山田隆夫
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山田 隆夫(やまだ たかお、本名同じ、1956年8月23日- )は日本のタレント、歌手、映画俳優、落語家。東京都出身。血液型O型。鈴々舎馬風門下で高座名は鈴々舎鈴丸(れいれいしゃ すずまる)。10歳の時、ちびっこのどじまんでデビュー。1970年に日本テレビ系列のテレビ番組、『笑点』のちびっ子大喜利にレギュラー出演。座布団10枚獲得記念賞品がレコードデビューということで、1973年にずうとるびのメンバーとして歌手デビューし活躍する。1984年10月7日に『笑点』大喜利での6代目座布団運び役に就任し活躍。2児の父。
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[編集] ずうとるび脱退
1977年、結婚を機にずうとるびを卒業する。建前上は結婚のため卒業となっているが、実際は山田自身の意思による脱退であった。この頃、ずうとるびの音楽的方向性の考え方の相違から、他のメンバーとは険悪な状態になっていたのである。山田はモンキーズのようなアコースティックバンドを目指していたが、他のメンバーはバンド名の由来ともなったビートルズのようなロックバンドを目指していたことから、口論や喧嘩も絶えなかったという。山田がモンキーズを目指していたのは、ずうとるびのシングル『恋の夜行列車』からも読み取れる。この曲は山田自身の作詞・作曲であるが、これはモンキーズのデビュー曲である『恋の終列車(Last Train To Clarksville)』からヒントを得たものだ。
[編集] 笑点でのキャラクター
大喜利では座布団を運ぶ役として有名である。「座布団と幸せを運ぶ、山田隆夫です」と挨拶するのが概ねのパターン。
4代目司会者の三遊亭圓楽からは「江戸川のスター」、「小さな巨人」、「笑点のエース」と言われ、讃えられている。
年齢的にはベテランながらいつまでも下働き的な役目をしているため、後輩から指示されたり馬鹿にされることが多くなっている。本人は芸歴40年といって本気で反発しているようだ。大喜利で「邪魔・クビになった・無駄」「音痴」「子作り」「背が低い」「家族の暴言」「歌がダメ」などと悪態をついたメンバーの座布団を、司会者に言われる前に持っていくことがある。特に、病気療養中の林家こん平に代わって解答者になった林家たい平に悪口を言われた場合には、後ろから張り倒したり蹴飛ばしてから座布団を奪っていくのが通例となっている(最悪の場合大技を繰り出して当の回答者のみならず、隣(三遊亭楽太郎)が巻き込まれて犠牲になってしまうケースもあり)。がしかし最近はたとえ取り上げられたとしても、山田を罵倒して取り上げられた方に桂歌丸が座布団+1枚指示する事がある(山田を罵倒すると同時に歌丸を称える事も)。この場合は「あげるのぉ~?」と露骨に嫌な表情をしながら座布団を持ってくる様が映る(基本的に座布団係は司会者に絶対的に従わなくてはならない)。さらに、たい平は持っていかれぬ様座布団をガードしたりする(しかし現在このケースはほとんどない)。さらに上手から駆け寄って突き飛ばす他に、回答の冒頭で自分の事を言われると察知して予め回答者の後ろへ移動して待機、突き飛ばしの構えを見せる時がある。この場合は、回答者が回答の最後に上手に向かって別れの挨拶等をすると、下手側から突き飛ばす事もある。まれに、上手から助走をつけて飛び蹴りをくらわせる事もある。子作り・家族ネタの場合は持っていかれない場合が多く座布団をもらえる場合もある。そのほか、林家木久蔵が延々と歌い続けていたりする場合にも同様である。メンバーを蹴飛ばす姿はかなり暴力的でありあまり笑えない。ただ、年上であるためか、木久蔵を蹴飛ばすことはなく、突き飛ばす時も、明らかにたい平を突き飛ばす時とは勢いが違う(木久蔵は山田を直接罵倒することがないせいもあるかもしれないが)また、少なくとも1度、前座布団運びの松崎真と比べられ「クソの役にも立たない」と言われて、楽太郎を思いっきり突き飛ばしたことがあった。
