日本教職員組合
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日本教職員組合(にほんきょうしょくいんくみあい、英: Japan Teachers Union、JTU)とは、日本最大の教員およびその他の学校職員による労働組合の連合体。「国立・公立・私立の幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学、高等専門学校、専修学校、各種学校などの教職員で構成する組合と、教育関連団体スタッフによる組合を単位組織とする連合体組織」と自己規定している。現状では、小学校、中学校、高等学校の教職員が、組合員の大半を占める。略称は、日教組(にっきょうそ)。日本労働組合総連合会加盟。2005年7月1日現在、組合員数は約32万1000人。
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概要
日本教職員組合は、日本の教職員組合の中では最も歴史が古く、規模も大きい。政治的な運動を含め、多くの活動を展開してきており、入学式・卒業式などで国旗掲揚や国歌斉唱に批判的な立場を採るなど、左翼的な思想傾向が強い団体である。このような思想を嫌う人々を中心に「今日の教育荒廃の元凶」とする意見もしばしば見られる。
その一方、現場教員のほとんどが加入している組織率の高い県では、組合役員を経験することが、管理職や教育委員会への登用など、出世のための定番コースとなるという、民間企業労組の労使協調路線に類似した人事が行われている事例が多く存在する。このような地域では、組合役員が当局とのトラブルを怖れ、組合員の不満を率先して抑圧し、有効なチェック機能を果たさない、単なる御用組合に堕しているという批判もなされている。
日本教職員組合の思想や方針をめぐっては意見の内部統一がとれずに組合の一部が分離・独立したことが何回かあり、そのようにして作られた日教組とは別の教職員組合もいくつか存在する。
かつては日本の学校教育に大きな影響力を持ち、文部省(現在の文部科学省)が教育行政によるトップダウン方式で均質かつ地域格差のない教育を指向するのに対し、現場の教員がボトムアップ方式で築く柔軟で人間的な教育を唱え、激しく対立した。その後、1995年に日本教職員組合は文部省(当時)との協調路線(歴史的和解)へと方針転換を表明している。
組織
本部組織
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地方組織
独立機関・所属機関
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組織率
組織率は文部省、文部科学省発表による。単組数は直接的な下部組織のみ。
1958年:86.3%(調査開始時)
2003年:30.4%、76単組、組合員数約31万8000~33万人
2004年:29.9%、76単組、組合員数約31~32万2000人
組合歌
- 日本教職員組合歌 作詞:今井広史、作曲:佐々木すぐる
- 緑の山河 作詞:原泰子、作曲:小杉誠治
正式な組合歌は「日本教職員組合歌」。だが、実際によく歌われるのは「緑の山河」である。
歴史
日本教職員組合は、日本全国を対象として、1947年(昭和22年)6月8日に設立された。第二次世界大戦直後に「教え子を再び戦場に送るな、青年よ再び銃を取るな」を標語として出発し、当時は、教師の倫理綱領を定めて新しい教員の姿を模索する一方、文部大臣(現在の文部科学大臣)と団体交渉を行った。
教育行政に対しての数々の対立的な運動を繰り広げ、特に1950年(昭和25年)から1999年(平成11年)にわたっては、国旗掲揚と国歌斉唱に対して否定的な立場をとり、強制的な掲揚・斉唱に強く反対していた。なお、逆の立場からは、日本教職員組合に加盟している教員が中心となって、学校や在学生に対して、国旗・国歌の掲揚・斉唱の拒否を強要していた面があるとの指摘がある。
そのほかに日本教職員組合が行った運動としては、1956年(昭和31年)における教育委員会が住民による公選制から首長による任命制に移行することへの反対、1958年(昭和33年)における教員の勤務評定を実施することへの反対、1961年(昭和36年)における日本の全国統一学力テスト実施への反対、1965年(昭和40年)における歴史教科書問題をめぐった裁判(家永教科書裁判)運動の展開などがある。
1991年(平成3年)に、日本教職員組合を構成していた多くの組合員や一部の単位労働組合(単組)が脱退し、全日本教職員組合(全教)を結成した。(詳しくは、#離脱・独立を参照のこと。)
