黒川紀章
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黒川紀章(くろかわ きしょう、1934年4月8日 - )は愛知県海部郡蟹江町生まれの建築家。日本芸術院会員。黒川紀章建築都市設計事務所所長。妻は女優の若尾文子。弟は建築家の黒川雅之。
1953(昭和28)年、東海高校卒業。1957(昭和32)年、京都大学工学部建築学科卒業。1964(昭和39)年、東京大学大学院建築学科専攻博士課程(丹下健三研究室)修了。
槇文彦、磯崎新、谷口吉生らと共に、丹下研出身の世界的建築家である。1960年代、メタボリズムなどの建築理論を構築し、これに基づいて増築・取替えの可能な建築として中銀カプセルタワービルなどを設計した。
日本会議代表委員。アメリカ建築家協会名誉会員、英国王立建築家協会名誉会員、日本景観学会会長、ブルガリア建築家協会名誉会員、フランス建築家協会正会員、カザフスタン建築家協会名誉会員、ロシア建築アカデミー外国人会員など。
目次 |
[編集] 主な受賞歴
- 1965年、高村光太郎賞
- 1978年、毎日芸術賞
- 1986年、フランス建築アカデミーゴールドメダル
- 1988年、リチャード・ノイトラ賞(米国)
- 1989年、世界建築ビエンナーレ・グランプリ・ゴールドメダル、フランス芸術文化勲章
- 1990年、日本建築学会賞
- 1992年、日本芸術院賞
- 2002年、国際都市賞(スペイン:メトロポリス協会)
- 2006年、文化功労者
[編集] 主な作品
- 寒河江市庁舎(山形県寒河江市)
- 中銀カプセルタワービル(東京都中央区銀座)
- 福岡銀行本店(福岡市中央区天神)
- 国立民族学博物館(大阪府吹田市千里万博公園)
- ソニータワー(大阪市中央区心斎橋筋)
- 日本赤十字社本社(東京都港区芝大門)
- WINS銀座(東京都中央区銀座)
- 和歌山県立近代美術館(和歌山県和歌山市)
- 和歌山県立博物館(和歌山県和歌山市)
- 国立文楽劇場(大阪市中央区日本橋)
- ベルリン日独センター(ドイツ・ベルリン)
- 沖縄県庁舎(沖縄県那覇市泉崎)
- 愛媛県総合科学博物館(愛媛県新居浜市大生院)
- クアラルンプール国際空港(マレーシア クアラルンプール)
- 大阪府立国際会議場(大阪市北区中之島)
- 国立新美術館(東京都港区)
- 奈良市写真美術館(奈良県奈良市)
- ソフトピアジャパンセンタービル(岐阜県大垣市)
- 埼玉県立近代美術館(埼玉県さいたま市浦和区)
- パルティ瀬戸(愛知県)瀬戸市
- 広島市現代美術館(広島県広島市)
- 九州石油ドーム(大分県大分市)
- 豊田スタジアム(愛知県豊田市)
- 長崎歴史文化博物館(長崎県長崎市)
- 長崎新聞本社ビル(長崎県長崎市)
なお、作品とは言いがたいが1979年開業した日本初のカプセルホテルを設計したのも氏である。
又、大阪万博と言えば岡本太郎の『太陽の塔』が有名であるが、あの造形にインスパイアされとんでもない設計図を書いているという話がある。
[編集] 主な著作
- 「日本まさに荒れなんとす」(C.W.ニコルと共著:2001年、致知出版社)
- 「Each One A Hero」(1997年、講談社インターナショナル)
- 「黒川紀章 - 都市デザインの思想と手法」(1996年、彰国社)
- 「新・共生の思想」(1996年、徳間書店)
- 「黒川紀章ノート」(1994年、同文書院)
- 「都市デザイン」(1994年、紀伊國屋書店)
- 「建築の詩」(1993年、毎日新聞社)
- 「黒川紀章作品集」(1992年、美術出版社)
- 「共生の思想 増補改訂」(1991年、徳間書店)
- 「花数寄」(1991年、彰国社)
- 「黒川紀章2 1978 - 1989」(1991年、鹿島出版会)
- 「建築論2」(1990年、鹿島出版会)
- 「新遊牧騎馬民族ノマドの時代 情報化社会のライフスタイル」(1989年、徳間書店)
- 「TOKYO大改造」(グループ2025と共著:1988年、徳間書店)
- 「共生の思想」(1987年、徳間書店)