大韓航空機銃撃事件
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大韓航空機銃撃事件(だいかんこうくうじゅうげきじけん)とは韓国の大韓航空機がソ連へ誤って領空侵犯をしたため、ソ連防空軍機の銃撃を受けた事件である。銃撃を受けた大韓航空機は不時着には成功したが、多くの乗客が死傷した。
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[編集] 事件の概要
1978年4月21日、大韓航空902便(機体記号HL-7429、ボーイング707-321B、乗員乗客113名)は、パリのオルリー空港を離陸し、経由地であるアンカレジを経てソウルに向かうフライトプランであった。そのため北極圏を経由することになっていたが、大韓航空機には極地飛行に必要な慣性航法装置(INS)が装備されておらず、磁針方位計も極地のため使用できず地上航法施設も少なかったため、太陽の位置で方位を決定する天測航法で飛行していた。
大韓航空機はアイスランド上空で大気が不安定になるトラブルに遭遇し地上との交信ができなくなり、コンパスが故障したために航法士(航空機関士ではなく、太陽や恒星の位置から航路を観測する運航乗員)が誤った針路を指示した結果、グリーンランドから航路を逸脱、4時間後にソ連領空へ侵犯した。
機長は太陽の位置がおかしい事に気づいたが、そのとき大韓航空機は運悪くソ連北洋艦隊が駐留しているコラ半島上空を飛行していたため、ソ連国防軍のスホーイSu-15迎撃戦闘機2機にインターセプトされていた。この事態を大韓航空機側は戦闘機との交信をしようとしたが出来なかったと主張したが、ソ連側の主張は反対に無視されたとしていた。いずれにしても戦闘機から機関砲での射撃を受け、左翼主翼先端が吹き飛ばされ、乗客2名が死亡し13名が重傷を負っていた。
そのため大韓航空機は巡航高度の35000フィートから5000フィートまで急降下したが、機体の制御が可能であったため現地時間の午後6時45分にムルマンスク郊外の凍結した湖に不時着(胴体着陸)した。ソ連領内へ不時着したため、乗員乗客は全員拘束された。当時の韓国とソ連との間に国交が無いことから米ソ間の協議により23日に、フィンランドのヘルシンキで機長と航法士以外は解放されたが、残りの2名も一週間後に解放された。
[編集] 事故原因
公式にはコンパスが故障したことが航路逸脱の原因とされているが、この計器が故障するのは天文学的確率であるとの指摘がある。そのため、大韓航空機がスパイ活動のために領空侵犯したのではないかとの指摘や、乗員の注意力が散漫で針路を誤った職務怠慢説がある。
[編集] 備考
- 1983年に起きた大韓航空機撃墜事件では当初はこの事件の例からサハリンへ着陸させようとしたのではないかとの憶測があった。
- 1991年になり、戦闘機のパイロットが撃墜命令を無視して銃撃していたことが判明した。そのためソ連の国防当局は軍用機と旅客機との区別が付かないまま、国際慣習を無視した対応をしようとしていたことが明らかになった。
[編集] 関連事項
[編集] 参考文献
- デビッド・ゲロー著、清水保俊翻訳、 「航空テロ」 イカロス出版 1997年 138頁