テレビ離れ
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テレビ離れ(テレビばなれ)とはテレビの視聴習慣が無くなることを言う。以下、日本におけるテレビ離れについて扱う。
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[編集] 概要
総務省の統計[1]によると日本のテレビ平均視聴時間は1990年代以降も増加傾向にある。ニールセンの調査[2]によればアメリカでも増加傾向にある。フランス・カンヌのテレビ番組の国際見本市「MIPTV」で発表された統計では日本人の平均視聴時間は5時間1分で世界で一番テレビを見ているという。これは労働時間の他には殆ど一分の休みもなくテレビを見ているという事になり、世界平均の3時間と比べても異常なことが伺える。しかし2005年度のNHKの「国民生活時間調査」[3]によれば、日曜にテレビを見る時間は10代男性が1995年の3時間34分から05年に2時間25分、20代男性は3時間34分から2時間45分に減少している。行為率(テレビを見る人の割合)も同様に10代が96年の94%から84%へ、20代は85%から74%に減少した。但しこの行為率は全年齢層で微減している。この中で「若い男女は各曜日を通して視聴時間が短い。一方、70代以上は1日5時間以上テレビを見ており、無職や主婦、農林漁業者も同様に長時間視聴している」と言っている。これ等を総括すると、無職や老人の視聴時間は増加しているが、テレビを視聴する人は全体的に微減しており、その中で特に若い男性がテレビを見なくなっている。
[編集] テレビ離れの実相
主観的な興味・関心の低下にもかかわらず視聴時間は減少しておらず、テレビ離れを裏付ける客観的資料は乏しいのが実情である。
[編集] 高視聴率番組の減少
戦後から高度成長期は視聴率50%以上を記録する番組が多数存在した。例えば、63年のNHK紅白は視聴率81%、83年のおしんは62%、70年代の8時だョ!全員集合は50.5%。 2006年の今ではゴールデンタイムであっても平均15%程度で、20%を取れれば月間最高視聴率に入れる程である。バラエティの他にアニメも例えばドラゴンボールが27%、スラムダンクが21%と高視聴率を記録していたが、今ではサザエさんやドラえもんといった長寿番組以外は、殆どのアニメが深夜と早朝に隔離され、ゴールデンタイムであっても4、5%の視聴率しか取れない。
[編集] 視聴時間の増大
年齢が上がるにつれテレビ視聴時間は増大するが、1970年代から各年齢層の視聴時間に大きな変化はない。学生と賃金労働者の視聴時間が短く、無職と主婦の視聴時間が長い傾向も一貫している。70歳以上の視聴時間は10・20代の2倍にもなり、少子化・高齢化の進展に伴って日本のテレビ平均視聴時間は増大傾向にある[4]。
[編集] 広告媒体としての圧倒的な地位
電通の調査[5]によれば、テレビ広告費は総広告費の約3分の1で依然安定しており、広告媒体としての圧倒的な地位は揺らいでいない。
[編集] 録画機普及の影響
1980年代に20代男性を中心に利用が進んだ録画機は、同世代の加齢にしたがって利用層を増やしてきた。しかし現在に至るも1日平均の録画機利用者率は9%に過ぎず、大半の視聴者はテレビ番組を放送と同時に視聴している[6]。
[編集] インターネット普及の影響
総務省の調査[7]によれば、インターネットをよく利用する者の約6割が「インターネットを利用するようになって、以前に比べてテレビを見る時間が減った」と答えている。しかしインタースコープの調査[8]とNHKの調査[9]では、インターネット利用時間の長い者ほどテレビ視聴時間も長く、競合関係は認められない。
[編集] テレビ離れの原因
様々な原因が取り沙汰されているが、事実に反する主張、客観的な裏付けを欠く主張、憶測に基づく主張が少なくない。またテレビ番組への不満の多くは、1960年代より連綿と言われ続けてきたことである。また、これらには新聞など他のメディアにも共通する点がある場合がある。
- 放送内容の品質低下
- 過度の自主規制
- テレビ離れを隠蔽
- テレビ離れは本来マスコミが率先して伝えるべきだが、テレビ局は業界の衰退現象を世にさらすことを嫌って放送を控え、多くの新聞も系列テレビ局に配慮して二の足を踏んでいる。このためテレビ業界の体質改善が遅れ、視聴者の無意識なテレビ離れが進んでいる。
