ブルガリア
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- ブルガリア共和国
- Република България
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(国旗) (国章) - 国の標語 : Съединението прави силата
(ブルガリア語: 団結は強さを生み出す) - 国歌 : 愛しき祖国
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公用語 ブルガリア語 首都 ソフィア 最大の都市 ソフィア 大統領 ゲオルギ・パルヴァノフ 首相 セルゲイ・スタニシェフ 面積
- 総計
- 水面積率世界第102位
110,910km²
0.3%人口
- 総計(2004年)
- 人口密度世界第92位
7,517,973人
68人/km²GDP(自国通貨表示)
- 合計(2005年)
415億レフGDP(MER)
- 合計(2005年)世界第71位
259億ドルGDP(PPP)
- 合計(2003年)
- 1人当り世界第65位
571億3,000万ドル
7,600ドル独立
- 宣言
- 承認オスマン帝国より
1878年3月3日
1908年9月22日通貨 レフ (BGL) 時間帯 UTC +2(DST: +3) ccTLD .BG 国際電話番号 359
ブルガリア共和国、通称ブルガリアは、東ヨーロッパの国。首都はソフィア。バルカン半島に位置し、北をルーマニア、西をセルビア、マケドニア、南をギリシャ、トルコと隣接し、東を黒海に面している。
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[編集] 国名
正式名称はブルガリア語で、Република България。ラテン文字転写: Republika Bulgarija。
公式の英語表記は、Republic of Bulgaria(リパブリック・オブ・バルゲリア)。通称、Bulgaria。
日本語の表記は、ブルガリア共和国。通称、ブルガリア。漢字では勃牙利と書き、勃と略す。
[編集] 歴史
詳細はブルガリアの歴史を参照
トラキアで紀元前4000年頃のものと思われる黄金製品の遺物を多数持つ遺跡群が確認されており、考古学者の間で新しい「文明」なのではないかと論じられている。
7世紀までは東ローマ帝国領。5世紀以降、スラヴ人が侵入し、次いでトルコ系の遊牧民族ブルガール人が侵攻して征服。スラヴ人を支配下に置き、680年頃東ローマ帝国に支配を認めさせて、ブルガリア(ブルガール人の国)を建国した(第1次ブルガリア帝国)。ブルガール人はスラヴ人より人数が圧倒的に少なかったために10世紀までにスラヴ人と混血・同化し、現在のブルガリア人が形作られた。
第1次ブルガリア帝国は、11世紀に東ローマ帝国に滅ぼされ、再び東ローマ帝国領となるが、12世紀末に再び独立した(第2次ブルガリア帝国)。
しかし、第2次ブルガリア帝国は1242年のモンゴル人の侵攻によって打撃を受けて衰退し、1393年にオスマン帝国に滅ぼされた。以後、長くオスマン帝国の支配下に置かれた。
1878年、露土戦争に敗北したオスマン帝国がサン・ステファノ条約を受け入れたため、ブルガリアは自治公国となった。しかしながら、事実上ロシアの保護国であったことと、領土がエーゲ海まで伸張したことがロシアの南下政策を容易にさせることに対し、イギリス、オーストリアなどが懸念を抱いた。そのため、ベルリン条約でブルガリアの領土を縮小してロシアの南下政策を牽制し、ロシアの政治的影響を弱めさせた。
1908年、オスマン帝国で青年トルコ人革命が勃発したことに乗じて、ブルガリアは独立を宣言した。その後、1909年に国際的に独立を承認された。ブルガリアの君主として当初はバッテンベルク家、後にはザクセン・コーブルク・ゴータ家とドイツ諸侯が迎えられた。
