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アヤソフィア - Wikipedia

アヤソフィア

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

アヤソフィアギリシャ語 : Αγια Σοφια, トルコ語 : Ayasofya)は、トルコイスタンブルにある博物館東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に東方正教会の大聖堂として建設され、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノポリス総主教座の所在地であった。東ローマ帝国の代表的な遺構であり、しばしばビザンティン建築の最高傑作と評価される。その歴史と威容から、オスマン帝国の時代においても第一級の格式を誇るモスクとして利用された。

アヤソフィア
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アヤソフィア

目次

[編集] 概説

アヤソフィア平面図東側(図右)が至聖所、西側(図左)が正面入口。
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アヤソフィア平面図
東側(図右)が至聖所、西側(図左)が正面入口。

アヤソフィア、あるいはハギア・ソフィアと命名された教会堂建築は、ギリシャやトルコなど、かつての東ローマ帝国(ビザンティン帝国・ビザンツ帝国)領の各地に数多く残されているが、単にアヤソフィアと言った場合、イスタンブルのアヤソフィアを指すことが一般的である。
元来の名称であるハギア・ソフィアはギリシャ語で聖なる英知を意味し、その中世ギリシャ語の発音アヤ・ソフィアがトルコ語名アヤソフィアの由来である。日本では聖ソフィア大聖堂聖ソフィア寺院などとも呼ばれる。

イエス・キリストを象徴する東に至聖所、西に正面玄関を持つ伝統的な平面構成だが、身廊中央部に巨大なドームがあり、これがアヤソフィアの最大の特徴となっている。創建当時は単純な四角形平面であったが、その後、東ローマ帝国、オスマン帝国の時代を通じて、周囲に様々な施設が建て増しされた。内壁は基本的にはオスマン帝国時代に塗られた漆喰仕上げ、大理石仕上げとなっているが、一部が剥がされ、東ローマ帝国時代のモザイク壁画をみることができるようになっている。

1985年、「イスタンブール歴史地域」の一部としてユネスコ世界文化遺産に登録されている。

[編集] 歴史

[編集] 東ローマ帝国による創建

旧ハギア・ソフィア大聖堂の遺構415年にテオドシウス2世によって再建された聖堂の一部。
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旧ハギア・ソフィア大聖堂の遺構
415年にテオドシウス2世によって再建された聖堂の一部。

アヤソフィアは、元来キリスト教の大聖堂である。最初の聖堂は360年、首都コンスタンティノポリス(コンスタンティノープル)に、コンスタンティヌス大帝の子コンスタンティウス2世の手によって建立された。単に大教会(メガリ・エクリシア)と呼ばれており、聖堂は再建されても常に巨大なものであったため、以後もほとんどこのように呼ばれている。この聖堂が最初からハギア・ソフィアと呼ばれていたのか、後の再建からハギア・ソフィアと命名されたのかは分からない。最初の教会堂は木造屋根をもったバシリカだったらしいが、今日ではその位置しか知られていない。
404年にコンスタンティノポリス主教ヨアンネス・クリュソストモス追放に伴う争乱でこの聖堂が焼失すると、テオドシウス2世によってすぐに再建が行われ、415年に献堂された。この聖堂も現在のものとは全く違うバシリカであり、現在でも一列の円柱と柱基、装飾された梁が残っている。しかし、この聖堂も 532年1月の首都市民の反乱(「ニカの乱」)における大火で、皇帝宮殿の一部やアギア・イリニ聖堂とともに再び焼失してしまう。

ハギア・ソフィア大聖堂の内部
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ハギア・ソフィア大聖堂の内部

二度の焼失を経た後、ユスティニアヌス帝はただちに再建することを決定し、その設計をトラレスのアンテミオスミレトスのイシドロスにゆだねた。この建設過程はプロコピオスによって詳細に報告されている。両者は地表の水平面を正確に計測し、ドームを支える主支柱を煉瓦ではなく大型の石材で造成することによって、クリープによる変形や乾燥収縮がおきないようにした。このように緻密に建設を進めたにも関わらず、ドーム下部のアーチ架構に差し掛かると建物は変形し始め、各所で亀裂や破壊がおこったとされている。プロコピオスによると、東側の大アーチの工事が完成しないうちにこれを支える主柱が外側に傾き始め、また、南と北のアーチは養生段階で下部のティンパヌムに過大な荷重をかけたため、窓の円柱か2階廊下の円柱が破壊し始めた。それでも、巨大なバットレスをドーム直下にまで補強するなどの方法によって41.5mの高さのドームは建設され、工事は5年11ヶ月という短期間で終了し、 537年12月27日、ユスティニアヌスを迎え、総主教メナスによる献堂式を迎えた。この時ユスティニアヌスは、古代イスラエル王国ソロモン王の神殿を凌駕する聖堂を建てたという思いから、「ソロモンよ、余は汝に勝てり!」と叫んだと伝えられている。

