国際科学技術博覧会
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国際科学技術博覧会(こくさいかがくぎじゅつはくらんかい、英語表記〝The International Exposition,Tsukuba,Japan,1985〟通称「科学万博」・「つくば'85」・〝TSUKUBA EXPO '85〟)は、茨城県筑波郡谷田部町(現・つくば市御幸が丘)で、1985年3月17日から同年9月16日までの184日間にかけて行われた国際博覧会である。筑波研究学園都市のお披露目をかねており、「TSUKUBA」の名を国内外に知らしめた。
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[編集] 概要
1981年4月22日に『「国際博覧会に関する条約」に基づく特別博覧会』として登録され開催が決定し、財団法人国際科学技術博覧会協会が主催となって行われた。
「人間・居住・環境と科学技術(Dwelling and Surroundings? Science and Techonology for Man at Home)」を博覧会統一主題(いわゆる「テーマ」である。)とし、日本国を含む48カ国と37の国際機関が参加した。総入場者数は、2033万4727名(当時の特別博覧会史上最高入場者記録である。)。会場面積は101.6ヘクタール。
[編集] 組織
[編集] シンボルマーク
「宇宙」・「地球」・「人間」・「科学」・「芸術」などの未来像をイメージして作られたという。 かたちは、青地の三角形(三角形の頂点は「筑波の山々」を表し、3つの角は、「人間」・「居住」・「環境」を表す。)の中に白丸(「太陽」を表す。)と2個の輪(「人間」と「科学」を表す。)が描いた形のものが使用された。田中一光作。
[編集] マスコット
つくば博のマスコットキャラクターは、土星に手足が付いた様なキャラクターである「コスモ星丸(ほしまる)」であった。1981年から1982年にかけて、日本全国の小中学生から公募され、当時、愛知県一宮市に住んでいた中学一年生の女子生徒が「UFO」をイメージして書いたものを、選考委員であった和田誠が、少々、手直しをしたものであるという。なお、当初の名前は「ピコちゃん」であったが、途中で、「コスモ星丸」に変更された。
[編集] 入場料
- 入場当日発売入場券
- 大人:2700円
- 中人:1400円
- 小人:700円
- 前売入場券(2割引)
- 大人:2160円
- 中人:1120円
- 小人:560円
- 夜間入場券(午後4時以降入場)
- 大人:1400円
- 中人:700円
- 小人:400円
- 回数券(5回分)
- 大人:12000円
- 中人:6000円
- 小人:3000円
[編集] 開催までの流れ
[編集] 開催中の様子
[編集] 会場アクセス
つくば科学万博の交通を参照のこと。
[編集] パビリオン
ここでは、主たるもののみ紹介する。
- 「テーマ館」・「歴史館」・「こども広場」
- 「いばらきパビリオン」
- 茨城県のパビリオン。
- 「健康・スポーツ館」
- 「滝の劇場 三井館」
- 三井グループのパビリオン。目玉企画は、高さ7メートル・幅40メートルの人工滝のスクリーンであった。
- 「三菱未来館」
- 三菱グループのパビリオン。パビリオン内を「みつびし21」という乗り物に乗って、パビリオン内をまわることができた。
- 「住友館 3D-ファンタジアム」
- 住友グループのパビリオン。立体の黄色いフレームが空中に浮かんで見えるという建物であり、当時、反響を呼んだ。
- 「芙蓉ロボットシアター」
- 芙蓉グループのパビリオン。世界初のロボットショーが見られた。
- 「EXPO'85 日立グループ館」
- 日立グループのパビリオン。「インターフェイス・シアター」があった。
- 「東芝館」
- 東芝のパビリオン。秒間60コマというテレビ並みの映像が観られる「ショウスキャンシアター」で「Let's Go!パル」が上映された。