- スポンサー重視・視聴者無視の番組作り
- スポンサー重視の番組作りが視聴者を不快にさせている。コマーシャル(CM)の直前にハイライトシーンを流し、「続きはCMのあとすぐ!」というようなセリフと共にCMに入り、CMが終わるとハイライトシーンより前に戻して放送を再開する例が増えている。また生放送・情報番組(生活情報番組)でもCMの後まで結論を引き延ばす事例が多々見られる。
- 映像内に登場するスポンサーのライバル企業のロゴや看板(局・番組によってはスポンサーのライバル関係にない企業も)にモザイクを掛けるなど、不自然な編集が常態化している。
- その一方で、BS・CS放送並びにインターネットによるオンデマンド視聴にも民放が参入しているにも関わらず、BS・CS放送の視聴率調査が行われていない。
- 進学者の増加及びそれに伴う塾・予備校通いの増加
- 高校・大学や有名私立中への進学者増加は現在も留まるところを知らない。それに伴い入試も年々難問化・多様化しており、公式や例文などを丸暗記するだけの受験対策は通用しなくなっている。加えて、学校週5日制の導入でその分平日に授業時間の皺寄せが来て、私立は元より公立の著名進学校でも授業時間前や放課後に授業や補習を設ける学校は珍しくなくなってきている。そのため、(部活との兼ね合いも含めて)帰宅時間が遅くなる傾向になり、帰宅後も宿題消化や予習・復習に充当しなければならないため、結果としてテレビを見る時間も減る傾向にあると考えられる。
- それに加えて、全寮制の中高一貫校へ進学する小学生はそのような学校の増加にも伴い増加傾向といえる。生徒は寮で勉強漬けの生活を送る事になるが、校則などで各生徒が寝起きする寮室内へのテレビの持ち込みを認めていない学校が圧倒的に多い。そのため視聴時間も食事中などの限られた時間しかできず(宮崎県の五ヶ瀬中等教育学校に於いても、視聴可能な時間帯は食事時間のみで、なおかつ視聴可能な番組のジャンルも限定されている)、一定時間以上の自習を強いられざるを得なくなるため、彼らのテレビ離れは宿命的に進んでいるといえる。
- 企業のリストラ等に伴う1人当りの労働時間の増加
- バブル崩壊以後、企業は人員削減などのリストラを推し進め、その結果1人当りの仕事量が増え残業が増加した為、ゴールデンタイムにテレビを見ることが少なくなり、またわざわざテレビ番組の放送時間開始を待ってまで情報を得るよりも、インターネットで情報等を得た方が素早いというように、テレビと現代人との時間が合わなくなってきている。
- 番組自体がつまらなくなった
- テレビ番組に対する関心・面白さがなくなり、テレビからブーム・人気となるものが2000年代以降減少傾向である。
- プロ野球、高校野球、大相撲、プロレス、ボクシング、サッカーなどの国民的スポーツや、国民的歌番組『NHK紅白歌合戦』が飽きられた(陳腐化や万人向けスターの不在、および過剰な新スターのプロモーションなど)。
- 毒舌キャラタレントの起用増加による品位の低下。知名度が低いタレントを多く起用する様になり、彼ら自身も存在を認知してもらい出演機会を得るべく、過剰な反応や大声など、視聴者への娯楽提供より自身の「生き残り」を意識したパフォーマンスが顕著に現れる様になった。また笑いを誘うためだけの危険な演出、品位の低下が言及されている。
- トーク番組などで出演者が暴力的・威圧的な発言や振舞いをする傾向が多くなった(「すげぇ」「ありえねぇ」「きもい」等)。これは各コメンテーターのタレント化に伴い、あざとい演出や派手な言動を行うパフォーマンス重視傾向ともいえよう。
- 視聴者や地位の弱い出演者に対し、高圧的・高飛車な態度、倫理に反する態度をとる出演者・局関係者が増えた。
- 個人情報や人権、残虐性や卑猥性に配慮する動きが過度に働き、番組内容や表現が乏しくなって来た。
- 他局で過去に高い視聴率を得た内容を、盗作ではないにせよ半ば盗用した番組を制作する様になり(マジカル頭脳パワー!!→サルヂエ・脳内エステ IQサプリ等)、番組の・ひいては放送局ごとの独自性が失われ、より、視聴者が飽き易い環境を作っている。
- 放送時間の延長により、全体的に割ける予算や人員の比率低下に伴うコスト削減。
- 血液型性格判断のような、疑似科学的な情報ですら取り上げる。(→理科離れ)
- テレビ以外の娯楽の増加
- 核家族化から更に進んだ個人主義の影響
- テレビが「一家に一台」から「一人に一台」に変わり、個人的趣向が強まった。
