体罰
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体罰(たいばつ)とは、殴打等の、身体を通じた罰のことである。
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[編集] 概要
体罰は、父母や教員、もしくはそれに代わるような人が、主に教育上の目的から子供に体刑を加えることを指すことが多い。日本の学校教育法(昭和22年法律第26号)の第11条において、校長および教員は、懲戒として体罰を加えることはできないとされている。この規定に対する(刑事上の)罰則はないものの、教員以外の者と同じく、スキンシップと解せないものについては、暴行罪や傷害罪(死亡した場合は致死罪)となる。また、教員が職権として体罰を加えた場合は、刑事上の責任とは別個に民事上の責任も問われる。なお、有罪判決を受けた教員は、公務員の信用失墜行為として懲戒免職処分を受けることも多い。
長い間、体罰は、注意をしても聞かない(もしくは理解できない)子供に対する教育的な指導と認識されていた。方法としては、動物に対する躾と同様の直接的な痛みを伴う行為がとられることが多かった(鞭で打つ・叩く・殴るなど)。 また、明確な賞罰の形として、長く記憶に残りやすい体罰は、より教育効果が高いと考えられていた。
しかしその一方で、その罰がしばしば当人の人格否定に繋がったり、重大な負傷に至る事例が挙げられるにつれ、社会的に問題視され、その効果に疑問が投げ掛けられるようになった。
体罰には様々な方法が存在し、また実施される状況によって、あるいはこれを被る側の反応によって、その影響(効果)は異なる。 体罰であるかを問わず「罰することによって許すこと」は、教育においても大切なことと考えられることもある。体刑を科してその後のケアを怠れば、処罰された側は罰の手法によらず反省しない・自己憐憫にひたることで自分を正当化してしまうおそれもあるのではないかという意見もある。すべての発達段階において、人間の人格形成・人間形成を促す方向での指導と、そのために学校組織としての方針の策定が求められる。
[編集] 学校内における体罰
[編集] 体罰の種類
[編集] 正課教育において
日本の学校で、正課教育に関連して伝統的に行われている/行われていた体罰の主なものには、以下のものがある。
- 教鞭などで頭を打つ。
イギリスの学校では伝統的に手の平を木のへらで打つ体罰があるが、日本ではこれはまれであり、細長い教鞭、物差し等で頭を打つことが多かった。頭を打つ際には平手や、げんこつ、教科書などの教材道具を使うこともある。
- 廊下等に立たせる。
他に、教室の後部、黒板の前、自分の座席の脇などに立たせることがある。
かつては、両手にバケツを持たせるなどすることもあったが、現在では稀。有名な宮沢賢治の逸話にあるように、水を入れたコップを長時間持たせることもあったようだ。水をこぼした場合、さらなる罰が科せられることが多かった。
- 頬を平手で打つ。
これは現在でもしばしば行われている。
1、片頬を一回打つ通常のビンタ
2、1に続けて返し手(の甲)で反対側の頬も打つ往復ビンタ
3、両手で同時に両頬を挿むように打つ
4、それぞれの頬を交互に(右手で左頬を、左手で右頬を)続けざまに打つ
といったやり方がある。頬を打たれた際に生徒が誤って舌を噛む危険を考慮し、「歯を食いしばれ」との命令が打擲に先駆けて下されることもある。1の場合、片頬を指で強くつねって顔を固定したまま、もう一方の頬を打つことがある。2以下は現在では減っていると思われるが、なお見られるものである。いずれも、平手打ちをする教師の指の先が耳にかかってしまうと、打たれる生徒の内耳に急激な気圧の変化をもたらし、鼓膜を損傷することがある。また強度や回数によっては生徒は頬の内側を切ることがある。明治から高度成長期くらいまでは、この体罰を受ける生徒は直立の姿勢をとり、両手を脇にそろえていなくてはならなかったが、現在では生徒が素直に罰を甘んじて受けることはむしろ稀であり、顔をうつむけて肩をすくめること等によって打擲の直接的な打撃を防ごうとすることが多い。したがって、以前と比べると、教師が前触れ無く叩くことが多くなったと思われる。
