タップダンスシチー
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![]() 2005年12月25日中山競馬場、引退式 |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1997年3月16日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | Pleasant Tap |
母 | All Dance |
母の父 | Northern Dancer |
生産 | Echo Valley Horse Farm & Swettenham Stud |
生国 | アメリカ |
馬主 | (株)友駿ホースクラブ |
調教師 | 佐々木晶三(栗東) |
競走成績 | 42戦12勝 中央:41戦12勝 海外:1戦0勝 |
獲得賞金 | 10億8422万1000円 |
タップダンスシチー(Tap Dance City)は、5歳(現表記、以下同じ)の秋から8歳の春にかけて、GI2勝(2003年ジャパンカップ・2004年宝塚記念)を含む重賞7勝を挙げるなど、2005年まで日本で活躍した大器晩成型の競走馬である。
目次 |
[編集] デビュー前
同馬は「シチー」の冠名で知られ、一口馬主のクラブ法人である友駿ホースクラブの所有となり、募集価格は一口6万円×500口で3000万円であったが、最終的にはその36倍の賞金を稼ぐこととなる。本格化は5歳秋になった辺りからであったが、佐々木晶三調教師は最初に馬を見た時に「重賞の1つや2つは勝てると思った」、と引退式(後述)の中でコメントしている。
[編集] 戦績
[編集] 3~4歳(2000~2001年)
3歳の2000年3月に阪神競馬場でデビューし、2戦目で初勝利を挙げる。4戦目の京都新聞杯では、後に東京優駿(日本ダービー)を勝利するアグネスフライトの3着に入り、その後は4歳暮れまで11戦して掲示板(5着以内)を外したのは1回だけであったが、勝ち切れず1勝にとどまる。
[編集] 5歳(2002年)
2002年、1000万クラスの身で出走した日経新春杯で6番人気ながら3着に入り、その後1000万下・1600万下のレースを連勝し、さらに日経賞でも2着に入り、デビューから19戦目でオープン入りを果たす。ここまで、格上挑戦(自ら所属するクラスより上のクラスのレースに出走すること)は半数を超える10回を数えた。その後は3戦して3着、5着、8着と勝ち切れないレースが続いた。
しかし、9月の朝日チャレンジカップで鞍上に佐藤哲三騎手を初めて迎えるとレコード勝ちを収め、デビュー23戦目にして念願の重賞初制覇となったが、これ以降の全てのレースで佐藤が騎乗し、通算8勝(20戦)を挙げるなど、抜群の相性の良さを見せることとなる。その後は京都大賞典3着、アルゼンチン共和国杯3着、京阪杯5着とまた勝てなかったが、GI以外の競走で敗れたのはこの京阪杯が最後となった(これ以降のGI以外の競走は5戦5勝)。
そして、GI初挑戦となった有馬記念では14頭立ての単勝13番人気という低評価を覆し、これまで6戦全勝(うちGI2勝)の成績で1番人気に支持された3歳牝馬・ファインモーションを制し、1周目の1コーナー過ぎから先頭に立ちレースの主導権を握り、4コーナーでは後続を引き離してあわや逃げ切りのシーンを作り、シンボリクリスエスの2着に入る。この頃を境に、「先行して押し切る」という、自身のレーススタイル(後述)が確立されていった。
[編集] 6歳(2003年)
2003年になると完全に本格化し、初戦の東京競馬場リニューアル記念(東京競馬場の馬場改修後初めての開催であったため、それを記念し、この年に限り例年のメトロポリタンステークスに代わって施行された)では単勝7番人気とここでもあまり人気はなかったが、レディパステル・エアエミネム以下を抑えて勝利すると、続く金鯱賞でも3コーナーで先頭に立つ競馬で勝利し、2度目のGI挑戦となった宝塚記念では外々を回らされたもののヒシミラクルの3着に入る。
その後、休養を経た京都大賞典では、宝塚記念で敗れたヒシミラクルを抑えて勝利すると、天皇賞(秋)には出走せず、最大目標であったジャパンカップに向かう。1番枠から飛び出すと手綱をしごいて先頭に立ち、重馬場の中、徐々に差を広げて他馬の追随を許さず、2着に入ったザッツザプレンティに9馬身差を付ける圧勝で、初めてのGI制覇を成し遂げた。これは現在、ジャパンカップにおける1-2着の最大着差である。
人気のシンボリクリスエスやネオユニヴァースを全く寄せ付けない勝利であったが、差し馬が届きにくい重馬場でのレースであったため、「恵まれた」という指摘も見られた。これに対し、陣営は「状態が最高に良かったので、良馬場でも勝ち負けできた」と述べている。その後、陣営がタップダンスシチーの状態を説明する時に、この時の体調を引き合いに出すことがあったが、そのジャパンカップを上回ることはなかったという。
