紙幣
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紙幣(しへい)とは、公的権力(主に国家)の後ろ盾の下、通貨・貨幣として通用することが認められている特定デザインの紙札である。狭義には、「政府の発行する政府紙幣」を指し、この意味における紙幣は現在の日本には存在しないが、広義には、これに加え「強制通用力を付与された銀行券」を含むものとされる。以下、特に断りのない限り「紙幣」とは広義の紙幣を意味する。
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[編集] 歴史
世界初の紙幣は宋代に鉄銭の預り証として発行された「交子」である(中国の貨幣制度史を参照のこと)。ヨーロッパでは、1661年にスウェーデンの民間銀行・ストックホルム銀行が発行したのが最初である(だが、7年後に同行が経営破綻したために政府が受け皿として国立のリクスバンクを創設、皮肉にもこれが世界最初の中央銀行となった)。
金本位制(または銀本位制)ができると、金(または銀)との交換ができることを保障に、紙幣を発行していた。しかし、1929年の世界恐慌の時に、金の保有量しか紙幣が発行できない金本位制では、政府が必要な際に紙幣を発行できず、そのため公共事業などができず、不況を悪化させることがわかり、各国で金本位制を廃止し、管理通貨制度へ移行した。
本位貨幣たる金貨や銀貨と交換ができる紙幣のことを兌換紙幣と呼び、券面にそれらの記載がある。日本の兌換紙幣は最初は兌換銀券であったが、1897年(明治30年)に金本位制が採用されてからは、兌換金券となった。アメリカでは、ブルーシールの兌換銀券とイエローシールの兌換金券があった。
日本での紙幣の始まりは、記録上は『建武記』に記されている、後醍醐天皇が1334年(建武元年)に内裏造営資金確保のために発行されたとされる楮幣(ちょへい)であるが、現物は残っておらず、実際に発行されたかも疑問視されている。現存する最古の紙幣は、1623年(元和8年)に伊勢国山田の商人が発行した「山田羽書」である。
江戸時代には、各藩が財政難の打開策として「藩札」を発行した。最初の藩札は諸説あるが、越前国の福井藩が幕許を得て寛文元(1661)年に発行したものとされている。この他、こうした古札類には藩以外にさまざまな発行元があったことが知られている。武家発行の札では、藩と同様に知行地を有していた旗本が発行したもの(旗本札)や、幕府(兵庫開港札など)、御三卿(一橋家)、奉行所や代官所、藩家老が発行したものなどがある。更に京、大和国を中心に宮家・公家・寺社が発行したもの(寺社公家札)、各地の町や村が発行したもの(町村札)、特に宿場町が発行したもの(宿駅札)、鉱山の経営者が人夫の間で流通させたもの(鉱山札)、商家や個人が発行したもの(私人札)などが知られている。なお、これらは兌換性が前提の規格化された一覧払約束手形ともいうものであり、(少なくとも日本全国において)強制流通力を有さない点などにおいて、厳密な意味での貨幣(紙幣)といいがたいものがある。
明治時代に入ると、大蔵省が大蔵大臣の名において発行する日本政府紙幣(日本帝国政府紙幣、大日本帝国政府紙幣もあり)や日本銀行券が発行された。また、戦争において占領地でつかわれた軍用手票などがある。
第二次世界大戦後、金融緊急措置令により6種類の紙幣が発行された。これをA券とよび、以後、B券、C券、D券が発行された。
2000年(平成12年)7月19日には数十年ぶりの新額面であり、また当時の最新偽造防止技術を導入した弐千円券がD券として発行された。この偽造防止技術には後記のE券にも受継がれている
2004年(平成16年)11月1日には20年ぶりに新しいデザインの壱万円券、五千円券、千円券がE券として発行された。
[編集] 偽造防止技術
紙幣には偽造を防止するための、さまざまな技術が用いられている。
- 透かし
- 日本を含めほとんどの国の紙幣は紙(植物繊維:主に楮、三椏、綿、マニラ麻など)製で、繊維の厚みを加減し透かしを入れている。また、オーストラリアなど一部の国にはプラスチック製(ポリマー)の紙幣も存在し、これらの紙幣では透明の窓を作ったり、ハイテクな透かしも存在する。
- 現在の日本の紙幣に使用される透かし技法は、「黒透かし」といわれる技法で、政府の許可なくしてこの技法を使った紙を製造することは、「すき入紙製造取締法」により禁止されており、これに反すると罰せられる。
- ホログラム
- 日本のE券にも初めて採用されたが、薄い金属箔にレーザー光線を使って模様を描いた物で、角度によって色が変わって見える物である。現在各国の紙幣には普通にみられ、ユーロやUKポンド、スイスフラン等には複雑な模様が採用されている。