- 「富士通」
- 富士通のパビリオン。「コスモドーム」という施設で、世界初のCG(汎用機のFACOM M-380を並列に使用)による全天周立体映像「ザ・ユニバース」を上映した。
- 「TDKふしぎパビリオン」
- TDKのパビリオン。地球の様々な動物が巨大画面に映し出されるものであった。
- 「SONYジャンボトロン」
- ソニーのパビリオン。縦20メートル・横40メートルの超巨大テレビが楽しめた。
- 「松下館」
- 松下グループのパビリオン。前方後円墳を模した建物で、最先端技術で古代の文化を説明するものであった。
- 「日本IBM館」
- 日本IBMのパビリオン。「ゲームパーク」があり、当時は珍しかった「パソコン」に直接触れて、遊ぶことが出来た。
- 「NEC C&Cパビリオン」
- NECのパビリオン。直径32メートルの巨大パラボラアンテナがあった。出し物は観客参加型の映像シアター。観客の選択でストーリーが分岐するものだった。
- 「テクノコスモス」
- 「でんでんINS館」
- 「KDDテレコムランド」
- 国際電信電話のパビリオン。パラボラアンテナを持った通信衛星型の観覧車があった。国際電話をかけることもできた。
- 「講談社ブレインハウス」
- 講談社のパビリオン。孫悟空がモデルのマスコットキャラの案内で、人間の脳内を巨大スクリーンで旅することができた。
- 「集英社館」
- 「詩人の家」
- ダイエーのパビリオン。ピラミッド型の階段状屋根は3600名が休める巨大ベンチとなっていた。館内は地下のドーム型スクリーンに詩が映されていた。
- 「燦鳥館(さんとりかん)」
- サントリーのパビリオン。「バードアイ・シアター」と銘打たれ、スクリーンを観客が見下ろす形の劇場。鳥の親子が空を旅する光景が巨大スクリーンに映し出された。
- 「UCCコーヒー館」
- UCC上島珈琲のパビリオン。大小2つのピラミッド型の建物が反響を呼んだ。
- その他、各国や各団体のパビリオン。
[編集] 会場内交通機関
- 「HSST」
- ビスタライナー
- スカイライド
- 詳しくは、つくば科学万博の交通を参照のこと。
[編集] 関連企画
- ラジオきらっと - 交通情報や会場情報などの提供のため、開催期間中開設されたイベント放送局。主に文化放送のアナウンサーがDJをした。交通情報を知らせるメロディーも当時の文化放送のと同じ音楽を使用していた。FMではなく中波(AM)ラジオであった。
- EXPOスクランブル - TBSテレビで放送されていた番組。
- TV WAR - 1985年9月15日に行われた、当時世界最大を誇った巨大モニター「ジャンボトロン」を使用した伝説的なパフォーマンス。コンセプト・浅田彰、映像・RADICAL TV(原田大三郎・庄野晴彦)、音楽・坂本龍一という、当時のサブカルシーンの最先端を走っていた面々が集結し制作された。当日は激しい雨が降り、坂本は仮設テントの中で演奏を行った。この模様が収録された同名の映像ソフトが発売されている。(VHS版:1985年、DVD復刻版:2005年)
[編集] 博覧会終了後
会期終了後、メイン会場跡地は工業団地(筑波西部工業団地)に転用され、また「科学万博記念公園」が設立された。
旧桜村(現つくば市)吾妻の第二会場(メイン会場との間に連絡バスが運行されていた)が、翌1986年4月17日にメモリアル施設である「つくばエキスポセンター」として整備・開設され、現在に至っている。
[編集] 博覧会終了後のパビリオン
- 「ソヴィエト連邦館」は、筑波研究学園専門学校の校舎として、再利用された。
- 「国際連合平和館」は、博覧会終了後、爆破解体された。尚、この爆破解体は、日本初であった。
- 「エキスポプラザ」は、博覧会終了後、残す予定であったが、解体業者が誤って屋根を支える柱を1本壊してしまい、やむを得ず予定を変更して解体された。
[編集] その他
[編集] 記念発行物
- 記念切手
- 記念貨幣
- 記念入場券・乗車券
- 万博中央駅で発行されたもので、当時としては珍しい初歩的な立体フォログラフを表紙にあしらっていた。
