日本大学豊山中学校・高等学校
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日本大学豊山中学校・高等学校 | |
国公私立の別 | 私立学校 |
設置者 | 学校法人日本大学 |
設立年月日 | 1903年11月 |
共学・別学 | 男女別学(男子校) |
課程 | 全日制課程 |
所在地 | 〒112-0012 |
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電話番号 | 03-3943-2161 |
FAX番号 | 03-3943-1991 |
外部リンク | 公式サイト |
日本大学豊山中学校・高等学校(にほんだいがくぶざんちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、東京都文京区大塚にある私立中学校・高等学校。日本大学の付属校としては唯一の男子校である。
目次 |
[編集] 概要
通称は日大豊山。日本大学系列の付属校には大きく分けて日本大学と法人を同じくする正付属校と日大とは別法人が経営する準付属校があるが、日大豊山は日大が経営する正付属校である。準付属校のうち当初日大が経営し戦後日大から独立し別法人となった日大一高、二高、三高らナンバースクールは特別付属校と呼ばれ、日大へ進学する際若干他の準付属校より有利となる。日大豊山は、他の付属校同様、多くの生徒が日大へ推薦入学できるため部活動が概して盛んで全国レベルのものも多い。また近年は進学の面でも特進クラスを設置し、国公立大や難関私大の合格者が増加する傾向にある。学園祭名は豊山祭。
前身は古く五代将軍徳川綱吉の命により亮賢僧正が開山した真言宗豊山派の護国寺により明治20年に設置された中学林・大学林(大学林は後の豊山大学となり、大正大学へ組み込まれた)であり明治36年には中学林が豊山中学として認可された。現在の日大豊山校歌は詩人で日大芸術学部教授であった神保光太郎の作詞であるが、旧制豊山中学校校歌の作詞は北原白秋であった。開校当初はそのほとんどが僧侶や檀家の子弟であったが、次第に一般家庭からの入学者も多くなり、校風は宗教的特性に偏っていなかった。日大に吸収される以前の旧制豊山中学・高校50年余りの歴史で作家坂口安吾が転入してきた大正末期ごろは、バンカラな校風でいわゆる不良生徒もいたが、現在の学校制度のような偏差値による輪切りで同質な生徒ばかりが集まるような学校ではなく、多様な個性がぶつかりあう面白みのある学校であった。旧制豊山中学は最盛期の昭和20年代においても一学年150名から200名ほどの少人数であったが、入学者の約20%が4年修了で上級学校へ進学していた。5年卒業後進学する生徒も考慮すると上級学校へはかなりの割合の生徒が進学していたと推測される。
豊山中学は、大正期創立の旧制日大一中より創立は古く、日大三高の前身である大学予備門(後の旧制赤坂中学)とともに現在の日大の付属校では最も歴史のある学校である。日大系列となった経緯は、新学制の豊山中学高校時代に、護国寺から、戦後日大一高、二高、三高といったその付属校を失い再び付属校の再編成を計画していた日大へ譲渡されることになったことに始まり、昭和27年には校名を日大豊山とし、日本大学に昭和29年に完全に吸収されることになった。このとき護国寺側から豊山の校名は必ず継承するよう要望があったことで、現在も豊山中学高校の名は受け継がれている。定時制課程(男女共学)も併設していたが昭和45年に募集が停止され、昭和51年には廃止された。
また板橋区にある日本大学豊山女子中学校・高等学校は日大豊山高校から分離独立した高校であり、昭和57年の4月独立時まで日大豊山とは校長を同じくしていた。日大豊山高校のグランドや総合体育施設は板橋区中台の豊山女子高校内(隣接)しており、主に体育祭、野球部やサッカー部などの活動が行なわれている。また高校1年生時では陸上や野球、サッカーなど(週1回)の体育授業が同校の専属バスを利用してそのグランドに行き行われる。それら施設は通称として中台グラウンドや中台と呼ばれている。
最寄り駅は有楽町線護国寺駅。最寄り駅からの徒歩時間が40秒以内という学校の立地条件にある。学校が学校生徒に対してのみ販売している鞄(通称:豊山バック)は有名。この豊山バックは二本のピンクのラインが端に縫っており、その見た目からか他校からも人気がある。この人気ゆえ過去に学校生徒が他校生にバックのみを恐喝に遭うという事件が何度か起こっている。
[編集] 沿革
- 1887年(明治20年) 真言宗豊山派の護国寺により中学林・大学林設置(大学林は後に豊山大学→大正大学)
