応神天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
応神天皇(おうじんてんのう、仲哀天皇9年12月14日(201年1月5日) - 応神天皇41年2月15日(310年3月31日))は、第15代の天皇(在位:応神天皇元年(270年)1月1日 - 同41年(310年)2月15日)。誉田天皇・誉田別尊(ほむたわけのみこと)。
実在性が濃厚な最古の大王(天皇)とも言われるが、仁徳天皇の条と記載の重複・混乱が見られることなどから、応神・仁徳同一説などが出されている。その年代は、古事記の干支崩年に従えば、4世紀後半となる。記紀に記された系譜記事からすると、応神は当時の王統の有力者(女性を含む)を合成して作られたものと考えるのが妥当であるとする説がある。この実在の不確かさもあり、大王の実像をめぐっては諸説が出されてきた。三王朝交代説における征服王朝の創始者とする説、邪馬台国東遷説にまつわり皇室の先祖として祭られている神(宇佐八幡)とする説、河内王朝の始祖と見なす説などである。また、海外史料との相対比較から、『宋書』に見える倭の五王の讃に比定する説、「広開土王碑」に見える倭国の朝鮮侵出を指揮した可能性も指摘されている。応神については、いずれにしても従来の概念、皇国史観や第二次世界大戦後の反日本書紀史観のどちらにもとらわれず、再検討が必要である。
目次 |
[編集] 諡号
- 『日本書紀』には、誉田天皇(ほむたのすめらみこと)・誉田別天皇(ほむたわけのすめらみこと)とあり、分注に去来紗別尊(いざさわけのみこと)とある。また、母の神功皇后の胎内にあったときから皇位に就く宿命にあったので、胎中天皇(はらのうちにましますすめらみこと)の敬称がある。
- 『古事記』には、品陀和気命(ほむだわけのみこと)、別名は大鞆和気命(おおともわけのみこと)とある。この別名は天皇が生まれた時、その腕の肉が鞆(とも。弓を射る時に左腕に巻きつける道具)のように盛り上がっていた事に由来するという。
- 『播磨国風土記』には、品太天皇(ほむだのすめらみこと)と表記。
- 「上宮記」逸文には、凡牟都和希王(ほむたわけのみこ)と表記。
[編集] 諡号か実名か
応神天皇の和風諡号とされる「ホムダワケ」(『日本書紀』では誉田別、『古事記』では品陀和気と表記)は、実は生前に使われた実名だった、とする説がある。
『日本書紀』には、吉備臣の祖として御友別(みともわけ)の名が、『古事記』には、近江の安(やす)国造の祖先として意富多牟和気(おほたむわけ)の名が見えるが、これらの豪族の名の構成は「ホムダワケ」と全く同じである。これらのことから、「ワケ」(別・和気・和希などと表記)の称を有する名は4世紀から5世紀にかけて皇族・地方豪族の区別なく存在し、ごく普遍的に用いられた名であることが分かる。事実、景行・履中・反正の各天皇の和風諡号にも「ワケ」が含まれており、実名を基にした諡号である可能性が高い。以上の点から、応神天皇の「ホムダワケ」と言う名も実名だった、とこの仮説では見なしている。
なお、この「ワケ」の語義ならびに由来については、諸説あって明らかにしがたい。『古事記』では、景行天皇が設置した地方官の官職名であり、皇族から分かれて諸地方に分封された豪族の称としている。が、これは観念的説明であろう。
[編集] 系譜
父は先帝仲哀天皇で、母は神功皇后こと息長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)とされるが、異説も多い。その理由は異常に出産が遅れたことにある。父として考えられるのは「是に皇后、大神と密事あり」(住吉大社神代紀」)とある住吉大神や武内宿禰(安本美典)とする考えもあるが、近年、「魏略」にある『倍年説』を基に歴史を再計算しその結果だと、仲哀天皇の皇子で間違いないと思われる。実際、古事記では応神天皇の出生には疑問を持っていないが、西暦8世紀の日本書紀の編纂者たちは、応神天皇時代の二倍年暦を知らずか、応神天皇の出生に疑問を抱き、神功皇后が出産を遅らせたというふうに書き足したと思われる。