- 硬券本体はニューセラミクス製。
- オルゴール付き乗車券、香りの出る乗車券なども発売された。
- 記念スタンプ
- 各パビリオンに設置されたシヤチハタ製の大型スタンプ。パビリオンごとに建物やキャラクターなどがデザインされ、「無料で持ち帰れるおみやげ」として好評だった。
[編集] つくば博関連の曲
- 公式のテーマ曲
- 「HOSHIMARUアッ!」(「公式」テーマ曲・歌:TPO)
- 「一万光年の愛」(「開会式」テーマ曲・歌:西城秀樹)
- 各パビリオンのテーマ曲
- 「We will be one someday」(「日本政府館」のテーマ曲)
- 「The Fantasia Of Falls」(「滝の劇場・三井館」のテーマ曲)
- 「空に会おうよ」(「住友館」のテーマ曲・作詞:矢野顕子・作曲・編曲:坂本龍一・歌:モモ)
- 「Fly to tha future,Spaceship C&C!」(「NEC C&Cシアター」のテーマ曲)
- 「Tsukuba EXPO'85 Suntory Pavilion -Bird Chorus-」(「燦鳥館」のテーマ曲。)
- 「すてきなラブ・パワー」(「電力館」のテーマ曲)
- 「詩人の家」(「ダイエー 詩人の家」のテーマ曲。)
- その他
- 「限りなき夢」(歌:三波春夫)
- 「万博音頭」(歌:村田英雄)
- 「つくば万博音頭」(歌:大塚文雄・比気由美子)
- 「つくば万博音頭」(歌:鈴木幸錦・金沢はるみ)
- 参考:「つくば万博音頭」は、単に同名であり、歌詞は全く異なる。
- 「科学万博音頭」(歌:五木ひろし)
[編集] その他
- 入場券の「AA000001」(つまり、TOP番号)は、つくば博名誉総裁の、当時の皇太子(つまり、現在の天皇(明仁))に「献上」された。
- つくば博を協賛した1984年の「年末ジャンボ宝くじ」は、売り上げが850億円で、当時の史上最高売上額だった。
- 郵政省は、「ポストカプセル郵便」という、21世紀最初の元旦である、2001年1月1日につくば博で投函した手紙が届くサービスを行った。実際に、2001年1月1日には、326万636通の郵便物が届けられた。
- そのポストカプセル郵便から、TBSテレビの「ザ・ベストテン」へ宛てられたリクエスト葉書(アルフィーの曲へのリクエスト)が、2001年12月30日の特番「ザ・ベストテン2001」で紹介された。
- 「NEC C&Cパビリオン」内には、画面に映し出された隕石を射撃して打ち落とすのバーチャルコーナーがあった。なかなか難しかったものの、当時の内閣総理大臣であった中曽根康弘は、「僕は、昔、海軍士官だったからね。」と言い、「A判定」を出したという。(「NEC C&Cパビリオン」館長の話。)
- 『鉄鋼館』の映像ホールの立体映像は偏光メガネをかけて見るものだったが、昭和天皇が会場に来た時には、偏光メガネをかけずに見たという逸話がある。
- フジテレビのアニメ『サザエさん』では、つくば博開催期間中、番組のオープニングで、サザエさんが東芝館に来ていた。当時『サザエさん』は東芝の1社提供であった。
- 会場内には1700基の便所が設置された。
- 会場内の火災は、ゴミ箱の焼損が5件、倉庫の半焼が1件、電気配線接触部の加熱による建物の部分焼損が1件、演出用モーターの加熱による建物の部分焼損が1件で、計8件であった。
- 会場内での刑法犯罪発生件数は、222件であった。
- 会場内での急病人発生件数は、25705名(うち、博覧会従業員は9975名)であった。そのうち、救急車出動件数は1273件で、1307名が付近の病院に搬送された。
[編集] 日本で開催されたその他の万博
- 日本万国博覧会(大阪万博、EXPO'70)(1970年、吹田市)
- 沖縄国際海洋博覧会(沖縄海洋博)(1975年-1976年、国頭郡本部町)
- 国際花と緑の博覧会(花の万博、EXPO'90)(1990年、大阪市鶴見区)
- 2005年日本国際博覧会(愛・地球博)(2005年、瀬戸市/愛知郡長久手町・豊田市)