風刺
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風刺(ふうし:元々は諷刺と表記)とは、 多くの場合、変化を誘発あるいは阻止する意図をもって、主題(人物、組織、国家など)の愚かしさを暴きだし嘲弄する、文章あるいは絵画上の文芸技法である。ケルト人の社会において、吟遊詩人の風刺は呪いと同様の物理的な効果をもたらしえると考えられていた。
風刺は特定の観点に束縛されない。パロディは滑稽な効果をもたらすために、誇張された方法で他の芸術作品を模倣するユーモアの一形式である。風刺とパロディの技法はしばしば重なり合うが、この2つは同義語ではない。風刺はユーモラスである必要はなく、事実多くの風刺作品は悲劇的であるのに対し、ほぼ全てのパロディは必然的にユーモラスな調子を帯びている。パロディは模倣作品として定義されるが、風刺は模倣作品である必要はない。ユーモラスな風刺は、多くの場合風刺と現実の併置の上にそのユーモアを基礎付ける。風刺の主要な目的は政治的あるいは社会的、倫理的なものであり、滑稽は主要な目的ではない。そういった風刺におけるユーモアは、巧妙かつ反語的であり、
風刺におけるバーレスクの形式も、2つの異なるカテゴリーへ分類することができる。自然からそのままに採用された主題を高尚な形式で扱うハイ・バーレスクと、叙事詩や詩の様式で伝統的に扱われる主題を採用し、それを貶めるロウ・バーレスクである。
[編集] 歴史
西欧の文学における風刺は、紀元前5世紀より、基本的に戯曲と詩の形式による社会論評の形式として受け入れられた。古代ギリシアの劇作家アリストパネスは、もっとも知られた風刺作家の一人である。その他の著名な古典期の風刺作家としては、ホラティウスとユウェナリスがいる。この二人はローマ帝国時代早期に活躍した、後世に最も大きな影響を与えた古代ローマの風刺作家である。
中世初期には、風刺作品の例は僅かにしか見られない。12世紀における中世中期の到来と近世口語文学の誕生により、風刺文学は復権を成し遂げた。しかしながら、この時代の風刺作品では公の人物に対する直接の風刺は稀であり、風刺は専ら寓話的な用法に用いられていた。文学作品の登場人物は時おり風刺の題材として取り上げられたが、実在の人物や制度が取り上げられることは滅多に無かった。
風刺によるこれより直接的な社会論評は16世紀に再び始まり、フランソワ・ラブレーの作品のような茶番劇(ファース)がより真剣な問題に取り組み、結果として王権の怒りを買うこととなった。しかし、最も偉大な風刺作家達は、合理主義を掲げた17世紀および18世紀の思想運動である啓蒙時代と共に現れた。この時、団体や個人に対する狡猾にして辛辣な風刺化は、民衆の武器となった。これらの内で最も重要な作家は、英語文学における最も偉大な散文風刺作家と考えられているジョナサン・スウィフト(1667年~1745年)である。
19世紀の小説家マーク・トゥエインは、風刺新聞から長編小説に及ぶ様々な形式の風刺作品を発表した、最も有名なアメリカの風刺作家である。
20世紀において、風刺はオルダス・ハクスリーやジョージ・オーウェルなどの作家により、ヨーロッパを席捲する社会変動の危険性に対する、真剣かつ恐るべき論評に用いられた。風刺のよりユーモラスな品種は、ピーター・クック、アラン・ベネット、ジョナサン・ミラー、デヴィッド・フロスト、エレノア・ブロン、ダドリー・ムーアといった有名人らや、テレビ番組『That Was The Week That Was』によってリードされた風刺ブームにより、1960年代初めのイギリスで復興期を迎えた。今日でも風刺は社会的な論評と表現の形式として人気を保ち続けているが、風刺は常にユーモラスな物でなければならないという認識が広まりつつある(必ずしも風刺はユーモラスな物とは限らない)。
[編集] ポップ・カルチャーおよび公共メディアにおける風刺
いくつかの風刺作品での誇張表現は、大勢の人々に信じ込まれてしまう程に巧妙である。これらの作品における風刺の性質は、公には理解されないのかもしれない。その結果として、風刺作品の作家や制作者が激しい非難に晒された実例も存在する。2001年にイギリスのテレビ放送局チャンネル4は、児童性的虐待と小児性愛問題に翻弄される現代ジャーナリズムを揶揄し風刺する意図の、パロディ時事問題シリーズ『Brass Eye』の特別番組を放映した。ユーモアの主題にするには「重大すぎる」と多くの人間から考えられている問題を、この番組が揶揄したことに激怒した視聴者から、放送局へ莫大な数の苦情が寄せられた。架空の馬鹿げたハードロック・バンドのドキュメンタリーであるパロディ映画『This is Spinal Tap』は、何人かの批評家からノンフィクションと間違えられた。