- 皇后:仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命。品陀真若王の女)
- 荒田皇女(あらたのひめみこ、木之荒田郎女)
- 大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命・仁徳天皇)
- 根鳥皇子(ねとりのみこ)
- 妃:高城入姫(たかきのいりびめ、高木之入日売命。仲姫命の姉)
- 額田大中彦皇子(ぬかたのおおなかつひこのみこ)
- 大山守皇子(おおやまもりのみこ) 土形君の祖
- 去来真稚皇子(いざのまわかのみこ、伊奢之真若命)
- 大原皇女(おおはらのひめみこ) 『先代旧事本紀』には、弟姫所生とする。
- 澇来田皇女(こむくたのひめみこ、高目郎女)
- 妃:弟姫(おとひめ、弟日売命。仲姫命の妹)
- 阿倍皇女(あへのひめみこ)
- 淡路御原皇女(あわじのみはらのひめみこ、阿具知能三腹郎女) 根鳥皇子の妃
- 紀之菟野皇女(きのうののひめみこ、木之菟野郎女)
- 滋原皇女(しげはらのひめみこ。『先代旧事本紀』より補う)
- 三野郎女(みののいらつめ)
- 妃:宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売。和弭日触使主の女) 『先代旧事本紀』には、山無媛(やまなしひめ、香室媛。物部多遅麻連の女)とする。
- 妃:小甂媛(おなべひめ。宮主宅媛の妹)
- 菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつひめのひめみこ、宇遅能若郎女) 仁徳天皇の妃
- 妃:息長真若中比売(おきながまわかなかつひめ、弟媛。河派仲彦王の女)
- 稚野毛二派皇子(わかぬけのふたまたのみこ、若沼毛二俣王) 継体天皇の高祖父
- 妃:糸媛(いとひめ、糸井比売。桜井田部連島垂根の女)
- 隼総別皇子(はやぶさわけのみこ、速総別命)
- 妃:日向泉長媛(ひむかのいずみのながひめ)
- 妃:迦具漏比売(かぐろひめ。須売伊呂大中日子王の女?)
- 妃:葛城野伊呂売(かつらぎののいろめ。武内宿禰の女?)
- (伊奢能麻和迦王) 去来真稚皇子の重複
- 妃:兄媛(えひめ。吉備御友別の妹)
[編集] 皇居
都は軽島豊明宮(かるしまのとよあきらのみや、現在の奈良県橿原市大軽町か)。古事記には、軽島之明宮と見える。『日本書紀』によると、難波にも大隅宮(おおすみのみや。現在の大阪市東淀川区大隅、一説に同市中央区)が置かれたという。
[編集] 事績
神功皇后の三韓征伐の帰途に宇瀰(うみ、福岡県糟屋郡宇美町)で生まれたとされる。
神功4年(204年)に立太子。応神天皇元年(270年)に71歳で即位、同41年(310年)に111歳で崩御。『古事記』に130歳。
- 『古事記』に「この御世に、海部(あまべ)、山部、山守部、伊勢部を定めたまひき。また、剣池(つるぎのいけ)を作りき。また新羅人参渡(まいわた)り来つ。ここをもちて建内宿禰命引い率て、堤池に役ちて、百済池(くだらのいけ)を作りき」。『日本書紀』にも同様の記事が見え、応神五年八月条に「諸国に令して、海人及び山守を定む」、応神十一年十月条に「剣池・軽池(かるのいけ)・鹿垣池(ししかきのいけ)・厩坂池(うまやさかのいけ)を作る」とある。剣池は奈良県橿原市石川町の石川池という。
- 『古事記』に、百済の国主照古王(百済の近肖古王)が、雄雌各一頭を阿知吉師(あちきし)に付けて献上したとある。この阿知吉師は阿直史等の祖。また、横刀(たち)や大鏡を献上した。また「もし賢人しき人あらば貢上れ」と仰せになったので、「命を受けて貢上れる人、名は和邇吉師(わにきし)。すなわち論語十巻、千字文一巻、併せて十一巻をこの人に付けてすなわち貢進りき。この和爾吉師は文首等の祖。また手人韓鍛(てひとからかぬち)名は卓素(たくそ)また呉服(くれはとり)の西素(さいそ)二人を貢上りき」。『書紀』の十五年八月条と十六年二月条に同様の記事が見える。また、応神二十年九月条に「倭の漢直の祖阿知使主(あちのおみ)、其の子都加使主、並びに己が党類十七県を率て、来帰り」とあって、多くの渡来人があったことを伝えている。