- 従来のゴールデンタイムにおける「一家団欒」の崩壊で、家族揃ってテレビを見る習慣が失われた。
- 情報の信憑性・中立的な観点の欠如
- テレビ局の意図的な情報操作(情報の隠匿・改竄)、ワイドショー的で興味本位な取材方法。
- 速報性を重視し、不確実な情報を提供する事による風説の流布が常におき、それを信じた視聴者が非倫理的行為(嫌がらせなど)を行う。事件報道では、風評被害の原因になるものや、誤認逮捕や冤罪にも絡み報道被害の原因でもある。
- 健康番組などで、実際は身体に有害な健康法を十分な検証を行わないまま放送してしまい、それを信じて真似た視聴者が身体を害するなどの社会問題がしばしば発生する。
- 健康法などの情報番組で特定の説を流し社会で浸透させ、番組の存在が意識されなくなった頃に別の説の放送をして信用させる、いわばマッチポンプの放送が昔から存在する。放送によって思想や主義が影響されることを放置し、利用していることによる、放送関係者による情報操作の原因としての証拠である。
- スポーツ中継で、特定の選手やチームに限定した中継をするなど、純粋に競技を見たい視聴者が望まない番組進行。特にFIFAワールドカップやバレーボールワールドカップのようなナショナルスポーツを中継する場合にはこの傾向が強い。例えば日本代表を持ち上げる、或いは日本にとって有利な情報(対戦チームのアクシデントや怪我人の存在)ばかりが流される。実力的には勝つことが厳しい相手にも「勝負はやってみなければわからない」等の語句を使い、限りなく小さい可能性でも誇張する傾向にある。これは特に中継局の場合には視聴率にも影響してくるのでなお顕著である。
- 皇室報道において、局ごとの独創性がほとんど見られない全局横並びの報道をし、必要以上に長時間を特別番組に費やす。慶事ないしは訃報があった時に一律の報道を行い、視聴者に人気の番組でも容赦なく特別報道番組に差し替える姿勢に対する批判も見られる。1989年の昭和天皇崩御の際には、視聴者の約6割がテレビを消してしまった他、4割が過去の録画ビデオをみて過ごし、2割がレンタルビデオを借りに走ったと1989年1月11日に行われた世論調査の結果も出た。この際、レンタルビデオ店は通常の4~5倍の売上を記録したという。現在なら、他の娯楽媒体にも相当数の視聴者が流れたことだろう。
- 情報の単方向性(垂れ流し)に視聴者が飽きた。
- キー局システムに起因する東京中心主義的な番組編成や内容への反感(地方では逆に東京指向の影響でローカル番組への反感として現れる)
- NHKの制作費着服、TBSビデオ問題、日本テレビ放送網の視聴率操作・買収事件等といったテレビ局の不祥事が次々と発覚することによって、テレビ局自体への信頼度が落ちた。
- 不祥事(事件)を起こした特定の企業・組織・個人をワイドショーなどで執拗かつ徹底的に叩く。そのような半ばいじめ紛いの行為に視聴者が飽きた。(→テレビのイエロー・ジャーナリズム化ともいえる)
- 特定の芸能事務所に所属する芸能人が優遇されている(例:暴力事件などの不祥事を起こしても咎められない、ないしはより軽い制裁で済まされる)。芸能事務所の力関係が番組作りに影響している。番組中の出演者の会話の中にも、本来視聴者が意識する必要のない「事務所」という言葉が頻繁に使われる。
- ワイドショー関係者・事務所関係者の芸能人・一般人への人権侵害。
- 討論番組に於いて番組の方針と反する意見に対しては司会者がその発言を打ち切らせるのに対して、賛同する意見には司会者は何も咎めもなく発言させる。その結果として討論・議論に於いて「相手の意見を最後まで聞く」「相手の人格を否定してはならない」といったルールが無視されてしまっている。
- 報道番組という体裁を採りながら、実際はワイドショーとあまり変わらない番組作り(報道番組のワイドショー化)。本来、常に冷静であるべきの司会者が苛立ちを見せたり、感情的な発言をする傾向が高まっている。また自社が放映権を持っているスポーツだけを採り上げる送り手の都合優先の姿勢。
- キャスターが漢字を読み違えたり、言葉を詰まらせる(いわゆる「噛む」)事が多くなった。また本来送り手であるテレビ局の顔とも言えるニュースキャスターの品位・知性の無さも問題視されることがある。
