ドナウ川
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ドナウ川 | |
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延長 | 2,860 km |
水源の標高 | 678 m |
平均流量 | 6,400 m³/s |
流域面積 | 817,000 km² |
水源 | シュヴァルツヴァルト (ドイツ) |
河口 | 黒海(ルーマニア) |
流域 | ルーマニア (28.9%) ハンガリー (11.7%) オーストリア (10.3%) セルビア・モンテネグロ (10.3%) ドイツ (7.5%) スロバキア (5.8%) ブルガリア (5.2%) ボスニア・ヘルツェゴビナ (4.8%) クロアチア (4.5%) ウクライナ (3.8%) チェコ (2.6%) スロベニア (2.2%) モルドバ (1.7%) スイス (0.32%) イタリア (0.15%) ポーランド (0.09%) アルバニア (0.03%) |
ドナウ川(ウクライナ語: Дунай, スロヴァキア語: Dunaj, セルボクロアチア語: Dunav, ドイツ語: Donau, ハンガリー語 Duna, ブルガリア語: Дунав, ルーマニア語: Dunăre、英語、フランス語: Danube)は、ヴォルガ川に次いでヨーロッパで2番目に長い大河である。
目次 |
[編集] 概要
ドイツ南部の森林地帯「シュヴァルツヴァルト(黒い森)」に端を発し、概ね東から南東方向に流れ、東欧各国を含む10ヶ国を通って黒海に注ぐ重要な国際河川である。河口にはドナウ・デルタが広がる。全長は2,850 km。
[編集] 川の名
現在の名ドナウ(ドイツ語由来)と各国語でそれに相当する名前は、ラテン語の Danubius に由来する。これはローマ神話のある河神の名である。語尾 au は古ゲルマン語で流れを意味する ouwe に由来し、ドイツ語名称に1763年以降使われている。ドイツ語では以前は Tonach, その後は Donaw の名が使われ、現在に至る。
下流域は古代ギリシャ語では「イストロス川」と呼ばれた。これはケルト語の ys に由来する。
[編集] 歴史
ギリシア人は河口から鉄門までのドナウ川を知っており、イストロス川と呼んだ。ローマ帝国もほぼ同じ地域まで進出し、ヒステール川と呼んだ。 ローマ帝国時代には、ほとんど源流から河口までの全域が、蛮族に対する帝国の北方の防衛線の役割を果たした。
中世には十字軍、あるいはオスマン帝国の兵や物資を運ぶ輸送路となった。19世紀にはドナウ連邦の構想がされた。
1992年にライン川に繋がるライン・マイン・ドナウ運河が完成し、北海から黒海までの水運が可能になった。
[編集] 源泉と分水嶺
ドナウ川の名称は、シュヴァルツヴァルト地方の町ドナウエッシンゲンで源流河川のブレク川とブリガッハ川が合流する地点において、初めてその名が生まれる。
このドナウエッシンゲンの町を治めたフュステンベルク公の城館の庭に、「ドナウの泉」と呼ばれる源泉があり、ここがドナウ川の源泉だと言われている。彫刻などで飾られ観光名所ともなっているが、しかし実際はブリガッハ川に注ぐ支流であり、ここが地理学上の源泉とはみなされない。またドナウエッシンゲンにはもう一つの支流としてウニペルスの泉と呼ばれる泉もあるが、こちらは現在では近郊住宅地の中にある。
ブリガッハ川の源泉は、ドナウエッシンゲンより鉄道で2駅ほどのザンクトゲオルゲンという町の郊外にある。
地理学上のドナウの源泉は本流であるブレク川の源泉であり、これはフルトヴァンゲンという町の郊外にある。この「ブレクの泉」にはドナウ川の真の源泉である旨の説明版がある。ブレクの泉より100mほどの場所にあるエルツ川の源泉はライン川に合流する。ライン川は北海に注ぎ、ドナウ川は黒海に注ぐので、この2つの泉の水が出会うことはない。同じく近辺にはいくつかの小さな支流の川が流れ、その源泉が湧き出ているが、一方はライン川に注ぎ、一方はドナウ川に注ぐ。これらの境界はヨーロッパの分水嶺と呼ばれている。フルトヴァンゲンには鉄道駅はないが、ドナウエッシンゲンおよび近隣の町トリベルク(ドイツ最大の滝で有名な町。この滝はライン川に注ぐ)などからバスが出ている。
[編集] 流域国
[編集] 流域の主な都市
[編集] 主な支流
[編集] ドナウ川を題材にした作品
[編集] 音楽
- ヨハン・シュトラウス2世作曲 ワルツ『美しく青きドナウ』
- ヨシフ・イヴァノヴィチ作曲 ワルツ『ドナウ川のさざなみ』
[編集] 外部リンク