続く有馬記念ではGI2連勝を狙ったものの、ハイペースで飛ばすザッツザプレンティ・アクティブバイオに主導権を握られると、勝負所の4コーナーではまくってきたリンカーンに交わされるなど、ちぐはぐな競馬になってしまいシンボリクリスエスの8着に敗れた。
[編集] 7歳(2004年)
年明け初戦の金鯱賞では、前年と同じように逃げ馬を捕らえて3~4コーナーで先頭に立つと、ブルーイレヴンの追い込みをアタマ差でしのぎ、サイレンススズカが保持していたレコードタイムを0.3秒更新して連覇を達成した。続く宝塚記念はファン投票は6位であったが、単勝1番人気に支持された。大外15番枠からスタートし3~4番手を追走していたが、3コーナー手前で、逃げるローエングリンを交わして先頭に立つというレースを展開する。直線の坂下ではシルクフェイマスが迫ってきたが、そこから突き放して2馬身差で勝利し、2分11秒1のレースレコード(阪神・淡路大震災のため京都競馬場で開催された1995年を除く)でGI競走2勝目を飾る。
ゴール後、左手でガッツポーズをした鞍上の佐藤はそのまま順回りでウイニングランをすると、スタンドにムチ・ヘルメット・ゴーグルを投げ入れ、脱鞍所に向かう時にも再びガッツポーズをして喜びを爆発させた。自ら仕掛けて、そのまま押し切っての勝利は、シルクフェイマスで2着に入った四位洋文に「悔しいけど参りました」と言わせる程であった。早めのスパートについては、佐藤は「ガツンと来たら行くのがこの馬の競馬」と、佐々木は「向正面でペースが遅くなったので『行ってくれ』と思った」とそれぞれ述べている。
この勝利をステップに、ロンシャン競馬場(フランス)で行われる凱旋門賞への挑戦が決定したが、直前になってチャーターする予定の飛行機の故障により機体のやりくりができず、一度は出走を回避するという決断を下さざるを得なくなった。しかし機体の調整ができたことや、出走を望む一口馬主の会員の声に応える形で、一転して出走することが決定されたものの、レース2日前に現地到着という強行軍となった。佐々木はパドックでイレ込むタップダンスシチーを見て惨敗を覚悟していたといい、外枠からスタートし終始2~3番手を先行し、ゴールまで残り800~600mの「フォルス・ストレート(偽りの直線)」では先頭に並びかけたが直線で力尽き、バゴの17着(19頭立て)に敗れた。
帰国後は検疫の影響で調整が遅れ、迎えた有馬記念では陣営が「7割の出来」「あと2週間欲しい」という状態であったが、好スタートを切って逃げを打つと、道中の1ハロン(200m)ごとのラップタイムは11秒台を連発し、最も遅いラップでも12秒4[1]と、「スタートから緩みのないペースで逃げて後続に脚(スタミナ)を使わせる」展開に持ち込み、勝利したゼンノロブロイが記録した2分29秒5の日本レコードから1/2馬身(0.1秒)差の2着に健闘した。
[編集] 8歳(2005年)
2004年限りでの引退予定を撤回して翌2005年も現役を続行。初戦の金鯱賞を逃げ切り、セカイオー(1956~58年鳴尾記念)以来となる平地の同一重賞3連覇の快挙を達成した。続く宝塚記念では史上初の連覇および、8歳馬による平地GI制覇を狙い、単勝1.9倍の1番人気に推される。レースでは前年優勝時のように、逃げたコスモバルクを3コーナー過ぎから捕まえに行くが、前年のようにあっさり交わすことが出来ず、直線で力尽きて牝馬のスイープトウショウから1.2秒離れた7着に終わる。
その後、調整の遅れから直行することになった天皇賞(秋)では一度も先頭に立つことなく9着に終わる。続くジャパンカップではスタートからの1000mを58秒3、2000mでも1分57秒7のハイペースで逃げ、残り200m手前まで先頭という見せ場を作ったが、優勝したアルカセットから1秒差の10着に敗れた。このタップダンスシチーのハイペースの逃げが、2分22秒1という、1989年優勝馬のホーリックスのタイムを16年ぶりに更新する日本レコードの布石となった。
4年連続での出走となった有馬記念では逃げを打ったものの、4コーナーでコスモバルクに並びかけられると失速し、勝ったハーツクライから1.4秒差の12着に敗れた。これを最後に引退することとなり、最終レース終了後の中山競馬場で、2003年ジャパンカップ優勝時の1番ゼッケンを着けて引退式を行った。
[編集] 引退後
2006年1月6日付でJRAの競走馬登録を抹消し、現在はブリーダーズ・スタリオン・ステーション(北海道日高町、旧門別町)に種牡馬として繋養されている(初年度産駒は2009年にデビュー予定)。なお、獲得賞金(付加賞含む)は
に次ぐ日本歴代5位(2006年11月現在)で、外国産馬では唯一の10億円ホースである。
[編集] 種牡馬として
2006年の種付料は30~80万円(支払い時期等により異なる)と安価に設定され、同年は163頭に種付けを行った。
