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国鉄マロネ40形客車 - Wikipedia

国鉄マロネ40形客車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

国鉄マロネ40形客車(こくてつまろね40がたきゃくしゃ)は、旧・日本国有鉄道が製作した寝台車両の一形式である。
本項では、同時期に作られた同形態の車両であるマロネ41形客車についても記述し、またマロネ40・41形から改造された事業用車両マヤ40形客車オヤ41形客車などについても記述する。

太平洋戦争後、進駐軍用列車・外国人旅行客向けに製作されたもので、日本で戦後最初に新規製作された寝台車である。
それまでの優等寝台車が3軸ボギー台車を用いていたのに対し、三等車同様に2軸ボギー台車を用いた合理的な構造となった。また当初から冷房装置を搭載し、戦後の混乱期に製作された車両としては最高水準の居住性を備えていた。
在来車に比しても設備のレベルアップは著しく、特に戦後の開放式優等寝台車において、広幅のプルマン式寝台を標準化する端緒ともなった。

本項では、これら旧型優等寝台車と不可分な車軸駆動冷房装置についても簡単に記述する。

目次

[編集] 車軸駆動冷房装置

車軸駆動冷房装置は、列車走行中、客車の台車車軸から取り出した動力で、冷房用圧縮機を駆動するシステムである。

[編集] 初期の鉄道冷房

1960年代以降現代に至るまで、鉄道用の車載冷房装置は電気式(電動式)が原則となっている。

南海電気鉄道の前身である南海鉄道は、1936年、国内の私鉄としては日本初の冷房装置を特急電車に搭載した。大阪金属工業(現在のダイキン工業(株)の前身)製電動冷凍機「ミフジレーター」を冷房装置に改造したもので、メチルクロライドを冷媒に用いている。原理自体は現代の一般的な冷房装置と同じである。

だがこれは電源が確保できる電車ゆえにできたことであり、1950年代以前の主流である蒸気機関車牽引の列車では実現困難であった(電源確保の手段として、客車へのディーゼル発電機搭載が日本で実用化されたのは、1957年以降である)。

日本の資本・技術で運営されていた南満州鉄道が1934年に開発した「あじあ号」専用客車は、米キヤリア社方式の車載冷房装置を全車両に床下搭載していた。これは蒸気機関車から送り込んだ高圧蒸気を利用し、気化熱差によって室内温を吸収する方式であるが、非常に大がかりなうえ蒸気漏れや部品の狂いによってしばしば故障したという。

[編集] 鉄道省の車軸駆動冷房

国鉄(当時は鉄道省)は、1940年に開催される予定の東京オリンピックで国力を示すため、1930年代中期には車両用冷房装置についての検討を進め、当時最高技術を要する機械圧縮機式(メチルクロライド冷媒)冷房を用いることとした。そして、設備する車体は1936年から1938年にかけ、大井工場でスシ37850形(37850~37855)食堂車を落成し、これらは当初から冷房準備工事を施行して製作された。

この車両は3軸ボギー台車を履いた丸屋根車で、床下に車軸動力駆動の冷房装置を搭載していた。食堂部分の側窓は1,200mmと幅広で、固定式でこそなかったが二重窓とし、車内温度維持に配慮している。また、車体にも保冷のために断熱材の充填などの試みが為されている。
東海道本線特急「富士」「燕」等に用いられたが、冷房を使用してみれば、停車中は作動しないので暑くなり、高速走行中は効き過ぎて客が凍えてしまうというちぐはぐな問題を起こした。このため冷却を弱める調整が行われている。

メカニズムとしては、川崎車輌による直接駆動式(車軸動力で冷房装置を直接駆動)と、荏原製作所による発電式(車軸動力で発電し、その電力で冷房装置を駆動)の2タイプがあったが、川崎の直接式の方が評価が高かったという。

しかし、この試みは戦前においては、他の系列に波及するまでには至らなかった。
なお、スシ37850形は1941年にスシ38形と改称、その後1両を戦災によって喪失した。進駐軍接収期間を経た後、1953年にはマシ38形と改称し、特急・急行列車に用いられたが、1968年までに廃車となっている。

[編集] 進駐軍用列車

1945年、太平洋戦争が日本の敗戦によって終結すると、アメリカ軍を中心とする連合国軍が日本の各地へ進駐した。
大きな飛行場が少なく、道路整備がほとんど行われていなかった当時の日本において、長距離大量輸送の手段は鉄道と船舶のみに限られていた。進駐軍もこれを認識し、国鉄線の管理権を事実上掌握した。