- 顔を殴る。
上記の平手打ちよりもさらに打撃の強いものとして、顔面(主に頬)を拳で殴るものがある。これは生徒に与えるダメージも強いため、中学校の高学年や高等学校で行われることが多いようである。強い平手打ちと同様、頬の内側を切るほか、顎がずれたり、鼻を折ったりといった危険がある。
- 尻を打つ。
イギリスの伝統的な寄宿学校では、かつては校長あるいはマスターがケイン(杖)で生徒の尻を打つことが行われており、また代表生(プリーフェクト)と呼ばれる指導的な生徒が下位の生徒の尻を叩くことがあった。これが日本の軍隊における体罰としての尻打ちの起源とも言われるが、定かではない。特に予科練においては、ケツバッターと呼ばれる頑丈な木の棒を用いた尻打ちが日常的に行われており、戦後、軍隊上がりの教師が生徒の尻を叩くようになったことが、学校における尻打ちの源であるとも言われる。
学校においては、竹刀・木刀・竹の物差しなどを用いて生徒の尻を叩くのが一般的であり、低学年においては平手で叩くこともある。また、一部の神社で土産物として売られているような尻叩き用の木のへらを用いることもある。
尻を打たれる生徒は黒板の桟などを両手でつかんで上体をかがめ、尻を突き出す格好をしなければならない。稀な姿勢としては、直立させたまま叩くほか、床に膝を開いて四つん這いをさせたうえで、両肘を床につけて尻を開いて突き出す姿勢をとらせるものや、水泳の飛び込みの構えのように、両脚をそろえて伸ばしたまま、両手でつま先をつかませるといった方法がある。
竹刀、木刀などの強い道具を用いる場合は、生徒の座骨・尾てい骨にひびが入るなどの危険がある。教師はどの角度からどれくらいの強さで尻を打てば良いのか熟知していなければならないし、生徒のほうも痛みに対する恐怖から尻をすぼめて猫背にしたりすると、尾骨を損傷する危険が高まる。尻の斜め上から、尻の一番盛り上がったところに打ち下ろし、受ける生徒は背中を反らせて尻を思い切り突き出すのが最も安全な方法であるが、多くの教師はそのような知識無くこの体罰を行い、生徒も身体を動かして避けようとすることがあるため、しばしば重大な結果をもたらす。
高度成長期には、一部の教師が生徒のズボンを下げさせる、スカートをめくらせる、場合によってはパンツを下げさせるなどして尻を打つこともあったようだが、現在はこのようなことは大抵の場合すぐに問題になるし、まず行われることはない。もちろん上記のような事故を防ぐために生徒の骨の位置をよく見て打つには、パンツを下ろして打った方が安全ではあるが、多くの場合、パンツを脱がせれば肛門や性器の一部が見えてしまうことになる。
- 正座をさせる。
教室の床の上、椅子の上、校庭の砂の上等々に生徒を正座させるということは、現在でも屡々見られる。かつては算数の授業用の大きなそろばんの上に正座させるなど、痛みの強い罰もあったようだが、そもそも昨今ではこのようなそろばん自体が教室になく、まずこのやり方は取られないと思われる。
他にも、過去の実績から効果が見られるとされた体罰が、罰した後に遺恨を残さないよう配慮するフォロー方法も含めて制度化されて残されているケースや、罰せられる生徒が笑うほどの余裕を持てる形式で教師が個人的に行うケースも見られる。
体罰を加える側の性格的問題などに起因して、客観的に見て教員の鬱憤晴らしや単なる暴行にしか見られない行為が行われることがあり、それらは「事件」として扱われることも多い。具体的には以下のような行為がある。
- 針で刺す。
- 刃物等の武器で脅す。
- 倒れる程の勢いで殴り飛ばす。
- 床に身体ごと叩きつける。
- 蹴り倒す。
- 竹刀や清掃器具・指し棒といった棒状の物で突付いたり叩きのめしたりする。
- (中学校以上 相撲部屋の一部でも見受けられる)
- 殴る・蹴るの連続的暴行を執拗に加える。
- 柔道の投げ技、プロレス技等を行う。
これらの過酷な体刑により、児童・生徒に対して、外傷のみならず心理的な傷(トラウマ・心的外傷後ストレス障害・PTSD)を負わせた傷害事件や、被害者を死亡させた殺人事件が報じられている。
以下のような、外傷を与えない種類の体刑を科すこともある。それらも状況や内容により問題視されることがある。