- 紫外線インク
- 紫外線を当てると発光するインク。日本ではD券の改札(赤茶色記番)から採用されていて、表面の印章の部分などに採用されている。また、デンマークやノルウェーの紙幣では、ブラックライト(紫外線ランプ)で照らすと、紙幣のデザインに関連する様々なモチーフがあらわれる。
[編集] 紙幣にまつわるエピソード
- アメリカのドル紙幣は、裏面の色からグリーン・バックスと呼ばれているが、昔の兌換金券は裏が黄色で金貨の絵が描かれていたことから、イエロー・バックスと呼ばれていた。
- ユーロ通貨はコインは各国で様々なデザインの物が流通しているが、紙幣は同じデザインである。しかし紙幣に付いている記号番号の先頭のアルファベット文字で発行国がわかるようになっている。
- 女性の肖像が日本銀行券の表に初めて登場したのは、樋口一葉の5,000円紙幣だが、日本の紙幣に登場した女性肖像の最初の例は、1881年(明治14年)から1883年(明治16年)にかけて発行された改造紙幣(政府紙幣)に描かれた神功皇后である。神功皇后のモデルとなったのは諸説あり、当時お雇い外国人で来日していたエドワルト・キヨッソーネが印刷工場で働いていた女中をモデルにしたといわれる。
- 現在流通している紙幣ではシンガポールの10,000ドル(626,402円相当=2005年1月3日現在)が額面世界最高額の紙幣だが、かつてはアメリカ合衆国に5,000ドル(マディソン肖像)、10,000ドル(チェース肖像)、100,000ドル(ウィルソン肖像)の高額紙幣があった。100,000ドル紙幣は流通用ではなく、連邦準備銀行間の受け渡しに用いられる金証券(ただし、現在実際に受け渡しが発生することはほとんどない)であり、市中で流通可能性のある最高額紙幣は10,000ドル紙幣であるが、これは総発行枚数120数枚であり、まれに市中に出るとプレミアムが付きオークションにかけられる(当然、10,000ドル以上で取引される)ほどのコレクターズアイテムである。そのうち100枚は、ラスベガスの老舗カジノ「ホースシュー・クラブ」に集められ店頭で展示されていたが、2000年頃の同店の経営悪化により散逸した。また、スウェーデンにも10,000クローナの高額紙幣があった。
- 数値の大きな紙幣として、トルコがそれまで最高額であった1,000万トルコリラ(1999年発行)より高額な2,000万トルコリラ(1,521円相当=2005年1月3日現在)を2001年に発行した。しかし、2005年1月1日にリラを100万分の1デノミネーションし、6桁切り下げた。新通貨名は新トルコリラで、旧通貨は2005年末まで使用可能。
- アニメーション映画『ルパン三世 カリオストロの城』は、「ゴート札」と呼ばれる大量偽札の背後に潜む陰謀が題材になっていた。
- 1946年にハンガリーで印刷された10垓ペンゲー紙幣(1021、紙幣には10億兆)が印刷された紙幣では歴史上最高額面紙幣である(ただし発行はされていない)。発行された紙幣としては1垓ペンゲー紙幣(1020、紙幣には1億兆)が最高である。
- D千円券(肖像:夏目漱石)に切り替わった直後、当該紙幣を手で擦ると記番号などが消えるという噂が全国的に広まった。実際に記番号などが消えるものが存在したかは確認されていない。
- 2000年(平成12年)に2,000円紙幣が登場した際、もともと必要性が疑問視されていたことに加え、従来なかった額面であったことから、自動販売機・ATM等の機械の対応が進まず、「機械で使えない紙幣は現代の紙幣として半人前である」といったような批判もあった。その後E券対応機の設置に伴って対応が進み、この問題は徐々に解消されつつあるが、慣れない額面への人々の精神的な抵抗感はまだ拭いきれていない。
- E券発行にあたって、事前に新千円札の見本とされる紙幣がインターネットオークションに出品され、99億円まで入札価格が跳ね上がったが、オークション主催者が出品を削除したため、競売は成立しなかった。
- 以下のリンクにアクセスすると、紙幣の動向を見ることが出来る。
- (世界の紙幣)世界の現行紙幣図鑑
- (日本銀行券)OSATSU.NET -あなたのお札、追跡します。
- (米ドル)Where's George?
- (英ポンド)DoshTracker - Where Has My Money Been?
- (ユーロ)Follow your Euro notes in their tracks
- 濡れたり皺だらけになった紙幣をアイロンがけして、皺を伸ばしまた乾かす人がいるが、これをやると偽造防止用ホログラム損傷の原因になるので日銀では「出来るだけ控えて欲しい、濡れたお札は自然乾燥で」と呼びかけている。
[編集] 収集
紙幣の収集は貨幣収集の一環として行われることが多い。