1994年(平成6年)には、旧・日本社会党が大きく路線変更をはじめ、旧・日本社会党を支持していた日本教職員組合も方針を変更し、文部省(現在の文部科学省)と協調路線をとることに決定し、文部省と和解した。2002年度(平成14年度)から2003年度(平成15年度)にかけて施行された文部省告示の学習指導要領では、日本教職員組合がこれまでに取り組んできた「自主的なカリキュラムの編成」の考え方に近いとも考えられる「総合的な学習の時間」が新設された。
時代の変化とともに対立から協調へと変化しており、特に20世紀末から21世紀始めにかけては、日本教職員組合と文部科学省との長期の対立に終止符が打たれたのではないかという捉え方もされているが国旗・国歌の掲揚・斉唱の拒否姿勢と活動は見られる。
離脱・独立
全日本高等学校教職員組合
日教組は組合員の多くが小学校や中学校の教職員であることから、小・中学校重視の活動を続けてきた。これに不満を持っていた高等学校組合員も多く、文部省の打ち出した高校教員優遇政策に乗り、多くの高等学校の組合が日教組を離脱。これは当時の高等学校教職員組合のほぼ半数に当たる。1950年4月8日に全日本高等学校教職員組合(略称は全高教、現在の日本高等学校教職員組合)を組織する。
全日本教職員組合
1980年代後半、日本教職員組合が日本労働組合総連合会(連合)に加盟の是非をめぐり、加盟に賛成していた旧・日本社会党系の主流右派と、加盟に消極的な主流左派、強硬に反対していた日本共産党系の反主流派の三つどもえの対立(いずれも日教組内の三分の一の勢力を持っていた)が激化した。そして主流左派の妥協により、連合加盟が確実となった1989年9月の定期大会を反主流派が欠席したことで分裂は決定的なものになり、反主流派の大半は日本教職員組合から脱退して全日本教職員組合協議会を結成、全労連に加盟した。1991年(平成3年)3月6日、協議会・全教は同じく全労連加盟組合だった日高教一橋派と組織統合し、新組織、全日本教職員組合(全教)を結成した。
日本教職員組合から離脱した単位労働組合は、青森県・埼玉県・東京都・岐阜県・奈良県・和歌山県・島根県・山口県・香川県・愛媛県・高知県の教職員組合の11組合である。京都府・大阪府・兵庫県の教職員組合は組合が分裂した。これらの県以外を対象区域としている組合については、各都府県の教職員組合から離脱したことになっている。
日教組は、反主流派の離脱を「日本共産党の分裂策動」として強く非難、脱退単組のうち、義務制にあってはすべての都府県、高校教組にあっては約半数の府県で、日教組方針を支持する組合員による新組織を旗揚げさせた。
全国大学高専教職員組合
大学教職員組合は、「大学部」という形で日教組に加盟してきたが、大学教組の側では、独立した単位組合として認めるよう要求し、日教組中央と対立してきた。 反主流派が全教を結成して日教組を離脱するのと相前後して、大学部も日教組大会をボイコット、新たに全国大学高専教職員組合(全大教)を結成し、日教組から事実上独立した。日教組は90年から91年にかけて各大学教職員組合の脱退を相次いで承認、大学教職員を組織する日本国公立大学高専教職員組合を新たに発足させた。
日教組が関係した主な活動・事件と解説
日教組は戦後から現在までの過程で犯罪行為を起こしたことがある。以下に非難の対象となった主な活動・事件を列挙する。
ストライキの実施
日教組は教育行政に関する国の決定の多くに反対してきたが、その手段としてストライキを良く用いた。近年では、1998年7月10日の東京都教育委員会による管理運営規則改正に反対した都高等学校教職員組合(都高教)と都公立学校教職員組合(東京教組)による時限ストや、2001年3月21日の北海道教職員組合(北教組)による、昭和46年に北海道教育委員会と北教組が結んだ労使協定(46協定)の一部削除に反対する時限ストがある。しかし、地方公務員である教職員は地方公務員法の対象であり、同法第37条は如何なる争議行為も禁止している。この条文によれば日教組は過去に幾度となく違法行為を行っていることになる。しかし争議行為を禁止すること自体が違憲であるとする反論も為されている。
学校管理職の自殺
