独裁政治
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独裁政治(どくさいせいじ、英:dictatorship、独:Diktatur)とは、一個人または一集団が絶対的な政治権力を独占して握る政治体制を指す。独裁制(どくさいせい、autocracy)。
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[編集] 概要
「独裁政治」という言葉は、戦争や内乱などの非常事態において、法的委任の手続きに基づき独裁官に支配権を与える古代ローマの統治方法に由来する。
独裁政治は、一般に、社会の混乱期において発生し易く、政治の混沌期や、経済の長い停滞期に多く出現する。強大な権力を付与された為政者が主導する指導体制によって、それらの国家的危機を克服し、また、結果的に国家を大きく発展させるという歴史的効果もあった。
独裁的な政治体制の下では、体制批判は許されず、個人の自由は著しく制限される。民衆は抑圧され、反対派は排除される事が多い。また、為政者の権力行使に抑制が効かずに、恣意的な国家運営に堕すこともあり、国家としての方向性を失って行く場合も多い。
[編集] 代表的な独裁政治
古代ローマでは、元老院議員による腐敗政治が横行した「評議会」に代わって、強力な指導者が望まれたことから独裁政治が登場した。その後誕生したローマ帝国は最盛期を迎えている。
ソビエト連邦では、ウラジーミル・レーニンが世界初の社会主義革命でボリシェヴィキによるジャコバン以来の一党独裁を樹立。芸術(モンタージュ、ロシア・アヴァンギャルド)を通して共産主義の優秀性の誇示や共産主義運動を宣伝するプロパガンダを発展させ、その画期性はゲッベルスをも絶賛させ、後のナチ党やアメリカの映画産業が取り入れた。レーニンの死後は権力闘争によってヨシフ・スターリンが政権を獲る。スターリンは、1928年に5か年計画を打ち出し、世界各国が不況に喘ぐ中でソ連は世界一の政治力と経済力を持った。やがて先進国の大部分は社会主義的な経済政策を採用した。大粛清で恐怖政治を行う一方、第二次世界大戦ではソ連領土に侵略したドイツ軍を撃破した。
第一次世界大戦後のドイツでは、第一次世界大戦に敗戦し、ベルサイユ条約によって天文学的額の賠償金を請求されていたことと、同時に世界恐慌が生じていたにも関わらず、当時のワイマール共和国政府の経済政策の停滞により大量の失業者が溢れ出ていた。そのためナチ党が圧倒的に支持され、アドルフ・ヒトラーが政権を握る。その後、アウトバーンの建設などヒトラーによる懐柔策によって失業者は殆どなくなり、ナチス・ドイツになって急速な経済復興を果たして行く。
[編集] 独裁政治の例
[編集] 政治権力が一個人に集中
[編集] 政治権力が一集団に集中
- ジャコバン派 (フランス)
- ボリシェヴィキ(ソビエト連邦)
- ファシスト党(ベニート・ムッソリーニ政権)(イタリア)
- 大政翼賛会(日本)
- 中国共産党(中華人民共和国)
- 国家平和発展評議会(ミャンマー)
- ベトナム共産党(ベトナム)
- ユーゴスラビア共産主義者同盟(ユーゴスラビア)
- アフガニスタンのターリバーン
[編集] 関連文献
- Schmitt, Carl.,Die Diktatur: von den Anfangen des modernen Souveranitatsgedankens bis zum proletarischen Klassenkampf, (München:Duncker und Humblot, 1921).(カール・シュミット著、田中浩・原田武雄訳『独裁――近代主権論の起源からプロレタリア階級闘争まで』未來社、1991年。ただし1964年の原著第三版の邦訳)
- Neumann, Sigmund.,Permanent revolution; the total state in a world at war, (New York:Harper and brothers, 1942).(シグマンド・ノイマン著、岩永健吉郎・岡義達・高木誠訳『大衆国家と独裁――恒久の革命』みすず書房, 1960年/新装版, 1998年)
- Moore, Barrington Jr., Social Origins of Dictatorship and Democracy: Lord and Peasant in the Making of the Modern World, (Boston:Beacon Press, 1966).(バリントン・ムーア著、宮崎隆次・森山茂徳・高橋直樹訳『独裁と民主政治の社会的起源――近代世界形成過程における領主と農民(1・2)』岩波書店, 1986年)