1912年、ギリシャ、セルビア、モンテネグロとバルカン同盟を結びトルコとバルカン戦争(第一次)を戦う。ロンドン講和会議。 1913年、第一次バルカン戦争の戦後処理をめぐり、セルビア、ギリシャと対立。第二次バルカン戦争を行い敗北する。 第二次バルカン戦争では、ルーマニア、モンテネグロ、トルコもブルガリアと対立。孤立無援であった。ブカレスト講和会議。
1941年、ナチス・ドイツと軍事同盟を締結する。1944年にはソ連の侵攻を受け、王政が廃止され共和制が成立し、ソ連の衛星国家となる。1989年に共産党政権が崩壊し、2001年には元国王のシメオン・サクスコブルクゴツキが首相に就任した。
2007年1月1日に欧州連合(EU)に加盟する。加盟に際しては、改革が不十分であるとして、欧州理事会によって再審査されたが、加盟後も改革を続行するとして承認された。しかし、加盟時にはEU最貧国であり、加盟後には若年労働者や知識層が高収入を求めて西欧へ流出することが危惧され、ブルガリアの国力低下と共に、低賃金労働力が流入する西欧諸国との軋轢が拡大することが懸念される。
[編集] 政治
詳細はブルガリアの政治を参照
ブルガリアは共和制で、国家元首は大統領である。大統領は5年任期で国民の直接投票によって選ばれ、二期まで再選可能である。大統領は国家元首であると共に、軍の最高司令官、国家安全諮問会議の議長も兼ねる。大統領は法案の更なる審議の為に議会で可決された法案でも差戻して再審議させることができるが、議会は多数の賛成により大統領の法案拒否を覆すことができる。
ブルガリアの議会(Народно събрание Narodno Sabranie)は一院制で、任期4年の240名の議員から成る。投票は、政党と国内28州それぞれに割り当てられた候補者のリストから投票される。政党が議席を獲得するためには最小で4%の得票率を得る必要がある。議会は法律の制定、首相および他の大臣の選出、予算、軍隊の配備、国際条約の批准の承認などを行う。
- ブルガリアの政党
- ブルガリア大国民議会
[編集] 地方行政区分
州:
- ブラゴエヴグラト州
- ブルガス州
- ドブリチ州
- ガブロヴォ州
- ハスコヴォ州
- クルジャリ州
- キュステンディル州
- ロヴェチ州
- モンタナ州
- パザルジク州
- ペルニク州
- プレヴェン州
- プロヴディフ州
- ラズグラト州
- ルセ州
- シュメン州
- シリストラ州
- スリヴェン州
- スモリャン州
- ソフィア市
- ソフィア州
- スタラ・ザゴラ州
- トゥルゴヴィシテ州
- ヴァルナ州
- ヴェリコ・タルノヴォ州
- ヴィディン州
- ヴラツァ州
- ヤンボル州
都市:
- ドブリチ(トルブヒン、パザルジク)
- ルセ
- ヴィディン(ボノニア)
- プレヴェン
- ヴァルナ (ブルガリア)
- ブルガス
- ネセバル
- スタラ・ザゴラ
- プロヴディフ(フィリポポリス)
- クルジャリ
[編集] 地理
ブルガリアはトラキア、モエシア、マケドニアなどの古くからの地方で構成されている。国土の三分の一を山岳地帯が占め、バルカン半島の最高峰であるムサラ山(標高2,925m)がある。国土のほぼ中央を東西に走り、バルカン半島の名の由来となったバルカン山脈(スタラ・プラニナ)とスレドナ・ゴラ山脈にはさまれた一帯はバラの谷と呼ばれ、各地にバラ畑が点在し一大生産地となっている。丘陵地帯と平原は、東の黒海沿岸と、ブルガリアの主要河川であるドナウ川に沿っている。またドナウ川はルーマニアとの国境にもなっている。
ブルガリアの気候はバルカン山脈で大きく分けられ、北側は冬は寒く湿度が高く、夏は暑く乾燥している。南側は温暖で湿度の高いケッペンの気候区分では地中海性気候である。
[編集] 経済
詳細はブルガリアの経済を参照