計画では真円になるはずだったドームは、建築中の歪みによって南北に2m程度長い楕円形になっており、また、ドーム基部に現在よりも大きな開口部を設けていたため、553年から頻発した地震によって亀裂を生じた。特に557年12月14日の地震によって聖堂は大きなダメージを受け、558年5月7日に東側のアーチと半ドーム、そして中央ドームの半分が崩壊した。
再建工事は直ちに着手され、残存していたドームは取り除かれた。現在にみるドームは、小イシドロスらの専門委員会によって内壁を補強した上に架けられた第二ドームである。彼らはまずアーチの壁厚を調整して、ドーム基部を正方形に近づけ、元よりも高いドームを構築した。ドーム再建後、562年12月24日に新たに献堂式が行われ、ユスティニアヌスは総主教エウテュキオスとともに戦車に乗って堂内に入ったとされる。このドームは989年10月26日1346年5月19日に大規模な崩落をおこしており、10世紀の崩落ではドーム西側1/3を、14世紀の崩落では南東方向の半分を失った。その際、基本的なデザインを維持したまま修復されたが、ドームの開口部は段階的に縮小された。また、563年には小イシドロスによってドーム基部に立ち上がる4基の塔状バットレスが建設された。これは現在3基が現存しており、堂内の4つの主柱に対応する。

ユスティニアヌスによって再建されたハギア・ソフィア大聖堂は、コンスタンティノポリス総主教庁の所在地として東方正教会第一の格式を誇り、また東ローマ帝国の諸皇帝霊廟として用いられた。コンスタンティノポリスを訪れた人びとの巡礼記録から、聖堂内には現在では失われた施設・聖遺物があったことが知られる。14世紀にコンスタンティノポリスを訪れたロシア人スモレンスクのイグナティオスの記録では、聖堂内部には多くの礼拝堂が設けられ、「ノアの箱船の扉」やイエスが磔にされた「聖十字架」、「アブラハムのテーブル」など、多くの聖遺物が安置されていた。また、この時代は隣に総主教の宮殿が併設されており、内ナルテクス南端の、現在では出入り口となっている部分は、総主教宮殿への通路となっていた。

[編集] オスマン帝国時代

アヤソフィアのミフラーブ
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アヤソフィアのミフラーブ

1453年5月29日コンスタンティノポリスを占拠したオスマン帝国メフメト2世は、その日の午後に市入城するとすぐにこの大聖堂に赴いた。彼は大聖堂入り口の土を自らのターバンに振りかけて堂内に入り、コスタンティノポリス総主教庁から大聖堂を没収、モスクへ転用することを宣言した。このときにハギア・ソフィア大聖堂に接続する総主教館は破壊され、ハギア・ソフィア内部は十字架が取り外され、マッカ(メッカ)の方向を示すくぼみであるミフラーブが加えられたが、内部の改修は必要最低限にとどめられた。その後、4本のミナレットが建設され、礼拝堂内にはミンバルと呼ばれる説教壇も取り付けられた。アヤソフィア・ジャミィと呼ばれるようになったこの聖堂はトプカプ宮殿の側に位置し、オスマン帝国の君主が毎週の金曜礼拝に訪れ、帝国において最も格式の高いモスクのひとつとされた。

オスマン時代にも継続的な補修工事が行われており、オスマン帝国最大の建築家ミマール・スィナンもこれに携わっている。1847年アブデュルメジト1世の命により、イタリア人建築家ガスパーレ・フォッサーティによって構造的な補強が行われ、ドームの水平推力に対抗するためドーム基部に鉄製の環状補強材が埋め込まれたが、これはあまり有効に機能していないことが判明している。主柱にムハンマド正統カリフの名を記した円形の額が取り付けられたのもこの補修の時である。

1934年に、ムスタファ・ケマルによってアヤソフィア・ジャミィは世俗化され、1935年には正式にトルコ共和国博物館に改められ、以来一般に公開されている。

[編集] 構造

平面は集中式プランとバシリカ式プランの融合を特色としているが、それまでのローマ帝国東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代において、この建築物に類例するプランは存在していなかった。東方正教会の規範に従い、教会は西を開口部とし、東に至聖所を備えている。聖所(内陣)と正面入口の前に啓蒙所と呼ばれる細間があり、大聖堂として使われていた当時は、信者でないものはここから先に入ることを許されなかった。