戦時中、一・二等寝台車を初めとする優等客車の多くは地方へ疎開するなどして保全されていたが、進駐軍はこれをあらかた接収し、軍用特別列車の専用車とした。

それらは可能な限りの改良整備が行われたが、一部の優等車には進駐軍側の指示により、車軸動力式の冷房装置を搭載するものも現れた。

[編集] 川崎車輌式冷房

1945年の終戦直後時点で、日本において使用可能な鉄道用車載冷房装置は、川崎車輌のKM式が唯一であった。
正式には「川崎式KM式客車空気調和装置」と呼ばれるこのシステムは、メチルクロライド冷媒式で、戦前にスシ37850形に試用したものを改良した方式である。

  1. 車軸の回転力を2組のベルトで取り出し、ギアとジョイント付プロペラシャフトを介して、車体側に固定された電磁接手へ動力を伝達する。電磁接手は励磁機を併設しており、高速時の回転数を極力一定に保つ役割をしている。
  2. ここから更に隣接する冷凍機箱に、ベルトで駆動力を伝達する。冷凍機では冷媒を圧縮し、熱を発散させている。現代の冷房における室外機の役割である。
  3. 圧縮された冷媒は配管を介して車両屋根裏に設置された室内機へ送られ、電動ファンの送風によって室温を吸収、再び床下の冷凍機箱に送られる。

この冷房装置の原理は現代の電動式冷房と同じ冷媒式だが、駆動装置が非常に大がかりで、客車床下の半分以上を占めていた。重量がかさむことから、冷房シーズンを外れると工場入りして取り外し、シーズン前には改めて取り付けていた。蒸気機関車の非力さを少しでも補うには、無駄な荷重を減らさねばならなかったのである。
なお、冷房搭載車は車体に断熱材を充填する工事も行っている。

最初に戦前製二等寝台車のマロネ37形・マロネフ37形各1両が、1945年末に冷房搭載改造された。続いて戦後賠償の一環である終戦処理費を財源として、1946年2月から5月にかけ、戦前製の一等寝台車および一・二等合造寝台車が計8両、冷房搭載改造された。その多くは地方の基地から主要都市の病院へ傷病兵を移送する病院列車向けであった。1947年までにKM形冷房装置は2形式35台が製造され、一・二等車の冷房化に用いられた。

資材も人材も不足する中で、冷房装置の製作・搭載には大変な困難が伴った。決して単純とは言えない構造であり、工作・材質の不十分さから作動トラブルも多かった。当時の担当者たちは進駐軍から厳しい叱責を受けつつ、苦心して冷房化を進めたという。

[編集] 寝台車の新製問題

進駐軍当局は鉄道の運営について、しばしば朝令暮改的な指示を出し、国鉄側を困惑させた。

1946年5月、進駐軍は軍用列車向けとして、寝台サイズにゆとりのある一等寝台車の新製を国鉄に打診した。国鉄は速やかに車両設計を開始する。同年8月、進駐軍は寝台車40両の新製を要求。メーカーである川崎車輌と日本車輌は正式発注を待たずに製作に着手し、資材不足の中で苦労しながら先行5両分の完成を急いだ。

ところが12月になると進駐軍は、寝台サイズが小さい既存車両でも所要は間に合う、という事実上の新車製作中止命令を出す。結果、作りかけの寝台車は製作費用の支払われるあてもないまま、宙に浮いてしまった。
唐突なキャンセルに国鉄とメーカー側は窮したが、進駐軍側への運動を行い、1947年2月に一等寝台車21両分の発注命令を得た。

こうして再び製作工事は進められたものの、進駐軍は同年5月、またしても一等寝台車発注の撤回命令を発した。
メーカー側はさんざんに振り回されながらも一等寝台車を完成させていたが、デッドストック状態で放置せざるを得なかった。
国鉄は形としては進駐軍側の指令に従ったが、「将来の外国人観光客輸送のために必要である」旨の理由で、一等寝台車を完成させる許可を得ようと試みた。そして最終的に、軍用でなく国鉄持ちの一般車両として完成させる承認を取り付けた。
こうして1948年、日本における戦後初の新製寝台車は、二年越しの辛苦の末に世に出ることになった。

