パロディ
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現代の慣用では、パロディ(parody, παρωδια)とは、他の芸術作品を揶揄や風刺、批判する目的を持って模倣した作品、あるいはその手法である。文学や音楽、映画を含めたすべての芸術媒体に、パロディは存在する。替え歌もパロディの一形態である。文化活動もまたパロディの素材となる。軽い冗談半分のパロディは、しばしば口語でスプーフ(spoof)と呼ばれる。
文芸批評家のリンダ・ハッチオンは「パロディとは先行作品に対する批評的な相違を伴った模倣であり、常にパロディ化されたテキストという犠牲を払うものではない」と述べている。別の批評家サイモン・デンティスは、パロディを「他の文化的生産物や活動に対する、相対的な反論の引喩となる模倣作品を生産する、あらゆる文化的活動」として定義している。
古代ギリシャ文学では、パロディとは他の詩歌の形式を模倣した詩の一形態であった。事実、“parody”という単語は、ギリシャ語の“par-”(従属的な)と“-ody”(頌歌)に由来する。従って本来のギリシャ語「パロディ」は、概ね「模倣詩」の意味になる。
古代ローマの作家たちは、ユーモラスな効果を狙った他の詩による模倣作としてパロディを解釈した。フランスの新古典主義文学でも、「パロディ」は、ユーモラスな効果を狙って他の作品形式を模倣した詩の一形態であった。
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[編集] 英文学におけるパロディ
オックスフォード英語辞典では、パロディという言葉の最初の用例として、ベン・ジョンソンの喜劇『十人十色』(1598年)の「パロディよ、パロディよ! パロディをより不条理にするために、パロディはあった」という一節が引用されている。次の注目すべき用例は、1693年のジョン・ドライデンの著作から引用される。ドライデンが説明を加えていることから、パロディという言葉が一般に使われていなかった事が分かる。“Preface to the Satires”の中で、ドライデンは「パロディ、すなわち偉大な詩から継ぎ合わされ、元詩の著者の意図とは別の意味に変えられた韻文を用いた風刺詩の存在を、我々は見出せるかもしれない」と述べている。
その結果として、ドライデンの定義は彼が風刺を意味した先の用例から発展し、更に、まだ名前を持っていなかった擬似英雄詩(mock-heroic)という近代文学のサブジャンルに、他言語の用語「パロディ」を適用させた。
18世紀に先立つパロディは、音楽における「引用」(例えばモーツァルトが鳥の声を模している一方で、メンデルスゾーンはモーツァルトを模していた)と概ね同じような、表現上の効果、あるいは装飾とされていたが、『マクフレクノー』でドライデンは完全にパロディによる嘲笑を意図した詩を創作した。『マクフレクノー』はウェルギリウスの叙事詩『アエネイス』を模したパロディ詩であるが、二流の戯曲家トマス・シャドウェルについての詩でもある。ウェルギリウスの英雄詩の形式と、英雄とは程遠いシャドウェルの暗黙の対照が、シャドウェルをより悪し様に見せている。アイネイアスの着物を身に纏う場面では、シャドウェルは全く馬鹿のように見える。
王政復古期から18世紀前半のその他のパロディは、低級あるいは愚劣な人物や慣習を笑いのめすために、真摯かつ崇高な作品の模倣を使用していた点で、ドライデンのパロディと似通っていた。この概ねサミュエル・バトラーと彼の詩『ヒューディブラス』に代表されるジャンルは、一般に擬似英雄詩と呼ばれていた。意識して組み合わせた場合は、非常に真摯あるいは高尚な形式と、非常に軽薄あるいは無益な主題の対照がパロディとなる。この組み合わせが意識されない場合は、漸降法(bathos)(『ロンギヌス』のアレクサンダー・ポープによるパロディ、『ペリ・ベイサス』に由来)となる。
ジョナサン・スウィフトは物語体の散文にパロディという言葉を用いた最初のイギリス人作家である。パロディという用語があらゆる軽侮の意図による文体模写を示すための用語であると見なされるようになったのは、おそらくはスウィフトによるパロディの定義への誤解による。『桶物語』の1705年の版に追加された序文「その他の弁解」において、パロディとはある著者の本質を暴露するための模倣行為であると、スウィフトは述べた。この発言の本質は、パロディを茶番(バーレスク)や嘲弄とほとんど差異のないものであると見なすことにあった。そしてスウィフトの言語に対する注意力から鑑みるに、スウィフトがこの意味を承知していた可能性は充分にある。実際は、スウィフトによるパロディの定義は、説明や言葉の借用という、ドライデンにより想定されたパロディの定義と同一のものかもしれない。