- 1903年(明治36年)11月 私立豊山中学校創立
- 1952年(昭和27年)11月 学校法人日本大学豊山学園として日本大学へ移行する
- 1954年(昭和29年)8月 学校法人日本大学の設置する日本大学豊山中学校・高等学校となる
- 1966年(昭和41年)3月 板橋区中台に日本大学豊山女子高等学校開校
- 1982年(昭和57年)3月 日本大学豊山女子高等学校分離独立
[編集] 部活動
古くは陸上競技部、現在は野球部・水泳部・バスケットボール部・卓球部等が盛んである。特に野球部は甲子園に出場したこともある。
[編集] 高等学校体育部
サッカー、スキー、ソフトテニス、卓球、バスケットボール、バレーボール、野球、陸上競技、ワンダーフォーゲル、自転車
[編集] 中高合同体育部
剣道、柔道、水泳、体操
[編集] 中学校体育部
サッカー、ソフトテニス、卓球、バスケットボール、バレーボール、野球、ワンダーフォーゲル
[編集] 高等学校学芸部
囲碁、英語、演劇、音楽、化学、芸能、将棋、写真、新聞、生物、地学、地歴、電子計算機、文芸、物理
[編集] 中高合同学芸部
書道、吹奏楽、鉄道、美術、放送
[編集] 中学校学芸部
英語、数学
[編集] 主な卒業生
学術関係
- 重松俊章 - 東洋史学者、九州帝国大学文学部東洋史学科教授、子息達も九大卒後それぞれ史学者となる
- 岩田巌 - 一橋大学教授、東大経済学部講師で公認会計士制度確立に尽力するも病に倒れる、一橋大学葬
- 山口與市 - 慶応大学医学部名誉教授、元横浜市立市民病院長および慶応堂病院医師
- 佐藤和夫 - 早稲田大学教授、英文学、比較文学 正岡子規国際俳句EIJS特別賞受賞 俳句の国際化に貢献
- 松嶋隆弘 - 日本大学法学部教授(商法・会社法)、弁護士
文化・芸術・芸能関係
- 谷中安規 - 版画家、版画界で棟方志功とともに天才と称される
- 坂口安吾 - 小説家、エッセイスト
- 園田高弘 - ピアニスト、ショパンコンクール審査員、京都市立芸術大学教授
- 西沢爽 - 作詞家、歌謡史研究家としても有名
- 内田有作 - 映画監督、内田吐夢の次男
- 森功至 - 声優 「エースをねらえ」の藤堂さん役など二枚目役で多数出演
- 森川正太 - 俳優 「飛び出せ青春」等青春物に多数出演、高校中退
- 内田喜郎 - 俳優 高橋恵子主演映画「高校生ブルース」やテレビシリーズ「快獣ブースカ」等多数出演
- 井上大輔 - 本名・井上忠雄、作曲家、元ブルーコメッツ
- 田中京 -CBSソニー退職後、音楽評論家となる、銀座のバー「アールスコート」オーナー、「絆ー父田中角栄の熱い手」著者
- 斉藤清六 - コメディアン、欽ちゃんファミリー
- 山田隆夫 - 笑点で人気者になる、ハリウッド映画「ライジングサン」、岡本喜八の「英霊たちの応援歌 最後の早慶戦」等出演
- 小倉一郎 - 俳優 「俺たちの朝」等に出演、高校中退
- 今関あきよし - 映画監督
- 橋爪淳 - 俳優
- 井上智之 - 俳優
- 石川伸一郎 - 俳優
- 阿部よしつぐ - 俳優
- 伊勢谷友介 - ファッションモデル、俳優、映画監督
- 関野直樹 - ピアニスト
- 廣瀬洋一 - ミュージシャン、THE YELLOW MONKEY
- 岡原功祐 - 写真家、高校時代はアクロスキー選手、早大卒後写真家となる
スポーツ・格闘技・体育関係
- 結城源心 - 柔道家、海軍兵学校で柔道を教授
- 島岡吉郎 - 明治大学野球部監督、総監督、星野仙一元中日・阪神監督は教え子
- 石井宏 - 水泳選手、ローマオリンピック800mリレー銀メダリスト
- 猪狩元秀 - 格闘家、格闘技「K-1」レフェリー、キックボクシング元ミドル級チャンピオン
- 渡辺健司 - 水泳選手、3期連続オリンピック代表となり、早大卒後のバルセロナ大会200m平泳で7位入賞を果たす
- 桑原義行 - プロ野球選手、2000年夏の甲子園・東都大学野球で活躍、日大から横浜ベイスターズへ入団
政治関係
- 中野四郎 - 国務大臣、国土庁長官などを務める
- 内海英男 - 衆議院議員、建設大臣、中央大学理事長を歴任
- 田中茂 - 元埼玉県和光市長、慶大医学部卒業後医師となるが和光市長へ立候補
- 塩味達次郎 - 元埼玉県朝霞市長、中大法・同大学院修了後弁護士となる
- 富岡勝則 - 埼玉県朝霞市長、埼玉県議会議員を経て現職
- 石田勝之 - 国会議員(衆議院)
- 関口昌一 - 国会議員(参議院)、歯科医師
経済関係
- 赤坂敏明 - サッポロ飲料社長
報道関係
KIWANIS社会公益章受賞
その他