日教組は、前述の通り、教育現場での国旗掲揚・国歌斉唱に対しては強硬に反対してきたが、そのような教育行政と現場の板挟みの立場の校長や関係者に、それが原因と見られる自殺が起こった。2003年3月に広島県尾道市で、同県が進めていた民間登用制により着任した元銀行員の小学校校長が自殺するという事件が起こり、世間を騒がせた。自殺の原因としては職場環境の違いによるストレスや就労時間の多さなどが考えられたが、県内保守派を中心として「現場教員による『突き上げ』」を原因とする主張もあった。広島県は、文部科学省が行った「是正指導」までは広島県教職員組合(広教組)と広島県高等学校教職員組合(広高教組)と部落解放同盟とを中心に、「解放教育運動」の盛んな地域であった。それは文部科学省の「国旗・国歌強制政策」への反対運動にも結びついていた。この運動についてはそれに反発する保守派を中心に「教育現場では校長に対する『突き上げ』となっており、それはいじめにも等しい」と主張された。広島県では1970年から現在まで12人以上の校長・教育関係者が自殺しており、これらの一部は「解放教育運動の影響は少なからず存在する」とする発言もあった(宮沢喜一の国会発言など)。なお、同事件が発生した後、ネット上の一部で広教組が「殺人集団」と誹謗されたり、広教組本部が入っているビルの玄関に銃弾が打ち込まれる事件が起きたりもした。
同様の事件は三重県でも昭和33年の四日市市教育委員会委員長や平成11年の県立松阪商業高校校長の自殺などで見られ、どちらの場合も「三重県教職員組合(三教組)の圧力があった」として非難する声があった。ちなみに、三教組の組織率は日教組に加盟している全教組の中で最も高い約95%である。
文部省(文部科学省)・教育委員会と日教組の対立が、教育現場ではこのように管理職と教職員の対立という形で顕在化するのは良く見られるもので、マスコミの報道などもこういった対立の構図を描くことが多い。しかし、「このような見方こそが紋切り型であり、教育問題の本質を的確に反映していない」とする批判もある。例えば、先の尾道市の民間人校長の自殺事件に関しては、校長としての研修期間がわずか2日しかなかったこと、その後も、学校において日教組と対立し孤立しがちで悩んでいた校長に対し、十分なサポートを行わず、教育現場を民間人校長に丸投げした教育委員会の姿勢は、現場教職員の閉鎖性とともに疑問が投げかけられた。そこから、保護者や地域住民、そして、何より子どもたちに与える衝撃を想像せず、地道な対話の努力を怠った教育委員会と教職員(組合)の責任は、ともに大きいという声も存在する。
このように、教育行政関係者と教職員組合は、表立った対立とは裏腹に、実際には、教育界全体の閉鎖的な体質を維持し続けてきたことにも批判が集中する。教育をめぐる問題が従来型の対応では困難であることが指摘されている現在、「開かれた学校づくり」という理念の下、教育行政と管理職、教職員、保護者や地域住民がともに、教育の改善に参加し、協働していくことが求められるといえる。 最終的に教育行政と教職員組合の対立は子供たちにマイナスに働くのである。
加盟組合
教職員組合
特定の単組が独立していない限り、小・中学校の教員の他、障害児担当教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、栄養職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には市町村立の小中学校の教職員が加盟。一部の県教組では、高校教員など、義務制以外の教員を組織する部門を、内部の構成組織としている。
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高等学校ほかの教職員組合
特定の単組が独立していない限り、高等学校の教員の他、障害児学校教員、養護教員、実習教員、現業職員、事務職員、臨時採用の教職員が加盟している。基本的には都道府県立の高等学校や養護学校、盲学校、聾学校の教職員が加盟。
高等学校
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高等学校・特殊教育諸学校
- 静岡県高等学校しょうがい児学校ユニオン
- 沖縄県高等学校障害児学校教職員組合(沖縄県高教組)
特殊教育諸学校
- 山形県障害児学校教職員組合
- 東京都障害児学校労働組合
事務職員
- 東京都公立学校事務職員組合
- 島根県学校事務職員労働組合
大学・高等専門学校の教職員組合
- 日本国公立大学高専教職員組合(日大教)
私立学校の教職員組合
- 日本私立学校教職員組合(日私教)
- 東京私立学校教職員組合(東私教)
その他
- 三重県教職員組合(三教組)は長年組織率100%を誇っており、三重県知事になるには三教組の支援が無ければなれないとまで言われた。現在はそれほどの影響力は無いが、それでも組織率は90%を超えている。
- 宮城高校教育ネットワークユニオン(宮城ネット)は日教組から脱退した宮城高等学校教職員組合(宮城高教組)から脱退、再加盟。
参考文献
関連項目
外部リンク
- e-station (日本教職員組合, JTU)
- 日本教職員組合 国立大学・公的機関交流センター (日教組UPIセンター, JTU)
- 日本国公立大学高専教職員組合 (日大教, JPUU)