三方五湖
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三方五湖(みかたごこ)は、福井県三方郡美浜町と同県三方上中郡若狭町に跨って位置する5つの湖の総称。若狭湾国定公園の一部である。2005年11月8日付でラムサール条約指定湿地に登録されている。
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[編集] 五湖の構成
- 三方湖(みかたこ)-周囲9.6km 最大水深2.5m 面積3.45km² 淡水湖
- 水月湖(すいげつこ)-周囲9.85km 最大水深38.0m 面積4.06km² 汽水湖
- 菅湖(すがこ)-周囲4.2km 最大水深14.5m 面積0.95km² 汽水湖
- 久々子湖(くぐしこ)-周囲7.0km 最大水深3.0m 面積1.25km² 汽水湖
- 日向湖(ひるがこ)-周囲3.6km 最大水深38m 面積0.92km² 塩水湖
[編集] 概要
三方五湖は五つの湖で構成されており、五つの湖はすべてつながっている状態である。
[編集] 人工構造物
三方五湖には水月湖と久々子湖をつなぐ浦見川(浦見運河)と、水月湖と日向湖を結んでいる嵯峨隧道の2つの人工水路がある。
[編集] 浦見川
浦見川(うらみがわ)は、1662年から行方久兵衛の指揮のもと開削された。そのため「浦見運河」と表記されることもある。
1662年5月1日に発生した寛文大地震で菅湖から久々子湖に流れていた気山川(現在も気山保育所付近に川の跡が残っている)の地盤が隆起して川の機能を失ってしまった。その代替水路として浦見川が掘削された。約2年後に運河は完成し、上流に溜まっていた水がすべて引いた上に、三方湖周辺の土地改良につながった。
[編集] 嵯峨隧道
嵯峨隧道(さがずいどう)は、1934年3月に完成したトンネルの水路である。
嵯峨隧道に関しては、水質変化の問題から1935年に水月湖側に木製の水門を設置(1980年に現在の水門へ改修)し、常に閉ざされた状態であり開かれることはない。これは水門を開けることによって三方湖にとっては前述の通り水質の変化による生態系に影響を与えるからであり、日向湖では豪雨災害の時には水門を開放することで日向区の大半が水没する恐れがある上に、日向湖のいかだが流されるからである。
1998年8月14日には嶺南地方を豪雨災害が襲い、三方湖を中心にして三方五湖周辺で浸水被害が発生した(このときも例外なく嵯峨隧道の水門は開けていない)。これに対して、浦見川の流量だけでは大量の降雨に対応することができないので水月湖から若狭湾に直接排水できるトンネルを設ける案が示されたが、プランクトンが大量発生している水を海洋へ流すことによる影響を懸念して、その構想は頓挫している。
[編集] その他
菅湖と三方湖の間には堀切がある(掘削時期不明)。
[編集] 五色の湖
五つの湖は淡水・海水・汽水とそれぞれに違った性質を持ち、また同じ汽水湖でも日本海に直接つながっている久々子湖と一番奥にある菅湖、中間の水月湖ではそれぞれ海水と淡水の比率が違っている。そのため梅丈岳(三方五湖レインボーライン展望台)から見える景色は、五つの湖がそれぞれに違った青色をして見えるのである。
[編集] 流出入する河川
比較的大きな川は三方湖に流入するはす川(「はす」は魚偏に時)のみである。そのほかは小さい川が多数流入している。若狭湾へ流れ出る川は久々子湖・日向湖に繋がった運河のみである。
[編集] 水月湖の湖水
水月湖は二重底の湖としても知られている。湖水上部(水深0~6m)は淡水、下部(水深7~40m)は硫化水素を含む無酸素の汽水となっている。
水路工事の結果、三方湖からは淡水、久々子湖からは汽水が流れ込むようになり、淡水に比べ重い汽水は湖底に滞留するようになった。この状態で湖の表面に強風が吹いても表層の淡水が攪拌されるのみで、湖底の汽水は滞留したままである。 この結果、下部の汽水は空気に触れることが無く、表層の酸素を含んだ淡水と混じり合うこともないために 有機物分解によって酸素が消費し尽くされてしまい、2006年時点では硫化水素を多量に含んだ無酸素状態となっている。
なお、上下湖水の境界付近では、下部湖水の硫化水素を上部湖水に含まれる酸素で酸化させ、その時に発生するエネルギーを利用して生きる特殊なバクテリアが生息している。
[編集] その他
- 日向湖の日向橋で毎年1月に行われる「水中綱引き」が有名である。また、この橋では架け替え工事が行われる以前に「釣りバカ日誌7」のロケが行われた。
- 久々子湖には、福井県で開催された国体をきっかけに漕艇場が設置されている。美浜中学校や福井県立美方高等学校が練習を行っている。
- 三方五湖周遊道路は、日本の道100選のひとつに選出されている。