福岡県立東筑高等学校
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福岡県立東筑高等学校 | |
過去の名称 | 福岡県東筑尋常中学 →福岡県東筑中学校 →福岡県立東筑中学校 →福岡県東筑中学校→現名称 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 福岡県 |
併合学校 | 福岡県立折尾高等学校 八幡市立八幡商業高等学校 共に福岡県立折尾高等学校として再分離 |
設立年月日 | 1898年(明治31年)6月1日 (福岡県会議決により設置) |
校訓 | 文武両道 質実剛健 |
教育方針 | 下記参照 |
創立記念日 | 1898年(明治31年)6月10日 |
創立者 | 福岡県 |
共学・別学 | 男女共学 |
中高一貫教育 | 併設型連携型ともになし |
分校 | なし |
課程 | 全日制の課程 |
二部以上の授業 | なし |
単位制・学年制 | 学年制による教育 |
学科 | 普通科 |
学科内専門コース | なし(但し2年次より理系、文系に分かれる) |
専攻科 | なし |
別科 | なし |
所在地・連絡先 | |
所在地 | 〒807-0832 |
福岡県北九州市八幡西区東筑1丁目1-1 | |
電話番号 | 093-691-0050 |
FAX番号 | 093-691-9531 |
外部リンク | 福岡県立東筑高等学校公式ホームページ |
福岡県立東筑高等学校(ふくおかけんりつ とうちくこうとうがっこう)は、福岡県北九州市八幡西区にある共学の県立高等学校である。100年以上の歴史を持つ県内有数の進学校であり、特に同じ北九州市内にある小倉高校とは比較されることも多く、同校とは野球部が定期戦を行うなど交流もある。
目次 |
[編集] 校風
[編集] 沿革
[編集] 経緯
1887年(明治30年)、当時の福岡県会によって、県内の両筑に東部に各一学校を設置することが決まり、翌年5月、校舎を遠賀郡折尾村(現在の北九州市八幡西区)、仮校舎を嘉穂郡飯塚町(現在の飯塚市)に設置することが議決され、6月に福岡県立東筑尋常中学校として設立された。その後、翌年4月に福岡県東筑中学校と改称され、さらに2年後には福岡県立東筑中学校と改称された。1925年(大正14年)に一旦福岡県東筑中学校という名称に戻るが、第二次世界大戦降伏後の学制改革によって、1948年(昭和23年)より現在の校名となる。その翌年には福岡県立折尾高等学校と八幡市立八幡商業高等学校を合併、それまでの普通科に加え商業科と家庭科を併設した。なお併設された商業科および家庭科は、1956年(昭和31年)に折尾高等学校が分離された時に廃止され、その後は普通科のみである。
[編集] 年表
*1898年6月1日 | 福岡県東筑尋常中学校開校 | ||||
*1898年6月10日 | 開校式挙行 | ||||
*1899年4月1日 | 福岡県立東筑中学校と改称 | ||||
*1925年4月1日 | 福岡県東筑中学校と改称 | ||||
*1947年5月26日 | 創立50周年記念式典挙行 | ||||
*1948年4月 | 学制改革により福岡県立東筑高等学校と改称 | ||||
*1949年5月 | 福岡県立折尾高等学校、八幡市立八幡商業高等学校を統合。これにより、普通・家庭・商業科の総合制高等学校となる | ||||
*1952年10月 | 現校歌の折口信夫作詞部分完成 | ||||
*1952年11月 | 現校歌の信時潔作曲部分完成 | ||||
*1953年8月 | 野球部が全国高等学校野球選手権大会に初出場。初戦で浪華商(大阪)に0-3で敗れる | ||||
*1956年4月1日 | 商業科・家庭科が分離し、福岡県立折尾高等学校として独立。全日制普通課程高校となる | ||||
*1972年8月 | 甲子園2度目の出場も、再び初戦敗退 | ||||
*1978年8月 | 夏の甲子園3度目の出場にして甲子園初勝利を挙げる。 金沢(石川)、日大二(西東京)を下し3回戦に進出したが、豊見城(沖縄)に敗れる |
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*1979年3月2日 | 体育館・柔剣道場完成 | ||||
*1981年3月8日 | プール竣工 | ||||
*1981年10月13日 | 弓道場竣工 | ||||
*1985年3月 | 選抜高等学校野球大会に初出場。初戦で天理に0-2で敗れる | ||||
*1987年6月6日 | 東筑会館落成式挙行 | ||||
*1987年8月 | 夏の甲子園4度目の出場。延長戦にもつれ込む接戦も習志野(千葉)に敗れる | ||||
*1988年6月10日 | 創立90周年記念式典挙行 | ||||
*1988年12月 | ラグビー部が全国高等学校ラグビーフットボール大会に初出場。初戦を突破するが、2回戦で敗退 | ||||
