中西学
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中西学 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 中西学 クロサワ |
本名 | 中西学 |
ニックネーム | 野人 マッスル・ヘラクレス |
身長 | 186cm |
体重 | 120kg |
誕生日 | 1967年1月22日 |
出身地 | 京都府京都市 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | アマチュアレスリング |
トレーナー | 馳浩 佐々木健介 |
デビュー | 1992年 |
中西 学(なかにし まなぶ、1967年1月22日 - )は、日本のプロレスラー。京都府京都市出身。新日本プロレス所属。身長186cm、体重120kg。海外(WCW)では「クロサワ」というリングネームだった。
目次 |
[編集] 経歴
宇治高等学校からアマチュアレスリングを始め、大学は専修大学に進学。全日本選手権4連覇を達成し、大学卒業後、和歌山県庁勤務を経て新日本プロレスのアマレス部門闘魂倶楽部に入門。1992年のバルセロナオリンピックに出場した。
1992年に新日本プロレスからプロデビュー。デビュー戦は藤波辰巳のタッグパートナーという大抜擢を受けた。デビュー後しばらくはアマレス用のヘッドギアを着用していた。同時期にデビューした選手は「第三世代」(第一世代=藤波、長州力など、第二世代=闘魂三銃士、佐々木健介など)と呼ばれる。その為、デビューの遅かった中西は健介と同年齢ながら第三世代扱いとなる。1997年には小島聡と組んで第31代IWGPタッグ王座に就く。
1999年には「G1 CLIMAX」で初優勝(第三世代から初の優勝者)。同年、永田裕志と組んで第39代IWGPタッグ王座にも就いた。
2000年3月28日、永田裕志、ブライアン・ジョンストン、吉江豊、福田雅一と格闘ユニット「G-EGGS」を結成。本隊内の独立した軍団として、蝶野正洋率いるヒールチーム「TEAM 2000」と抗争を展開。この頃、「P-4M」というメッセージを発信。「問題(Problem)」に「耐える(Put up)」事により「願いが叶う(Possible)」事を「約束される(Promise)」という4つのPからなるもので、これを意味する手のポーズも有る。
2003年6月、FEG主催の「K-1 BEAST」でK-1ルールに初挑戦。同じくK-1に初参戦であり、アマチュア相撲出身のTOAと、打撃の素人同士の対戦を行うも1ラウンドKO負けを喫する。
2004年、「シングルをやる為に」と本隊を離脱し反体制派へ。一匹狼となり、海賊(パイレーツ)を名乗って暴れる。短期間ながらウルティモ・ドラゴンとタッグ結成。その後は蝶野正洋のチームに合流。ニュー・ジュラシックパワーズとしてスコット・ノートンともコンビを組む。短期間で、野人→海賊→ソルジャーへとギミックチェンジを繰り返し周囲を唖然とさせた。
2005年からは、犬猿の仲である永田裕志、ケンドー・カシン、藤田和之と「チーム・ジャパン(TJ軍)」を結成。また、天然キャラクターを生かして「さんまのSUPERからくりTV」(TBS)などにも出演し、珍言動で、人気を得ている。このことや後述の技アングルなどで、大学の後輩である秋山準には「大学時代は頭が上がらない人だったのに、今はこれだと思うと、大学時代がバカみたい。ほんっとに情けない先輩になってしまった」と嘆いた。
2006年5月31日、ZERO1-MAXでのタッグマッチで大森隆男との試合後、大森の実力を認め握手を求める。大森も中西を認め握手を交わしタッグチームを結成する。日本プロレス界を代表する二人の大型レスラーがタッグを組んだことは大きな反響を巻き起こした。6月24日のディファ有明大会でNWAインターコンチネンタルタッグ選手権に挑戦。合体技”ワシントン条約”で勝利、初タッグ結成でいきなり王者となり、2戦目の7月17日札幌月寒大会ではIWGPタッグ王座(暫定)も奪取した。9月20日付けで、蝶野&天山組の持つ第48代IWGPタッグ王座は剥奪され、同日付けで正式に第49代IWGPタッグ王者となった。チーム名を「ワイルドチャイルド」とした。
最近では新日本プロレスのエンターテイメント系興行「WRESTLE LAND」にてそのキャラクターを余すところ無く発揮し、ファンに受け入れられている。
早くからG1優勝などの活躍があったが、第三世代の4人の中(永田、天山、小島、中西)で唯一IWGPヘビー級シングル王座の所持経験が無い。
[編集] 得意技
話題になったスポーツに関連する語を用いる、アングルから技を使い始めることが多いが、アングルから使い始めた技は短期間で使われなくなることも多い。