基本的には長方形平面であるが、内部立面のアーケドやアーチによる曲線、ことにイシドロスとアンテミオスによって計画された30.95m四方形の上部のドームによって、建物全体が方形であることの印象は受けない。
大ドームは上述の通り558年に崩落し、その後も地震による部分的な崩壊を経験しているが、基本的な構成は537年に建設された当時のままである。採光によって光の溢れるアヤソフィアのドームは「天から釣り下げられた円蓋」とされ、それがあまりにも印象的であるため、以後のビザンティン教会堂、および礼拝堂では、円蓋が建築平面の中心部に必ずと言ってよいほど配されるようになる。

アヤソフィアは集中方式による教会建築としては最大級のものに属する。これ以降、東ローマ帝国では、アヤソフィアに匹敵する建築物、あるいはこれをひとまわり縮小した規模のものさえも造られなかった(11世紀の皇帝ロマノス3世アルギュロスの時代にこれに匹敵する規模の聖堂建設が計画されたが、実現しなかった)。オスマン朝時代になってからは、ブルー・モスクのように明らかにアヤソフィアに影響を受けた様式のモスクが建造された。

今日、建築物の外観は漆喰で塗り込められ、四辺をオスマン時代に建設されたミナレットによって囲まれているが、イスタンブルの辿ってきた歴史の変遷を考えれば、この教会堂が遺っていること自体、ほとんど奇跡であると言って良い。すべては中世キリスト教徒のたゆまぬ修復とイスラム教徒のこの建築物に対する畏敬の念のたまものである。

[編集] 博物館内部の装飾

アヤソフィア内部北面アーケードとティンパヌム
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アヤソフィア内部北面
アーケードとティンパヌム
アプス半ドームにある聖母子のモザイク画
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アプス半ドームにある聖母子のモザイク画
南入口の「キリストと皇帝」のモザイク画
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南入口の「キリストと皇帝」のモザイク画
アヤソフィア内部の「キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻」のモザイク画
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アヤソフィア内部の「キリストと皇帝コンスタンティノス9世・ゾエ夫妻」のモザイク画

アヤソフィア博物館の内装は、ほぼモスク時代のものを踏襲し、2階までの壁面は多色大理石と金地モザイクで、その上部は漆喰で飾られている。アーケードは大理石の象眼細工で覆われ、古代建築から剥ぎ取られた大理石円柱によって支えられているが、 柱頭部分は新規に製作されたアカンサスの葉の模様のある変形イオニア式で、ユスティニアヌスのモノグラムが刻まれている。つまり、この部分創建当時のものである。
プロコピオスによると、創建当時、ドームには巨大な十字架が画かれ、アプスには図像が配されていたらしい。このモザイクは、円蓋の崩落や、726年から843年の聖像破壊運動によって破壊されたが、プロコピオスやその他の同時代の人びとの記録には、ドームの十字架以外についての記録がないため、そもそも創建当時、人物などのモザイクはなかったのではないかと考えられている。聖像破壊運動の後は、さまざまなモザイク画が作成され、今日その一部を見ることができる。

1453年にアヤソフィアはイスラム教のモスクとなったが、オスマン帝国はモザイクを破壊することはせず、漆喰で塗りつぶしていた。しかし、1847年から1849年のガスパーレ・フォサッティの改修作業の過程で壁面の調査も行われ、モザイクに感銘を受けたアブドゥルメジトの銘により、漆喰が剥がされ、本格的な調査が行われた。当時はまだアヤソフィアはモスクとして利用されていたため、この調査記録がまとめられた後、堂内壁面は再び漆喰が塗られた。

トルコ革命後、1931年にアメリカのトーマス・ウィットモア主宰のビザンティン研究所がモザイクの調査を行い、1935年には、トルコ共和国政府の手でアヤソフィアは無宗教の文化財として公開された。その後、ビザンティン研究所は1950年代までモザイクの調査と漆喰の除去を行った。