*1996年8月 | 第78回全国高等学校野球選手権大会出場。夏の甲子園5回目。盛岡大附(岩手)を破り、甲子園18年ぶりの勝利を挙げたが、2回戦で倉敷工(岡山)に敗退。 甲子園の高校野球大会史上初めて女子マネージャーがベンチ入りし、マスコミの注目を集めた |
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*1998年3月 | センバツ2回目の出場も、初戦で今治西(愛媛)に敗退 | ||||
*1998年5月26日 | 多目的ホール落成 | ||||
*1998年6月10日 | 創立100周年記念式典挙行。卒業生の杉岡洋一・九州大学総長が講演。 | ||||
*1998年12月 | ラグビー部が花園2度目の出場。2回戦から登場し、前回同様初戦を突破するが2戦目(3回戦)敗退 | ||||
*1999年1月18日 | パソコン教室竣工 | ||||
*1999年12月 | ラグビー部が花園2年連続3度目の出場。前回同様、2回戦から登場し初戦を突破するが2戦目(3回戦)敗退 | ||||
*2000年2月29日 | 投球練習場竣工 | ||||
*2006年6月 | 福岡県高校生人材育成プログラム推進校「ふくおかスーパーハイスクール」(FSH)に指定 |
[編集] 教育組織
全日制 普通科のみ
[編集] 教育方針
[編集] 校訓
文武両道 質実剛健
[編集] 教育方針
教育基本方針
1.ひたすら勉学に励み、心身を錬磨して、校是である「文武両道」「質実剛健」の精神を貫く。
2.次の時代の担い手として広く社会に貢献できる、心身ともに逞しい、有徳の人間育成を目指す。
3.生徒一人ひとりの個性を生かし、希望進路の実現を図る。
教育指導目標
創立以来の校是である「文武両道」「質実剛健」の精神を基本とし、21世紀の国際化社会をリードするに足る卓越した人材の育成を目指す。それを可能ならしめ、生徒一人ひとりの進路目標を実現させるために知育・徳育・体育の調和を図り、心身ともに逞しく、勉学のみならず特別活動・ボランティア活動・部活動等にひたむきに取り組み、それらを通して自ら学び、自ら成長していく生徒の育成を目指す。
教育課程
3年生の理系Ⅱは理科3科目を履修、国公立大学医歯薬学部に対応する。
[編集] 学校行事
4月 始業式/入学式/オリエンテーション(1年)/英彦山 規律と友情の体験学習(1年)
5月 セミナー宿泊研修(2年)/中間考査/生徒総会
6月 開校記念文化講演会/東筑・小倉高校定期野球大会/文化祭 中学生招待弁論コンテスト
7月 クラスマッチ/保護者会
8月 夏季課外/中学生体験入学/小・中学生質問教室
9月 体育祭
10月 中間考査/学年別スポーツ大会(1年)
11月 文化講演会/小論文コンクール/期末考査
12月 防火避難訓練/冬季課外
1月 スキー教室(1年)/実力考査
2月 学年末考査
3月 卒業式/クラスマッチ/入学試験
[編集] 生徒会活動・部活動など
[編集] 運動部
バスケット バレー 野球 山岳 陸上 水泳 体操 卓球 ソフトテニス 弓道 剣道 柔道 相撲 サッカー ラグビー 応援 バドミントン テニス ボート 空手同好会 総合部
[編集] 文化部
演劇 音楽 茶道 社会 写真 食物 書道 美術 吹奏楽 ラジオ 地学天文 化学 生物 新聞 文芸 E.S.S. 放送委員会 将棋同好会 囲碁
[編集] 通学手段など
- 生徒の主な通学手段
- 自転車
- 鉄道:JR鹿児島本線、福北ゆたか線・若松線 折尾駅より徒歩約5分
- バス:北九州市営バス折尾駅前、西鉄バス折尾駅、折尾駅西口、各停留所より徒歩約5分、西鉄バス則松小学校前停留所より徒歩約3分
- バイクについては通学手段としてだけでなく在学中の免許取得も(卒業後就職など必要とみなされる場合、3年次の3学期に取得するケースを除き)原則禁止。乗用車の免許取得についても同様。
[編集] 通学区域
第四学区全域に鞍手町を加えた区域。
また、宗像市・宮若市・福津市・直方市・飯塚市などから越境している生徒も毎年多数いる。
[編集] 出身著名人
[編集] 政治
*三原朝雄 | :元・自由民主党衆議院議員。明治大学法学部卒。福岡県議会議員から国会へ。文部大臣、防衛庁長官、沖縄開発庁長官などを歴任。源田実元参議院議員らとともに、国防族の重鎮として活躍した。2001年没 | ||||||||
*三原朝彦 | : 衆議院議員(自由民主党→新党さきがけ→自由民主党に復党)。父は三原朝雄。一橋大学では柔道部員。大学講師、議員秘書を経て政界へ。元防衛政務次官、元衆議院外務委員長。2005年衆議院議員総選挙では福岡9区より出馬、前職の民主党候補を破り当選。現在自由民主党中央政治大学院長。 | ||||||||
