北マリアナ諸島
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自治領の標語 : なし | |||||
公用語 | 英語、チャモロ語、カロリン語 | ||||
首都 | ススペ | ||||
知事 | ファン・N・バブータ | ||||
面積 - 総計 - 水面積率 |
世界第230位 477km² 0% |
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人口 - 総計(2003年) - 人口密度 |
80,006人 168人/km² |
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通貨 | USドル | ||||
時間帯 | UTC+10 - チャモロ標準時 | ||||
ccTLD | .mp | ||||
国際電話番号 | 1-670 |
北マリアナ諸島(きたマリアナしょとう)は、アメリカ合衆国の自治領。ミクロネシアのマリアナ諸島のうち、サイパン島、ロタ島、ティニアン島など、南端のグアム島を除く14の島から成る。日本から見れば、小笠原諸島の先に続く島々である。1919年から1944年まで日本が委任統治した。
首都はサイパン島のススペ。大統領制で二院制議会。チャモロ人・カロリニアン人のカトリック信徒が多い。観光業、繊維業が盛んで、地理的に近いこともあって観光客の殆ど(7割以上)を日本人が占める。
しばしば、北マリアナ諸島連邦と日本語訳されることがあるが、北マリアナ諸島は連邦制をとっておらず、また、アメリカ合衆国と連邦の関係にあるわけでもないので完全に誤訳であるという見方もある。とはいえ、旅行者がサイパンの空港で入国の際提出する税関申告書の日本語版には「北マリアナ連邦へようこそ」と書かれていることから、北マリアナ政府の日本語での自称は北マリアナ連邦のようである。
最初にこの島々に居住した人々の子孫はチャモロ人と呼ばれるが、現在はミクロネシア連邦に属するカロリン諸島との交流も古い伝統があり、カロリン諸島系の住民(カロリニアン)も少なくない。ドイツ及び日本による統治時代には、先住民による遠洋航海の禁止政策によって、一旦カロリン諸島との交流は途絶えたが、1970年にサタワル島の航法師ルイス・レッパンルックが再びカロリン諸島とサイパンの間を航海カヌーによって航海し、現在では両者の交流は再び盛んになっている。
[編集] 歴史
- 紀元前16世紀頃 チャモロ人が移住
- 9世紀頃 タガ王朝誕生
- 16世紀頃 カロリン諸島からのカロリニアンと交易、一部移住
- 1521年 ポルトガル人フェルディナンド・マゼランが到達
- 1565年 スペインが領有権を宣言
- 1898年 米西戦争敗北によりスペインに手放されることになり、ドイツが領有する
- 1914年 第一次世界大戦で日本が占領
- 1920年 国際連盟で日本の委任統治地域とされる
- 1944年 第二次世界大戦でアメリカが占領
- 1947年 国際連合でアメリカの太平洋諸島信託統治地域ミクロネシアの一部とされる
- 1986年11月3日 アメリカとの独自の交渉により盟約を締結、レーガン大統領が北マリアナ諸島を自治領と宣言し、今に至る
[編集] 外部リンク
- アメリカ合衆国の地方行政区画
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