ブルガリア経済は1989年から劇的に縮小した。特にソビエト連邦を中心とした東欧の市場を喪失したことは大きな打撃となり、生活水準は1989年以前の約40%にまで落ち込んだ。さらに、ユーゴスラビアに対しての国連の経済制裁は経済に更なる打撃を与えた。
1994年には、国内総生産の成長と共にインフレーションを抑制するなど、回復の兆しを見せた。しかし1996年には貧弱な経済改革や、不安定な銀行システムにより再び悪化し金融危機に陥った。1997年以来政府は、2007年に向けてマクロ経済の安定と、国内総生産の毎年4-5%台の成長、欧州連合(EU)への加盟を表明した。
2001年に誕生した現在の政権は、1997年に採用された通貨委員会の保持、企業の民営化の加速、正常な金融政策の実行および構造改革の追求などの経済政策を維持することを約束した。2002年~2003年の経済予測は、ブルガリア経済の成長が持続的なものであることを示唆している一方、政府は未だ高い失業率や低い生活水準に直面している。
2004年には生活水準が1990年のレベルにまで回復した。また同年6月には欧州連合との加盟交渉を終え、2007年への加盟の準備ができている。
[編集] 国民
住民は、 スラヴ系のブルガリア人が83.9%、トルコ人が9.4%、ロマ人が4.7%、その他である(2001年センサス結果より)。
言語は、南スラヴ系のブルガリア語が公用語である。
宗教は、東方正教会の一派であるブルガリア正教が82.6%、イスラム教が12.2%、ローマ・カトリックが0.6%、プロテスタントが0.5%、他にユダヤ教の信者もいる(2001年センサス結果より)。
[編集] 文化
[編集] 世界遺産
ブルガリア国内には、ユネスコの世界遺産リストに登録された文化遺産が7件、自然遺産が2件ある。詳細は、ブルガリアの世界遺産を参照。
[編集] 習慣
ブルガリアでは「はい」の意思表示として首を横に振り、「いいえ」として首を縦に振る。近年首振りを国際標準に改めようという動きがある。
[編集] ブルガリア出身の有名人
詳細はブルガリア人の一覧を参照
- ワシル・アプリロフ
- イヴァン・ヴァゾフ- 詩人・小説家
- ヴェッセリーナ・カサロヴァ- Vesselina Kasarova オペラ歌手・メゾソプラノ
- エリアス・カネッティ- 作家・思想家。ユダヤ系
- リューベン・カラベロフ
- ニコライ・ギャウロフ- オペラ歌手
- ユリア・クリステヴァ - 哲学者。ユダヤ系
- クリスト
- 琴欧洲勝紀(カロヤン・ステファノフ・マハリャノフ) - 大相撲力士
- サクスコブルクゴツキ家
- ステファン・スタンボロフ
- フリスト・ストイチコフ - サッカー選手
- スパルタクス
- フリッツ・ツヴィッキ Fritz Zwicky
- ゲオルギ・ディミトロフ
- フィリプ・ディミトロフ
- ツヴェタン・トドロフ
- エミール・ナウモフ Emile Naoumoff - ピアニスト。ユダヤ系
- アルメン・ナザリャン - オリンピック選手。アルメニア人
- ジュール・パスキン Jules Pascin - 画家。ユダヤ系
- シルヴィ・バルタン
- パナヨト・ヒトフ
- ダヴィド・ペレツ - 画家。ユダヤ系
- フリスト・ボテフ
- マグダレナ・マレーバ - テニス選手
- ゲオルギ・ラコフスキ
- ワシル・レフスキ
- ゲオルギー・ロザノフ - 脳生理学者。サジェストペディアの開発者
- アレクシス・ワイセンベルク - ピアニスト。ユダヤ系。
- イリアン・ストヤノフ
- ミラ・ゲオルギエヴァ
[編集] 関連項目
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
[編集] 公式
- ブルガリア政府公式サイト - ブルガリア語・英語
- ブルガリア大統領府 - ブルガリア語・英語
[編集] その他
- 世界の国々 > ヨーロッパ
-
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