大聖堂内部には、今日少数かつ断片的にではあるがキリスト教聖堂であったころのモザイク画が残っている。

  • 『聖母子と大天使』(870年代?)
アプスに残るモザイク画。5m近い聖母子の座像の両脇に大天使を配するが、北側の天使像はほとんど失われている。記録に残る銘文と、876年に総主教フォティオスが行った説教から、聖像破壊運動が収束した後に描かれたと考えられるが反論もある。フォティオスの説教がこの図像を指すものであれば、これは新たに画かれたことを暗に述べているが、中期ビザンティンの「新しい(Nea)」という概念は、聖像破壊運動以前の伝統への回の意味が強く、聖母子と大天使の図像は元の装飾を忠実に再現したものか、漆喰に塗り込められていたものを再びクリーニングしたのか、あるいは新たにデザインされたものかは不明である。
  • 大セクレトンの聖人像(870年代)
セクレトンは、2階西南にある小部屋で、かつては総主教宮殿からの通路の一部であった。聖像破壊運動により、768年あるいは769年に総主教ニケタスによって壁画が剥ぎ取られたが、その後、モザイクによって再び装飾された。ゲルマニクスやニケフォロスといった、聖像破壊運動にあってイコンを擁護した総主教のほか、聖像破壊運動の後に総主教となったタラシオス、メトディオスの図像が断片的に残存している。
  • ティンパヌムの聖人像(877年頃)
ドームを支えるアーチの下にある、南北の半円形壁面に残る聖人像である。北側に小イグナティオス、メトディオス、グレゴリオス・タウマトゥルゴス、ヨハネス・クリュソストモス、イグナティオス・テオフォロス、キュリロス、アタナシオスが画かれ、南側にニコメディアのアンシモス、大バシレイオスナジアンゾスのグレゴリオス、デュオニシオス・アレオパギデス、ニコラオス、アルメニアのグレゴリオスが画かれていたが、今日ではヨハネス・クリュソストモス、小イグナティオスの図像がほぼ完全なかたちで残り、メトディオスらの図像の一部が残る。
  • 『キリストと皇帝』(10世紀初頭か?)
ナルテクスから本堂への中央入り口上部にあるモザイク画。この中央入り口は皇帝の典礼用にのみ使われるもので、かつては別のモザイク画があった。今日見ることのできるモザイクは、キリストを取り囲むように大天使と聖母マリアの2つのメダイヨンが配置され、キリストに礼拝を行う皇帝が画かれている。これが何時、誰が作成させたのか、皇帝が誰であるのかということについては銘文がなく、テオフィロス説、レオーン6世説など諸説あるが定かではない。
西南の玄関からナルテクスへの入り口上部にあるモザイク画。中央に立つ聖母子に、向かって左側のユスティニアヌスがアヤソフィアを、右側のコンスタンティヌスがコンスタンティノポリスの街をそれぞれ捧げている図が描かれている。作成時期や動機については不明である。
  • 『キリトと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』(1042年から1055年頃)
南側2階廊に残る。モザイクの下部は失われているが、銘文から人物が特定できる。この図像は、もともとゾエが最初に結婚したロマノス3世によって寄進されたものだと考えられるが、ゾエが後にミカエル4世コンスタンティノス9世と2度再婚しているため、夫である皇帝の顔や銘文は、恐らくその都度作り直された。今日でもその跡ははっきりとわかる。ゾエの顔とキリストの顔にも修正された跡があるが、なぜこの部分にまで修正を施さねばならなかったのかについては、諸説ある。コンスタンティノス9世は、マンガナのハギオス・ゲオルギオス聖堂建設やエルサレム聖墳墓聖堂の修復など、莫大な国家予算を聖堂の装飾や建設に注ぎ込んだ。
12世紀に作成された、コンスタンティノポリスに残る唯一のモザイク画。12世紀に東ローマ帝国領内で作成されたモザイクは、今日ほとんど残っていないため、貴重である。図像の配置や銘文は、側にある『キリストと皇帝コンスタンティノス9世、皇后ゾエ』に影響を受けていることがわかる。すぐ横の柱側面には、彼の長男アレクシオスの図像もある。
  • 『デイシス』(1260年頃)
元々は2階廊の壁面いっぱいに画かれたものであろうが、下部はほとんど失われている。それまでのモザイク画に比べてキリストの顔が立体的に描かれているのが特徴。そのほかにも、南窓からはいる光を効果的に利用するような工夫が成されているため、ビザンティン美術の最高傑作とされる。ミカエル8世パレオロゴスラテン帝国に奪われていたコンスタンティノポリスを奪回したこと記念して作られたとする説が有力であるが、文献がないため詳細は不明である。
ラテン帝国の時代に造られたもので、デイシスと向かいあう位置の壁面近くにある。「狐」と呼ばれ第四次十字軍を巧みに操ったエンリコ・ダンドロの墓碑。これはジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアンの『コンスタンティノポリス征服記』にも記されている。遺骨と遺品については1453年にオスマン帝国の皇帝メフメト2世によってヴェネツィア共和国に返還された。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • シリル・マンゴー著 飯田喜四郎訳『図説世界建築史 ビザンティン建築』(本の友社)
  • ジョン・ラウデン著 益田朋幸訳『岩波世界の美術 初期キリスト教美術・ビザンティン美術』(岩波書店)
  • 益田朋幸著『世界歴史の旅 ビザンティン』(山川出版社)
  • 浅野和生『イスタンブールの大聖堂 モザイク画が語るビザンティン帝国』(中公新書)
  • 日高健一郎・谷水潤著『建築巡礼17 イスタンブール』(丸善)
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