[編集] マイネ40形(マロネ40形)

上記の経緯により、マイネ40形として書類上は1948年に21両が完成した一等寝台車である。
戦前の優等寝台車の標準仕様だった3軸ボギー台車を廃し、通常形客車と同様の2軸ボギー台車を採用したのが最大の特徴である。

1955年の一等寝台廃止により、二等寝台車マロネ40形に称号変更された。

[編集] 車体外観

当時のオハ35形客車等と同様、過渡期の車両らしい形状である。すなわち、在来車のように車端部の屋根を丸めてすぼませるのではなく、全断面のまま平らに切り落とした機能的な形態である。が、妻面はフラットではなく、在来車同様三面の折妻となっている。冷房用の送風ダクトを内蔵するため屋根が深く、車端部から見ると非常に車高が高く見える。

窓下には一等車の印である白帯が進駐軍専用にされていたため、代わりにクリーム色の帯を塗装した。

[編集] 車内設備

片廊下式の2人用個室寝台(現在のツインDXに相当)3室6名分と、中央通路のプルマン式開放寝台8区画16名分の寝台を備える。また、便所を車体の両端に備えている。

従来の日本における優等寝台車の開放式寝台は、幅の狭いツーリスト式が主流であった。プルマン式寝台の採用例は、1938年に鷹取工場で製作された一・二等寝台合造車のマイロネフ37290形(37290~37292、1941年にマイロネフ38形となる)があったが、これは実際には皇族・貴賓客用の特別車であり、本格的なプルマン式の採用は本形式が最初である。

日本における初期の蛍光灯照明採用車でもあるが、システムが未熟であまり好調ではなかった。

なお、マロネとなってからの1955~1956年にかけて、大船工場で車内レイアウトの変更改造が施された。従来車端部に位置した給仕室を2人用個室とし、車体中央部の個室を潰して給仕室および喫煙室を設置した。さらに片側デッキは配電盤室と物置に改造されて潰されている。

[編集] 台車

当初の台車は、戦前からの鉄道省標準型であるペンシルバニア形のTR23形台車を元に、軸受けをボールベアリング化したTR34形であった。棒鋼材を組み立てたこの台車は、元々さほど乗り心地の良いタイプではなかったが、車軸駆動冷房装置を搭載すると乗り心地はさらに悪化した。

そこで早くも1949年秋には、スハ42形1両(スハ42-87)及びスハフ41形20両(スハフ41-1~20)と台車を振り替えてTR40形を装備する。
スハ42形及びスハフ41形は、戦前からの標準三等車であるオハ35形及びオハフ33形戦後型の台車をTR40形に変更して1948年に開発されたものだが、台車振り替えされたスハ42形はオハ35形に(オハ35-1308)、スハフ41形はオハフ33形(オハフ33-607~626)に編入されスハフ41形は形式消滅となった。
TR40形は扶桑金属(旧・住友製鋼所、現・住友金属工業)が開発した、一体鋳鋼台車枠を持つ戦後の新型台車である。軸バネが従来の軸受け直上の単バネから、鞍状のバネ受け両側に二つのバネを振り分けたウイングバネ方式に変更され、バネが軟らかくなって乗り心地が改善された。鋳造なので重量がかさむのが難点である。なお、のちに乗り心地改善の面からバネ固さの変更が行われ、TR40Aとなっている。

マイネ40-16は、1949年秋、大宮工場に入場して冷房取り外し工事中に事故で全焼した。翌年に復旧したが、これに際して台車を軸梁式台車に交換した。この台車は中日本重工業(現・三菱重工業)が、ドイツの台車を参考に試作したMD-1形で、車軸の位置決めを軸梁(スイングアーム)で行ってペデスタル(擦り板)を廃し、軸バネは単バネとした。乗り心地は良かったようだが、軸梁基部の整備に難があり、量産型とはならなかった。

[編集] 冷房装置

従来の川崎KM形冷房装置から更に進化した間接式の車軸駆動冷房装置である。
駆動力の取り出し方は従来の方式を踏襲したが、冷媒で直接車内空気を冷やすのではなく、冷媒によって床下の水タンクを冷却し、この水タンクからの冷水を天井の室内機に送って車内を冷却した。冷え始めるまでに時間はかかるが、列車が低速になっても水が暖まってしまうまでは冷房が効き続けるのがメリットであった。当時は優等列車でも10分や15分の長時間停車はざらであり、大きな改善点であった。