ジョナサン・スウィフト以降、パロディという用語は専ら嘲笑的な言及、特に物語による言及に使用された。
より古い語義では、ある作品の要素をその作品の文脈から取り出し、別の作品に再使用する場合も、パロディと見做すことができる。そのような意味ではパスティーシュは、ある作品に属するキャラクターや設定をユーモラスな手法で他の作品に使用する、パロディの一形式である。
例えばフラン・オブライエンの小説『スウィム・トゥ・バーズにて』では、狂王スウィーニーとフィン・マックール、妖精プーカにカウボーイ達といった面々が、ダブリンの宿屋で一堂に会する。日常的な設定と、神話の登場人物やジャンル小説のキャラクターの混交から得られたユーモアは、いかなる元作品のキャラクターや原作者から演出されたものではない。この確立かつ確認されたキャラクター達を新しい設定で組み合わせるというパスティーシュの手法は、ポストモダンにおける、架空の歴史的キャラクターをその文脈から取り出し、隠喩的要素の提供のために用いる慣習と同じものではない。しかしながらブランク・パロディ(無表情なパロディ)は、作家が他の芸術作品から骨格形式を採用し、新たな内容を備えた新たな文脈の中に配置するという手法において、ポスト・モダンと共通するものを持っている。
幾人かのジャンル映画理論家達は、任意の(特に映画作品の)作品ジャンルにおける発展過程の産物としてパロディを認識している。例えば、古典演劇では慣習的なジャンルと定義されている西部劇の舞台設定は、同じく慣習的に風刺文学と定義されているパロディ作品の舞台にも応用された。古典的な西部劇を経験してきた多くの観客は、西部劇ジャンルに対する固定観念を抱いており、パロディ西部劇はそれらの固定観念を裏切ることによって、観客の笑いを誘ったのである。
時おり、パロディの評判はパロディの元作品の評判より長く続く。小説における有名な例にヘンリー・フィールディングの小説『ジョセフ・アンドリュース』(1742年)がある。これはサミュエル・リチャードソンの陰鬱な書簡体小説『パミラ』(1740年)のパロディである。また、『いい年なのに、ウィル親父』等に代表されるルイス・キャロルの多数のパロディは、いずれも元作品より広く知られている。
きわめて稀な例として作家が自作のパロディを書くことがある。これらはセルフパロディと呼ばれる。シャーロック・ホームズシリーズにおいて作者のアーサー・コナン・ドイルはシリーズ中断期にワトスン博士を揶揄した作品を執筆している。
音楽のパロディの幾つかは、“Mondegreen”(en)として知られている聞き間違いによって占められ、幾つかはそうではない。
[編集] 日本文学におけるパロディ
日本の和歌では、過去の有名な本歌の存在を踏まえた上で新たな歌を詠み上げる本歌取りの技法がある。有名な例を挙げれば、新古今和歌集の藤原定家の歌
- 駒とめて袖うちはらふかげもなし佐野のわたりの雪の夕ぐれ
は、万葉集にある
- 苦しくも降りくる雨か神の崎狭野の渡りに家もあらなくに
を本歌として取り込んでいる。この本歌取りでは、本歌の雨が雪に置き換えられるのと同時に、突然の雨に困惑している旅人の心境が、一面の雪景色という幻想的な情景に置換されている。
誹諧歌では古典や時事風俗に対する諧謔を詠み込んだ狂歌があり、江戸時代天明期に大きく流行した。宿屋飯盛の
- 歌よみは下手こそよけれあめつちの動き出してたまるものかは
は、古今和歌集の仮名序「ちからをもいれずして、あめつちをうごかし」のくだりを茶化した狂歌である。天明期を代表する狂歌師として、他に大田南畝(蜀山人)が知られている。
[編集] パロディに対する法的取り扱い
- アメリカ合衆国では、パロディは合衆国著作権法下の二次的著作物と見做されるが、合衆国著作権法第107条のフェアユースにより保護されている。2001年に、第11巡回区連邦控訴裁判所は、サントラスト銀行対ホートン・ミフリン社の裁判において、『風と共に去りぬ』と同じ物語を、スカーレット・オハラから解放された奴隷女の視点から描いたパロディ、“The Wind Done Gone”(en)を出版したアリス・ランドールの権利を支持した。『オー・プリティ・ウーマン』の替え歌に関するキャンベル対アカフ・ローズ・ミュージック裁判では、合衆国最高裁判所は、元の作品を違う視点で捉え直しているものとして、替え歌を支持した。
- "La parodie, le pastiche et la caricature, compte tenu des lois du genre"
