ジョン・H・ワトスン
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ジョン・H・ワトスン(John H. Watson)はアーサー・コナン・ドイルの描いた推理小説、シャーロック・ホームズシリーズの登場人物。軍医の後開業医となった。名探偵シャーロック・ホームズの友人であり、伝記作家。ホームズシリーズのほとんどの作品は、ワトスンが書いたことになっている。
[編集] 人物
少年時代を家族と共にオーストラリアで過ごす。ロンドン大学卒業後、聖トーマス病院に入って医学博士を取得、第二次アフガン戦争に軍医として参加し、マイワンドの戦いで負傷した(負傷箇所については、足(詳しくは左足という説がある)という記述と肩という記述がある)。傷病兵として本国に送還され、ロンドンで下宿を探しているときに友人スタンフォードにホームズを紹介され、ロンドンのベーカー街221Bで共同生活を始めた。
『四つの署名』事件で知り合ったメアリー・モースタンと結婚したが、空き家の冒険の頃にはホームズとの共同生活に戻っている。理由として、メアリーとの離婚、あるいは死別等諸説があるが、ワトスン本人が「悲しい別離」と語っていることから、死別であったとする説が一般的である。それぞれの事件の年代と結婚についての記述が矛盾するため、何度か結婚したという説もある。
生年月日・家族については1852年8月7日生、1929年7月24日没(享年76)、父はヘンリー・ワトスン、母はエラ・マッケンジーといわれている。
ロンドン大学卒業と公言してはいるが、外典『競技場バザー』ではエディンバラ大学卒業とし、医学博士号についても同文中で医学士であるとホームズに言われているため、研究者からは諸説出されている。
彼のファーストネーム(ジョン)については、妻が「ジェームズ」と呼びかける場面(唇のねじれた男)もあり、ホームズ研究者たちを悩ませてきたが、ミドルネームのHが「ジェームズ」のスコットランド称である「ヘイミシュ」なのであろうという解決策が出されている。
当人が『四つの署名』で記述しているところでは、「三大陸にまたがる女性遍歴」を持つ。この「三大陸」はアフガニスタンへの従軍経験を持つことなどから、「アジア・アフリカ・ヨーロッパ」のこととする見方が強いが、(少年時代を過ごした)オーストラリアを含める説や、当人が語っていないだけで、アメリカ大陸へ渡った時期もあるのではないかとする説もある。ホームズも「女性は君の領分だ」(「第二の汚点」)と認めたほどだったが、(すくなくとも当人の一人称による作中では)本人が豪語するほど「女たらし」な一面は描かれていない。
ワトスンは失神したことがなかったが、「空き家の冒険」で死んだはずのホームズと再会したときに初めて気を失ったとされている。
[編集] 描写
シャーロック・ホームズシリーズが成功したおかげで、ワトスンの名前は名探偵の相棒の代名詞となった。シャーロック・ホームズシリーズが文学的に成功したのは、読者と同レベルの知能を持つワトスンを語り手として導入し、ワトスンの目を通して手がかりを読者にあからさまに明示することなく提示できるようになったことが大きい。また、ポーの「私」と異なり、名前が(ファーストネームとファミリーネームのみであるが)判明しており、医師という社会的地位にあることから、名探偵と読者との中間にある第三者(前述の「私」は主人公と同様に奇人であるが、読者にとって仮託しうる対象ともなる)として、物語に存在していることが大きな特色といえる。この有用な形式は以後多くの推理小説で踏襲されることになる。ちなみに、ホームズはワトスンの文章を批判していたが、あまりに批判されたワトスンは遂には怒ってホームズ自身に物語を書くことを要求し、ホームズも読者を喜ばせるためにはワトスンと同じ書き方をしなければならないと反省した(「白面の兵士」)。
コナン・ドイルはワトスン自身を決して愚かな人物としては描いておらず、ホームズは何度も、ワトスンの勇気や能力を賞賛する言葉を口にしており、ホームズはある意味でワトスンに依存していたと見る向きもある。また、「高名な依頼人」事件においては、ホームズの指示で短期間で中国の陶磁器について猛勉強し、陶器の権威であるグルーナー男爵と対峙しても、ある程度の受け答えが可能となる水準にまで知識を高めている(最終的には、スパイであることを見破られてしまうが)。またホームズに調査を頼まれた時はほとんどが後でホームズに駄目出しされてしまうが、『バスカヴィル家の犬』では偶然ではあるが、ホームズの隠れ家を探し出してしまい、ワトスンが送った報告書はホームズも感心するほど詳しく調べていたし、「隠居絵具師」事件では、依頼人アンバリー氏の持っていた演劇の切符の座席番号を確認しており、「満点だ」とホームズに言わしめている。「悪魔の足」では毒物の効果を自ら確かめる実験をホームズと行った際に、毒物の影響で朦朧としながらも目の前のホームズが危険な状態だと悟ると彼を連れて外へ脱出し、ホームズに危険な実験に付き合わせたことを謝られた。
ホームズはワトスンに対してもそっけない態度であることが多かったが、「三人ガリデブ」でワトスンが殺し屋エヴァンズに撃たれた際に激昂して「もしワトスンが死んでいたら、お前を殺すところだった」とまで言い放ち、「悪魔の足」でも感情的な謝罪と感謝の言葉をかけ彼を感動させている。
[編集] 演じた俳優たち
ホームズ同様、ワトスンもまた多数の俳優によって演じられてきた。総じて、ホームズよりワトスン役のほうが、俳優の個性が強くあらわれるとされている。
特筆されるべきワトスン俳優として、「最高のホームズ」と言われたベイジル・ラスボーンとコンビを組んだ、ナイジェル・ブルースがいる。彼が映画やラジオで演じたのは、うっかり者で怒りっぽく大事な場面でヘマばかりする、まったくの引き立て役としてのワトスンだったが、ファンの支持を集め、ラスボーンと同様にワトスン役の代名詞になった。晩年、ラスボーンからオリジナルの舞台でワトスンを演じてほしいと要請され、おおいに乗り気だったが、開幕の数週間前に病死した。
その他、エドワード・ハードウィック、アンドレ・モレノ、H・マリオン・クロフォードらの評価が高い。特にエドワード・ハードウィックは、ジェレミー・ブレット主演のグラナダ・テレビ製作のテレビドラマシリーズ「シャーロック・ホームズの冒険」で二代目ワトスンを演じた俳優であるが、本来コナン・ドイルの原作で描かれていたワトスン像である、高潔な英国紳士にして、好奇心と勇気があり、陰ながらホームズをサポートする素晴らしい相棒としてのワトスン博士を演じ、従来多くの人々が持っていた「ワトスン博士=ドジでヘマばかりする名探偵の相棒」のイメージを完全に払拭した。なお、イメージの払拭という意味では、同シリーズの初代ワトスンであったデビッド・バーク(男性的で行動力あふれる元軍医としてのワトスンを熱演)の功績も語られるべきであろう。
トーキー初のホームズ映画でワトスンを演じたレジナルド・オウエンがそうだったように、ワトスンとホームズを両方演じた俳優も数名いる。ワトスンを演じてから後にホームズに「出世」するケースが多く、逆はあまり見られない。女性や少年のワトスン俳優も存在する。