[編集] レーススタイル
2003年、2004年の金鯱賞、2003年ジャパンカップ、2004年宝塚記念、2004年有馬記念のように「スタートから緩みのないペースで引っ張る」競馬を持ち味とした。また、自身も3度のレコード勝ちを記録し、敗れたレースでも、逃げまたは先行しレースを作った2004年有馬記念や2005年ジャパンカップではコースレコードでの決着となるなど、勝ちタイムが速くなることが多かった。
この戦法は2002年(5歳)暮れの有馬記念から見られるようになったが、これは瞬発力に欠けるところがあるものの、スピードの持続力に優れていて、「無理に抑えると機嫌を損なう」気性だったためであった。
[編集] エピソード
- 重賞初制覇が5歳秋と本格化までには時間がかかったが、佐々木は、「パドックで、名前の通りタップダンスを踊っていて、レース前に消耗していた」からと述べている。そのため、パドックでは2人引き(2人に馬を引いてもらうこと)をしていたが、2003年(6歳)の京都大賞典では気性難が解消されて1人引きができるようになり、「タップダンスを踊らなくなった」ことで、佐々木は「本物になった」と思ったという。
- 通算で18回連対(12勝・2着6回)したが、その相手(1着または2着)にサンデーサイレンス産駒が入ったことは2004年有馬記念(1着ゼンノロブロイ)と2005年金鯱賞(2着ヴィータローザ)の2回しかない。これは、前述のレーススタイルが、切れ味を身上とする馬が多いサンデーサイレンス産駒には合わなかったからで、その2回の連対のうち、2004年有馬記念は、ゼンノロブロイが逃げるタップダンスシチーを2番手でマークして自らレースを作ったこと、2005年金鯱賞ではタップダンスシチーが逃げたものの、本来の競馬とは違いスローペースになったためであるという指摘があるが、それを科学的に証明することは難しく、またその要請もされていない。
- GI競走には11回出走したが、複数回出走した以下の競走では、いずれの年でも同じ枠に入っている。
- 宝塚記念(2003~2005年)~8枠
- ジャパンカップ(2003・2005年)~1枠
- 有馬記念(2002~2005年)~5枠
[編集] 競走成績
年/月/日 | 競馬場 | レース名 | 格 | 距離 | 騎手 | 重量 | 着 順 |
人気/ 頭数 |
タイム | 馬 場 |
1着馬(2着馬) | タイム 差 |
2000/03/04 | 阪神 | 新馬 | 芝2000 | 四位 | 55 | 9 | 6/13 | 2:10.5 | 稍 | ミラーダ | +2.2 | |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
03/19 | 阪神 | 新馬 | 芝2200 | 四位 | 55 | 1 | 4/9 | 2:18.4 | 良 | (カガミパラダイス) | -0.0 | |
04/15 | 阪神 | 若草S | OP | 芝2200 | 四位 | 55 | 5 | 7/12 | 2:18.7 | 良 | アグネスフライト | +0.3 |
05/06 | 京都 | 京都新聞杯 | GIII | 芝2000 | 四位 | 55 | 3 | 5/14 | 2:00.3 | 良 | アグネスフライト | +0.5 |
06/04 | 中京 | 白百合S | 900万 | 芝1800 | 熊沢 | 55 | 7 | 2/13 | 1:49.2 | 良 | ジンワラベウタ | +0.9 |
06/18 | 阪神 | 野苺賞 | 500万 | 芝2200 | 熊沢 | 55 | 5 | 2/13 | 2:17.2 | 良 | ホワイトハピネス | +0.7 |
10/29 | 京都 | 500万下 | 芝2400 | 四位 | 55 | 4 | 5/14 | 2:27.3 | 重 | ハートランドヒリュ | +0.4 | |
11/18 | 京都 | 八瀬特別 | 900万 | 芝2400 | 幸 | 52 | 2 | 4/8 | 2:28.4 | 良 | ホワイトハピネス | +0.2 |
12/09 | 中京 | 天竜川特別 | 900万 | 芝2500 | 松田 | 53 | 1 | 2/10 | 2:31.4 | 良 | (ボヘミアンチェリー) | -0.3 |
2001/01/08 | 京都 | 万葉S | OP | 芝3000 | 四位 | 54 | 5 | 3/10 | 3:09.3 | 稍 | トシザブイ | +0.6 |
02/18 | 小倉 | 関門橋S | 1600万 | 芝2000 | 中舘 | 53 | 3 | 2/12 | 2:02.8 | 良 | ファイトコマンダー | +0.2 |
03/25 | 阪神 | 但馬S | 1600万 | 芝2000 | 安藤勝 | 54 | 2 | 3/11 | 2:00.0 | 良 | ファイトコマンダー | +0.4 |