- 日本でのパロディに対する著作権侵害が問われた判例としては、マッド・アマノ裁判がある。1971年、写真家の白川義員は、自作の雪山写真を素材として自動車公害を揶揄するパロディ作品を作り上げたマッド・アマノのフォトモンタージュを、自作に対する著作権侵害として提訴した。日本の著作権法は「著作権の制限」の中にパロディを挙げていないので、マッド・アマノ側は引用として許容されると主張し、これを受けた最高裁は、引用の条件を示した(昭和55年3月28日)。この裁判は2度にわたって最高裁から差し戻され[1]、1987年に白川義員の主張を一部認める形で和解が成立した。
[編集] 関連著作
- 『著作権とは何か 文化と創造のゆくえ』福井健策 集英社新書 2005年 ISBN 4087202941 P140 - 176 第四章 既存作品を自由に利用できる場合 3 パロディとアプロプリエーションの地平を探る
- 『著作権法の解説』千野直邦、尾中普子 一橋出版 ISBN 4-8348-360-7 六訂版 第1刷 2005年11月10日 P15 - 18 第2章 著作物 6 写真の著作物
[編集] パロディ作品
[編集] 歴史的なパロディ作品
- 『チョーサーによる騎士トパスの物語』(『カンタベリー物語』より) ジェフリー・チョーサー
- 『ドン・キホーテ』 ミゲル・デ・セルバンテス
- 『『ドン・キホーテ』の著者、ピエール・メナール』 ホルヘ・ルイス・ボルヘス
- “Beware of the Cat” トマス・ナッシュ
- 『ぴかぴかすりこぎ団の騎士』 フランシス・ボーモントとジョン・フレッチャー
- 『ウォントリーの龍』 作者不詳の17世紀のバラッド
- 『ヒューディブラス』 サミュエル・バトラー
- 『マクフレクノー』 ジョン・ドライデン
- 『桶物語』 ジョナサン・スウィフト
- 『髪盗人』 アレクサンダー・ポープ
- 『ナンビ・パンビ』 ヘンリー・ケアリー
- 『ガリヴァー旅行記』 ジョナサン・スウィフト
- 『愚物列伝』 アレクサンダー・ポープ
- 『ラセラス』 サミュエル・ジョンソン
- “The Memoirs of Martinus Scribblerus” ジョン・ゲイ、アレクサンダー・ポープ、ジョン・アーバスノット 、オックスフォードの伯爵、およびその他
- モーツァルトによる『音楽の冗談』(Ein musikalischer Spaß), K.522 (1787) - 幾人かの研究家の仮定では、モーツァルトの無能な同時代人へのパロディとされる
- 『衣装哲学』 トマス・カーライル
[編集] 日本の歴史的なパロディ作品
[編集] 現代のパロディ作品
[編集] 日本
[編集] 文学
- 『征途』(佐藤大輔) - 『宇宙戦艦ヤマト』ほか多数
- 『日本以外全部沈没』(筒井康隆) - 『日本沈没』(小松左京)
- 『シナリオ・時をかける少女』(筒井康隆) - 『時をかける少女』(筒井康隆、自作およびその映画化作品のパロディ)
- 『宇宙一の無責任男』(吉岡平) - 植木等の無責任男シリーズ
[編集] ドラマ・バラエティ
- 『世界の中心で、アイーンをさけぶ』(ザ・ドリフターズの新作コント) - 『世界の中心で、愛をさけぶ』
[編集] アニメ・漫画・特撮
- 『愛国戦隊大日本』 - スーパー戦隊シリーズのパロディ
- 『ウルトラQ dark fantasy』第24話「ヒトガタ」 - 江戸川乱歩の小説『人でなしの恋』
- 『ウルトラマンマックス』第22話「胡蝶の夢」 - マックスの世界がフィクションとされている一種のセルフパロディ
- 同上 第29話「怪獣は何故現れるのか?」 - 『ウルトラQ』のパロディ
- 『エクセル・サーガ』『ぷにぷに☆ぽえみぃ』『アベノ橋魔法☆商店街』 - アニメ文化のあらゆる側面をパロディ化したアニメのパロディシリーズとOVA
- 『ケロロ軍曹』
- 『ドラえもん・のび太の宇宙小戦争』(映画)/『天井うらの宇宙戦争』(漫画・TV) - 『スター・ウォーズ』
- 『MALIGNANT VARIATION』 - アンパンマン等のアニメキャラクターが様々なアニメ、漫画の技を使って戦うスーパーロボット大戦シリーズ風のパロディ作品。
- 『太臓もて王サーガ』- 週刊少年ジャンプ連載漫画を中心に様々な作品のパロディが繰り広げられるギャグ漫画。
- 『少女探偵金田はじめの事件簿』 - あさりよしとお作。金田一耕助、小林少年、エルキュール・ポアロなどの有名な名探偵のパロディが登場。
- 『リングにこけろ』 - 車田正美原作による、『リングにかけろ』最終回のセルフパロディ。週刊少年ジャンプ に読切作品として掲載された。
[編集] 音楽
以下はタイトルのみのパロディ。
- 『1000%SOざくね?』(桜塚やっくん) - 『100%…SOかもね!』(シブがき隊)のパロディ。
- 『夢をあきらめないわ』(とんねるず) - 『夢をあきらめないで』(岡村孝子)のパロディ。