- 視聴者からの意見や苦情を聞き入れ、番組の改善につなげようとする姿勢を放送局側が見せることが殆んどない。放送倫理・番組向上機構(BPO)への苦情・意見に局として返答説明することは、BPOが指摘しない限りしない。そのような後ろ向きな姿勢に視聴者が幻滅するようになった。苦情の電話に逆切れする担当者もいる。全国放送について地方局が放送したにもかかわらず地方局はキー局の責任としてとらないし、キー局も切実に対応しない。
- 放送法により番組審議委員会が各放送局に設置されているが、視聴者に存在を知らせず、HPにも小さい記載、もしくは記載がない例が多い。そのため、審議委員会が機能しているか、存在しているか、どのような審議をしたかが分からない。
- 誇張表現
- 例えばあるスポーツイベントにおいて、興味を持たない人もいるのに「みんなで応援しよう」や「日本国中が盛り上がっている」というような表現も使われており、一部の無関心層からは「戦前の大本営みたいで不快」「応援が義務になっているのでは」との声も聞かれる。ドラマ、映画などでは「日本(世界)中が涙した」などという誇張表現もしばしば見られる。
- 視聴者の視聴動向の変化
- リモコンや家庭用ビデオデッキの普及により、視聴者にとってテレビの有り難味が薄れ、ザッピング(CMになるとリモコンでチャンネルを切り替える行為)やフリッピング(テレビを観ながらリモコンで頻繁にチャンネルを切り替える行為)、或いはビデオ録画したものを後から観るタイムシフトが当たり前の行為となった。さらに最近ではEPGやスキップ機能が搭載されているHDD+DVDレコーダーの普及により、この様な習慣はさらに顕著になった。
- 上記の様な視聴動向の変化により、スポーツのビッグイベントの生中継は「テレビを観る」という行為はするが、テレビ放送ではなく「録画した番組を好きな時に観る」「CMやつまらない場面は飛ばして観る」層が急激に増加したため、テレビそのものに関心が薄く、速報性が無い・旬でない番組は相手にされない。
- 視聴者参加機会の減少
- 不愉快な広告
[編集] 今後
[編集] 災害時の情報伝達手段
有線が主流のネットに比べて、基本的に電波による放送であり輻輳の心配が無いテレビ放送は、ラジオとともに災害時の情報伝達手段に適している。仮にテレビ離れが深刻化しても、非常時の情報源としての需要は残ると考えられる。
[編集] 地上波デジタル放送
日本では2011年に地上デジタルテレビジョン放送への全面切り替えが行われる。アナログ放送からの切替費用の負担がローカル局の閉鎖を招いて放送の多様性が失われること、放送枠の拡大が番組の粗製濫造や「放送内容の使い回し」の加速につながること、コピーワンスが導入され録画データの使い勝手が悪くなることなど、テレビ離れの加速が懸念されている。
[編集] 著作権運用の改善
テレビ放送の需要が減退しても、膨大な映像資産の価値は失われない。日本政府は過去の放送番組や映画・演劇などの著作権情報を一元管理するデータベースの運用により、ビデオ・オン・デマンド(VOD)事業の展開も視野に入れ、コンテンツの活用を促進するための準備を進めている。
[編集] 脚注
- ↑ 分野別データ:放送:視聴時間量
- ↑ Nielsen Reports Americans Watch TV at Record Levels
- ↑ NHK放送文化研究所 http://www.nhk.or.jp/bunken/new_06021001.html
- ↑ 2005年国民生活時間調査報告書
- ↑ 2005年の日本の広告費は5兆9,625億円前年比1.8%増-2年連続増、インターネット広告が高い伸び-
- ↑ 生活時間調査からみたメディア利用の変遷と現在 2005年国民生活時間調査より
- ↑ インターネット利用とテレビ視聴の関係~テレビの視聴スタイルの変化と方向~
- ↑ インタースコープ、インターネットユーザーのテレビ視聴時間等に関する自主調査を実施~インターネット、テレビ、新聞、本などへの接触時間を比較~
- ↑ インターネット利用者の生活時間~2005年国民生活時間調査より~
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ラジオ及びテレビジョン平均視聴時間量の推移
- Nielsen Reports Americans Watch TV at Record Levels
- 金持ち、勝ち組、インテリはテレビなんか見なくなった 大橋巨泉インタビュー
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