ダブリン
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ダブリン | |
面積: | 114. 99 km² |
州: | ダブリン州 |
人口: | 495, 781 (2002) |
地方: | レインスター |
ダブリン (Dublin、アイルランド語:Baile Átha CliathまたはDubh linn) は、アイルランド島東部の都市で、アイルランド共和国の首都である。リフィー川河口に位置し、その南北に町が広がる。
目次 |
[編集] 歴史
- 主要記事:History of Dublin
9世紀半ば頃、リフィー川から攻め上がってきたノルマン人ヴァイキングが、ここにあったケルト人の町を破壊して城砦を築き、これを「黒い水溜り」(Dubh Linn ドゥヴ・リン)と呼んだのが町の英名の由来とされている。現在のダブリン城の地下にはその当時の遺構がうかがえ、またダブリン城の裏の庭がそのかつて「黒い水溜り」と呼ばれていた地域である。歴代のアイルランド王や有力者、またアイルランドを植民地支配したイングランドもこの城に行政の拠点を置き、アイルランド独立にいたるまでアイルランドの行政と政治の中心であった。現在も、市の中心部のメリオン通りおよびメリオン・スクエア周辺にアイルランド共和国政府の議会や主要官庁が立ち並び、アイルランドの政治・経済・文化の中心として栄えている。
[編集] 概要
アイルランド人の権利の拡大に尽力した人々やイギリスからの独立運動のために命を落とした活動家の名前が記念日や通りの名前に多く見られる。ダニエル・オコンネルに因む町の目抜き通りのオコンネル通りやパトリック・ピアースにちなむピアース通り、コノリー駅などが例に挙げられる。 トリニティ・カレッジは、英語圏の大学の中でもずば抜けた歴史と伝統を誇る。旧図書館(オールド・ライブラリー)では、ケルト美術を代表する作品ケルズの書など、貴重な収蔵文献を見ることができる。また、市内中心部にある国立博物館には「タラのブローチ」など、多数のケルト美術の至宝が展示されている。町の歴史自体は決して古くはないが、市内の中心部には均整の取れた近世の美しい町並みが良く保存されており、観光客たちを楽しませている。また近年の急激な経済成長により、町中のいたるところで街区の再開発が急ピッチで進められている。
[編集] 文化
町の南の郊外には、この町の生んだ20世紀を代表する作家、ジェイムズ・ジョイス が一時滞在していた建物が記念館として残っている。ジョイスにはこの地の人々の日常と町の歴史や苦難の過去を重ね写しにした佳作『ダブリン市民』という短編集もある。記念館はナポレオンの侵攻に備えて作られた見張り塔だった建物で、チェスの城の駒のかたちで異様な体をなしている。
ジョイスの代表作『ユリシーズ』は、ホメロス『オデュッセイア』の主人公2人に見立てたブルームとスティーヴン・ディーダラスが、ダブリンの町を知らず知らず互いを求めながらさまよう物語である。作品のなかの関係箇所と町のそこここの関連を表示した地図は、ダブリンを訪れた文学ファンの必須アイテムで、記念館で手に入れることが出来る。
また、この地の出身の哲学者にして、聖職者バークリ僧正は、アメリカに宣教に赴き、カリフォルニア大学バークリ校にその名前を残した。他にも聖パトリック大聖堂の首席司祭であったジョナサン・スウィフト、この町で生まれたオスカー・ワイルド、トリニティ大学出身でノーベル文学賞受賞者のサミュエル・ベケットなどこの町にゆかりのある文学者は多い。市の中心部にあるアイルランド・ライターズ・ミュージアムではこれらの文学者にゆかりの品が展示されている。
パブと音楽の町として観光客も多く、市内各地には無数のパブが建ち並んでいる。市内の各所では路上でパフォーマンスを繰り広げるミュージシャンの姿を見かける。ダブリン出身の有名なミュージシャンとしてU2やボブ・ゲルドフなどが挙げられる。市内中心部のテンプルバーはかつて荒廃していたが、政府の再開発計画によりパブ・ギャラリー・レストラン・カフェ・映画館・クラブ・ライブハウスなどの集中する若者の地域として生まれ変わった。
[編集] 経済
近年のIT・製薬・観光・金融産業などによる急激な経済成長のために人口・都市圏とも過去の十年で爆発的に膨張し、その都市圏全体の人口は100万人を超える。また、かつては世界最大の移民輸出国家であったが、現在では中国・アフリカ・東欧諸国からの移民の増大が激しい。