*末松義規 | : 民主党衆議院議員。一橋大学卒。外務省から政界へ。2005年衆議院議員総選挙では東京19区より出馬、小選挙区では自民党候補に5000票余りの差で落選するが、比例代表で復活当選を果たす。また、2005年4月27日放送のトリビアの泉(フジテレビ系)で取り上げられた「国会議員はJR全線にどれだけ乗ってもタダ」というトリビアの検証VTRでは、インタビューとともに、実際に「JRパス」を使って国立駅から中央本線の特別快速列車に乗る様子が放送された。 | ||||||||
*冨岡勉 | : 自由民主党衆議院議員。長崎大学医学部卒。長崎大学医学部教授、長崎県議会議員を経て2005年比例代表区より初当選。 |
[編集] 経済
*幡掛大輔 | :株式会社クボタ代表取締役社長 | ||||||||
*北村憲雄 | :トヨタイタリア会長。郵政民営化後、郵便事業会社社長に就任予定 | ||||||||
*濱中昭一郎 | :東京地下鉄(東京メトロ)株式会社 代表取締役会長 | ||||||||
*谷 正明 | :福岡銀行 代表取締役頭取 | ||||||||
*福島孝一 | :住友金属鉱山株式会社 取締役社長 |
[編集] 教育・研究
*杉岡洋一 | :前九州大学総長(医学部名誉教授) |
[編集] 芸能・文化
*高倉健 | : 俳優。在学中は陸上部に所属した他、ボクシング部、ESLなどの発起人となった。 | ||||||||
*平野啓一郎 | : 作家。明治学園中学校、東筑高校、京都大学法学部卒。「日蝕」が第120回芥川賞受賞。当時最年少。 | ||||||||
*入江徳郎 | :ジャーナリスト。東京大学卒業後、朝日新聞社に入社。論説委員として、長く「天声人語」を担当。TBSテレビ「JNNニュースコープ」でも長年メインキャスターを務めた。1989年9月5日没。 | ||||||||
*大野徹也 | :オペラ歌手(テノール)。東京学芸大学教授 | ||||||||
*手嶋眞佐子 | :オペラ歌手(メゾソプラノ)。東京都交響楽団所属 | ||||||||
*岡住達夫 | :フリーカメラマン。主にアンダルシア州(スペイン)や屋久島などをテーマにした写真を撮影 | ||||||||
*大江慎也 | :ロックバンド「ルースターズ」ボーカル |
[編集] マスコミ関連
*山下末則 | : 日本テレビ元アナウンサー | ||||||||
*猪原智紀 | : NHK福井放送局アナウンサー | ||||||||
*山本元気 | : ニッポン放送アナウンサー | ||||||||
*重松亜紀 | : NHK北九州放送局キャスター |
[編集] スポーツ
*仰木彬 | : 前オリックス・バファローズ監督、シニアアドバイザー。1953年の甲子園初出場時は投手だった。2005年12月15日没 | ||||||||
*高信二 | : 広島東洋カープ1軍守備走塁コーチ。1985年ドラフト2位で内野手として同チーム入団。在学中3年次に選抜甲子園出場(初戦で天理に敗退)。福岡県予選で1イニング(1試合ではない)2ホームラン7打点の県記録を作った。 | ||||||||
*桧山泰浩 | : 司法書士、早稲田セミナー福岡校講師。元・近鉄バファローズ投手(1985年ドラフト1位)。先述の高とは同期で、エースピッチャーとして選抜甲子園に出場した。福岡県予選で10人連続三振を奪うなど、卓越した才能を見せ球場を湧かせた。 | ||||||||
*福山龍太郎 | : 福岡ソフトバンクホークススカウト。元・福岡ダイエー投手(1998年ドラフト4位)。法政大学卒 | ||||||||
*井生崇光 | : 広島東洋カープ選手(1998年ドラフト2位)。1998年選抜甲子園出場(初戦で今治西に敗退)。2006年一軍に定着、更なる飛躍を目指す。 | ||||||||
*山本翔 | : 広島東洋カープ選手(2001年ドラフト4位) | ||||||||
*中竹竜二 | :現早稲田大学ラグビー蹴球部監督。同部第78代主将。元ラグビー部(フランカー)。クラブチーム「タマリバクラブ」ヘッドコーチの後、2006年シーズンから清宮克幸前監督の後任監督として指揮を取っている。 |
[編集] 教職員
*喰田孝一 | : 元・野球部監督。当初、福岡県立嘉穂東高等学校に進学したが、2年次に本校に転校。昭和28年の甲子園では捕手として仰木彬とバッテリーを組んだ。社会人野球(杵島炭鉱、日炭高松)で都市対抗野球に出場するなど活躍後、野球部監督に就任。その後、通算34年間母校の監督を務めた。2005年6月、高野連により"Year of the Coach"に選ばれる。 |
[編集] 軍人
*古野繁美 | :海軍少佐。海軍兵学校卒。昭和16年12月8日(現地時間1941年12月7日)、伊号第18潜水艦より発進した特殊潜航艇に搭乗、ハワイ真珠湾攻撃に参加。戦死後、二階級特進し、「軍神」と賞賛された。 |
[編集] 関連項目
- 福岡県高等学校一覧
- 全国高等学校クイズ選手権 第5回大会(1985年大晦日)で決勝進出(3位)
[編集] 外部リンク
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