しかし例外もある。例えばTOKIOの山口達也は、『クビにしろ』と言ったのにもかかわらず座布団を一枚もらっていた(2005年1月2日)。また林家こん平はもちろん、弟子の林家たい平も散々悪口を言ってそのたびに持っていかれていたが(よってたい平の座布団がたまることが無い)2005年5月22日の放送で、最後の最後に「そんなカンタンなことは山田君だって出来るんだぞ」と悪態をついたたい平に座布団を一枚持ってきてお開きとなったこともあった。 そして、2006年11月の放送では、冒頭で自身のヒットナンバーである『みかん色の恋』を熱唱し横のたい平に張り倒されるという、いつもとはあべこべの珍しいシーンが見られた。
ちなみに、最も仲の良いメンバーは8歳年下であるたい平ともいわれる。実際、2006年1月1日の大笑点での50kmマラソンのゴール後、笑点メンバーで唯一泣いていたのはたい平であり、2人はお互いに抱き合った。
笑点メンバーは基本的にたい平、昇太を除いて全員「山田」と呼び捨てである。が、小遊三・好楽が司会をやった時、2人とも山田のことを「隆夫ちゃん」と呼んでいた。また、楽太郎の司会の時、「例のものを配って下さい」と言われて「あいよ」「おう」と返事し、楽太郎に「人が変わったらこんなに態度が違うのか」「お前、楽屋に帰ったら覚えてろよ!」などと言われていた(笑点の座布団運びで「山田君」と君付けするようになったのは彼の時から。それ以前は「松崎さん」「毒蝮さん」とさん付けだった)三遊亭楽太郎はぺヤングソース焼きそばが大好物であるため、山田はたかられ、毎回ダンボール単位で楽太郎に焼きそばをあげているという。
昇太を、自ら率いる「ちびっ子団」(ブラック団に対抗して)に加入させようと試みているが、実現の見込みはおそらくないであろう。
かつて江戸川に住んでいたが横浜に引っ越した時、楽太郎に「江戸川区から追放された」と罵倒され、その時の経緯をネタにされている。その内容とは「東京都の区画整備→高圧鉄塔で立退き料→今の土地にもうすぐ地下鉄の駅が出来る」であり、土地でかなりの金額を得ていると言われている(2006年9月17日のたい平最後の答)が、その真相の程は不明。
[編集] 出演
- ドラマ
- 明るい仲間 (NHK教育 道徳番組)
- 天下御免(NHK)
- 夕ばえ作戦(NHK 少年ドラマシリーズ、ずうとるびの仲間、今村良樹も共演)
- あぶない刑事 第2話「救出」(日本テレビ系ドラマ)
- 電子戦隊デンジマン 第30話「消えた盗んだ出た」
- 太陽戦隊サンバルカン 矢沢助八役
- 必殺仕事人 半吉役(いずれもテレビ朝日系)
- 噂の刑事トミーとマツ第7、31話(TBS系)
- CM
- バラエティ
[編集] その他
- アイドル歌手として 第26回NHK紅白歌合戦に出場 (ずうとるびとして)
- 映画俳優として 米国映画『太陽の帝国』(スティーヴン・スピルバーグ監督作品)出演
- 声優として サンリオ製作の人形アニメ映画『くるみ割り人形』に出演(シュヌルル役)
- 落語家として 鈴々舎馬風に入門。「鈴々舎鈴丸」を名乗る。しかし笑点には座布団係に徹する為本名で出演。
- 部員として 林家こん平が監督するらくご卓球クラブ部員。
- 結婚暦は2回。前妻との間に娘2人、現在の妻との間に息子1人、娘1人いる。その為子だくさんをネタにされる。
- 意外な事にプロボクサーのライセンスを所有している。