- 与えた課題ができるまで放置する。あるいは、給食を残さず食べるまで次の時限に参加することを許さない。
- 授業を受けさせずに他の課題を科す
校庭を一人で走らせたり、腕立て伏せ、うさぎ跳び、スクワットなどの無駄な筋力トレーニングを科すなど。
- 常軌では考えられない範囲の掃除など、過度の労働を課す。
校庭全体のゴミ拾いを一人でさせる、素手で便器の掃除をさせるなど。
- 生理的な抑圧を加える。
具体的には長時間トイレに行くことを禁じ、場合によっては生徒が失禁するまでこれを続けたり、生理を迎えている女子生徒にむりやり水泳の授業を受けさせたりすることが該当する。
- 生徒によるいじめを誘発する行為。
他の児童・生徒を扇動して激しく非難させたり、生徒のプライバシーや性的な事柄を他の生徒の前で指摘したりすること(たとえば下着の色や種類、性徴の現れ具合など)。これらの言葉の暴力も、場合によって広義の体罰に含むことがある。体罰に対して「言罰」ともいわれる。厳しく諭す事と、当人の人格否定は全く異なるものであり、後者は問題視されることがある。
- 着衣を脱がせた状態で人目に晒す。
尻を叩くなどの目的とは別に、生徒の下腹部を人目に曝すことだけを目的として行われるものである。たとえば、黒板の前でパンツを下げた状態で立たせたり、水泳の授業に水着を忘れた生徒を、プールの脇に裸で立たせたり、体育着を忘れた生徒にパンツ一枚で授業を受けさせたりすることである。現在では通常は考えられないが、昔はしばしばあったようで、『はだしのゲン』には、軍隊上がりの教師が、生徒に罰として全裸で校庭を走らせるという話が出て来る。
- わいせつな行為を強要する。
こうした行為はいかに生徒側にも非があろうとも、教育的指導の範疇から逸脱していて、教育を受ける権利や基本的な人権を侵害していると考えられており、保護者だけでなく、報道や教育関係者らにも問題視されている。しかし、性的な要素を含んだ罰の場合、生徒が家庭で報告しないケースがあるため、発覚しないことがある。
[編集] 正課教育以外の場において
日本の学校で、正課教育以外の部活動や修学旅行等に関連して行われている/行われていた体罰は、上記の正課教育に関連したものと似たようなやり方をとるが、体罰を行うのは、指導者である教師などの大人の他、しばしば上級生である。部活動において上級生による「しごき」の名の下に行われる下級生に対する体罰は、肉体的な痛みを伴うものから、精神的、性的なものまで様々である。
上級生による体罰は、しばしば教師による体罰よりも過酷なものになるという指摘があり、これらを、高度経済成長期以降の教師の権威の低下と、相対的に低下していない部活動や寮生活における先輩・後輩の上下関係に結び付けて論じることがある。
以下、簡単に種類を列挙し、正課教育における体罰との違いのみコメントを付す。
- 頬を叩く
教室においては通常考えられないことであるが、一人の部員の過ちを「連帯責任」と称して部員全員、もしくは同じ学年の部員全員を横に並ばせて順番に頬を打ったりすることがある。
- 顔面などを殴る
修学旅行などの宿泊施設内で、就寝時間に目を覚ましている部屋の生徒を教師が廊下に並んで正座させ(もしくは直立させ)、顔面を殴る、といったことはしばしば経験談として語られる。通常の教室においてはせいぜいが平手打ち程度であるとすれば、やはりこれは非日常的な空間において誘発せられるものと解せられる。
- 尻を打つ
特に、剣道や柔道の指導において竹刀で尻を打つことや、野球の指導においてバットで尻を打つ「けつバット」はよく行われる。またその亜流として、あらん限りの声で「あー」と叫ばせたまま尻をバットで打つ「声出しケツバット」があるが、これは腹に力が入ることにより尻が強く突き出され、打擲をまともに受けさせるためのものと考えられる。現在では、注目度の高い高校野球等においてこのようなことが明らかになった場合には、学校に処分が下されることが多いが、かえってそれを恐れて、外の目のないところで行われるという弊害も指摘されている。また、針金ハンガーで尻を叩く「しりピン」なども、この部類の体罰に属するが、針金ハンガーで尻を打つことで重大な怪我をすることは考えられないものの、当然のことながらユニフォーム・パンツを下げて尻を剥き出しにさせて行うことになり、性的な要素も含むことになる。