04/07 | 阪神 | 大阪ハンブルグC | OP | 芝2500 | 四位 | 53 | 5 | 2/11 | 2:33.8 | 良 | メジロサンドラ | +0.5 |
12/08 | 阪神 | 1000万下 | 芝2000 | 四位 | 57 | 4 | 4/9 | 2:01.3 | 良 | ダイタクバートラム | +0.6 | |
12/23 | 阪神 | 江坂特別 | 1000万 | 芝2500 | 四位 | 57 | 2 | 3/16 | 2:33.5 | 良 | シャープキック | +0.2 |
2002/01/13 | 京都 | 日経新春杯 | GII | 芝2400 | 川原正 | 52 | 3 | 6/12 | 2:26.6 | 良 | トップコマンダー | +0.2 |
02/09 | 京都 | 春日特別 | 1000万 | 芝1800 | 武豊 | 57 | 1 | 1/12 | 1:46.9 | 良 | (アスカツヨシ) | -0.2 |
03/02 | 阪神 | 御堂筋S | 1600万 | 芝2200 | ペリエ | 57 | 1 | 1/11 | 2:12.3 | 良 | (アクティブバイオ) | -0.6 |
03/23 | 中山 | 日経賞 | GII | 芝2500 | 勝浦 | 57 | 2 | 3/8 | 2:37.0 | 良 | アクティブバイオ | +0.0 |
04/21 | 東京 | メトロポリタンS | OP | 芝2300 | 勝浦 | 56 | 3 | 1/11 | 2:21.2 | 稍 | ツルマルボーイ | +0.5 |
05/18 | 東京 | 目黒記念 | GII | 芝2500 | 勝浦 | 56 | 5 | 8/18 | 2:32.4 | 重 | トシザブイ | +0.6 |
07/21 | 函館 | 函館記念 | GIII | 芝2000 | 四位 | 56 | 8 | 7/16 | 2:06.2 | 良 | ヤマニンリスペクト | +1.1 |
09/07 | 阪神 | 朝日チャレンジC | GIII | 芝2000 | 佐藤哲 | 56 | 1 | 5/10 | 1:58.1 | 良 | (イブキガバメント) | -0.0 |
10/06 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400 | 佐藤哲 | 57 | 3 | 3/8 | 2:24.0 | 良 | ナリタトップロード | +0.4 |
11/03 | 中山 | アルゼンチン共和国杯 | GII | 芝2500 | 佐藤哲 | 57 | 3 | 2/11 | 2:31.4 | 良 | サンライズジェガー | +0.8 |
11/23 | 京都 | 京阪杯 | GIII | 芝1800 | 佐藤哲 | 57 | 5 | 6/15 | 1:45.7 | 良 | サイドワインダー | +0.4 |
12/22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500 | 佐藤哲 | 57 | 2 | 13/14 | 2:32.7 | 稍 | シンボリクリスエス | +0.1 |
2003/04/26 | 東京 | 東京競馬場 リニューアル記念 |
OP | 芝2400 | 佐藤哲 | 58 | 1 | 7/13 | 2:23.7 | 良 | (レディパステル) | -0.3 |
05/31 | 中京 | 金鯱賞 | GII | 芝2000 | 佐藤哲 | 57 | 1 | 4/14 | 1:58.9 | 稍 | (ツルマルボーイ) | -0.1 |
06/29 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200 | 佐藤哲 | 58 | 3 | 4/17 | 2:12.2 | 良 | ヒシミラクル | +0.2 |
10/12 | 京都 | 京都大賞典 | GII | 芝2400 | 佐藤哲 | 58 | 1 | 1/9 | 2:26.6 | 良 | (ヒシミラクル) | -0.2 |
11/30 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400 | 佐藤哲 | 57 | 1 | 4/18 | 2:28.7 | 重 | (ザッツザプレンティ) | -1.5 |
12/28 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500 | 佐藤哲 | 57 | 8 | 2/12 | 2:32.8 | 良 | シンボリクリスエス | +2.3 |
2004/05/29 | 中京 | 金鯱賞 | GII | 芝2000 | 佐藤哲 | 59 | 1 | 1/12 | 1:57.5 | 良 | (ブルーイレヴン) | -0.0 |