圧縮機等の冷房機器本体は1948年の新造時点では搭載されず、1949年の夏期を前に工場入場して搭載した。これに先立ち、1948年暮れ~1949年初頭の冬季運用では、暖房用蒸気の一部を冷房用室内機に通し、予熱した外気を車内に取り入れるという試みを行っている。当初は故障が多く、関係者が苦心したことは、このタイプも同様である。

なお、冷房装置は毎年夏を前に搭載され、秋になってから取り外された。これは車内から屋根裏を開けて行っていたが手間がかかるため、1955年以降、マロネ41形同様に屋根の外側に点検蓋を設ける改造が行われている。

その後、列車の速度が向上し、また停車時間も短縮されたことから、1957年~1960年にかけて冷水による間接冷却を廃止し、高速型圧縮機による直接冷却式冷房装置の川崎KM-7形搭載に改造された。このまま最後まで車軸動力冷房を続けている。

なお、近畿日本鉄道も1957年から2250系・6421系旧型特急電車の冷房化に際してKM-7形冷房装置を採用し、1958年以降の新造特急車(6431系、ビスタカー10000系10100系)等でもKM-7を用いていたが、これらはいずれも動力を電動式としている。

[編集] マイネ41形(マロネ41形)

マイネ41形は、マイネ40形の増備車として1950年に12両が製作された一等寝台車である。外観やデザインはマイネ40形を大筋で踏襲しているが、当初から片側1デッキ式とすると共に、窓を1区画1枚とし、1,200mm幅の広窓としている。妻面はスハ43形客車等と同様の完全切妻形車体。台車は当初からTR40形であった。

1955年にはマイネ40形同様の経緯で二等B寝台車に格下げされ、マロネ41形となった(1960年の2等級制移行で一等寝台車となる)。

[編集] 設備

個室をなくして全室解放式のプルマン寝台とした。寝台区画は12区画、定員24人である。
大きな特徴としては、便所・洗面所を男女別として洋式便所を導入したことが挙げられる(それまで列車のトイレを洋式のような腰掛け式として利用するには、和式便器にその都度別付けの便座を取り付けて間に合わせていたが、いささか不潔で評判が悪かった)

冷房装置は電気式となり、車軸動力で発電機を駆動した。三菱電機と東洋キャリア社の2社の方式が併用されたため、いずれかが搭載されている。屋根上に冷房装置の点検蓋を設けて整備性を改善している。

[編集] 改造工事

1961年、冷房装置のうち凝縮ユニットを、オロネ10形同様の仕様であるCU1形に変更した。

1962年から抜本的な体質改善工事が行われた。TR40A形台車の枕バネが、従前の板バネから空気バネに改造されて乗り心地を改善、台車名称もTR40D形へ変更された。さらに冷房用のディーゼル発電機を搭載して車軸駆動発電を廃止している。

また、6両が側窓を複層ガラスによる固定窓に改造され、21~26に改番された(種車は順不同で1、3、10、11、8、9)。ウインドウシル・ウインドウヘッダーの付いた古い外見と固定窓はややミスマッチであった。一部は内装を全面的に改装し、設備・機能はオロネ10形に近いものとなった

[編集] マイネ(マロネ)40・41形の経過

[編集] マイネ(一等車)時代

マイネ40・41は当初はそのほとんどが進駐軍専用もしくはそれに類する列車に投入され、東京-札幌間を途中青函連絡船に積載されて直通するなどして全国の主要幹線ルートを往来した。

1950年以降は主に東海道山陽本線系統の急行列車群に連結されて用いられた。なおマイネ40形15は1950年10月、東北本線急行「みちのく」として運転中に脱線事故を起こし、転覆大破して廃車となっている。

1951年以降日本国内の民間航空路が復活し、幹線ルートに旅客機が就航するようになると、従来国鉄の一等車を利用してきた富裕層や企業幹部等が、航空機利用に流れるという現象が生じてくる。

これは当時の航空運賃は非常に高額だったが、鉄道の一等の方も三等の3倍近い高額だったので、あまり利用客が多くなかった。当時、旅行随筆「阿房列車」執筆のために(借金をしてまで)一等車を度々愛用した作家の内田百間は、「ただのお客が多いのだろう」と推察している――つまり、無料パスで国会議員が乗るばかりだったようだ。

