戸沢氏
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戸沢氏(とざわし)は、羽後国(出羽国北部; 現在の秋田県)を支配した戦国大名。江戸時代には新庄藩主として明治維新に至る。
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[編集] 家系
戸沢氏は陸奥岩手郡雫石庄戸沢邑から起こった一族で、桓武平氏の流れを汲む平衡盛が鎌倉幕府の御家人となり、従五位下飛騨守に叙任し陸奥に所領を賜り、大和国吉野から移住して当地の地名である戸沢を名字とした。
- 桓武天皇-葛原親王-高見王-高望王-平国香-平貞盛-平維衡-平正度-平正忠-平維度---平衡盛(戸沢を号する)-戸沢親盛-戸沢克盛-戸沢勝盛-戸沢玄盛-戸沢英盛-戸沢氏盛-戸沢伊盛-戸沢行盛-戸沢豊盛-戸沢泰盛-戸沢家盛(角館に拠点を築く)-戸沢久盛-戸沢秀盛-戸沢道盛-戸沢盛安(秀吉に従属)-戸沢政盛(出羽新庄藩祖)-戸沢正誠-戸沢正庸-戸沢正勝-戸沢正諶-戸沢正産-戸沢正良-戸沢正親-戸沢正胤-戸沢正令-戸沢正実(男爵)-戸沢正おと(第二代新庄市長)-戸沢奎三郎
[編集] 家伝
1206年、戸沢兼盛は南部氏から攻められ、雫石(岩手県雫石町)から門屋小館(仙北市西木町(元・西木村西明寺))に移る。1220年に門屋小館から門屋へ移り、1228年門屋城を築城。 1423年、戸沢氏十一代当主・戸沢家盛は出羽角館城に移り、ここを本拠地とした。
戦国時代に入ると、16世紀後半に『鬼九郎』の異名を取る勇将・戸沢盛安が戸沢氏十八代を継いで小野寺氏や安東氏を破って勢力を拡大し、1590年には豊臣秀吉の小田原征伐に参陣して、所領を安堵された。しかし、盛安が小田原征伐の途上で死去してしまう。
その後、盛安の子・戸沢政盛が戸沢氏二十代を継ぎ、1600年の関ケ原の戦い、1614年から1615年からの大坂の陣のいずれも徳川家康に与し、領地を移封されこそしたが、その功により6万石に加増されて、戸沢氏はその後、江戸時代を通じて存続した。
著名な家臣としては18世紀における日本の算学者 安島直円がいる。
[編集] 戸沢氏一族
[編集] 戸沢氏主要家臣団
- 戸蒔義広