北近畿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界 > アジア > 東アジア > 日本 > 近畿地方 > 北近畿
北近畿(きたきんき)とは、近畿地方の日本海側を指す。近畿地方を五分割した内の、北側の地方に当たる。令制国では、若狭国、丹後国、丹波国中北部、但馬国の一帯に当たる。
目次 |
[編集] 線引き
現在の京都府北部(丹波国のうち中丹+丹後国)と、兵庫県北部(但馬国+丹波の一部)と、福井県嶺南(若狭国)に当たる。嶺南は、1881年2月7日以後は福井県に属するので、名目上の行政区分では北陸地方とされているが、若狭湾に面しており、文化圏や経済圏は京阪神と一体化する傾向が大きいので、北近畿に含める事が一般的である。
京都府南丹(口丹波)地方や滋賀県高島市も含める場合と、兵庫県但馬地方を山陰地方として北近畿から除く場合がある。又、この北近畿から嶺南を外した三丹(但馬・丹後・丹波の「たん」を取った名称)という名称も存在する。
いずれにせよ、丹波のうち南丹については、天気予報などでは京都府南部とされるように山城国との繋がりの方が深いため、北近畿から除くのが一般的である。
[編集] 特徴
日本海に面し、北陸と山陰と畿内(京阪神)の三方を結ぶ。日本海側気候が見られるが、冬の雪は北陸程は多くはなく、曇りの日が比較的多い。
北近畿を構成する地域は、明治維新後の一時期には豊岡県となったものの、1876年8月21日に分割されてからは京都府と兵庫県にそれぞれ編入された。嶺南は敦賀県となったが、1876年8月21日に分割されると滋賀県に編入され、1881年2月7日以後は滋賀県から分離されて福井県に編入された。しかし、それぞれに府県庁所在地の京都(山城国)や神戸(摂津国)や福井(越前国)からは遠く、府県への帰属意識は弱い。
一方で、文化的な違いを有する点や、特に舞鶴、豊岡、福知山などの主要都市がそれぞれ単独で都市圏を形成している点から、舞鶴都市圏などの半ば独立した地域圏が存在する。その為か、三遠南信(天竜川流域)や中京地方(木曽三川流域)に見られるような「地方」としての結束力はさほど強くはなく、地域同士の繋がりは浅いと言われている。
天橋立や城崎温泉などの名勝を持ち、元伊勢でも知られる地方である。
[編集] 地理
[編集] 歴史
[編集] 古代
古代の北近畿には、丹国や若狭国造といった地方王国が分立していた。これらの地方王国は、北陸(越国)や山陰(因幡国、出雲国など)や北九州(筑紫国、末盧国など)の地方王国と共に、日本海沿岸の一大勢力を築いていた。伊勢神宮が現在の伊勢市に移る前には、元伊勢が大江山の近くに鎮座していた。
[編集] 畿内政権の時代
奈良盆地でヤマト王権が勢力を拡大すると、北近畿の地方王国はヤマト王権に恭順し、北近畿はヤマト王権の北の入口となった。丹国は丹波国と丹後国に分割され、丹波国府は元伊勢から離れた場所で、山城国に極めて近い亀岡に置かれた。
中でも若狭国は、畿内に近い要衝として、鯖などの海産物を畿内に輸送していたため、「御食国 (みけつくに)」の一角となった。
[編集] 幕府の時代
戦国時代には、織田信長隷下の明智光秀や細川藤孝が北近畿を支配していたが、山崎の戦で豊臣秀吉に敗れると、北近畿は豊臣政権の支配下に入った。
江戸時代に入ると、北近畿には、宮津藩、小浜藩、丹後田辺藩、福知山藩、綾部藩、篠山藩、豊岡藩、出石藩といった小さな藩(地方王国)が分立した。杞柳(こりやなぎ)製品から始まった豊岡の鞄、綾部の紡績業といった地場産業には、この時期に興った物もある。
[編集] 東京政権の時代
江戸幕府が倒されて明治政府が誕生すると、廃藩置県によって、それまでの藩は豊岡県や舞鶴県や敦賀県などに置き換わった。しかし、1876年8月21日には、北近畿の県は全て廃止され、山陽道沿線や中山道沿線の府県に編入された。
富国強兵政策が執られた明治時代には、いままで寒村であった東舞鶴(舞鶴市東部)に舞鶴鎮守府が設置され、日本海沿岸の一大軍事拠点となり、軍都として急速に発展し、日本海側有数の都市圏を形成することとなった。これと前後して、大阪や京都や敦賀から舞鶴に向けての鉄道が敷設され、北近畿にも鉄道の敷設が進められた。
第二次大戦後には、特に高度経済成長期に太平洋ベルトから漏れたため、北近畿でも過疎化した地域が見られるようになった。しかし、現在では舞鶴若狭自動車道の整備や、京都府庁が主導する工業団地の建設などが進められ、幾らかは改善されている。
[編集] 産業
[編集] 工業団地
|
|
[編集] 原子力発電所
5基の原子力発電所が置かれているが、いずれも嶺南に立地する。
(→一覧は「嶺南#原子力発電所」へ。)
[編集] 特産品
[編集] 交通
[編集] 交通の現況
東舞鶴に鎮守府が設置されることになったため、鉄道は他の地方に比べて比較的早く整備されている。京都鉄道・阪鶴鉄道によって敷設された山陰本線と福知山線、旧国鉄によって敷設された舞鶴線と小浜線が、幹線として通っている。
高速道路は整備が遅れていたが、現在は舞鶴若狭自動車道が敦賀方面と阪神方面を貫くとともに、山陰自動車道・京都縦貫自動車道が京都方面と鳥取方面を貫くべく建設中である(現在は宮津天橋立ICから舞鶴大江ICまでが開通)。又、北近畿豊岡自動車道が舞鶴若狭道春日IC・JCTより分岐し、氷上ICまで開通、2006年には和田山ICまで延伸し、播但連絡道路と連絡している。
[編集] 「迂回路」としての北近畿
三重県(東海道沿線)と旧飾磨県(山陽道沿線)を結ぶ路線で、京阪神を経由せずに迂回するには、北近畿を通る事になる。道路と鉄道の両方が比較的早く整備された事から、近畿地方内での「迂回路」としての機能も担っている。
北近畿回りの迂回路には、以下のルートがある。(太字箇所が北近畿)
- 鉄道
- 亀山~加古川間
- 道路
[編集] 鉄道
[編集] 道路
- 高速道路
- 国道