その一方で二等寝台車は需要が高かったため、国鉄は1955年7月に保有する一等寝台車全車を二等寝台車に格下げし、一等寝台を廃止した。実質的な運賃・料金値下げである。これにより、マイネ40・41形はマロネ40・41形に形式を変更した。

[編集] マロネ(二等車)時代

旧一等の冷房付寝台車は、個室が二等A寝台、開放室が二等B寝台となった。従って両方を併設したマロネ40形は二等A・B寝台車、開放室のみのマロネ41形は二等B寝台車となる。

進駐軍が接収していた優等寝台車の多くは1953年頃までに日本側に返還されたが、マロネ40・41形、およびコンパートメント式二等C寝台車のスロネ30形(1951年製造)を除けば、1928年~1939年に製造された古い三軸ボギー車がほとんどで、すでに相当な車齢に達していた。
その中で車齢も比較的新しく、設備も良く数もそれなりに揃ったマロネ40・41形は、最上等の存在であった。東海道・山陽本線の代表的な急行列車に連結され、九州にも直通した。
例えば、戦後初の夜行特急列車である東京-博多間特急「あさかぜ」(1956年11月運転開始)にもマロネ40形が連結されていたし、日本で最初の本格的な寝台列車と言える東京-大阪間急行「彗星」(1957年10月運転開始)には1列車あたり6両もの二等寝台車が連結されていたが、そのうち実に4両がマロネ40・41形であった。

1957年には10系客車食堂車としてオシ17形が製作されたが、この形式は床下にディーゼル発電機を搭載し、その電源によって電動式の冷房装置を駆動する方式を初めて採用した。メンテナンスや信頼性の面からはこちらの方が優れており、以後、車軸駆動冷房は新規に採用されなくなった。

老朽化した戦前製の二等寝台車はサービス上問題が多く、抜本的な対策が求められた。
1958年にはプルマン式二等寝台(非冷房のためC寝台扱い)と三等寝台を併設した軽量合造寝台車ナロハネ10形が少数製造されたが、同年に近代化された特急用客車の20系が登場し、さらに翌1959年には、20系ナロネ21形の流れを汲んだプルマン式二等B寝台車のオロネ10形が開発される。
オロネ10形は2.9m幅の洗練された大型車体に、電気式冷房装置と、複層ガラスによる固定式側窓を備えており、ドアの遠隔鎖錠ができないことを除けば質的には20系と遜色なかった。また冷房電源は自車床下のディーゼル発電機でまかないながらも、マロネ級の各形式より10t近くも軽量化されていた。以後1965年までに100両近くも製作され、老朽化した戦前形の3軸ボギー式マロネをほとんど淘汰することになる。

[編集] マロネ(一等車)時代

1960年に国鉄は2等級制に移行し、マロネ40・41形も一等寝台車となった。製造後10年以上を経過し、特にマロネ41形には先にも記したとおりの大規模な体質改善工事が行われている。

20系の増備によって特急列車運用から撤退した後は、東海道・山陽本線および鹿児島本線急行にほとんど限定される形で運用されたが、線路条件から牽引能力にまま余裕のあったこれらの路線以外では、重いマロネ級車両は使用が避けられたという事情のようである。ことに東京-大阪間夜行急行にはマロネ40・41形が多く充当されていた。

なお、東北や上信越・北陸方面の優等寝台車であるが、勾配が多いうえ輸送力が逼迫していたこともあって、従来の3軸ボギー式老朽マロネは、オロネ10形投入で直接置き換えられた。通常、旧型車が辿る「都落ち」(地方路線への転用)は、マロネ40・41形に関する限り起こらなかったと言ってよい。

1964年の東海道新幹線開業で東京-大阪間夜行急行が大幅に削減されると旧型の優等寝台車は余剰気味となった。更に老朽化が進んだこともあり、マロネ40形の一部は業務用車両へ改造され、残りも1970年までに現役を退いた。