- 性的な行為を強要する
ささいな過失を理由に自慰行為をしてみせるよう強要したり、もしくは無理矢理男性器をしごいて射精させしむる等の行為。また異性との交流から遮断された状況において(たとえば寮生活など)上級生が下級生を(異性の代替としての)性的な慰み者つまりは稚児にすること。たとえば90年代の岡山県の作陽高校桃山寮における事例では、形式上、先輩が後輩を「罰する」形で殴打等が行われるのと合わせて性的な奉仕も要求しており、その状況から考えれば、性的な「体罰」の一例とも言える。
[編集] 体罰をめぐる状況
日本では、第二次世界大戦前に制定された教育令(1879年〔明治12年〕)には、体罰禁止規定があった。さらに勅令である第2次「小学校令」(明治23年勅令第215号)からは一貫して体罰禁止規定が見られ、第二次世界大戦後には、法律である学校教育法(昭和22年法律第26号)に規定が引き継がれている。現在の日本においては、学校教育法(昭和22年法律第26号)の第11条で「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定められており、校長および教員が懲戒として体罰を加えることはできない。
しかし、教育的効能を主張する者もあって、教育現場で体罰は、しばしば行われている。 1980年代には私塾などで体罰を積極的に科す所も現れた。
体罰が、対象者への傷害事件に発展したり、教員の性格的な問題が発覚したりした場合は、社会問題として取り上げられることも多い。
古くはそういう乱暴な教員を「侍(さむらい)教師」と呼んでいた。”侍”という呼称は、「教師は聖職である」として、ゴロツキ呼ばわり、やくざ呼ばわりを避ける為のものとも言われている。教職の経歴を持つ作家の灰谷健次郎は、自著で「教員やくざ」という呼び方を記している。
1990年代以降は、学校での体罰が年々減少傾向にある。 しかし、「子供の人権を尊重するためにも体罰は絶対に禁止すべき」という意見がある一方で、「本来は学校教育と並行して行われるべき家庭教育が軟弱化した影響で、過剰に自己中心的な生徒が増えているので、罰を通して痛い目に遭わせる事も必要だ」と、教員の体罰を法律で認めるべきという意見もある。
体罰を受けた・目撃した児童生徒が、それについて捜査機関・人権擁護機関・団体などに被害を申告し、または告訴・告発、民事訴訟、公務員の懲戒請求その他の申告をしたことを理由として不利益を受けるようなことは認められていない。
[編集] 日本国外での体罰をめぐる状況
学校教育としての体罰を禁止している国は、日本のほか、ドイツなどのヨーロッパ諸国に多い。校長などが責任を持って体罰を与え、それを記録にとどめるとしている国もあるが、おおむねの国は言及していないというのが実態である。先進国はどこでも禁止していると主張する個人のWebサイトもあるが、事実ではない。例えば、カナダでは父母と教員の体罰は合法という最高裁判決が存在する。
他にも、イギリスでは「理由が告知される事」、「成人の第三者と校長が立ち会う事」、「他の生徒の目のないところで行なわれる事」という3要件が全て充足されている条件下において、懲戒としての体罰が容認されている。この3要件が充足されていない場合には、教員とともに学校や設置者の責任も問われる。
韓国の学校では、定規、出席簿、箒、モップ、ホッケーのスティックなどの道具を使った体罰がしばしば行われてきた。これに対し、教育部(日本の文部科学省に相当)では体罰自体を禁止することはせず、道具を小・中学校では直径1㎝程度、長さ50㎝以下、高校では直径1.5㎝程度、長さ60㎝以下の直線型の木の棒だけ使うようにし、手足は使わないように指示している。このため、この基準に沿った棒を製作・販売する業者がおり、これを実際に使用する教員も多い。体罰を行使するのは主として男性教員が多いが、韓国の男性には兵役があり、軍隊生活の中で上級兵による苛烈な体罰が長い間横行してきたことから、その影響があると考えられる。しかし、最近の訴訟社会への流れ・人権擁護派の勢力拡大及び少子化による少ない子供への過保護化に伴い保護者からの抗議が増加、告発も辞さぬ姿勢をとる親が増えた。携帯電話のカメラ機能を使用して体罰現場を盗撮し、抗議時の材料にするのみでなく、インターネットに放流して社会的な批判を誘導すると言った行為も体罰を受けた側によって行われる。これに対して教師の中には思うように体罰を行えず「携帯カメラ恐怖症」(中央日報)ともいうべき症状になる者もある。そのため、登校の直後、携帯電話を回収する学校もある。
