった。2004年7月1日に除籍されたが、2006年現在も彦根工場にて車籍無しの機械扱いとして入替に使用されている。

モカ2000形は国鉄買収時は電気機関車扱いとされていたが、1947年に電車としての扱いに変更されている。1953年3月に阪和線鳳から宇部線の宇部電車区に転属、同年6月の称号改正でモニ3200形3200・3201となったが、3200は1954年に国鉄豊川分工場の入れ替え車に転用された。3201が1958年、3200が1959年に廃車されている。

[編集] 脚注

  1. Westinghouse Air Brake Co.:あるいはWABCOとも。現Wabtec社。
  2. WH社の制御付随車用はACU、付随車用はATUとなる。
  3. Automatic Valve Releaseブレーキ。日本での通称「AMJ」は正式名ではない。
  4. A動作弁に電磁同期弁を付加することで16両編成時の後部車両のブレーキ緩解不良や動作遅延の問題を解消し、中継弁による増圧でブレーキ力を強化した。
  5. 吉野鉄道が同時期にスイスから輸入した電気機関車にも同一タイプのパンタグラフが搭載されていたことから、これはスイスのブラウンボベリィ社(Brown Boveri & Co. Ltd:BBC社)からの輸入品であったと古くから伝えられている。ただし、その真偽は定かではない。
  6. ES-512-Aでは、電制用の弱め界磁回路は電制常用の関係で当初より搭載されており、また郊外区間での高速運転を想定して、力行用の弱め界磁も搭載を前提に設計されていた。
  7. 元々はドイツAEG社が開発したAUR系制御器がベースで、山岳線区用の高野山電気鉄道デ101・デニ501形に搭載されていたAEG製を模倣して国産化を実現し、その後阪和や名古屋鉄道などの高速電車用に応用された。
  8. 端子電圧750V時定格出力149.2kW/710rpm。
  9. 1927年設計。端子電圧750V時定格出力149.2kW/805rpm。日本初の電車用150kW級主電動機。
  10. 当初はモタ300形・クタ750形の単純な増備車として計画されており、その後設計変更で全溶接構造の車体になったことが、当時の鉄道省への申請書類で確認できる。
  11. キハ301~303。1937年5月、日本車輌製造東京支店製。1934年には燃料統制へ向けて木炭ガス発生装置を搭載する代燃車が現れていたことを考えると、当時の地方私鉄でも相当に遅れての気動車採用であった。
  12. のべ12両が申請された電動車については、全車電装を断念して制御車としてひとまず竣工させることにしたが、それでも元からの制御車を含め認可から竣工までには短いものでも1年半、長いものでは約3年を要し、後者の場合、阪和時代に計画されたものが、南海鉄道との合併後1年以上を経過してから竣工している。なお、30両の申請に対し、実際に竣工までこぎ着けられたのは各形式合わせて25両であり、このうち電装を実施して電動車化が実現したのはわずか4両に留まった。
  13. これによりMT15(端子電圧675V時定格出力100kW)付きのDT10に台車が変更された。
  14. クハ2025・2026へ改番。この際に台車が本来のKS-20に戻されている。

[編集] 関連項目

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