- アルゼンチンバックブリーカー
- ヘラクレスカッター
- ウルティモ・ドラゴンとのタッグ時に開発された技。アルゼンチンバックブリーカーの体制から相手の後頭部を叩きつける。いつの間にか封印されたことになっており、中西が解禁を口にして封印の存在が明らかにされた。
- 一時期使っていたが、開発者のカール・ゴッチに直伝されたというアングル(実際にはフロリダのゴッチ宅を訪問して少しアドバイスをもらっただけ)を経て、再度使い始めた。ゴッチが巨人レスラーのアンドレ・ザ・ジャイアントをこの技で投げた逸話を再現するため、同じく巨人レスラーであったジャイアント・シン(現:グレート・カリ)を投げ、説得力を持たせようとしたがシンがレスラーとして凡庸だったため効果は乏しかった。
- 高山善廣の同技が"エベレスト"ジャーマンと呼ばれていたことに対し、自ら"富士山"ジャーマンと命名したが、定着しなかった。高山は富士山ジャーマン命名の報をマスコミから聞くと「エベレストより低いじゃん」と一笑に付した。そもそも中西はグレコローマン出身ではないため、ブリッジはあまり美しくない。
- マナバウアー:
- アルゼンチンバックブリーカーから数回振り回してジャーマンスープレックスを放つ。命名の由来は荒川静香により有名となった、フィギュアスケート技のイナバウアー。イナバウアー自体は、足の構え(足を前後に広げる・つま先を外に向ける)ことであり、ジャーマンの要素と考えた、荒川がトリノ五輪で見せた上体反らしはイナバウアーではない。一言で言い換えるとジャーマン・スープレックスの言い方を変えたもの。
- 野人ハンマー:
- 両手の指を組み、両腕を相手に叩きつける、ダブルアックスハンドルのこと。
- 一本足野人ハンマー:
- 野球日本代表が第一回WBC優勝後に開発。チームの監督である、王貞治の打撃フォームに似せて一本足で野人ハンマーを放つ。
- 野人ダンス:
- リング上で気合を入れるために舞うこと。ケンドー・カシンなど、他の選手に真似られる。
- 同名のテニス選手のフォームにヒントを得て開発した、膝裏への低空ラリアット(腕での足払い)。
- ジャイアント・バーナードとの試合において、ロープに振った後、自らは違う方向に飛び走る経路を途中で曲げて腕を叩き付けるホーミング式ラリアットを見せた。
- 中西と大森隆男の合体技。アックスボンバーとマッケンローを同時に繰り出す。NWAインターコンチネンタルタッグ奪取の決め手ともなった。二人の巨体から生み出されたこの合体技の破壊力は絶大である。
- 中西と山本尚史の合体技。
[編集] その他
- 大一番の前には対戦相手に「小細工はいらない」と言うことが多いが、中西本人は前述の通り新技開発を好む。
- WCWでクロサワを名乗っていた頃、試合中のアクシデントで対戦相手のホーク・ウォリアーの腕を折ってしまい、しばらく試合を干された事がある(もっとも、ホークはアクシデントと言う事で特に怒ってもいなかった上、『ホーク・ウォリアーの腕を折った男』という肩書きも出来たので、当時は結果的にはプラスになったと思われる)。
- メガネをかけてインテリギミックを使おうとしたことがあるが、すぐやめてしまった。
- ファンの間ではバカとして認知される事が多いが体育科の教員免許を持っており上述の通り元公務員でもある。
- 元夫人は、元プロ野球選手・近藤昭仁(元横浜ベイスターズ初代監督→元千葉ロッテマリーンズ監督→現読売ジャイアンツヘッドコーチ)の次女で元女優の近藤典子。そのため、中西は近藤の元娘婿にあたる。
- メジャー団体では数少ない関西弁で喋るレスラー(当時、メジャー団体では大相撲の慣例にならい方言禁止の風習があった)だったが、2002年にカール・ゴッチ宅を訪問してからはたどたどしい標準語を話すようになった(対照的に同じ第三世代の天山広吉は以前より関西弁を話す機会が増えた)。現在は元の関西弁に戻りつつあるようである。
- 2003年3月「中西政権が始まるぞ」と試合後コメントしたが、それ以降始まる様子は見られていない。
- 実家は京都では有名な茶農家で、インターネットのホームページもある。
- またさんまのSUPERからくりTVのコーナーの一つである「熱いプロレスラー中西学のお悩み相談バーベキュー相談亭」ではおぎやはぎ、駒田健吾アナとともに相談者の相談に乗っているが、結局は解決には至らず中西の珍発言に注目が集まっている。初めの主張とはまったく逆になっていることも少なくない。
- 専修大学時代、寮で洋物のアダルトビデオを見つつ「オーイェー!!」などと叫びながら何やらやっていたところを後輩で寮の同室だった秋山準に何度か目撃されている。(ウケ狙いでわざとやってたという説もあり)
[編集] 外部リンク
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