またこの延長上で、韓国では中学・高校のサッカー部における体罰も常態化しており、2004年には中国の昆明地方で合宿していた韓国の中学・高校サッカー部の選手に対する、棍棒による体罰が目撃されてもいる。ちなみに日本のサッカーチームでは南米の指導法を取り入れているため、暴力による指導はあまり行われないが、ヨーロッパでは体罰を振るう指導者が少なくないといわれる。
[編集] 法律で体罰を禁止している国
- アメリカ合衆国(各州の法律によって異なるが、禁止している州もある。)
- スリランカ
- 中華人民共和国
- 台湾
- スウェーデン
- フィンランド
- ノルウェー
- オーストリア
- キプロス
- デンマーク
- ラトビア
- クロアチア
- ブルガリア
- ドイツ
- イスラエル
- アイスランド
- ハンガリー
- ルーマニア
- ウクライナ
- フランス
- スペイン
- イタリア
- キューバ
[編集] 児童・生徒の心と体罰
日本では第二次ベビーブーマー世代を含む中高年層にあって、学校教育の場で体罰を被った経験があるという人は多い。彼らの世代では不良行為少年や校内暴力の問題が根強く、暴力や反社会的行為に対しては、権限を超える体罰で当たった教員も少なからず見られた。
[編集] 家庭における体罰・躾
家庭内等において、子供が保護者と生活する時間は長い。特に就学前の乳幼児にとっては、親権者は、親権者であると共に、最初に出会う教師ともいえる。このため保護者は、それら幼児に日常生活を通じて、やるべき事・やってはいけない事・守るべきルール・言葉を教育する。この教育の過程で、まだ言葉を十分に理解出来ない幼児にとっては、往々にして「言葉による賞罰」よりも、「肉体の感覚による賞罰」の方が効果的な事が多い。
例を挙げれば、イギリスをはじめとする欧米各国では、幼児が触ってはいけない物(マッチ・ライター・刃物・タバコ・拳銃等の、家庭内にありふれた危険物)を玩具にしていたら、手の甲を赤くなるほど平手で殴ってから、「もう触りません」と言わせる躾が伝統的に存在する。
この場合において賞は微笑んだ表情を見せたり、抱きしめたり、頭を撫でたり、幼児が喜ぶ物品を与える等して行われ、罰は怒ったり悲しんだ表情を見せる、怒気を込めた口調で叱る、(手加減して・注意を喚起する程度に留めて)叩くといったような物が与えられる。しかし環境が閉鎖的である事もあって、他の要因から罰の方法がエスカレートし、拷問を科す事と混同されるケースも少なくない。
特に乳幼児は、言葉以前に善悪も理解出来ないため、初期の段階においての躾はほとんど不可能である。また空腹や孤独・便意・濡れた衣服にまつわる不快感に対して敏感であり、泣く事によってこれらの不快な状態の改善を(本能的に)要求する。自分では何も解決できない乳幼児が、このような手段を用いて要求するのは至極当然の反応であるが、性格的に未熟だったり、精神的疲労やノイローゼ状態にある保護者にとっては、これらの要求を煩わしく感じる事も少なくないためか、要求を減らすために、「我慢する躾」と称して体罰よりもエスカレートした児童虐待を行う場合がある。
このような場合、乳幼児にとってはその罰の意味がまったく理解出来ないものであったり、本能的に見て非常に理不尽極まりない事もあるために、事態が激化しやすい。また、体罰の倫理的問題も在って、体罰を受ける側も体罰を課す側も心理的に傷付いていくため、子供も保護者も不幸な結末に陥りやすい。特に乳幼児は、母親一人だけでは手に余る程の保護を必要としている部分に負う所も大きいため、問題解決には周囲の人間の理解や援助が必要である。児童相談所では、これらの悩みを持っているにも関わらず、身近に相談できる人間がいない人々の問題を解決する手助けを行っている。