時おり、政治的あるいは社会的な指摘に用いられる事により、風刺は社会に変化をもたらしえる(しかしながら、単純に不合理な出来事を公に指摘する事は、風刺の性質と関わりなく、あらゆる結果に対する現実的な原因かもしれない)。例を挙げれば、漫画『ドゥーンズベリー』が、州内でマイノリティに身分証の所持を義務付ける人種差別法を施行していたフロリダ州を風刺したすぐ後に、この法はドゥーンズベリー法の愛称を持つ法令により撤廃された。
風刺はコメディにおいて、頻繁に使用されつつあるように見える。多くの現代コメディ番組がある程度の風刺を用いており、コメディアニメも同様である。これらには『ザ・シンプソンズ』『ファーザー・オブ・ザ・プライド』『ファミリー・ガイ』『フューチュラマ』、更にオスカー賞を受賞した『ウォレスとグルミット/ペンギンに気をつけろ!』その他が含まれる。これらの作品はいずれも違ったタイプのコメディであるが、どれもある程度の風刺の上に成り立っている。その風刺の範囲は、『ザ・シンプソンズ』の社会時評から、『ファーザー・オブ・ザ・プライド』のジークフリード&ロイの人造ジャングルでの動物たちの生活にまで及ぶ。
[編集] 著名な風刺作品の例
- オウィディウス - 『恋愛術(恋の技法)Ars amatoria』
- ペトロニウス(c. A.D. 27-66) - 『サテュリコン』
- ユウェナリス(c. A.D. 55-140) - 『サトュラエ(風刺詩)』
- ルキアノス(c. A.D. 160) - 『本当の話』『偽予言者アレクサンドロス』
- Nigel of Canterbury - 『Speculum Stultorum (愚者のための鏡)』 12世紀の修道士と大学についての風刺
- 『De Nugis Curialibus (廷臣の冗談)』 12世紀のイングランド宮廷生活についての風刺
- ジョナサン・スウィフト - 『桶物語』『ガリヴァー旅行記』『穏健なる提案』
- アレクサンダー・ポープ - 『髪盗人』
- ビル・ヒックス - 後年のヒックスは革新的な風刺家でありコメディアンであった
- ヴォルテール - 『カンディード』 楽天主義に対する風刺小説
- デジデリウス・エラスムス - 『痴愚神礼讃』 聖職者の腐敗への風刺
- ジョージ・オーウェル - 『1984年』 最も基本的な風刺の文学形式でもあるディストピア小説
- ジョージ・オーウェル - 『動物農場』 ロシアスターリン主義への風刺小説
- ジュール・ヴェルヌ-『二十世紀のパリ』 行きすぎた機械文明への風刺
- アナトール・フランス - 『ペンギンの島』 ユートピア小説
- オルダス・ハクスリー - 『すばらしい新世界』 ディストピア小説
- マーク・トウェイン - 『ハドリバーグを堕落させた男』に代表される後期作品
- フラナリー・オコナー - 『賢い血』 同時代の宗教者の姿勢に対する風刺
- トマス・ナスト - ニューヨーク市政界の大物ウィリアム・マーシー・トゥィードに対する政治風刺漫画
- スタンリー・キューブリック - 映画『博士の異常な愛情』『時計じかけのオレンジ』
- ロバート・クラーク・ヤング - 『One of the Guys』 論争の的となった小説
- ダリオ・フォ - 演劇『あるアナーキストの事故死』
- カート・ヴォネガット・ジュニア - 『猫のゆりかご』 SFモチーフを用いた政治風刺小説
- ドン・デリロ - 『ホワイト・ノイズ』 現代社会と消費主義への風刺
- ヴィトルド・ゴンブローヴィッチ - 『フェルディドゥルケ』 現代社会への風刺
- ジョーゼフ・ヘラー - 『キャッチ=22』 軍隊、戦争、消費主義、資本主義、共産主義に対する風刺小説
- チャック・パラニューク - 『ファイト・クラブ』 男性性、消費主義、ニヒリズムに対する風刺小説
- ジャック・ウォマック - 「アンビエント」シリーズ 19〜21世紀の世界に対する風刺を含んだディストピア小説
- リチャード・コンドン - 『影なき狙撃者』 東西冷戦下における狂気と愛国主義を風刺した小説
- ジョルジュ・ビゴー - 『猿まね(社交界に出入りする紳士淑女)』 明治維新後、急激な欧米化を図る日本に対する風刺画