大江山
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大江山(おおえやま)は京都府丹後半島の付け根に位置し与謝野町、福知山市、宮津市にまたがる連山である。標高833m。酒呑童子伝説で知られる。また、雲海の名所としても知られている。
地質学的には地球の深部から隆起した地層で金属鉱脈が豊富、周辺には金屋など金属にまつわる地名が多く見られる、太平洋戦争中には兵器に不可欠なニッケルを確保するため大江山から採鉱、日本海に面した岩滝町の精錬場まで専用鉄道(加悦鉄道)で輸送し、精製した。この鉱山では中国から徴用された中国人労働者が過酷な労働を強制されたとして損害賠償訴訟を起こし、戦争の影を今日に至るまで引きずっている。
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[編集] 鬼退治伝説
大江山には3つの鬼退治伝説が残されている。一つは、古事記に記された、崇神天皇の弟 日子坐王(ひこいますのみこ)が土蜘蛛 陸耳御笠(くぐみみのみかさ)を退治したという話。二つめは聖徳太子の弟 麻呂子親王が英胡、軽足、土熊を討ったという話、三つめが有名な酒呑童子伝説である。 これは能の演目、大江山(五番目物の鬼退治物)にもなっている。 これらの伝説にちなみ、大江山の山麓にあった廃坑となった銅鉱山跡に1993年日本の鬼の交流博物館が作られた。
なお、酒呑童子の本拠とした「大江山」は、この丹後の大江山であったという説のほかに、京都市西京区にある山城国と丹波国の境、山陰道に面した大枝山(おおえやま)という説もある。
[編集] 鬼退治伝説の意味
大江山の位置する丹後地方は古くから大陸との交流が深く、渡来人は高度な金属精錬技術により大江山で金工に従事、多くの富を蓄積していた、これに目を付けた都の勢力は兵を派遣、富を収奪し支配下に置いた。多分このような出来事が元になり自分達を正当化、美化しようとの思いから土蜘蛛退治や鬼退治伝説が生まれたのではないかとする説と同時に 、渡来人が寄り集まって山賊化して非道な行いをしたので鬼と呼ばれたという説もある。
[編集] 短歌
小倉百人一首には「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)という歌がある。ここでの大江山は本項でのものと京都市西京区の大枝山をかけているとの説もある。