またマロネ41形も1972年までに一般営業から退き、最後に残った20番台の2両も1974年にマヤ43形に改造されたことで形式消滅した。

[編集] 業務用車

第一線を退いたマロネ40・41形の一部は、特殊用途の車両に改造された。その用途はいずれもユニークである。

[編集] マヤ40形1

マロネ40形4を1967年に大宮工場で改造した試験車
1963年の鶴見事故等で貨車の競合脱線現象が問題となり、実車を用いて試験を行うことになった。1966年に新線が開通して廃止された根室本線狩勝峠旧線がその実験線となった。
マヤ40形の外見はマロネ時代とほとんど変わらず、後に車体中央部の屋根にアンテナを搭載するための開口部が作られた程度である。客室設備・冷房はすべて取り払われ、無線によってリモートコントロール可能なブレーキ装置・連結器開放装置・測定データ送信装置が搭載されていた。車輪はフランジが通常より深く、踏面勾配も緩い特殊形状で、脱線しにくい構造になっている。連結器も他の車両につられて脱線しないように、下半分が削られた特殊な形をしている。
試験では貨車と連結された状態で機関車に押され、突放される。その状態で貨車を人為的に脱線させつつ、脱線しないマヤ40形でデータを収集したものであった。

狩勝実験線での使用後はほとんど働かないまま、国鉄民営化直前の1987年2月に形式消滅した。

[編集] スヤ42形1

マロネ40形5を1968年に旭川工場で改造した保健車
国鉄職員の健康診断を行うための巡回車両で、車内にレントゲン室・暗室・聴力検査室・診察室等を設けた。一部個室スペースを業務室としたり、旧・開放寝台の下段ベッドを利用するなど、巧みにレイアウトされている。寝台車時代の冷房は取り外されたが、駅構内での留置状態で用いられることが多いため、その間の暖房用として温気暖房装置を搭載している。
北海道内で保健車両として用いられたが1986年9月に廃車となった。
なお、スヤ42形は他に3両が存在したが、こちらは1979年から1981年にかけてスハ43形を改造したものである。

[編集] オヤ41形1、2

マロネ40形7、11を1968年に大船工場で改造した工事車
鉄道の工事現場における作業員の移動宿舎の役割を果たすもので、車体中央部の区分室を潰して談話スペースとし、それ以外の区分室と開放寝台はそのまま利用している。ただし、すべての寝台が畳敷きに改造された。
デッキ側の便所・洗面所スペースは物置に改造され、冷房装置は取り外されている。

1974年に、オロネ10形改造の工事車であるオヤ10形1・2と新たに編成を組むことになり、オヤ10形から冷気の提供を受ける形で再冷房化された。このため貫通路上に冷風ダクトを装備している。またこれ以降に残った便所・洗面所も物置に改造された。

三島操機区に所属し、架橋工事等で使用されたが、国鉄民営化直前の1987年2月に形式消滅した。
しかしながら2両とも解体されずに存置され、最終的にはマイネ40形への復元改造が行われている。

[編集] マヤ43形1、2

マロネ41形23、他1両を1974年に高砂工場で改造した教習車
列車掛教習車で、客室設備を一部存置、取り扱いの講習に用いた。2については後に一部の窓を潰している。

大阪鉄道管理局で教習用に用いられていたが、国鉄民営化直前の1987年2月に形式消滅した。

[編集] 保存車

オヤ41形2両が幸運にもJR移行後まで残存し、復元保存の対象となった。

[編集] マイネ40形7

オヤ41形1から復元されたもので、静岡県浜松市佐久間町の飯田線中部天竜駅構内にある佐久間レールパークに保存されている。

[編集] マイネ40形11

オヤ41形2から復元されたもので、群馬県安中市信越本線横川駅に隣接した碓氷峠鉄道文化むらに保存されている。

[編集] まとめ

本グループは、2軸ボギー台車の採用、当初から冷房の設置を前提とした設計、洋式便所の設置(マイネ41形)など、その後の多くの優等車両にも踏襲される要素を多く取り入れた画期的な存在である。だが内装はまだ木製で軽量化以前の存在であり、戦前形3軸ボギー優等車同様に過大な重量の「マ」級であった。その意味では古い時代の名残を留めた最後の優等寝台車であったとも言えよう。

日本国有鉄道鉄道院・鉄道省)・JR客車
木造ボギー客車
12000系・22000系・28000系
鋼製一般形客車
31系・32系・35系・70系マロネ40形60系43系10系50系
新系列客車
20系12系14系24系E26系
その他
ナハ29000形ハテ8000形オハフ17形
事業用車試験車
オヤ31形マヤ34形マヤ50形
車種別
一等寝台車・二等寝台車三等寝台車一等車特別二等車二等車三等車展望車
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