- 『お婆サンバ』(杉山佳寿子) - 『お嫁サンバ』(郷ひろみ)のパロディ。
- 『熟女B』(五月みどり) - 『少女A』(中森明菜)のパロディ。
- 『飛んでスクランブール』(つボイノリオ) - 『飛んでイスタンブール』(庄野真代)のパロディ。
- 『ガンバレ!たこやきちゃん』(横山ノック) - 『およげ!たいやきくん』(子門真人)のパロディ。
- 『明日がないさ』(せんだみつお) - 『明日があるさ』(坂本九など)のパロディ。
- 『ラブ・ユー・東京スポーツ』(なぎら健壱) - 『ラブ・ユー・東京』(黒沢明とロス・プリモス)のパロディ。
[編集] 世界
[編集] 映画
- 『ブレージングサドル』 - メル・ブルックス監督によるアメリカ西部劇のパロディ映画
- 『スペースボール』 - メル・ブルックス監督によるスター・ウォーズその他もろもろのパロディ映画
- 『ギャラクシー・クエスト』 - スター・トレックのパロディ
- 『ドリームシップ エピソード1/2』 - 2004年ドイツで大ヒットしたスター・トレックその他もろもろのパロディ映画
- 『独裁者』 - アドルフ・ヒトラーの性格、行動をパロディ化
- 『ホット・ショット』 - トップガン、ランボーなど様々な映画作品のパロディ。
[編集] 音楽
- クロード・ドビュッシーの『子供の領分』
- 「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」 - ムツィオ・クレメンティの練習曲集『グラドゥス・アド・パルナッスム(パルナッスム山への階段)』
- 「ゴリウォーグのケークウォーク」 - リヒャルト・ヴァーグナーの『トリスタンとイゾルデ』
- エリック・サティの『梨の形をした三つの小品』 - ドビュッシーに作風を酷評され、その意趣返しとして作曲したもの。音楽の形式そのものの秀逸なるパロディ。ちなみに、タイトルにある『梨』はフランス語で「馬鹿野郎」の意味がある。
- エリック・サティの『官僚的なソナチネ』 - ソナチネの教本などで知られているムツィオ・クレメンティのソナチネをパロディ化したもの。
- アル・ヤンコビック - マイケル・ジャクソン、マドンナ、ニルヴァーナ等の楽曲をパロディ化。
[編集] その他(翻訳中)
- 『Internet Killed Video Star』 - インターネット文化に対する初期のパロディ(Video Killed Radio Starのビデオクリップのパロディ)
- 『バリー・トロッター』 - ハリー・ポッターシリーズのパロディ
- Bored of the Rings(en) - 『指輪物語』のパロディ
- The Dundee Code - ダ・ヴィンチ・コードのパロディ
- 『MAD』 - アメリカのポップ・カルチャーすべてに対するパロディ雑誌
- The Misprint - similar to The Onion, parodies politics in India
- 『空飛ぶモンティ・パイソン』の無数のレパートリー
- アンサイクロペディア - ウィキペディアのパロディサイト
- Chris Morris's The Day Today and Brass Eye - parodies of high paced self-important genre of TV news programmes
- The Onion - parody of newspaper and magazine journalism
- The Planes of Parody - a parody of the storyline of The Planes of Power expansion for the EverQuest online game.
- Preparing for Emergencies - a parody of the British Government's Preparing for Emergencies website (original site) by the student Thomas Scott.
- Radio Active - BBC parody of poorly funded rural local commercial radio
- The Rerun Show - television series that parodies classic episodes of old shows
- The Sunday Format - BBC radio parody of vacuous lifestyle journalism
- Allan Sherman's and Weird Al Yankovic's innumerable song parodies