後世、神功皇后と共に八幡神に付会され、皇祖神や武神として各地の八幡宮に祭られる。
[編集] 陵墓
『古事記』に「御陵は川内の恵賀(えが)の裳伏(もふし)岡にあり」と記す。『書紀』に陵名の記載はないが、雄略紀に「蓬蔂丘(いちびこのおか)の誉田陵」と見える。『延喜式』諸陵寮に恵我藻伏崗陵(えがのもふしのおかのみささぎ)。現在、同陵は大阪府羽曳野市誉田6丁目の誉田御廟山古墳(前方後円墳・全長425m・後円部高さ36m、もと二重に堀をめぐらしていた)に比定される。大仙陵古墳(仁徳天皇陵)につぐ(第2位の規模)5世紀初の大前方後円墳。
なお、誉田御廟山古墳の築造年代は、5世紀半ばであり、古事記の干支崩年でもとめられる応神の崩御年(393年)とは整合しない。この時代、古市古墳群にある大王墓、大后墓級の古墳は、仲ツ山古墳だけである。
[編集] 関連項目
歴代天皇一覧 | |||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1 神武 | 2 綏靖 | 3 安寧 | 4 懿徳 | 5 孝昭 | 6 孝安 | 7 孝霊 | 8 孝元 | 9 開化 | 10 崇神 |
11 垂仁 | 12 景行 | 13 成務 | 14 仲哀 | 15 応神 | 16 仁徳 | 17 履中 | 18 反正 | 19 允恭 | 20 安康 |
21 雄略 | 22 清寧 | 23 顕宗 | 24 仁賢 | 25 武烈 | 26 継体 | 27 安閑 | 28 宣化 | 29 欽明 | 30 敏達 |
31 用明 | 32 崇峻 | 33 推古 | 34 舒明 | 35 皇極 | 36 孝徳 | 37 斉明 | 38 天智 | 39 弘文 | 40 天武 |
41 持統 | 42 文武 | 43 元明 | 44 元正 | 45 聖武 | 46 孝謙 | 47 淳仁 | 48 称徳 | 49 光仁 | 50 桓武 |
51 平城 | 52 嵯峨 | 53 淳和 | 54 仁明 | 55 文徳 | 56 清和 | 57 陽成 | 58 光孝 | 59 宇多 | 60 醍醐 |
61 朱雀 | 62 村上 | 63 冷泉 | 64 円融 | 65 花山 | 66 一条 | 67 三条 | 68 後一条 | 69 後朱雀 | 70 後冷泉 |
71 後三条 | 72 白河 | 73 堀河 | 74 鳥羽 | 75 崇徳 | 76 近衛 | 77 後白河 | 78 二条 | 79 六条 | 80 高倉 |
81 安徳 | 82 後鳥羽 | 83 土御門 | 84 順徳 | 85 仲恭 | 86 後堀河 | 87 四条 | 88 後嵯峨 | 89 後深草 | 90 亀山 |
91 後宇多 | 92 伏見 | 93 後伏見 | 94 後二条 | 95 花園 | 96 後醍醐 | 97 後村上 | 98 長慶 | 99 後亀山 | 100 後小松 |
北朝 | 1 光厳 | 2 光明 | 3 崇光 | 4 後光厳 | 5 後円融 | 6 後小松 | |||
101 称光 | 102 後花園 | 103 後土御門 | 104 後柏原 | 105 後奈良 | 106 正親町 | 107 後陽成 | 108 後水尾 | 109 明正 | 110 後光明 |
111 後西 | 112 霊元 | 113 東山 | 114 中御門 | 115 桜町 | 116 桃園 | 117 後桜町 | 118 後桃園 | 119 光格 | 120 仁孝 |
121 孝明 | 122 明治 | 123 大正 | 124 昭和 | 125 今上 | ※赤字は女性天皇 |