[編集] 過去の関係する事件·事例
- 不登校や家庭内暴力といった問題行動のある児童を、スパルタ式教育により、生理機能を増進させ、健康で逞しく育てるとした私塾であったが、指導の方法は論理的根拠に欠ける部分があり、中には心理的な傷を負ったり、指導内容の問題もあって、暴力や遭難による死亡者・行方不明者まで出ている。このため戸塚宏校長らが逮捕・起訴され、有罪判決を受け服役したが、戸塚校長は出所後の記者会見でも「体罰は教育」と発言した。但し、現在では暴力的な指導はあまり行われていないといわれる。
- 聖書に基づく躾として、体罰行為を肯定している。しかしその根拠となる聖書の解釈に関しての問題をはらんでいるが、今現在は信者は余り体罰をすることは無い。
- アイメンタルスクール
- 2006年4月18日未明愛知県名古屋市北区にあるカウンセラー杉浦昌子が代表を勤めるひきこもり更生施設アイメンタルスクールで、26歳の男性が外傷性ショックで死亡した事件。東京都世田谷区に住む26歳の無職の男性を同年4月14日早朝に杉浦氏や施設の幹部や寮生数人が無理やり自宅から連れ出し、車で移動する際男性の両手首、両足首に手錠をかけ入寮後も手錠をかけたまま廊下に拘束し死亡させたとして、同年5月8日杉浦氏ら7人が逮捕監禁致死容疑で逮捕された。杉浦氏はこれまでにも数人の寮生に手錠をかけたり、鎖を体につなげるなどをしていた。同年12月名古屋地裁は、一連の主導者である杉浦氏に懲役4年の判決を下した。
- 体育授業における体力測定中、担当教員が手伝い係の生徒の頭部を激しく殴打し、生徒が1週間後に死亡した事件。加害教員は一審で有罪となるも、二審で無罪判決。学校側の不誠実な対応も問題になった。
- 陸上部顧問の教員が女子部員に執拗かつ激烈な体罰と言葉の暴力を加え、自殺に至らしめた事件。加害教員は焼香に訪れた際に遺族に暴言を浴びせた。遺族が県と加害教員を相手取り提訴し、県に対する請求は認められたが、加害教員への請求は認められなかった。
- 岐阜県立岐陽高等学校(現・岐阜県立本巣松陽高等学校)(1985年5月)
- 修学旅行で国際科学技術博覧会を訪れた際、宿泊先である近隣の臨時宿泊施設で、持参が禁じられていたヘアドライヤーを使用した生徒に学級担任の教員が激しい体罰を加え、死亡させた事件。傷害致死罪で逮捕され実刑判決を受けた(事件後に懲戒免職)加害教員は転任したばかりで、普段体罰を振るう教員ではなかったが、生徒指導担当の教員から前任校での指導方針をなじられた事が、暴行とも見紛う激烈な体罰の引き金になったとされる。
- 忘れ物の多い生徒に対し、学級担任の教員が4回の往復ビンタの後に柔道技を数回かけて転倒させ、死亡させた事件。加害教員は執行猶予付き判決を受けた。
- 特殊学級の担任教師が指示に従わない児童の頭部を殴打し、死亡させた事件。生後6ヶ月の時に頭骨の手術を受けた被害児童は入学する際、絶対に頭を叩かないよう両親が学校側に申し入れていた。日常的に体罰を振るっていた加害教員は実刑判決を受けた。
- 近畿大学附属女子高等学校(現・近畿大学附属福岡高等学校)(1995年7月)
- 学級副担任の教員が、指示に従わなかった生徒に激しい体罰を加え、死亡させた事件。加害教員は自らの公判で体罰を伴う指導方針を正当化したほか、学校内外で体罰を容認・正当化する風潮があり、被害生徒の遺族への嫌がらせもあった。加害教員は1、2審とも実刑判決を受けた。
- 野球部が夏の全国高等学校野球選手権大会で2連覇を果たしたが、その陰で大会期間中部長による数十回にも及ぶ鉄拳制裁やスリッパでの殴打が行われていたことが発覚し問題となった。
- 野球部監督だった男性職員が、部員に体罰を繰り返していたことや「メンタルトレーニング」と称して全裸でのランニングを強要していたことが発覚。男性は逮捕・起訴された。男性は容疑となった事実関係そのものについては認めているが、動機について「愛のムチ」「指導に必要な範囲」などとして、それらの行為は正当だったとして無罪を主張。現在公判中。
[編集] 参考文献
- 平野裕二 「■体罰の根絶に向けて」 平野裕二の「最近読んだ本」、2005年5月5日。