06/27 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200 | 佐藤哲 | 58 | 1 | 1/15 | 2:11.1 | 良 | (シルクフェイマス) | -0.3 |
10/03 | ロンシャン | 凱旋門賞 | GI | 芝2400 | 佐藤哲 | 59.5 | 17 | --/19 | 2:27.8 | 良 | バゴ | +2.8 |
12/26 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500 | 佐藤哲 | 57 | 2 | 3/15 | 2:29.6 | 良 | ゼンノロブロイ | +0.1 |
2005/05/28 | 中京 | 金鯱賞 | GII | 芝2000 | 佐藤哲 | 59 | 1 | 1/10 | 1:58.9 | 良 | (ヴィータローザ) | -0.4 |
06/26 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 芝2200 | 佐藤哲 | 58 | 7 | 1/15 | 2:12.7 | 良 | スイープトウショウ | +1.2 |
10/30 | 東京 | 天皇賞(秋) | GI | 芝2000 | 佐藤哲 | 58 | 9 | 6/18 | 2:00.6 | 良 | ヘヴンリーロマンス | +0.5 |
11/27 | 東京 | ジャパンC | GI | 芝2400 | 佐藤哲 | 57 | 10 | 7/18 | 2:23.1 | 良 | アルカセット | +1.0 |
12/25 | 中山 | 有馬記念 | GI | 芝2500 | 佐藤哲 | 57 | 12 | 5/16 | 2:33.3 | 良 | ハーツクライ | +1.4 |
通算成績~42戦12勝(うち海外1戦0勝)、2着6回、3着7回、着外17回(うち海外1回)
※重量欄の下線はハンデ戦、タイム欄の赤字はレコード勝ちを示す
[編集] 血統表
タップダンスシチーの血統 (リボー系/Nasrullah5×5=6.25%、Polynesian5×5=6.25%) | |||
父
Pleasant Tap 1987 鹿毛 |
Pleasant Colony 1978 黒鹿毛 |
His Majesty | Ribot |
Flower Bowl | |||
Sun Colony | Sunrise Flight | ||
Colonia | |||
Never Knock 1979 黒鹿毛 |
Stage Door Johnny | Prince John | |
Peroxide Blonde | |||
Never Hula | Never Bend | ||
Hula Hula | |||
母
All Dance 1978 鹿毛 |
Northern Dancer 1961 鹿毛 |
Nearctic | Nearco |
Lady Angela | |||
Natalma | Native Dancer | ||
Almahmoud | |||
All Rainbows 1973 鹿毛 |
Bold Hour | Bold Ruler | |
Seven Thirty | |||
Miss Carmie | T.V. Lark | ||
Twice Over (F-No.23-b) |
- 半兄 - クリプトシチー(牡・1995年生、父Cryptoclearance) JRA3勝
- 叔母 - Winning Colors(牝・1985年生、父Caro) 主な勝ち鞍:1988年ケンタッキーダービー(米GI)
[編集] 脚注
- ↑ 2004年有馬記念のタイム~タップダンスシチーの走破タイムは2分29秒6(最後の200mは12秒5、他は以下と同じ)
距離(m) 100 - 300 - 500 - 700 - 900 - 1100 - 1300 - 1500 - 1700 - 1900 - 2100 - 2300 - 2500 ラップタイム 7.0 - 11.6 - 11.5 - 11.7 - 12.3 - 12.4 - 12.0 - 11.7 - 11.8 - 11.9 - 11.6 - 11.6 - 12.4 トータルタイム 7.0 - 18.6 - 30.1 - 41.8 - 54.1 - 1:06.5 - 1:18.5 - 1:30.2 - 1:42.0 - 1:53.9 - 2:05.5 - 2:17.1 - 2:29.5
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- サラブレッド・ブリーダーズ・クラブ - 繋養先のブリーダーズ・スタリオン・ステーションを管理運営
カテゴリ: 1997年生 (競走馬) | サラブレッド | アメリカ合衆国生産の競走馬 | 日本調教の競走馬