福田雅一
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福田雅一(ふくだ まさかず、1972年5月17日 - 2000年4月19日)栃木県出身の日本国の男子プロレスラーである。最終所属は新日本プロレス。
[編集] 経歴
少年時代は野球や相撲の選手として活躍。中学校3年生には関東中学生大会に出場し後に横綱となる貴乃花(花田光司)と対戦している。足利工業大学附属高等学校進学後アマチュアレスリングを本格的にスタートさせ、1994年国民体育大会(日本大学4年生時代)で準優勝の実績を持っている。
1995年、レッスル夢ファクトリーに入門し、プロレスラーの道を歩む。1998年には「ベストオブ・スーパージュニア」という新日本プロレスリングの大会に参加し、アマレス仕込みの高角度ジャーマンが注目され1999年その新日本プロレスに移籍。将来を嘱望される存在にあった。
しかし、2000年4月14日に開かれた宮城県気仙沼市の試合中に柴田勝頼のエルボーを受け意識不明の重体に陥り、直ちに同市内の病院に運ばれたが、4月19日に急性硬膜下血腫のため死亡した。日本のプロレスラーが試合中の事故で亡くなったケースは女子レスラーで2名(プラム麻里子、門恵美子)あったが、男性レスラーでは史上初の惨事だった。
[編集] 得意技
- ジャーマンスープレックス
- のど輪落とし
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